「僕たちはここから『チーム西粟倉』一丸となって進む」。スタートから10年以上経った「百年の森林構想」の、ほんとうの“第一歩”。

2019年2月、西粟倉村に新たな協同組合「西粟倉百年の森林(もり)協同組合」が誕生しました。
村内で林業・木材・木製品に関わる11社と森林組合が集まり、「共にやっていこう!」となったのです。
ベースとなっているのは、そのちょうど10年前である2009年に村が旗を立てた「百年の森林構想」。
「これまで50年育ててきた森を、ここから50年、私たちの手で育てていこう」とした計画でした。
当時からメディアや林業界で注目され、「百年の森林構想」の名は全国的に広まっていきます。

「しかし、村内では課題も多くあったんです」。
そう口を揃えるのは、西粟倉村の林業のキーパーソンである三人。
『株式会社青林』の青木昭浩さん、『株式会社木の里工房 木薫』の國里哲也さん、『株式会社西粟倉・森の学校』の牧大介さんです。
あることを機に今は手を取り合い、「西粟倉百年の森林協同組合」で共に活動しています。それぞれが同組合の理事長、専務理事、副理事に就任しました。
なぜ共に歩むことになったのか、今だからいえる三人それぞれの思い、組合が目指すものについて、焚き火を囲みながら熱く語ってもらいました。

 

 

「今だからいえるけど、牧さんが嫌いだった(笑)」

 

— 組合が設立されることになった経緯を教えてもらえますか。

 

青木:実は僕のなかで、「百年の森林構想」はこの形のままでは頭打ちなのではないかという考えがありました。計画が杜撰なのではないかと思う部分があって。感覚として気持ちのいい仕事ができていないし、うまくまわっていないと断言していいレベルだった。

メディアに取り上げられ、注目される一方で、山主(森林所有者)、所有者も含めて情報共有・交換もできていなかったから、「根本的になんとかせなあかん、協同組合が必要じゃないか」っていうアイデアが生まれたんです。

國里:2018年の夏のある日、二人で話していて「協同組合をつくらなきゃいけない」と(青木)昭浩さんから聞いたとき、僕も感じていたことは同じだったんです。メディアに騒がれて注目されていたけど、関係者の想いはバラバラで、みんなが同じ方向を目指していない。業者どうしでいがみ合ったり、山主さん側も「うまくいっていないなら、山預けられないわ」となってしまったりしていました。

一番悔しかったのは、村外の林業関係者に笑われたことです。「うまくいっていないんじゃろうが。西粟倉の山をわしらがやっちゃろう」と。村外の業者で「うちにまかせて」と営業をかけている人もいて、このままなら外にやられてしまう、と感じました。

昭浩さんと「(「百年の森林構想」のスタートから)10年という節目でやらないと“百森事業”が終わってしまう」と話し合いました。「木こり側と製材加工側をくっつけて、一丸とならないといけん」。そう初めて思いました。

牧:メディアを通じて外から見れば、みんなが気持ちを合わせている村に見えていたと思うんですけど、内情はそんなに気持ちがつながっていない、という状況でした。そのまま進むとバラバラになって続かないし、地域の森や林業もよくならないだろうという状況で。あの、今だから話せることなんですけど、きっと昭浩さんは当時僕のことを嫌いだったと思うんです(笑)。

青木:嫌いだったね(笑)。名前はよく聞くけれど、会社のこともよく分からず、本当の情報も入ってこないまま、僕のなかでイメージがつくられていって「村のお金を使って事業をしているのか。村のお金を使いやがって」と思うわけです。

牧:実際は、うちの会社で数億円の借金をして僕がその連帯保証人になったうえで、設備投資をしていたんですけど、それが村のお金だと思われていたんですよね。僕のほうも、ちゃんと会って話せていなかったから。自分の会社を守ることに、それぞれが必死だった時代でしたよね。

國里:自分の会社をつぶさないよう経営するのに必死で、「実はこうですよ」っていう伝える余裕もなかった。いっぱいいっぱいでした。

 

人間は話せる動物だから、一度話してみよう

 

— 転機は何だったのでしょう。

 

國里:昭浩さんが「(牧さんに)会わせてくれ」といったことでした。それでその年の秋に、初めて三人で会ったんです。

牧:昭浩さんは、「村がバラバラではいけないから、牧と、ちゃんと話をしてみよう」と思ってくださったんですよね。

青木:うん。人間は話せる動物だから、話してみてそれでも合わないなら仕方ないけど、一度は話してみようと。

牧:昭浩さんは外見がちょっとこわいし(笑)緊張しましたけど、実際に会ってみたら、物腰がやわらかくて優しいお兄さんで、そして林業への思いが強い方でした。僕も同じ問題意識があったんですよね。すぐに「話せてよかった」と思いましたし、「組合として一緒に頑張ろう」というお話になりました。みんなで気持ちを合わせていくほうが、森に関わる喜びが大きいじゃないですか。

青木:別名「チーム西粟倉」で、チーム一丸となっていきましょう、と話しました。

牧:あのとき國里さんは、薩摩と長州の間を取り持った坂本龍馬のような気持ちだったらしい(笑)。

國里:だって昭浩さんが「(牧さんを)殴るかもしれん」なんて言うから!

青木:会ったらすぐ、合うかどうかはわかるんですよね。

牧:僕は素直にうれしかったですよ。

青木:すんなり「ぜひとも」っていってくれて、僕もうれしかった。今牧さんに協力してもらっているのは大きい。

國里:組合員は『株式会社岡田林業』、『金田木材』、『岸本材木店』、『株式会社木の里工房木薫』、『株式会社清勝』、『株式会社青林』、『株式会社sonraku』、『株式会社西粟倉・森の学校』、『株式会社百森』、『美作東備森林組合』、『有限会社山本材木店』、『株式会社ようび』で(以上、五十音順)、各社の従業員を数えると100人くらいのチームになりました。

牧:ある意味、機が熟したのでしょう。各社に経済的な基盤ができて力がついてきて、みんなが広い視野で考えられるようになった。

 

顔が見える関係性になって一体感がでてきた

 

— 10年間というときを経て、「西粟倉百年の森林協同組合」として共に歩み出したのですね。

 

國里:今この三人で、ここで話しているのが僕はすごく感慨深くて……ちょっと感動です。実は組合ができても、自分たちは1円も得していないんです。それでもこれに12組織が加入したっていうのは、「よくぞ」と思います。

牧:僕もこんなときがくるとは思わなかった。新年会をしたり、お互いの仕事の現場を見に行ったり、顔が見える関係性になってきていますよね。みんなで東京へ2泊3日の視察にも行きました。

國里:視察では、林野庁や、実際に西粟倉産の木材が使われている建物などに行きました。ものをつくって売っていかないといけないと思ってニーズを探りに行ったけど、結果として「そうじゃないな」と。東京の人たちからしたら西粟倉村は魅力的なところで、「西粟倉産の木を使いたいんだ」と言われて。「西粟倉のように民間主導で業者が集まっている組合なんてないです」とも聞きました。

牧:林野庁で「地域の横のつながりはほかに例がない」といわれて、ハッとしたんですよね。

國里:思いを新たにできました。単純にものをつくって売るのではなく、活動を発信していって、西粟倉産の木を使ってみたい人を増やしていくべきだなと。

牧:僕らが思っている以上に求めている人たちがいることや、この組合の存在自体がユニークだと改めて分かって。僕らは、たとえ建築家の方から無理難題をいわれても組合として対応できる。そこに価値があるんだと後から気づきました。

特に山で木を切っている人たちは、仕事の結果としての現場空間をなかなか見れないから、素直に喜んでいてうれしそうだった。最終的にこんなにすてきな空間になるんだ、って。いい時間でしたね。

國里:夜、みんなでお酒を飲めたこともよかったです。10年もバラバラで、一緒にお酒飲んだこともないメンバーで、ゆっくり本音を話せました。

牧:個人的には、『エーゼロ』の「森のうなぎ」を使ってくださっている、日本橋の『はし本』というお店にも行ったのですが、みんな「おいしい!」と食べてくれて、しかも「うちのうなぎ、おいしいな」といってくれたんです。「うちの」と……。僕は、涙が出るほどうれしかった。西粟倉村での山の人の努力があって、その木材を燃料に活用してうなぎを育てていますから。

百森協同組合の新年会の様子。西粟倉村内のレストラン「旬の里」にて

東京・日本橋の『はし本』で百森協同組合のメンバーと「森のうなぎ」を囲みながら記念撮影

 

思いがある人がつながってこその“百森事業”

 

— 組合の活動によって、何が変わっていきますか?

 

青木:人口が約1500人の小さな村で、山の木を切り出す「川上」から、板や柱に製材する「川中」、製品にして販売する「川下」までの企業が集まっているので、はじめから終わりまでの工程や情報を共有してみんなで進んでいくのが、組合の本当の姿だと思っています。これだけのメンバーが集まっているのはやりがいがある。明らかに信頼関係もできてきているし。

決して裕福な組合ではないし、数値目標があるわけじゃないけど、日々努力して、山主、村に対しての信頼関係を築いていかないといけない。僕の役割は地元のメンバーをいかにまとめあげていくか。

牧:組合のメンバーがどんな森をつくって、どんな商品をつくったらいいのか、努力して、チームとして信頼されると、思いのある山主さんのほうも「こいつらに託していいんじゃないか」となるでしょう。村の森が、いい森、いい山になっていく。そこを目指して。思いがある人がつながってこその“百森事業”。内側の信頼関係が、外側のお客さんに対してもより信頼を強めますよね。

青木:うん、思いのある人にこそ、契約してもらいたい。「あそこに預けてよかったな」「そんなところまで(商品として)うちの木がいったんだな」って喜ぶと思うんですよね。

國里:そして、村の木を使ってくれる村外のファンがいるってことを知ってもらいたい。

牧:心強いし、楽しみだと思える仲間ですね。これから、もっと思えるようにしていきたいですね。そのほうが、仕事が楽しいですから。

 

 

 

 

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プロローグ そもそも「百年の森林構想」ってなんだろう

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vol.01 「儲からないし課題もある。でも百森の仕事を続けて山を良くしたい」西粟倉初のベンチャー・木薫
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vol.14 「美しい山を後世に残すために、今を生きる人間がやるべきことをやるだけ。」株式会社青林・青木昭浩さん
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