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地元の頼れる土建屋さん・小松組がリノベーション起業で正社員を新規募集します

西粟倉村は、多くの移住者を受け入れることで過疎化した村を挑戦する村に変え、多様性を育てています。そして「外部の力を借りて地域課題を解決する」と言い切り信じて託す西粟倉村役場と挑戦者たちの知恵は『百年の森林構想』を支えています。今回、その物語に登場するのが「地元民」。生まれも育ちも西粟倉村という小松隆人さん(35歳)は、2015年8月に西粟倉村の土木建設会社『有限会社小松組』(以下小松組)を引き継いだ3代目社長です。父親から引き継いだ会社で、彼がまず着手するのは、Iターン・Uターン者を見据えた人材の募集です。

小松組という歴史ある地元企業が、移住者中心の西粟倉・森の学校と連携して求人を行い、移民とネイティブの垣根を越える。これは、西粟倉村のローカルベンチャーコミュニティが、新しい時代に突入しようとしていることをあらわすビッグニュースなのです。
 

創業47年。地元に根ざした土建屋3代目、起つ!

– 小松組は1968年(昭和43年)創業。高度成長期、『百年の森林』にすぎ・ひのきが一斉に植樹されたときを同じくしてやってきた土建過渡期に創業した土木建設会社。まさに地域を形づくってきた企業です。

小松:小松組は西粟倉村の公共工事や岡山県の公共工事を主流にやってきました。創業した祖父の時代が一番好景気だったと言われています。ピーク時は一億円以上の規模の工事もありました。でも僕はその時代を経験していません。記憶にもありません。ちっともいい思いをしていません(笑)。
 


– 山と森林と川、豊かな自然だけがそこに横たわっていた昭和の西粟倉村。その村に道路を通し、インフラを整える担い手のうちのひとつだった小松組。しかし、国策で公共事業が縮小した平成の今、小松さんはあえて、祖父・父親の跡を継ぐ決意をします。

小松:単純に子どもの頃から父親を見ていて、働く姿がかっこよかったんです。子どもながらに「父親から受け継いで小松組をビックな会社にしてやるぞ」っていう、想いというか野心がありました。そして絶対に父親を越えてやるって思っています。

– 村そのものを形づくってきた父親の姿。美しい自然の中、西粟倉村で育った小松さんは、己が生まれ育った西粟倉の人々の暮らしの質を上げることを目的に行われる土建業を愛し、その看板を背負いました。

小松:地域に形あるものが出来て、みんながそれを便利に使って、半永久的に残っていくことは「自分がモノを造ったんだな。これが生活に役立っている部分があるんだな」って誇りに思います。

– ただし、そのまま継ぐのではありません。祖父や父親が造りあげてきた良いところを受け継ぐだけではなく、時代のニーズに合わせることによって、会社や土建業界を持続可能なものする、いわゆる『第二創業』と呼ばれるもので、後継者がすでに事業を行なっている会社の新規事業に乗り出すことを言います。小松さんは、イチから起業するくらいの勢いで、小松組をリノベーションする予定とのこと。小松さんの想いを通して、そのリノベーション内容を伺います。
 


 

土建屋さんの「リノベーション起業」とは

– みなさんは「土建業」にどんなイメージを持っていますか?一般的には、肉体労働でいわゆる「3K(キツイ・汚い・苦しい)」。敬遠されがちな職種と言われています。しかし、技術革新が進んだ現在、重労働は機械中心で作業。機械で穴を掘るのも1cm単位の精密作業。クリエイティブともいえます。

小松:現在は公共事業7割、個人のお客様3割で土木作業をしています。でも僕は、この比率を逆転させたいと思っています。

– 大規模な公共事業とは違い、小松組が想定する個人の仕事は「崩れそうな外壁の改修」、「田んぼのあぜをコンクリートに変えて快適にする」、さらには「お墓の草抜きをして綺麗にする」という心温まるものまで多岐にわたります。

小松:今までは、主に公共工事をしてきましたが、これからは「地域のよろず屋」的な存在として、個人のお客様のご要望に応えて行きたいと思っています。特に高齢者家庭においてはちょっとしたことがままならないことだってありますよね。重たいものが持てなかったり、高い所が無理だったり。例であげると家具を動かしたかったり、換気扇やエアコンの掃除、電球の交換なんかがそうですよね。自分達が思っている以上に困っていることってすごくあると思うんですよ。土建屋が今まで踏み込むことのなかった「家の中の困りごと」も解決できる土建屋さんになりたいと思っています。

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数枚はがれた浴室のタイル。技術と力がいる作業を行なうことは個人では難しい。
スタッフが丁寧に対応。何もないところに道路を造る小松組の技術が家の中の困りごとにも生きる。

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お墓参りの急な参道
階段と手すりで安全に。お客様の要望に応じて簡易で低料金に造ったもの。

– しかし、お客様に寄り添えば寄り添うほど利益は薄くなります。経営者としてそこにジレンマはないのでしょうか。

小松:利益率でいえばやはり下がってきます。ただ、お金だけで仕事をしているわけではなく、個人のお客様と接することができるっていうのがやりがいですよね。公共工事だと、西粟倉村のような中山間地域で多い工事は山に林道をつけることです。それは誰もいないところで仕事をするわけです。誰が使うのか、という顔さえ思い浮かばずに、誰かが使うのだろうと漠然と思うだけです。公共物はいわゆる「平均点」で仕事をしますが、個人のお客様だと「こうしてくれ」「ああしてくれ」という要望に対応できます。それって、お金をもらうよりやりがいがある部分かな、と個人的に思います。

経営者としては利益も考えなければならないのは確かです。でも会社って、経営者1人でやっているわけじゃないので、社員の働く理由、モチベーションを考えると、そこは低利益でもやっていきたいなと。やる方が得るものが大きいんです。当然、その仕組みづくりっていうのは必要となってくるのですが、やはり一番必要なのは、受注数を増やしていくことです。数をこなさないと利益も伸びてこないので、その戦略的なことは色々準備をしている最中です。

– 公共の大きな仕事を取って、利益が増えてひたすら工事をする。それが従来の土建屋さんの姿でしょう。しかし、インフラが整備され、個人の多様な価値観によってモノやサービスが選ばれる時代にシフトしている今、そのままではだめだと小松さんは舵を切りました。いま土建業界に必要なのは「やりがい」で、それはこの村でやるからこそ手にいれることができると小松さんは胸を張ります。

小松: 僕も土建業界に入ったはじめのうちは、土建というのは公共工事をひたすらやることがあたりまえなのかなと思っていました。でも「なんか違うよな」っていう気持ちも、心の中でずっとありました。みんなの暮らしを豊かにすることが土建の仕事なんじゃないかなって。それが大きい工事をすることとイコールにはならないんじゃないかって。そういう葛藤がずっとあったけれど、いままで築き上げてきたものは急に変えられない。その違和感を見て見ぬフリをしてきたけれど、ちゃんと向き合おうと思ったのはやっぱり自分が社長をまかされた時です。自分で責任も取れますから。違和感を感じたことをちゃんと受け止めて、変えなければならない。それが「地域の頼れる土建屋さん」になるってことなんじゃないかなって。
 

– 小松さんの心境の変化は地域の少子高齢化も関係しています。バリバリ働いてきた団塊の世代も60代70代と身体が動かない年代になり、暮らしが不自由になっていきます。昔はその分を子ども世代が力を貸す。それが地域の共生でしたが、この村で生まれ育って、外に出て、また戻ってくる若者が今殆どいません。「子世代稼業」を引き受けて助けになりたい。そして皆とつながりたい。それが小松組の考える新規事業=リノベーションのひとつです。

小松:あと、個人のお客様と仲良くすることは、公共工事にも繋がっていきます。公共工事も民家に隣接しているところなどありますから、地域住民の理解が必要です。地域内での関係がうまくいっていないと、公共工事で大きい音を出すなどご迷惑をおかけしたときに摩擦が生じてしまうことがあります。
繋がることで、お互いを思いやれる。そんな会社をやっていきたいと思います。
 

土建屋さんが揺らぐと日本がもたない?!

– 昔ながらの地域に根付く土建屋さんが「変わる」ことは、もしかしたらイチから起業するよりも勇気のいることかもしれません。それでも小松さんが立ち上がるのは、故郷を想い、そして地域課題を解決したいと心の底から思っているからです。しかも小松組が正社員を募集するのは初めてとのこと。
 


小松:今まで積極的に募集をかけたことがありませんでした。10年前までは、逆に「使ってくれ」と人が来ていました。だけど、時代の変化が価値観を変えたのか、今の若者は建設業というものにまったく目を向けていない、ということが最近顕著にわかってきました。危機感を持ちますよね。このままでは土木業界そのものがマズイ。どうにかして、この業界のよさを復権させたいです。建設業界にとって、小松組の新規事業が少しでも刺激になればと思っています。それを強く感じての募集でもあります。

– 土木業界の人材募集は『地縁・血縁・ハローワーク』が定石。そこを今回、ニシアワーのサイトや自社のウェブサイト(http://komatsugumi.jp)で募集することが土建屋さんとして画期的なことです。今までとは違う手段で採用に乗り出したこと事体が、小松さんがベンチャー気質ということ。古民家のリノベーションを同じように温故知新を大事にしながら、いまのライフスタイルにあわせた業務改築。それを進めているのが小松組なのです。

小松:経済や時代の変化にそって、働き方は絶対に変化するものですよね。しかし、それが、ずっと変わっていない業界の一つが土木建築業なのかもしれません。道路も造ったらそれでおしまいではありません。維持していくためにはメンテナンスが必要ですし、むしろ今はメンテナンスのほうが多いです。土木建築業界は、終わりなきものづくりの世界。作り替えなければならない。維持していかなければならない。土建って端からみているよりも、技術など、相当年数をかけて積み重ねていくんです。最低10年働いてやっと一人前っていう業界。だからいま若い世代に、この業界に入ってきてもらえないと、日本そのものがもたなくなると思っています。やりがいは本当にあると思います。

– では、具体的に、どんな人材が欲しいと思われているのでしょうか。

小松:まずはじめに、今回の募集は新規事業を一緒に頑張ってくれる人です。そして田舎が好きな人、人と接することが好きなひと、人の役に立ちたい、地域を守りたいという人に来て欲しいです。免許なんていりません。イチから教えたいです。現場に出てもらうので、やはり、男性のほうがいいと思います。…って書いておきますが、それでも行きたいという気骨ある女性も捨て難い(笑)。現場が高齢化しているなかで、土建の技術を継ぐ若い人材が、「地域を守る」という意識を僕と一緒に持って働いてくれる人が欲しいです。あと妄想が好きな人!僕はすごく妄想するんです。妄想族です(笑)。ポジティブ妄想族。必須です。基本定時で終わらせる仕事なので、家族と過ごす時間はあります。家族含めてみんな西粟倉で幸せに暮らして欲しいです。

 

地元企業が移民とネイティブの垣根を越える

 


小松:ニシアワーを通じて人材を求める意味は、もう一つ、あります。この西粟倉村の人口を増やしていきたい。地元の人間として強く思っています。近隣市町村から働きに「来て」もらっても、会社的にはメリットがあるかもしれないけど、西粟倉村という地域にはあまりメリットがありません。移住でも引越しでも、この村に人が増える一端を小松組が担えればいいなぁと思います。

– 移住者はやはりどこか「余所者」で、どんなにオープンな地域であっても、地元民が100%大歓迎という地域は残念ながらありません。小松さんのようなネイティブ西粟倉人がここまで移住定住に対して切り込んでいくこと事体、本当に珍しく、意義のあることです。

小松:余所者、地元、なんて壁を作っている場合じゃないです。西粟倉村はいまIターン者の起業の村として内外で注目されていますよね。僕としては「西粟倉村の地元企業もがんばってるじゃん!」って見てもらえるようにがんばりたい。それによってUターン者も増やしたいんです。この村にIターン者は増えてきているんですけど、肝心のUターン者がほとんどいなくて…。僕の同級生は33人いましたけれど、残っているのはそのうち8人。せめて半分は地元にいて欲しいです。

若いIターン者と地元を知るUターン者とで化学反応が起きるじゃないですか。これって、今までの西粟倉村とは違う新しいなにかが確実に生まれます。でも今、地元の人間って、年配の方が多くて若者が少ない状態。Iターン者と同じくらいUターン者がいないとアンバランスな気がします。逆に、地元の若者がもっと増えれば、Iターン者だってもっと地元に入って行けると思うんですよ。そこは本当に責任を感じます。若者がこの村の未来を背負っていかなければならないのだから、未来への発想力が格段に上がりますよね。

– 地元民と移住者の間にある壁。それを壊せるのは、地元民しかいない、そう言って、今その壁を小松さんは懸命に壊そうとしているのです。小松さんが地元民として、この村で挑戦するローカルベンチャーたちに刺激を受けて、今の小松組のチャレンジがあるのもまた事実です。

小松:木工房ようびの大島くんは同じ地区に住んでいて、同い年で仲良くしています。職人気質で通じ合いましたね。彼のがんばりを見て火がついた。そして妙にライバル心を持ちました(笑)。そのこともあって同世代ってとっても大事だなぁと思いましたよ。この村で起業した移住者たちがいなかったら、僕も今頃、こんな土建屋になろうと思わなかったかもしれないです。
 


– 移住者たちは自分の好きな事を好きなようにやっているだけ。それを許しているのが西粟倉村です。とはいえ、地域の人達ともっと繋がれたら、という思いはみんな持っているのもまた事実です。「地元企業が、挑戦者を募集する」。それは、やっとこの段階に来たと、みんなが歓迎している「前進」。この土地に住む人々が紡いできた歴史を、地元民と移住者が一緒に紡いでいます。地元企業で働きたいという挑戦者は、この西粟倉村にとって新たな多様性を生む人材になり得るでしょう。

小松:それと、小松組で働きたいと西粟倉村に来てくれる人の住処はかならず村内に僕が責任を持って用意します!いま田舎では、移住者が来ても住むとこがないという問題はかなりあります。せっかく来てくれようとしているのに空き家がみつからなくて違うところへ行ってしまうなんて寂しいじゃないですか。地元でずっとやってきた企業として、空き家問題も解決したいと考えています。

– それができるのも地域との信頼関係を大事にしてきた会社だからです。小松組の“福利厚生”は「ゆるぎない地縁」。ローカルベンチャー企業にはない、田舎にとって最高にありがたいものです。そして今という時代の地域を生きるための「新しい感性」。この2つが両立することは、地元企業ならではのこと。さらに、今回のことで地元住民代表として小松さんが挑戦者と対等な感性を持ち、ローカルベンチャーと関わり合った事で、また西粟倉村の生態系は豊かになるでしょう。西粟倉村の挑戦は、地元の人間が立ち上がることでよりその深淵を深めました。

小松組ウェブサイト
http://komatsugumi.jp

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http://komatsugumi.jp/saiyo

小松組の募集とは別に、西粟倉村の挑戦者も募集しています
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