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「次のステップは、新しい森のデザイン」地権者交渉を8年進めてきた役場職員・横江さん(私と百森vol.02)

今回お話をうかがうのは、横江優子さん。「百森(=百年の森林構想)」事業の要ともいえる地権者交渉を担う人材として口説かれ、西粟倉村に移住。森の仕事に関わりたいとの熱い想いを抱いた移住の先に待っていたのは、地道で忍耐のいる仕事だった。
「褒められたことはない」という過酷な仕事を淡々と続けてこられたのには、理由があるのだろうか。そして、移住者同士で結婚、今では母となり子育て真っ只中の横江さんが、暮らしの場に求めるものとはなんだろう。話を聞くうちに、壮大な構想にも日々の暮らしにも、等身大の願いや喜びをもって生きる強さを感じた。

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走り出した「百年の森林構想」の先陣に立つ

– 横江さんが移住してきたいきさつについて、以前の記事で読ませていただいていますが、移住したのが2009年。西粟倉に丸8年暮らしたことになります。

横江:そうですね。ちょうど、「西粟倉・森の学校」の現社長、井上達也さんと同じ頃の移住なんですよ。ただ彼は、移住するずいぶん前から話が決まっていて、私が初めて会った2009年の2月ぐらいの時点で、「西粟倉に行く」という話でした。

– 一方の横江さんは、たしかすごいスピード感で決めたんですよね。

横江:早かったですね。話をいただいてから、数日で決めました。最初は木薫に入りたくて、社長の國里さんに「木薫に入社したいんです」とラブレターを書いて。だけど、その頃木薫は、人を雇う余裕はなかったそうで、「林業に関わる仕事がしたいっていう子がいるけど、うちで雇えないからもったいない」って役場に紹介してくださったです。

– そのときの名目としては、「百年の森林構想を推進する人員」だったのですか。

横江:そうですね。内容はよく分からないなりに、私がそのときにやっていた仕事の延長上の森林整備のお仕事なんだという認識でした。

− 「それまでの仕事の延長線上」ということは、前の職場も林業関係なのですか。

横江:神奈川県庁の出先機関で、林業専門職でした。臨時職員だったんですけど、アシスタントでいろんなことをやらせてもらっていて、その中には地権者交渉もあったし、英語でしか説明書がないGISを与えられて、図面をつくる仕事もありました。振りかえれば今に通じているんですけど、その時は「このまま、この仕事を続けていて良いのかな」と不安に感じていました。そのときに西粟倉に出会って、百森の話を聞いて、惹かれるものを感じました。

本当は、行政は嫌だったんですよ。職場環境はとても良かったのですが、そのときの仕事が誰の役に立ち、喜ばれているものなのか、あまり実感が持てなくて…。二度とやりたくないと思っていたはずなんだけど、「それまでこらえてきた5年間があったから役に立てる」という発想もありかなと思って、西粟倉で働くことを決意しました。

– 実際に西粟倉で暮らし始めて、どんな仕事内容からスタートしたんですか。

横江:まず説明されたのが、「百森事業をするために、集約化をして森林整備しましょう」とうこと。でも、その時点では具体的なことは何も決まっていないようでした。

– 集約化って言葉だけがあったような…

横江:まさにそんな感じでした。だからまずは、場所からですよね。上司に相談すると、「うーん、あの辺がいいんじゃない?」って、「佐渕」という、当時の村長のお膝元に決まりました。場所が決まったら、そこの土地を持っている人を集めましょうということで、役場の地図を印刷して、名前を調べて、案内を送って…というのがスタートです。

– 最初に案内を出したのは、何人くらいだったんですか。
 

横江:おそらく、20〜30人はいたかな。選ぶエリアによって違うんですけど、平均すると一度の施業区域でそのくらいの規模になります。そのうち、実際に説明会に来てくれるのが半数くらい。しかも、だいたいはあまり乗り気じゃない反応が返ってきます。「管理にお金がかからないのはいいことだけれど、10年も預けるのは長いかな」という感触が多かった。役場が提示するのは、「出入りはできるけど木は勝手に伐らないでください」という約束なんですね。それがどうも窮屈みたいです。

私が役場に入って、地権者交渉の仕事を始める前年度に、村長や森林組合の職員が全村を回って「だいたい伝わったかな」と判断してスタートしていて、「総論賛成」みたいな話を聞いていたんですけどね(笑)。

蓋を開けてみたら「そんな話聞いとらんわ」みたいな反応が多い。「一応、判子を持って来てください」と言っておくんですが、契約用紙は家に持ち帰る人がほとんどでした。経験がない提案だから、特にデメリットは見つからなくても、重要な判断をすること自体に躊躇があったろうし、人によっては中身が理解できた上で心理的な抵抗があったり、いろいろでしょうね。

– 「山を預ける」ことに対して前向きになれないのは、どんな理由があるのでしょうか。

横江:自分の山が取られたような気がするから嫌だ、といわれます。通常の林業会社だと、『間伐をするといくら収益が出ます』、という見積もりを提示して山主は「よし、じゃ頼んだ」となって、実際それに近い額のお返しがある。役場は、森林施業をして間伐材の収益が発生したら半分は山主さんに渡すんですが、当時はまだ切り捨て間伐が多くて、「無料で間伐できる」という価値にとどまっていました。

– 他には、どんなネガティブな意見があるのでしょうか。

横江: 「話がよく分からない」もありますね。契約書類を見ただけで、たくさんの文字に面食らっちゃう人も多い。そのことに関してはこちらも改善の余地があると思って、文字を大きくしてみる、要約をつけてみる、契約書の書き方を図示して見せる、付箋をつける…と工夫し続けてきました。そうするとまた分厚くなっちゃうんですけどね(笑)。

– いまおっしゃったような説明会は、どのくらい続いたんですか。

横江:丸2年半ぐらいでしょうか。説明会をずっと続けていても、そこに絶対に来ない人がいるんです。だから、村内をだいたい一周した時点で、個人の交渉に切り替えました。ときどき、「やっぱり説明会で集めたほうがいいんじゃないか」という話も出るんですけど、私としては効果が薄い気がしています。

– これまで、さまざまな人と交渉をしてきて、属性から見えることなどありますか。

横江:感覚としては、村にいない人に郵送で案内を送ると、3分の2くらいは◯がついて返ってきます。電話をしてみると、「いい話だからぜひ参加させてもらいたい」とか、「村のためになるなら」とまさにこちらの本意を分かってくださる方も、たまにいらっしゃいます。村の人でそういう人は、あまり出会ったことがないですね。「村のためになるんだろうから」というよりは、「自分の財産を頼むぞ」という気持ちなんです。

 

過酷な仕事の先に、じいちゃんばあちゃんの「またきてね」

‐ 一人ひとりとの交渉って、「営業」のような仕事で、私も経験があるのですが、ストレスも多い仕事ですよね。

横江:確かに、みんなよく怒っていますしね。「わしゃ、あそこの山がひどいことになったのは見とるんじゃ」というような悪い噂が、最初の頃はとくにあったんです。「いい木が取られる」、「山の上のほうはやってないじゃないか」とも言われました。そういう部分もあったかもしれないけれど、間伐って本当は上からじゃないとよく見えない。下から見上げたら上のほうって混んだように見えるんです。下から見ると、遠近感の問題で詰まって見えるので。

− 考えたこともなかったです。それは、よくよく考えないと気付かないかもしれない…

横江:そうですよね。そういう誤解もあって、基本的には、褒められたことはほぼないですね。

− それでも1,300人の地権者のうち、700人と契約をしてきたのはすごいことです。

横江:基本的には、協力的な雰囲気じゃないなかでも、説明を聞いているうちに「じゃあ、いいよ」って言ってくれる人がいるんです。相手の話を聞きながら何回も通っていると「まあ、しょうがないな」って言いながらサインしてくれる人がいる。そのためにはやっぱり、一人ひとり当たっていくしかないんです。
 

断られるにしても、私、その人が断る理由がすごくよく分かるんです。私にとっては理不尽だったり、間違った情報のせいだったとしても、「しょうがない」と不思議と思える。だから、断った人を責める気にはなりません。必ずしも私たちの主張が、その方にとって正しいものではないので。

− きっとそういうスタンスが、フラットでいいんだろうなと思います。

横江:そういう風に考えないと、たぶんやっていけなかったんだと思います。自分が否定されていると思ってしまったら、立ち直れませんから。確かに「あんたに、なにが分かるのか」と言われたこともありますが、村の人じゃないからある程度の距離を持ってしゃべってくれる人が多いんです。昔のことを知らないだろうからと、丁寧に説明してくれるのはありがたいことです。

そして結局は、いろんなおじいさん、おばあさんの話を聞くのは嫌いじゃない。学ぶことが多いし、私が話を聞くと満足してくれて、「また来てね」と言ってもらえたりするんです。
 

次のステップは、新しい森のデザイン

− 西粟倉で森の仕事について丸8年、いままでを振り返って今後を考えると、どのような展望がありますか。

横江:とにかく、マンパワーがものをいう仕事なんです。地権者交渉をして、作業する山を確保しないと仕事が進まないんだけど、マンパワー不足で滞ることも正直あります。外に向けて広く一般に伝えていく部分も大事だと思っていますが、そこになかなか人と時間を割けない悩みもあります。

所有者さん一人ひとりが大事なのはもちろん、村のみなさんが、なんとなくでもいいから、百森について理解している感じに持っていきたい。そのために、村の広報誌に連載してみたり、ツアーをやってみたり、実績報告会をやってみたり、思いついたことにはチャレンジしてきました。一人ひとりに向き合うことと、広報とを両立することは課題です。

− 現在、1,300人中700人から森を預けてもらって、あとの600人は難しい人しか残っていないのでしょうか。

横江:そうですね。自分で管理したい、できるという人はそのままでいいと思うんです。それ以外に、小さい土地の地権者で、村の外にいてとなると地籍の情報ではたどり着けない人もいます。昔のおじいさんの名前で登記が止まっている人などは、所有者を特定するのが難しいですね。いろんな調べをして、はるか遠い自治体まで資料請求をしたりしていると、時間と手間がかかります。

どうしても持ち主が特定できない場所については、市町村の権限で強制執行できる条例をつくれるんですが、すごく難しい。たとえば、「10回電話してもつながらなかったから」と判断をするのか、「3回つながらなかったから」と判断をするのかは、市町村の意向に任せられるんですが、なかなか定義できない。私たちもマメにアプローチし続けられるわけでもないし…。

「まとめて契約を取って10年契約の間に順番に施業していく」という当初の目論見は、甘かった部分があるのが実情です。この仕事を、辞めたいと思ったことはないけれど、止まってほしい、リセットしたいとはよく思います。

− 総当たり戦のような感じで、やるだけのことはやってきた。アプローチすらできない人はしょうがないにしても、今の契約だとサインできない人については、彼らが納得できる方法を考えるのがいいのかもしれないですね。

横江:そうなんです。8年目に突入して、いい意味でここまで煮詰まってきて、理想とする百森の次のステップを考え中です。私としては、もっと個人に寄り添った契約内容にしたい。「契約」というより、「サービス」を提供できるようにしたいんです。オーダーメイドのサービスとまではいかなくても、主伐をするプランとか、いろいろ考えられそうです。

きめ細かく対応していくためにも、まずは今、レーザー航測をして、西粟倉の森を客観的データとして収集して、今後、マスタープランを作成するところです。全体の資源量をちゃんと把握しないままに事業が8年間継続しているけれど、ポテンシャルを知るところから、未来が描けるのではないかと思っています。植生を知り、どこの森が生産林に適しているとか、広葉樹に変えてもいいんじゃないかとか、そういう棲み分けをしていきたい。

「ゾーニング」という、エリア分けをしていきたいんです。エリアが分かれたら、交渉の仕方も変わってきます。「広葉樹に転換しませんか」という話もあり、「生産だから主伐でもいいですよ」とか、「皆伐してもいいんじゃないですか」とか、いろんな提案ができるようになっていくと思うんです。今、これからに向かって、森のデザインをし直したいところなんです。
 

次世代に渡したいのは豊かな暮らしと「みんなの森」

− 横江さんは、百森の事業のなかで、「木育」を始めた実績があるとうかがいました。

横江:次世代の子どもたちに何かアプローチするのは、絶対必要だと思っています。木育には追い風が吹いているような気がして、西粟倉でもやれないかと打診して、取り組むことになりました。いまのお年寄りが森について話すと、「息子に継いでおきたい」どまりが多い。それじゃあ百年の森林は続かないので、少しでも次世代に森林の魅力を感じてもらうために、木育の先生として小学校に行って百森の話をしたり、木薫に幼稚園や小学校に遊具をつくってもらったりしてきました。

− ご自身が思う、百森って何ですか。

横江:すごく個人的ですけど、満足できる地域をつくるための材料、かな。材料というか手段というか、ここに住んでいて良かった、ここに来て良かったと思うためのものですね。山がきれいになって、それを活かせる人たちが、みんないきいきと暮らしていたら、いいなぁと思います。いま、ある一定年齢以上の方は山に希望を持っていない。何を言っても「こんな山はもうほっとけ」、「無駄だ」って言われるんですが、「そうじゃないですよ」と私は言いたいんです。

− 西粟倉に移住してきたわけですが、今後もここに住み続けたいですか。

横江:私自身は、「西粟倉」という土地にこだわってはいないんです。だけど、幸いこうやって山のお仕事させていただけて、会いに行ったら喜んでくれるおじいさん、おばあさんがいたりする。ここでの暮らしなら、もしかしたらおうちも持てるかもしれない。いろんなことが展開していくので、ここにいられたらいいなと思っています。いる意味がある限りは精一杯、というより、せっかくいるんだから役に立ちたいんです。

− ローカルベンチャースクールで村での仕事の提案もされていましたよね。
 

横江:村づくりの分野にとても関心があります。たとえば、ディサービスの人たちが通って来る場所に、村の託児所の子どもたちがしょっちゅう行けばいいと思う。子どもたちがいると、おじいちゃんおばあちゃんはすごく元気になりますから。そういうきっかけを行政サービスとしてつくれたら良いと思いませんか、とか勝手にあちこちでしゃべって回っています。山も好きですけど、山のことばっかり考えてるかというと全然そうじゃないし、自分たちの暮らしが楽しくなればどんな手段でもいいと思っていて…気が多いんです(笑)。

− 森林構想も森だけの話じゃなく、暮らしを見据えた取り組みですものね。

横江:そうですよね。それを気付かせてくれたのが森の学校をはじめ、西粟倉の人たちです。ここ数年、いろんな人を呼び込んだ結果、自分軸で生きてる人が増えて、すごく楽しい地域になっている実感があります。自分軸の人たちが共存できることが楽しいし、幸せな地域につながっていくと思う。そんな地域を目指すようなアプローチができたら、私の仕事の専門外でも、挑戦していきたいです。

− 百年の森林構想が見据えた2058年、西粟倉はどうなっているでしょう。

横江:村の森は、もっと四季が感じられるようになったらいいなぁ。広葉樹が増えてほしいです。あと、私が勝手に言っているのは、「森林解放宣言」。外国でいわれるような、森はみんなのもので、誰が入ってもいい、散歩してもいいという考え方に共感しています。森をみんなで愛でたら、もうちょっとみんなの目が森や地域に向いて来るんじゃないでしょうか。人ごとじゃなくて、自分の庭として人の山を眺められる。そんなことを夢見ています。

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