岡山県

西粟倉村

にしあわくらそん

両親のひと声と、西粟倉村の活気や魅力。この二つがUターンを生み出しているのかもしれない。『NPO法人じゅ~く』の若き二人の帰村物語。

西粟倉村の元総務課長で、『NPO法人じゅ~く』・理事の大橋平治(おおはし・へいじ)さん。
西粟倉村のキーパーソンの一人として、たびたびThrough Meにも登場いただいています。

平治さんの次男が、『じゅ~く』理事長・大橋由尚(おおはし・よしひさ)さんです。親子で同法人を立ち上げました。
『じゅ~く』の事業の一つ、放課後等デイサービスと児童発達支援の多機能型事業所「Awesome!!(オーサム)」で保育士として働いているのが、河野彩音(こうの・あやね)さんです。
放課後等デイサービスとは、が放課後や休日に活動するところ。
村内外に住む子どもたちのサポートをしています。

由尚さんは1983(昭和58)年生まれ、河野さんは1998(平成10)年生まれ。
二人はともに西粟倉村出身で、Uターンです。
一度は村を離れた二人が、「帰ろう」と思った理由は…?

本特集「ただいま西粟倉」の取材を重ねるうち、見えてきた共通項がありました。
「ただいま」の少し前にいる人、
そして「ただいま」を言いたい人・聞きたい人に、届きますように。

 

村で自分のやりたいことをしている人たちに背中を押された

— まずは大橋由尚さんから、Uターンした経緯を教えてください。

由尚:僕は岡山県津山市の高校を卒業して、兵庫県にある福祉系の大学に進学しました。卒業後は、都会で遊びたい気持ちもありましたし(笑)、神戸市の高齢者向けデイサービスセンターに就職したのですが、なんとなく「いつかは西粟倉へ帰るんかな」と思ってはいました。田舎なので、やっぱり跡継ぎとして帰らないといけないのかなと。うちの田んぼがあったりしますし。漠然と「田舎で子育てがしたい」とも思っていました。「自分が子どもの頃に経験した楽しい自然体験を一緒にできたら」とか「ストレスの多いまちより自然の中でのびのび育ってほしい」といった思いからです。
高齢者向けデイサービスセンターは、立ち上げから入って、職員に同級生がいたのでコミュニケーションもとりやすく、居心地はよかったです。小さな組織だったのが、どんどん大きくなって職員も増えていき、いろいろな経験をさせていただきました。
もうすぐ30歳になるという時期に、Uターンのことを父に相談したら、帰ってこいとは言われなかったんですけど、「帰るなら早いほうがいい」と言われました。

 

(平治さん(左)と由尚さん(右))

平治:個人的にな意見ですけど、都会にずっといて、定年退職してから家族を連れて帰ることになったら、都会暮らしに慣れた家族が村に慣れるのはなかなかむずかしいなと思ったんです。早めのほうが、あとあと生活もしやすいし。

由尚:入社8年目の年末に退職し、2013(平成25)年に実家へ戻りました。仕事は、介護系なら田舎でもあるだろうと思って心配はしていませんでしたね。

先ほど話した個人的な思いのほかに、西粟倉村にIターン者が増え、自分のやりたいことをしている若い人たちがいて、村がおもしろくなってきたと感じたことにも背中を押されました。同年代の人たちが起業したり、新しい事業をしたりしている姿にとても刺激を受けました。

美作市にある介護の事業所で働いたのですが、嘱託職員だったので将来どうなるかは分からず、「正社員になれるのかな、どうなんだろうな」という不安はありました。そのうちに父が「事業所をやろうか」と言い出して、僕もちょっとやってみたいなと思ったんで、一緒に立ち上げることになりました。

平治:あれは親として命令に近いものがありましたね(笑)。自分自身、立ち上げようという意思は決まっとったわけで(参考記事はこちら。でも、立ち上げるにはルールとして資格を持っている人が必要で、探したらそばにおるということで(笑)。

— 平治さんが理事長(当時)となって二人三脚で、2014(平成26)年に『NPO法人じゅ~く』を設立されましたね。就労継続支援B型事業所「プラスワーク」を村内で初めてオープンし、翌年に障がいのある人の生活をサポートする計画相談事業所「コネクト」の事業も始めました。

由尚:神戸でセンターの立ち上げ経験はあったものの、手探りのスタートでした。僕の母校である旧・影石小に事務所を構え、運営の責任者を務めました。ちなみに、『じゅ〜く』の名は、障がいのある人たちが社会に出て活躍できるための“塾”になればとの思いからです。「障がい者が秘めている力を地域に活かす」を目的にしています。

2018年からは新事業として、障がいのある子どもたちのための放課後等デイサービス「Awesome!!」を始めました。対象は未就学児〜小・中学校生です。

 

(Awesome!!での様子)

 

村での楽しかった記憶を思い「そういう現場で働きたい」と決意

— 河野さんはその「Awesome!!」に勤務しているわけですね。河野さんのUターンの経緯もお聞きしてもいいでしょうか。

河野:はい。私は、高校は実家から通って、卒業後は津山市にある大学に進み、一人暮らしをして幼児教育を学びました。就職を考えたとき、西粟倉村か鳥取県智頭町の公務員になるか、岡山市で私立の保育園に勤めるか、悩んだんですが、この村で育ってきたことを振り返りました。幼稚園の頃から地域の交流があったり、山登りや雪遊びをして村の自然で遊んだりして、楽しかった記憶があったので、自分もそういう現場で働きたいなと思ったんです。2021(令和3)年の春、大学を卒業して西粟倉村の実家に帰りました。

幼稚園教諭として、西粟倉幼稚園で2年間働きました。副担任として子どもたちと接していくなかで「こういう場合はどう支援したらいいんだろう」「こういう子にはどういう支援が合っているのかな」と感じることがあり、「自分の保育は本当に子どものためになっているのかな」と考えてしまったんです。大学で勉強したことが頭にはあっても、それを現場でどう役立てるか、分からなかった部分がありました。

 

(河野彩音さん)

辞める頃に、母から「こういう仕事あるよ、どう?」とすすめられたのが、今の仕事です。実は母が、『じゅ〜く』が運営するで調理の仕事をしていて、姉も「プラスワーク」に勤めているんです。はじめは「未経験だからむずかしいかな」と思っていたんですけど、「やっぱり保育っていいな。子どもも好きだし、子どもの成長を間近で感じられる職場だ」と考え直しました。

「Awesome!!」で分からないことを勉強していったら、自分の支援の仕方は幅が広がるのかなと、就職することを決め、2023年7月から職員になりました。職員は、私を含めて保育士と児童指導員の常勤が4人、非常勤が3人います。村内外から子どもたち20人が通っていて、通うペースは人それぞれです。

 

 

— 昔と比べて、村が変わったと感じたことはありますか。

河野:以前の役場は、薄暗い建物でした。当時、下校時は校門のところで友達と話してから家に帰って、放課後は友達に電話するか、自転車を漕いで友達の家まで行くかの2択でした(笑)。今は役場や図書館が入った「あわくら会館」ができて、図書館で勉強したり、遊んだり会話したりできます。集まれる場があるのは、すごくいいなと思います。昔は、村内に子どもの遊び場やたまり場があまりなかったんですよね。

由尚:Uターンしてから「地元で人とのつながりが欲しいな」と思って、フットサルのコミュニティに入ったんです。Iターン者が多く、フットサルをするだけではなくて、みんなでお酒を一緒に飲んだりする、楽しいコミュニティができていました。昔は、集まらないといけない慣習的な集まりはあっても、そういう自主的なコミュニティは少なかったかもしれません。

だから、2023(令和5)年に村内にできたコミュニティスペース「安全第一公園」に趣味趣向が合う人で集まって、お酒を飲んだりして楽しんでいる様子にはびっくりしましたね。そういう集まりはあまりなかったんじゃないでしょうか。昔のイメージでは、みんなで集まってお酒を飲むって、消防団か地区の集まりくらいでした。

 

(安全第一公園でのイベントの風景:提供 安全第一公園(有限会社小松組))

 

「西粟倉、何歳になっても楽しめるぞ、何歳でも楽しいぞ!」

— 由尚さんは2023(令和5)年に『じゅ〜く』の理事長になったんですよね。一般的に「村は選択肢が少ない」と思われがちですが、西粟倉村でいろいろな子どもたちを受け入れている組織があるのは、育児をしている方にとって心強いですね。お仕事への思いも聞かせてください。

由尚:理事長になっても、僕の仕事の内容は大きくは変わらないんです。自分一人ですべて決めるのは不安なので、事務的なことは父とよく「あれどうする」「あれしたか?」って話し合っています(笑)。

これから先もいろいろな子の受け皿として、事業を継続できるようにいろいろな方法を考え、もちろん現場の意見を聞きながら、一緒にやっていくつもりです。

サービスの質という面では、法人内の各事業所の開所時は経験のない私が管理責任者をしていたのですが、今は各事業所それぞれに知識や経験がある管理責任者がいて、本当に助かっています。例えば「Awesome!!」では、僕は子どもの遊びや自然体験が発達につながるだろうという視点でやってきたんですけど、それだけではない専門的な知識をしっかり持って働いてくれているので、ありがたいです。

河野:私は「Awesome!!」の存在は知っていても、実際にどんなことをされているのかは就職するまで分からなかったんです。村でもまだ「『Awesome!!』って障がい児が行くところでしょう?」といった偏見があり、実際にやっていることとは距離があると感じます。

ご本人や親御さんが苦戦している部分を早めにサポートして取り除いていくという認識がもっと広がればいいなと思っています。保護者の方、幼稚園や学校の先生方にお悩みや困り感などがあれば、みんなで共有して、その子のためになるようなサポートをつないでいけたらと思います。

 

 

— 最後に、Uターンを考えている人へメッセージをお願いします。

平治:村の人口を増やそうとするなら、外からのIターン者もありがたいけどやっぱりUターン者を増やしたほうが定着率はいいんじゃないかな。Uターンが増えると、村が続く可能性が高いね。

村にいろいろな職場やさまざまな生活スタイルがあると分かれば、帰ろうかなと思う人はいるんじゃないかな。魅力のある会社が増えてきていますから、自分に合う仕事があるかもしれない。意外と帰りやすいと思います。さっき教えてもらって驚いたけど、すでにUターン者が50人以上もおるとは知らなんだなぁ(笑)(参考記事はこちら)。

由尚:僕は最近、渓流釣りを始めたんです。海釣りやブラックバス釣りは以前していたんですけど、地元の川のほうがすぐに行けるので。一人でも行きますし、友達と行くこともあります。

自分が「やろう」と思えば、西粟倉にはそういう新しい遊びがたくさんあって、楽しいことも、おもしろいことをやろうとしている人もいっぱいいます。気の合うコミュニティがあるかもしれないし、また新たにできるかもしれないし。「西粟倉、何歳になっても楽しめるぞ、何歳でも楽しいぞ!」ということは伝えられたらなと思います。

河野:西粟倉は、交通の便もけっこういいです。車で姫路や鳥取方面へ気軽に行けるので、何かに困っていることはなく、日々楽しくやっています。村内では百森祭り、夏祭り、秋祭りと祭りが多く、私の父が祭り好きで(笑)、たい焼きやポップコーンをつくる機械を買ってきたりして、私も楽しんでいますね。地元を何とかして盛り上げたいという人が多いです。

村外や県外から友達が遊びに来ると、自然は豊かで心地いいし、車でちょっと行けば都会に行けるので「西粟倉ってめっちゃいいとこじゃない?」って言われることは多いです。本当にいい場所だなって思っているので、Uターンが増えたら嬉しいです。

— 『じゅ〜く』のいろいろなご活動、応援しています。今日はありがとうございました。

 

「ただいま 西粟倉」特集 一覧

プロローグ “Uターン“をテーマにした特集記事「ただいま西粟倉」が始まります。

Vol.01  「おかえり!」。子どもの頃から知る“あの子たち”のUターン。西粟倉村の子どもの探検クラブの仕掛け人が、帰村した二人と語り合いました。

Vol.02  届け、西粟倉村にUターンをしたい人へ…!Uターンして10年以上経った3人が語る、帰村後に感じたことや村の状況。

Vol.03 両親のひと声と、西粟倉村の活気や魅力。この二つがUターンを生み出しているのかもしれない。『NPO法人じゅ~く』の若き二人の帰村物語。

サイドストーリー