岡山県
西粟倉
にしあわくら
西粟倉で起業しませんか:エコツーリズム、エネルギー活用。村の自然を活かす可能性はまだまだある。
Date : 2016.08.03
エコツーリズムに、自然エネルギー活用。西粟倉ローカルベンチャースクール2016を行っていく上で、村民としてそんなテーマを掲げたのは、西粟倉村役場の白籏佳三さん。村のエネルギー政策を担い、観光のスペシャリストでもある白籏さんは、子どもの時から自然が大好き。自分が体感してきた自然の豊かさや可能性を、生かす道を常に探ってきました。子ども時代の魚捕りや川遊びの楽しさ、受け継いでいきたい里山の風景。そんな想いを共有できる仲間を、白籏さんは探しています。今回は、旅行代理店、熱3農業、低炭素村づくりという3つのテーマの背景を、お聞きしました。
冒頭の写真はナメコを採る白籏さん。西粟倉の森には白籏さんしか知らないキノコの在りかがあるが、通常は過剰に採集されないため秘密の場所になっている。2011年11月。撮影=玉利康延(tamalog.me)
川遊び、魚捕り、山登りばっかりだった小学生時代
– 白籏さんは、西粟倉村のご出身ではないんですね。
白籏:私、Uターンの奥さんについてきたIターン。愛ターンやね(笑)。1998年、35歳の時から西粟倉村在住です。結婚してからは環境アセスメントをつくる仕事をしていて、岡山市内や転勤先の大阪で働いていたんだけど、長男が生まれてね。自分の生活スタイルと子育て環境を考えたんです。転勤であちこち行くのも悪くはないけど、自分が子ども時代に楽しい思いをしてきたのを少しでも子どもに伝えたかった。それが全てじゃないけど、かなりウエイトの大きな想いでした。
– どんな子ども時代を過ごされたんでしょうか。
白籏:同じ岡山県の真庭市で生まれ育ったんだけど、小学生の頃、1年を通した楽しみが、びっしりあった。その頃の延長上に今があるんです。一番古い記憶は幼稚園の頃かな。早く小学生になりたくてしかたなかった。やっと小学生になると、今度はいっぱいハードルがある。できないと一緒に遊んでもらえないからなんとか超えていきたい、というものがたくさんあった。超えられた瞬間というのも、ひとつひとつ覚えているんです。
たとえば、川遊び。ドボーンと深い場所があって、岩があって、溺れて亡くなった子もいます。だから、子どもなりに自分たちが下の子を見る責任があった。危なそうだったら、一緒に遊ばせない。そういうルールが自然とできていました。最初は浅瀬、徐々に深いところ、という風に上級生が力量を判断して、だんだん岩場で遊べるようになっていく。
夏休みは、魚捕りも毎日のようにやってました。「握り」っていって、手づかみで川魚を捕るんだけど、持って帰るとばあさんが品定めして「ああ、今日はええの捕れたなあ」いうて。魚種もだんだん覚えていきました。
少し悲しいのは、私は昭和40年代に小学生だったんだけど、自分が上になったときに、下の世代が途絶え始めた。自分たちの地域は世代が切れかかってきた時期だったんですね。
– 子ども時代から、世代の継承を自然としていたんですね。
白籏:そうですね。とにかく子どもたちはみんな野放しで、遊びにばっか行ってたなぁ。春は近所の友達と花見に行くのが楽しみでしょうがなかった。昔のことやから、山に道がいっぱいついていて、山が管理されていたんだよね。炭焼き小屋があって、作業をしているおじさんがいたりして、「こんにちは」「お前ら、どこ行くんじゃ」「雪山見に行くんじゃ」みたいな会話をしていました。
僕がすごく好きだったのは、山を登りつめた場所。全部木が切られてすごく見晴らしがいいんですよ。今から思えばそれが植林作業の始まりだったんだろうけれど、小っちゃい檜か杉の苗がありました。そこへ切り株があって、ちょうどいいように座れて、おにぎりとお茶とみかんなんかを食べていた。そこから向こうに、中国山地の雪山が見えるんですよ。行ったり来たりする道中含め、とにかく楽しかった。
こんな時間をいつまでも続けたいとすごく真剣に思った記憶があります。秋の夕暮れに、今日も一日遊んだ、楽しかったな、どれぐらい続くんかなみたいな。続かないのは分かりつつも、そういう想いがありましたね。
ただの買い物で終わらない、自然体験ツアーを提案
– その強い思いが、白籏さんが西粟倉ローカルベンチャースクール2016で提案した「旅行代理店という事業テーマにも現れていますよね。
白籏:そうなの。今西粟倉におっても遊ぶネタは幾らでもある。それが私が一番いいたいこと。西粟倉役場に勤めだして、2007年からは、森の村振興公社(後に『株式会社あわくらグリーンリゾート』)という財団法人に出向していたんです。その時に、いろんなツアーを企画していてね。
もともとは、西粟倉の観光施策はマス向けのものが多かったんです。バスツアーで大量にお客さんが来て、道の駅あわくらんどや旬の里でごはんを食べてお土産を買って、という感じ。でも、それだけじゃあ村の良さって、なかなかわかってもらえないなと思ったんです。
「バスツアーはまとまってお金を落としてもらえるのに、丁寧に体験ツアーなんてやって、何になる」と思っていた人もいるかもしれません。でも買い物だけじゃない、この村の自然や楽しみを伝えたいと思って、粘り強くやってきたんです。苦労もしました。
私が企画した家族向けのツアー、結構ヒットしたんですよ。やっていることを支持されて、すごくありがたいと思いましたわ。ニーズがあるってことです。都会では経験できないことを、西粟倉がどれだけお手伝いできるか。そこが商売のネタになる。私がヒットさせたツアーのタイトルは「お父さん最高ツアー」。
– いいネーミングですね。なかなか、「最高!」って言ってもらえていないお父さんも多いですから。
白籏:そうそう、そういうこと。お父さんて、子どものこと気にしながらも、普段なかなか時間は取れない。でも、年に一回ぐらいは子どもだけのために時間を取って、一泊二日で西粟倉に来なさい、と。そしたら名誉を回復できるぞ、と。必ずこの一泊二日が終わったときに、子どもが「お父さん最高じゃなあ」ってなる。中身は何なのといったら、私が小学生の時に体験した、川遊びや魚捕りみたいなことを、ぎゅっと詰め込んでいるだけ。
– でも、一朝一夕にはできないですね。いろんな経験のある白籏さんだからできた。
白籏:遊びの中で安全に、且つ、ある程度の冒険をする。その折り合いを見極められるのは、私の強みだったと思います。補佐がおったり、ロープを張っておくとか、溺れたら竿を差し出せるように側に置いておくとか、用意は当然。仕事としてやる以上はそのへんのリスク管理は、完璧にやらなくちゃいけない。
そういうのをやっていくうちに、村を訪れてくれる人も、じわじわ増えていったんです。私の子ども時代のままというわけにはいかないけれど、あまりに自然の中の遊びがなくなった世の中で、西粟倉が貢献できることは、まだまだいっぱいあるんで。
– 今もそうしたツアーを続けているんですか?
それが、今は続けられていないんです。最後にやったのが、2013年の「ひのきの学習机づくり体験ツアー」だったかな。樹齢90年のヒノキを伐採するところから親子に見学してもらって、お父さんに天板を作ってもらって、職人さんたちと組み立てて。その合間に釣りをしたり、山菜を採ったりね。
家族みんなが笑顔になるのが嬉しくて、こういうのを続けていきたいなあと思ってた。そんなタイミングで、私が異動でなって役場に戻ることになってしまった。だから、もう一度、誰かやってくれたらいいなぁと。すごく可能性があると思う。その基になっているのは、子どもの頃、自分が楽しかった遊びなんです。
五感のある暮らしが人を育てる
白籏:森がたくさんある西粟倉だからこそできることは、他にもあるんよ。私は今回のローカルベンチャースクールで、「低炭素の村づくり」という事業テーマの提案も、させてもらっています。
地域のCO2を少なくすることは地球規模の課題ですし、地域で精力的に取り組むべきです。しかし今の補助制度を活用しての低炭素化には限界があるので、一戸一戸の家庭での取り組みが必須です。家庭で地域のCO2を少なくしようと思うと方法は大きく二つ。バイオマスと太陽なんですよ。だから太陽熱温水器をもっと普及させたいし、家庭で使えるバイオマスっていうのを、推進していきたい。
私は、子育てするときには特に、火がある暮らしが大事だと考えています。五感を使う大切さを脳科学者が説いているんだけど、私も同意します。朝起きて、冬の寒いときに、蛇口をひねったら水が冷たい。薪ストーブの火の近くは暖かい。そういう刺激が子どもを育てるんです。今は、便利さを追求して、いつでも温かい水が出たり、オール電化になったりして快適だけれど、子どもたちは犠牲になっている部分もあるんです。
– これからもっと便利な世の中になれば、さらに問題点も出てくるでしょうね。白籏さんの提案には、五感を使うことを大事していることや自然環境に係る共通項がありますね。
白籏:そうじゃな~。結局、事業を考えるときは、社会問題に貢献したい気持ちがある。社会問題に貢献できればお金貰ってもいいでしょう? いうことじゃな。「自分が抱えてる問題+社会問題+解決できるネタ」これが西粟倉にあったら一つの事業展開は成立する。あとは誰がやるかいう話。バックアップは、私や役場がちゃんとしていきます。
人の気配で満ちた、森と里山の風景をもう一度
– 白籏さんが構想しているような、旅行代理店的、低炭素の村づくり、「太陽熱×不要材熱×情熱 =熱3農業」とか、叶ったらこんな村になるだろうという、理想の村像ってありますか。
白籏:風景や見た目の変化がかなりあるでしょう。たとえば春。空き農地が減って、空き家もなくなり、子どもがいそうな家が増える。軒先に小さな自転車やベビーカーがあったりする光景っていいよね。男の子がおれば、こいのぼりがあっちもこっちも。西粟倉の細長く伸びた木を切ってきて、竿を立てていかに大きな鯉のぼりを揚げるかがステータスになったりしてな。若いもんがおれば、神輿の担ぎ手とか獅子舞の舞い手とかも、継承していけます。
西粟倉の森については、いずれは自然に還っていくようなレイアウトが必要でしょうね。ネイティブ・アメリカンのことわざに、「地球は、祖先から受け継いだものではありません。子孫から借りているもの」という意味の言葉かあるそうです。借りた以上、ちゃんと丁寧に使ってお返ししましょう、と。自分の世代のことを考えるだけで精一杯になりがちだけど、子や孫たちのための視点を持つことはすごく大事なんじゃないかな。
村が掲げている「百年の森林構想」は、そういう意味では考えやすいスパン。その視点が活動の芯になれば素晴らしいし、西粟倉村だけでなく、中山間地で課題を抱えているような地域にも波及していってほしいです。山を地道に変えていくには、今、商品にならない不要材を流通に乗せるのが課題だと思います。これは単に商売としてだけでなく、地域活動としての位置づけも必要でしょう。
今は三つの温泉施設に薪ボイラーとして使っているだけで、それでも不要材は出てくるんですよ。薪ボイラーも、1メートルの規格ですからね。中途半端にごろごろ出てくるものは、いまはチップにもならない邪魔者。これからは、出てきた木はしゃぶり尽くさなくちゃ。それでやっと次の山の絵柄を実現できる。理想はさっきいったように、やっぱり自然に戻していくところでしょう。
– しゃぶりつくすって言葉に意気込みを感じます。その気概で木や森全体を、人の暮らしと密接にしていかないと未来はない、と。山で遊びまわっていた白籏さんの原風景がそこある気がします。
白籏:そうなんです。採算が取れなかったから山から人がいなくなったんだけど、今度はどういう視点で採算を取って山に入っていくか。自然体験ツアーだってできるし、自然エネルギーでも工夫できる部分がたくさんある。一緒にアイデアを考えて実行していく仲間が、村に来てくれるといいなと思っています。