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「再エネで、村のエネルギー自給率を100%に」西粟倉村役場・白籏佳三さん(私と百森vol.10)

「村役場にエネルギーの担当者がいる」と聞いて、会いに行った。目の前に現れた白籏佳三さんは、ご自身がエネルギーの塊のような人だった。
環境の専門家でもある白籏さんのミッションは、西粟倉の資源を再生可能エネルギーとして活かし、地域に広めていくこと。「環境モデル都市」を採択した西粟倉村の再エネ事業を、民間企業出身者らしい、フラットかつ厳しい目線で、ときに引っ張り、ときに後押ししている。
白籏さんは、どんな仕事でも「楽しさ」を真ん中に据える。「より楽しく暮らせるように、再生可能エネルギーで持続可能な社会を作る」。白籏さんは本気だ。

 

人と仕事が循環する、木質バイオマス

– 白籏さんは、役場職員の立場で再生可能エネルギーに関わられているんですよね。役場にエネルギーを担当する人がいるというのは珍しいですよね。
白旗:ええ、普通、役場の環境担当といえば下水処理、ゴミ処理、公害、騒音といった、社会的要因にともなう問題に取り組むものなんですけど、西粟倉では百年の森構想の流れで2013年に「環境モデル都市」に認定されたことで、取り扱う範囲が広がったんです。
西粟倉村でやっている再生可能エネルギーの二本柱は小水力発電と木質バイオマス。今は、村の資源として、これらを一般家庭でも使ってもらえるように、補助支援なども含めて取り組もうとしているところです。目標は、再生可能エネルギーで村のエネルギー自給率を100%にすることです。

村内の温泉施設も、薪ボイラーを導入。

– 役場が再エネに取り組むことは、地域の再エネ事業者の開業を後押ししますし、地域の経済や人口動態の改善にも繋がっていきますよね。
白旗:再エネのなかでも、特にバイオマス熱供給は、山から木を伐り出す人、加工する人、機械に投入して熱管理をする人、というように地域内の人と仕事が循環する事業だというのがいいところ。周りと繋がることがセットなので、経済に対してのインパクトが大きいんですよ。

– 確かにそうですね。エネルギーだけでなく、人と仕事も循環するということにはじめて気が付きました。
白旗:ただ、難しいところもあって、やっぱり一般に普及するには経済性の問題もあります。既存の燃料に対して価格で負けてはいけないし、初期投資してもメンテナンスして使い続けられる信頼性が無いと、いくら「二酸化炭素を削減できるいいものですよ」と言っても、誰も使いたいと思わないから。
使いみちも、冬の暖房とお風呂を暖めるだけなので、このままだと夏場にはほとんど活用されない。だからこれを産業としてどうやって一般家庭と結び付けていくのかを考えていくか、です。

– おっしゃる通りです。白籏さんのおうちでもバイオマスボイラーを使っているそうですが、使い心地はいかがですか?
白旗:うちはお風呂のお湯を屋根の上に載せている太陽熱温水器で作っているんだけど、その熱が足りない時に、バイオマスボイラーに薪をくべて沸かしています。バイオマスで床暖房も入れていますよ。とても温かいです。
バックアップとしてプロパンガスは用意してあるけど、冬場でも、かつて使っていた灯油は使わなくなりました。ただ、バイオマスの何が大変かというと、薪づくりです。伐った木を乾燥させる時間が必要ですしね。

– 長期視点での計画的な運用が必要ということですね。森林の多い西粟倉の山はなんといってもバイオマスの資源の宝庫ですが、白籏さんにはどのように見えていますか?
白旗:うーん、はっきり言いますけどね、ぼく、西粟倉の山が嫌いなんですよ。なんでかっていうと、人口林率が高すぎて。でも、それは昔の人がいずれ子どもや孫が木をお金に換えたりできるだろうという思いで、山に入って植林してくれたもの。だから頭ごなしに否定はできないけど、そう言っていてもしょうがないし、ぼくらは自分の時代でできることをやっていかないといけない。そのひとつが百年の森事業で、エネルギーとして山の木を活用することです。

– ここの庁舎の窓からも、すぐそこに人口林が見えています。
白旗:人工林と里との間の山際に広葉樹林帯を作ることも絶対やりたいことですね。山際に広葉樹林帯ができると獣害も減るし、景観もきれいになるし、タラの芽とか食べられるものも生えるし、観光客にも喜ばれると思う。

白旗さんが考案し、イラスト化した山際の様子。


地元の人にとっても、わざわざ公園を作らなくても遊べる場所にだってなるし、そういうのが子育てにもいいと思うんですよね。山も川もある自然の中には楽しいばっかりじゃなくて「痛い」も「寒い」もあるし、五感が刺激されて、より人間的な成長ができる。西粟倉ならそういうところを作れるんじゃないかな。

 

手応えがダイレクトに還ってくる

– そもそも、白籏さんが西粟倉村に関わるようになった経緯はどんなものだったんでしょう?
白旗:元々は岡山や大阪に住んでいて、環境専門のコンサルタント会社で、地方の企業や自治体にコンサルティングをする仕事をしていました。仕事そのものは楽しかったんだけど、35歳頃になって自分の人生を考えたんですよね。当時、約1歳半の子どもがいたのもあるし。

– 仕事と子育てを考えたことがきっかけになって、自然環境の豊かなところが視野に入ってきたと。
白旗:はい。それで、うちは奥さんが西粟倉出身で三姉妹の長女で‟跡取り娘”だし、妻の親もこっちにいたので西粟倉に来ることを決めました。ちょうど幼稚園バスの運転手の募集があって、教育委員会に入ったんです。

– 長く勤めた民間企業から公務員。働き方も大きく変わったでしょうね。
白旗:そうですね。でも、幼稚園バスの仕事って時間的には結構早く終わるんですよ。だから、バスの仕事以外の時間に、自分の仕事をつくって楽しくやってました。それが「あわくら探検クラブ」というものだったり、図書館で始めた「ブックスタート」とか。「ブックスタート」はもともとイギリスで始まった、絵本とともに親子で安らかな時間を過ごそうっていう活動です。面白そうだしやってみようって。そうやって、割と好き勝手やらせてもらってました。

– バスの運転手とは思えない、幅広い活動です。
白旗:ですよね(笑)。バスの運転手として教育委員会にいたのは41歳までの7年間でしたけど、実を言うと最初は5年くらいを目安に転職しようかな?とも思ってたんです。というのも、民間企業で働いていたときに外部の立場から国家公務員や自治体職員といった公務員たちを見ていて「この人らは、楽しんで仕事やってるんかなあ?」って、ちょっと偏見を持ってたから。
でも、いざ自分が公務員の立場になったら「なんて楽しい仕事なんだろう!」って。まったくの思い違いでしたね。なにが楽しいって、西粟倉みたいな小さな自治体だと、自分のやったことの手応えがダイレクトに還ってくる感覚があることです。まだやれていないけど、やれそうなこともたくさんあるし。それで今に至るまで続けてきました。

 

雨には雨の、夜には夜の楽しみ方

– 仕事でもなんでも、必ずどこかに楽しみを見つけていくという姿勢を白籏さんからは感じます。教育委員会の次はどうされたんでしょう?
白旗:今は「粟倉グリーンリゾート」っていう民間の会社になっていますが、当時、村が100%出資する財団法人だった「森の村振興公社」に異動になりました。道の駅だったり、スキー場だったりとか、村が建てた施設の経営を一手に引き受ける法人です。「4つある赤字施設を立て直してくれ」と言われて。

– 役場の仕事とはいえ、それまでとはまったく違う仕事ですね。
白旗:観光のこともよくわからないなかで、自然の中で家族の前でお父さんに活躍してもらう「お父さん最高ツアー」とか、森の体験ツアーなどのイベントを企画してやりました。ただ、そういったものに懐疑的な人たちからは「雨が降ったらどうするんだ」と言われたりとか、実際にイベント当日に雨が降って、当時のあわくら荘の料理長に「今日はもうできんやろ」と否定的に言われたこともありました。

お父さん最高ツアー<冬>の一コマ。

– 自然や天気は読めないものですからね。アウトドアでの体験ツアーにつきものとはいえ、対処は簡単ではなさそうです。
白旗:でもね、それこそぼくは森には、‟雨には雨の、夜には夜の楽しみ方”は絶対あるし、どうやって楽しもうかって気持ちでいるかがなにより大事だと思う。だから、「危険なものは回避しますけど、なにがあっても中止はしません。やります。ぼくはこの仕事に自分のなかで命かけてやってますよ」って言い返して。彼とは今ではすごく仲良しですけどね。

夏に開催したツアーではこんなに多くの参加者が。

– 白籏さん自身、子どもの頃に森でたくさん遊ぶ子どもだったんでしょうね。だから臨機応変にいろいろなアイデアが出てくるし、その場その場の楽しみ方を知っている。
白旗:そう。山でも川でもすごい遊んでましたわ。もう、春先になると木々が花を咲かせるから、その香りに子どもながらにわくわくするんですよ。友達と‟くす玉鉄砲”って言って、細い竹で空気銃を作って竜のヒゲの実を飛ばしたりね。そうやって、匂いをきっかけに「次はなにする?」と季節ごとの遊びをしていましたよ。

収穫の秋には、山の中できのこ採りツアーも。


秋の夜にはスズムシのリーンリーンと鳴く音を頼りに抜き足差し足で少しずつ近づいて、手が届く距離になったら思い切ってガバッと手を伸ばして獲ったり。楽しくてしょうがなかった。

 

西粟倉が世界をリードするモデルに

– 白籏さんが西粟倉に来て教育委員会や「森の村振興公社」で働いていたころは、ちょうど合併話が持ち上がっていた頃。憶えていることはありますか?
白旗:あの頃は小泉政権の最後の方だったんだけど、「岡山県は合併がなかなか進んでいない」ということでだいぶテコ入れがあって、西粟倉村でも合併がかなり現実味を帯びてきていました。

取材時には、黒板に白旗さんの経歴と西粟倉の歴史を併記して、まとめていった。


記憶しているのは、2001年に西粟倉村の出生数が10人を切ったこと。これはいち学年で10人に満たないということです。合併しないことを村が決めたのは2004年の8月でしたけど、あのときに自分たちが「合併以前の問題として今のままでは将来は明るくない。じゃあこれからどうするか」っていうのを改めて考えられたのはよかった。

– そうした問題意識のなかで始められたことのひとつのが「森の村振興公社」での「お父さん最高ツアー」だったわけですね。やがてその旗印となっていったのが百年の森構想。白籏さんは百年の森構想を作る流れの中にいた人でもあるわけですが、数年前までは「森の村振興公社」で観光部門に取り組んでいて、今は環境担当として再生可能エネルギーの普及に汗を流しています。
白旗:2011年11月の村長選挙で青木さんが当選して、その翌年の2012年に公社から役場に初めて入って環境担当になったんですよね。

– 2013年には国の補助事業として「環境モデル都市」も採択しましたが、その成果はどんなものでしょう?
白旗:環境モデル都市っていう看板をもらったのも、百年の森構想があって支持を得やすかったのもあるかもしれません。環境モデル都市の成果として一番客観的なものは二酸化炭素量の削減で、それはほぼ予定通り。
二酸化炭素削減をテコにした、周辺の経済効果についてはエーゼロさんらの力が大きいけど、1億円に満たなかった林業の事業費が、今では9~10億になりました。雇用が増えたり、人口ももしかしたら増えるかも?というところまで来ていたり。そうやって民間と役場が協力してやってこれたっていうことが大きなことだし、選定委員さんからも評価して頂いているところです。

西粟倉の小水力発電所。

– 少し先ですが、百年の森構想が見据える2058年、そのとき西粟倉はどんな村になっていたらいいなあと思いますか?
白旗:そうだねえ…。美しい山があって、その山が生活の一部として使われていて、山での仕事もあり、そこで住んでいる人が、都会とはまた違う濃厚で豊かな付き合いがあって、…かなぁ。
あと、今、世の中が向かっているのはSDGs(※)ですからね。再生可能エネルギーの普及は西粟倉だけでなく、世界の目標でもあるので、安価で安心な再生可能エネルギーを今以上にみんなが使えるようになっていればいいですね。うまくいけば西粟倉が世界をリードするモデルになれるんじゃないのかなとも思いますよ。そうしたら多様な人がもっと移住してくるかもしれないし、楽しくなります(笑)。するとまたそこからの何かが生まれていくだろうしね。変化するものもたくさんあるだろうけど、その中で守っていくものもあるだろうし。それがきっと西粟倉村にとっては森であり山なんですよね。

※Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)のこと。持続可能な開発のための17のグローバル目標と169のターゲット(達成基準)からなる。 2015年9月の国連総会で採択された『我々の世界を変革する: 持続可能な開発のための2030アジェンダ』。再生可能エネルギーの普及も目標のひとつ。

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