岡山県

西粟倉村

にしあわくらそん

Iターンが増えた結果、今はUターンも増えつつある西粟倉村。移住事業の担当者が語る、「ただいま」への思い。

西粟倉村に、ローカルベンチャーやIターンのみならずUターンも少しずつ生まれていることを各記事で紹介してきました。

2017(平成29)年度から商工観光や地方創生を担当し、そうした動きを見守ってきた一人が、西粟倉村役場で産業観光課課長を務める萩原勇一(はぎはら・ゆういち)さんです。

萩原さんは西粟倉村出身で、1990(平成2)年に西粟倉村役場に入庁。移住やローカルベンチャー事業の担当責任者として、いくつかのプロジェクトを進めてきました。
村に新たな風を起こすきっかけとなった各プロジェクトは、Uターンが増えた背景を語るときにも欠かせない要素です。

今、どのような思いで村の今と未来を見つめているのでしょうか。
自治体職員として、村の出身者として、感じていることをお聞きしました。

 

特に田舎では、景色を変えるのに10年かかると感じる

— 萩原さんはどういうイメージを持ちながら、さまざまなプロジェクトを進めてきたのですか。

萩原:西粟倉村では2008(平成20)年に「百年の森林(もり)構想」を掲げ、村として新たなスタートを切りました。するとその理念に共感した若い方たちの移住が散見されるようになり、地域にさまざまなプレーヤーが生まれたんです。この流れを加速させるために2015(平成27)年から始めたのが「西粟倉ローカルベンチャースクール」をはじめとするローカルベンチャー事業です。

ただし、私たちが求めたのは地域の課題を解決するプレーヤーではなく、地域の現状をベースラインとして“そこに新たな価値を上乗せしてくれる人”でした。

何かの計画を立てて粛々とやるというより、とにかく村としてあらゆることにチャレンジし、いろいろな結果を積み重ねました。チャレンジして、うまくいったらプラス1。失敗してもそれがマイナスになるわけではないので、「新しいチャレンジが生まれることによるマイナスはない」と考え、結果を積み重ねました。すると状況が変わってくるので、積み重ねたものの上に立って「次はどうしていこうか」と、次のことを決める。そんなやり方です。

おかげさまで少しずつローカルベンチャーや移住者の方が増えていき、2019(令和元)年には次のステージを意識して「ここから10年、新しいことをやり続けたい」と考えました。10年何かをやり続けることを前提に「ここからどうするか」と。特に西粟倉のような田舎だと、景色を変えるのに10年かかると感じているからです。10年やり続けると、生み出したものがそこに存在して、景色が変わってきます。

 

(萩原勇一さん)

— 今、村の変化をどのように感じていますか。    

萩原:先に増えたのはIターンや関係人口でしたが、最近ではUターンも少しずつ増えています。僕らの世代が就職した頃には、村内の就職先は限られていて、村の周辺にもあまり就職先はありませんでしたけど、前向きに仕事をされている方や事業を続けてこられた経営者の方たちがいるからこそ近年は村内で働けるところが増え、以前にはなかったクリエイティブな仕事も増えてきました。そういった変化     から、「村に帰ってもいいな」と思う人が増えてきているのだと思います。

これまで移住した方や何度も足を運んでくれた方たちは、村に何か「西粟倉らしさ」みたいなものがあるから、他の地域ではなく西粟倉に来てくれたのだと感じます。西粟倉らしい地域性の風土を将来につなぐ存在がいないと、新たなIターンは増えません。僕は自治体職員としても個人としてもこの村が残ってほしいですし、「西粟倉らしさ」を将来に引き継いでくれるのはUターンなのではないかと考え、そういう存在を増やしていきたいなと思っていたんです。最近は毎年のようにUターンとして帰ってくる方がいて、やっぱり嬉しいですね。

 

(西粟倉ローカルベンチャースクールの様子)

 

「西粟倉出身です」と言うのが恥ずかしかった高校時代

— 萩原さん個人としては、どういう思いを持っていますか。

萩原:僕の根底には、高校時代の経験があるんです。西粟倉村で育ち、村外の高校に進学したのですが、周囲に「西粟倉出身です」と言うのが恥ずかしかった。でも「なぜ恥ずかしがらないといけないのか」って、自分でもすごく嫌だったんですよ。それでいつか子どもたちのために、村を自慢できたり、「西粟倉出身です」と言ったときに「すごい」「知ってる」とポジティブな反応が返ってきたりする状況にしたいと思っていました。

もちろん僕一人が仕掛けて今の西粟倉になったわけではないんですけど、今の西粟倉を引き継いで将来につないでいきたいなと思い、仕事での各プロジェクトを進めていったところはあります。

プライベートでは、娘が5歳の頃キッズチアリーディングチーム「あわくらニコニコキッズチア ハニーズ 」が誕生し、娘もそのチームに入ったことは印象的です。大学でチアリーディングを経験した西粟倉村出身の女性が帰ってきて役場に入庁したので(当時)、指導者になってもらい設立されたチームです。実は僕の妻が彼女に猛アタックして立ち上がりました。設立当初は5人で始まった小さなチームでしたが、メンバーが増えて中四国大会に出場できました。

娘は高校に入ってからもチアリーディングを続けていたので中四国大会出場のこともきっかけに「西粟倉を知ってるよ」という声をかけてもらうことも多かったようです。村にいると不便なことや足らないところもたくさんあるんですけど、娘自身は、外に出て初めてチアを含めた、西粟倉の学校教育や地域の環境がとても良かったのだと再認識したようです。
村=田舎=イケてない=恥ずかしいという僕の経験と違い、村に対する肯定感みたいなものが育っていたのでしょうね、娘は西粟倉出身だと隠さないんです。そういうところも村の嬉しい変化の一つだと感じます。

 

 

これまで育んできたものを整理する時間を設けたい

—仕事でもプライベートでも村のポジティブな変化を感じているのですね。

萩原:僕らぐらいの世代までは村内に同級生が20人前後いましたが、今の村の小中学生は1学年の人数が半分ぐらいになっています。また、僕らの世代は周りにも高校がいくつかあって実家から通えましたし、大学進学率が今より低く、高校卒業後に就職して村内に居続ける人がいましたが、今は村内から通える高校はとても限られていて、大学進学率は高いです。そういう環境で、村に居続ける人が減るのは自然ですよね。

だからこそ、変わらなくてはいけないんですよね。結果を変えようと思ったら、まずは今までと違うことをやらなくてはいけない部分があります。
今の村の景色をつくるきっかけの一つになったのは、ローカルベンチャー事業だと思います。「前例がないから」などと、理由をつけてやらない道もあったかもしれないけれど、役場や地域の先輩方が中心になって「現状を変えたい。何とか取り込んでいこう」と動いた結果、今の西粟倉があるのだと思います。

 

— これから大事にしたいことは何ですか? 個人的な思いでも構いません。

萩原: 2017年、変化し続ける役場になるために設置された「地方創生推進班 」の頃から言っていることなんですが、一つは「教育」だと思っています。教育のやり方によって、Uターンが増える可能性はあると思うんですよね。

村内には高校がありませんし、義務教育の間でどこまでできるのかという課題もあるんですけど、学校が変わっていく必要はあるなと思っているんです。子どもたちが自らつくりあげていくような場や環境教育があるといいな、と。村内にはいろいろな大人がいるので、例えば中学生の「職場体験」というインターンシップ活動を充実させていくのも一つの手なのかなと思っています。工夫しながらやっていけば、それを魅力だと感じてくださるファミリー層もいて、UターンやIターンが生まれるかもしれません。

(地方創生推進班 2017(平成29)年)

また、「地方創生推進班」の活動から生まれた「一般社団法人Nest(ネスト)」は、公教育と社会教育の垣根をなくし、地域で学びの機会をつくる目的で活動しています。何か新たな方法を考え、村の教育に取り組んでいってもらえたらと期待しています。

(一般社団法人Nestの活動の様子(提供:一般社団法人Nest))

もう一つは、西粟倉は幅広く活動してきたように感じていることです。「百年の森林構想」を起点に、村の中から湧いたアイデアや外からいただいたご提案などがあり、将来に向かって良さそうだと判断したものを「まずはやってみよう」とどんどん取り込んできました。
その結果、地域にいろいろなものが増えたんですけれども、地域に定着させること以上に次々に生み出すほうに注力してきたところもあると思っています。

建物で階段を昇ったら、次の階段との間にちょっとした踊り場がありますよね。そういう“踊り場”をつくって「これまで育ててきたものを活かして、次はどうするのか」と、整理する時間を設けたいなと思います。西粟倉がいろいろな事業を始めた時期とは違って、今は他地域の自治体さんも近しい事業や特色ある事業などを始められ、地域の環境が変わりましたので、西粟倉の色をもう一度つくり直さないといけないんだろうなという気がしています。

今後は、これまでの流れは大切にしながらも、地域が変わっていくことには取り組み続けていかないといけないと思っています。具体的なことは各所と相談し、考えていきたいです。

 

— 西粟倉には、新しいものをおもしろがりながら変化していく力や、ある目的のために臨機応変に取り組むフットワークがあるように感じます。

萩原:そうですね。新しいものを吸収しながら変わっていける柔軟なところは、引き継いでいきたいものです。
郷土愛をむりやり植え付けるような形ではなく、暮らしの中で自然と「西粟倉村っていいな」「帰りたいな」と思ってもらえる地域にしたいです。例えば村で育った子どもたちが、将来村のプロジェクトに関わるとか、そんなことが起きたら嬉しいなと思います。結果としてUターンが増えたら、なお嬉しいですね。

―種蒔きをされているので、Uターンがもっと増えていくといいですね。ありがとうございました。

 

 

「ただいま 西粟倉」特集 一覧

プロローグ “Uターン“をテーマにした特集記事「ただいま西粟倉」が始まります。

Vol.01 「おかえり!」。子どもの頃から知る“あの子たち”のUターン。西粟倉村の子どもの探検クラブの仕掛け人が、帰村した二人と語り合いました。

Vol.02  届け、西粟倉村にUターンをしたい人へ…!Uターンして10年以上経った3人が語る、帰村後に感じたことや村の状況。

Vol.03 両親のひと声と、西粟倉村の活気や魅力。この二つがUターンを生み出しているのかもしれない。『NPO法人じゅ~く』の若き二人の帰村物語。

Vol.04 毎年オーストラリアから西粟倉村へ帰り、長期ステイ。「将来子どもたちが多くの選択肢から道を選べるように、大好きな故郷の暮らしを体験してほしい!」

Vol.05「大好きな西粟倉へUターンして役場で仕事をしたい!」。そんな夢をついに叶えた青年と、子どもをあたたかく見守ってきた地域の大人たちの物語。

Vol.06 Iターンが増えた結果、今はUターンも増えつつある西粟倉村。移住事業の担当者が語る、「ただいま」への思い。