岡山県
西粟倉村
にしあわくらそん
毎年オーストラリアから西粟倉村へ帰り、長期ステイ。「将来子どもたちが多くの選択肢から道を選べるように、大好きな故郷の暮らしを体験してほしい!」
Date : 2025.01.17
編集部では、人それぞれの「ただいま西粟倉」があると考えています。
「村で過ごしたい」という同じ思いをもっていても
ライフスタイルに応じたさまざまなふるさととの関わり方があるのではないか、と。
ご紹介したい「ただいま」のスタイルの一つが、たびたび西粟倉村を訪れ、長期滞在している小林家のみなさん。
なんとオーストラリアからの来村です。
2024(令和6)年秋、子ども3人を連れて、小林佳奈美(こばやし・かなみ)さん、旦那様のピョートルさんがまたやってきてくれました。
お二人に、西粟倉村での長期ステイについて、お聞きしました。
生きるうえで大事な「自分と他者を理解する力」を西粟倉村で養った
— まずは佳奈美さんの経歴を教えてください。
佳奈美:私は3歳までは岡山県玉野市に住んでいて、父が西粟倉村出身で長男のため、3歳のときに一家で村へ帰ってきました。父がUターンだったんです。高校卒業までは実家に住み、その後京都にある大学の英文科に進学したのを機に、一人暮らしをしていました。
私は海外に興味があってその大学に進みましたが、村のことが嫌いで出たわけではなくて、むしろ自然豊かで好きでした。当時、実家からコンビニに行くには山を越えなくてはいけないほど田舎でしたけど、私はたとえコンビニが近所にあっても別に夜に行きたいとは思わないし、帰省時には「西粟倉に帰ると落ち着くなぁ」と思っていました。
学生時代は待望の短期留学に数回行き、卒業して京都でウエディングの仕事に就いたんですが、「やっぱり外国に住んでみたい」と思って、お金を貯めて25歳くらいのとき、ワーキングホリデーでカナダに行きました。
帰国後、2年間ほど大阪で語学留学の仕事をしてから、イギリスに行き、語学学校に勤め、アジアの生徒さんをロンドンに呼ぶマーケティングをしました。2015(平成27)年にオーストラリアのシドニーへ引っ越し、2019(平成31)年にポーランド人の夫と結婚したんです。コロナ禍を除いて、出産するまでは年に一度は西粟倉へ帰ってきて、一ヶ月ぐらい滞在していましたね。

小林佳奈美さん
— もともと村が好きだったんですね。村を出た後、客観的に村を見て、その良さに気づいたことはありましたか?
佳奈美:そうですね。西粟倉は子どもが少ないからクラス替えがなくて、中学卒業までは同じメンバーで過ごすので、いろいろな性格の子がいる中、みんながそれぞれどうにかしなきゃいけない状況でした。都会の学校だったら、子どもが多いし、逃げられる環境があると思うんです。もちろん、嫌なことから逃げるのが有効になるケースもあります。でも私の場合は、いろいろな人に出会って、そこで揉まれながら、折り合いをつけて付き合っていく術を学べたと思っています。
それは生きるうえで大事な、自分と他者を理解する力になったのかもしれないなと思ったんです。世の中、気が合う人ばかりではありませんから。小さなコミュニティの中で、そういう生きる術を勉強できたと思っています。
— 今回は数ヶ月、西粟倉村に滞在したそうですね。どれはどんな気持ちからですか?
佳奈美:2023(令和5)年と2024年は秋に4ヶ月ほど滞在したんですが、子どもたちがいなかったら、こんなに長くは滞在していないと思います。子どもたちは、オーストラリアでは英語と日本語を両方使うインターナショナルの幼稚園に通っているんですが、どうしてもお友達との会話が英語になり、日常会話が英語中心になってしまうので、日本語も忘れないように、と。ちなみに、家庭では私は日本語を使っています。
でも、語学だけが目的ではないんです。日本語を学ぶだけだったらオーストラリアでもできるんですけど、やっぱり日本人っていうアイデンティティをなくさないでほしいんです。私は日本人だし、子どもたちも日本人でもあり、オーストラリア人でもあり、ポーランド人でもあります。だから、日本の文化に触れてほしい。特に、子どもが全員未就学児である今年までは、少し長めに滞在したいと思っていました。
オーストラリアにずっと住むと決めてはいなくて、将来は違う国に引っ越してもいいと思っているんです。そのときの状況や、子どもの希望で決められたらいいですよね。
西粟倉ステイは、子どもたちに選択肢を複数用意してあげたいから
— いろいろな国を見たうえで決められそうですね。
佳奈美:子どもが何かを決めるときに、選択肢を複数用意してあげたいなと思っています。私自身が、周囲の大人のアドバイス一つで人生が変わってしまうと感じたことがあるんです。大人の何気ない一言である道が閉ざされてしまったり、広い世界があるのだと知る機会がなかったりして「もうちょっと選択肢がある中から選びたかった」と。
私はきっとその反動で町に出て、海外に行って、いろいろな国を見て、人に出会って、職業や生活の話を聞いて、35歳くらいでやっと世界の仕組みがどうなっているか、何となく分かったように思うんです。世の中を知ったうえで「じゃあ自分は今から何をしよう」って。
知るまでは人生に対して漠然さからくる不安な気持ちもあったけれど、今はどこにいても、誰といても楽しいです。自分に自信がついて、何でもできそうな気がしています。自分でその楽しさをつくれるのはおもしろいですよね。その頃からみんなの輝きもより一層見えるようになったのかもしれません。村の人も一人ひとりが輝いているし、みんな努力して切磋琢磨されている。みんなや社会の姿がしっかり分かり始めました。
だから、大きくなって最終的に何を職業にするか、決めるのは子ども本人ですけど、子どもにはできるだけいろいろ見せて、いろいろな経験をさせてあげたいですね。
数ヶ月滞在して帰国するって荷づくりは大変なんですけど、まぁ楽しいです。帰国直前は荷物でごった返してすごいことになるんですけど、なんかもう「いつもの光景」なんです(笑)。最低限のもので生活するようになっていますね。
行き来していて「自分はどこの国の人間なんだろう」と子どもたちは混乱することがあるかもしれないんですけど、最近長男は英語と日本語、夫の母国語であるポーランド語、3ヶ国語を話せるのはメリットだと感じているみたいです。
— どうやって長期滞在を可能にしているのでしょうか?
佳奈美:私たち夫婦はシドニーで、アメリカ資本のIT企業にそれぞれ勤めています。2023年はリモートワークのOKをいただき、来ることができたんです。どちらの会社も柔軟な働き方ができ、福利厚生も充実しています。はじめの1ヶ月は実家の祖父母の部屋、そのあとは賃貸に滞在しました。
2024年は、3人目が生まれたので夫婦とも産休や育休、短期リモートを活用して、一家で来日したんです。親戚が所有している空き家に滞在しました。
— お子さんたちは西粟倉村の滞在を楽しんでいましたか?
佳奈美:はい。子どもたちは、どこにいても楽しそうですね。子どもも日本国籍を保有しているので、転入して住民票をおけば、滞在中、上の子ども二人は西粟倉幼稚園に通うことができました。西粟倉での幼稚園生活はすごく楽しかったようです。私が特に「いいな」と思ったのは、園の外へ気軽に散歩に行くこと。オーストラリアではルールが厳しく、子どもたちが幼稚園の外へ出るのは、年に1〜2回なんです。西粟倉では「今日は消防署へ行ってきました」「駅まで歩きました」などと先生から聞いて、はじめは驚いたんですけど(笑)、子どもたちが村でのびのびと過ごせる環境はすごいなと思いました。
室内の遊び場である「西粟倉村つどいの広場 Bambi」には小さい子向けのおもちゃがあり、下の息子が大好きでほぼ毎日通っていました。きれいで広く、同世代のお友達もできやすいので、とても好きな場所です。

西粟倉村つどいの広場 Bambiで過ごす時間
週末は小学校の校庭や図書館で過ごしたり、東粟倉の花火大会に行ったり、秋祭りで地域の子ども神輿を引かせてもらったり、長男が電車好きなので智頭急行に乗って出かけたりしました。
また、滞在中にちょうどハロウィンがあったので、みんなで楽しめる良い機会だと思い、私が積極的にお菓子や子どもたちがまわるところの準備をして、お友達と一緒に楽しみました。
「西粟倉村のみなさん頑張っていらっしゃるよ!」と村外に伝えたい
— ピョートルさんにも少しお聞きできればと思います。西粟倉村の印象はどうですか?
ピョートル:僕は、ポーランドのグダニスクという都市の出身です。大きめの町で、日本でいうと名古屋のようなポジションでしょうか。ロンドンを経て、今はシドニーに住んでいるので、西粟倉村のような小さな村には住んだことがありませんでした。小さいコミュニティで、一人がアクションをすると、けっこう大きな影響力があるような地域は初めてです。
子どもたちにポーランドの教育をさせたい気持ちもありますが、佳奈美の日本への想いは尊重していて、一緒に来日しています。僕も子どもたちには日本語やポーランド語を覚えてほしいと思っていて、その言葉が実際に使われている土地に滞在することが大切だと考えています。その土地を感じて、現地の人と交流して身に付くんですよね。
大都市に住んでいると、自分が正義であるように感じてしまいます。僕も、西粟倉の落ち着いた環境やのどかな景色が好きです。川、山、田んぼ、すべてが美しい。とても気に入りましたし、いつも滞在を楽しんでいます。西粟倉に戻ってくるのが好きになりました。
佳奈美:あくまで想像の話ですけど、二人で「西粟倉に住んだら何の仕事をしようか」と話すときがあって、彼は「日本でポーランドのソーセージ屋さんをやるのもいいな」と、ソーセージについて調べたりしていました。
— 佳奈美さんは、故郷に長期滞在してどんなことを感じましたか?
佳奈美:役場などに知っている方がいて再会したり、ある人が車ですれ違っただけで私だと分かったようで後日「あのときどこ行ったんだ?」と聞かれたり、知らない年配の男性から声をかけられて「お母さんを知っているよ。僕は親戚」って言われたりして、人との距離の近さは懐かしく感じました(笑)。
あとは、村が良い意味で変わりましたよね。新しい店ができたり、新しい人々が村に入ってきたりと、村が活気づいていると感じています。お店を立ち上げた方たちも、役場などで頑張って働いていらっしゃる方も、素敵だなって思います。
でも、村の変化や魅力がまだ十分に知られていないことも感じます。もしかしたら村外にいる人たちの中には、西粟倉村にいる人のことを「ずっと田舎にいて」という目で見ている人もいると思うんです。でも、私は「みなさん頑張っていらっしゃるよ!」と感じていて、村外にいる友人たちによく伝えています。
— 佳奈美さんたちは、また西粟倉村にいらっしゃるんですか?
佳奈美:2025(令和7)年以降は、できれば年に一度、1ヶ月くらい滞在したいと思っています。でも、仕事の休みや子どもの学校、お金のことを考えると「今年はポーランド、来年は日本」と交互に行くようになるかもしれません。いずれにしても、また帰ってきます!
— 帰りを待っている人は多いと思います。ありがとうございました。