岡山県
西粟倉村
にしあわくらそん
「大好きな西粟倉へUターンして役場で仕事をしたい!」。そんな夢をついに叶えた青年と、子どもをあたたかく見守ってきた地域の大人たちの物語。
Date : 2025.02.25
自分が育った地域に貢献したい——。
高校時代からそう心に決め、ついにそれを実行した青年がいます。
西粟倉村役場の総務企画課に勤める、白籏諒(しらはた・りょう)さん。23歳です。
大学卒業と同時に村へUターンし、金融機関勤務を経て2025(令和7)年1月に入庁した白籏さん。
西粟倉村への思いを強く持っている白籏さんですがその背景には、きっかけになった出来事や大人たちの存在がありました。
白籏さんと、その上司である総務企画課長・榎原博文(えばら・ひろふみ)さんにお話をお聞きしました。
村のことを発表した経験と、担任の先生との出会いが原点
— まずは経歴を教えてください。
白籏:隣の佐用町で生まれ、小学2年生のとき西粟倉へ引っ越してきました。村内の小中学校に通い、高校から実家を出たんです。高校時代は県内で寮生活をし、岡山市の岡山理科大学に進学しました。2024(令和6)年3月の大学卒業を機に実家へ戻り、地域の金融機関で働いていましたが、2025年1月から西粟倉村役場に勤務しています。
— 白籏さんはどんな子どもだったのですか。
白籏:小学生のときは、休み時間はサッカー、放課後は鬼ごっこと、とにかく走り回っていましたね。1年生から6年生まで一緒にサッカーをして、みんなフラットな関係で付き合っていました。佐用町の小学校は1学年2クラスで同級生が40人くらいいましたが、西粟倉では1クラスで僕を入れて13人。小中学校は同じメンバーで過ごしました。人数が少ないぶん、先生との距離が近かったです。
同級生や先輩、先生方、地域の方たちを含めて、「みなさんに育ててもらった」という実感が強くて、高校時代から「村に恩返ししたい。役場で働きたい」と考えていました。大学時代には、移住者が増えて村が活性化している様子が伝わってきて、岡山市にいた自分としてはうらやましく「自分も早く関わりたいな」と思っていました。
その後、岡山県全体に貢献できる仕事も素敵だと思って前職の金融機関に入ったんです。でも、村のことがずっと心に引っかかっていて「もっと西粟倉の人たちに恩返ししたい。西粟倉に直接的に携われる役場に入りたい」と考えました。

白籏諒さん
— どうしてそれほどまでに村に強く思い入れを持てたのでしょう。
白籏:二つ思い当たることがあります。一つが、小学6年生のとき、「学校の森・子どもサミット」に参加したことです。森林に関する活動を行っている小学校の生徒たちが全国から集まる会議です。西粟倉小学校の代表という形で、3名ほどで村内の森林について調べて発表しました。西粟倉のことを発表したらすごく反響があって、自信になりましたし、改めて「こういう環境にいるんだな」と村のことを客観的に見ることができたんです。
もう一つが、2年生と6年生のときの担任・鳥越厳之(とりごえ・げんし)先生です。その先生が、授業だと感じないほど楽しい授業をたくさんしてくださって、影響を受けました。自分は褒められて伸びるタイプだと思っているんですけど(笑)、鳥越先生はいろいろなところを褒めてくださって、自信をくれたからです。自分でも「成長できた」という実感を持つことができて、その土台である地域社会に恩返ししたいと考えるようになりました。

ご提供:白籏諒さん
地域を知り、楽しむことができた「ふるさと元気学習」
— 村のことを発表したイベントや、担任の先生の存在が大きかったんですね。
白籏:西粟倉小学校に「ふるさと元気学習」という学習プログラムがあるんです。授業の一環として、村を知るために、事業者さんの話を聞いたり、山に行って木を切る体験をしたり。時間割のうち、総合的な学習が週に3コマぐらいあって、そのうちの1コマだったと思います。鳥越先生に、村内のいろいろなところを歩かせてもらった思い出があります。
— 榎原さんは、今日は役場の課長として取材させていただいていますが、以前は西粟倉村教育委員会にいらしたそうですね。
榎原:はい。「ふるさと元気学習」は2012(平成24)年に始まったプログラムで、当時教育委員会におりました。私は「それいいですね」と応援していただけで、主体的に進めてくださったのは学校の先生たちです。
「ふるさと元気学習」のような授業は、一般的には学校教育では行われないと思うんですけど、地域のリソースを使って、学校が大事にしている「生きる力(確かな学力、豊かな人間性、健康・体力)」をより高める中で地域に愛着をもってもらう狙いがあったのだと思います。今の白籏くんの話を鳥越先生たちが聞いたら、すごく喜んでくれるんじゃないかなと感じました。「ふるさと元気学習」は今も続いていますよ。
— 素敵なプログラムですね。白籏さん、地域に貢献する形はいろいろあると思うのですが、役場勤務がいいと思ったのはどうしてだったのですか。
白籏:自分のように、西粟倉に誇りを持って恩返ししたいと思える人を増やしたいんです。教育委員会に勤めたら小中学生と関われるとは思うんですけど、地域の土台となるのは役場かな、と。関係人口や「西粟倉で何かしたい」と思う人をもっと増やしたいですし、さらに自分たちの世代で増やしたいなという気持ちがすごくあります。
村に思い入れを持っている友人はけっこういて、たとえ今村に住んでいなくても、思い入れを持っている人はいます。感覚としては各学年に2、3人いるんじゃないでしょうか。そういう人たちとは連絡を取っていて、年末年始に会っています。特に西粟倉に関心がある先輩からは「今度西粟倉について語ろうや」と言われています(笑)。
— どんなことを語るのか、とても気になります(笑)。
西粟倉で成長できたと実感したら、恩返ししたいと思うかもしれない
— 役場や今の仕事のことも聞かせてください。西粟倉村役場には、Uターンで入庁する人はあまりいないと聞きました。採用担当の榎原さん、いかがですか。
榎原:Iターンはかなりいるのですが、Uターンはほとんどいないので、彼は貴重な存在ですね。もちろん、Uターンだから採用したわけではありませんけれど。西粟倉の子どもたちは、高校入学で村から出る子が多く、その後、そのまま村外で大学、就職となる子がほとんどです。白籏くんのように大学を出てすぐ戻ってくる人はほとんどいないと思います。
小学生のときから白籏くんを知っていますので、以前から役場への気持ちを持ってくれているとは、人づてに聞いていました。でも、思っていたより(入庁が)早かったですね(笑)。上司として、Iターンを含めた他の職員と、特に接し方などが変わることはないんですけど、やっぱり心情的にはね、すごく嬉しくて。
一方で、親御さんや、白籏くんにまつわる地域の人間関係が見えているので、その人たちのお顔が見えるだけに、バトンを受け取ったような責任感は感じていますね。

榎原博文さん
白籏:榎原課長の息子さんが僕の1つ下で、僕にとっては子どもの頃から「その子のお父さん」という存在でした。もちろん公私は分けて接していますけど、役場内にもともと知っている方が多いのは安心感があります。来庁される村民の方からも、挨拶して「あぁ、あそこの孫か」などと言っていただくことも多いです。
— 役場に知っている人が複数いるのは、村の出身者だからこそのお話ですね。
白籏:僕が役場に入庁することが決まったとき、友達から「知った顔が役場にいると行きやすいわ」と言われたんです。僕たちの世代は子どもの頃、職員の数が今より少なかったこともあって、職員をほとんど知っている状況でした。
榎原:村民のみなさんは用事があって来庁されるので、その用事をしてもらうことが一番で、職員がIターンかUターンかとかは関係ないんですけど、昔から知っている顔に声をかけてもらう安心感はあるんでしょうね。

ご提供:西粟倉村役場
— 白籏さんは今どのような仕事をしていて、仕事で何を感じていますか。
白籏:入ったばかりなので教えていただくことが多く、難しいことはまだしていないんですけど、採用ホームページの変更の依頼をしたり、空き家対策を担当したりしています。
社会人にとって、一般的には日曜の夜は「明日仕事嫌だな」みたいな感情が芽生えやすいと思うんです。でも、入庁してからそれがまだ一回もなくて、自分がずっとやりたかった仕事に就けたので、幸せだなと感じています。父から「仕事どう?」と聞かれたんですが、「楽しいで!」と答えました。
榎原:来庁された村民の方に自分から声をかけて「よろしくお願いします」とか、挨拶がきちんとできていますね。採用の面接で「挨拶はちゃんとやります」と言っていた通り、頑張ってくれていますよ。まずは役場の雰囲気に慣れることが大事ですね。
— 西粟倉村の大人たちが各所で長年蒔いてきた種が、白籏さんのような存在に結びついたのだと思います。榎原さんは目覚ましい村の変化を、どう見ていますか。
榎原:西粟倉にできることを少しずつ積み上げた結果が、今こういう形で見えているんだなと思います。一方で、その積み上げたことを、これからどう継続していくかも重要です。その方法にはどういうものがあるんだろうと、新しい考えも入れながら取り組んでいかないといけないだろうなと思っています。
そういったときに、子どもの頃から村に思いを持っている人と、これから思いを持ってくれる人の両方をつくっていかないといけないなと思います。村らしい楽しみ方や村のいいところに気付けるきっかけが必要で、白籏くんの振る舞いや行動が参考になってくる気がしています。
— 白籏さんは、どんなふうにしたら村に思いを持つ人がもっと増えていくと思いますか。
白籏:西粟倉には、他の地域ではできないことがたくさんあります。僕は高校で、改めて「西粟倉だからこそ、特別な体験ができたんだな」と知りました。自分が西粟倉で成長できたと実感したら、恩返ししたいというところに繋がるのかなと思います。
— これからやってみたいことはありますか。
白籏:僕の親しい友達を県外から西粟倉村に呼んだときに、その子が友達を連れて来てくれました。その連れて来られた方のほうが西粟倉村に関心を持ってくれて、その後村に移住したそうです。そんなふうに自分がきっかけで西粟倉に来て、いいところだなと思ってくれる人をもっと増やしたいです。
— お仕事も、そういったきっかけになる活動も、応援しています。ありがとうございました。