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夫婦それぞれ、ふるさとの森に向き合う(後編) 妻・金田好代さん(私と百森Vol.8)

村の材木を育てる林業家・金田洋一さんと、西粟倉産材を加工する金田好代さん夫妻へのインタビュー後編。前編では夫の洋一さんが、妥協を許さない林業への姿勢を語ってくださった。後編は、一本筋を通しながらも優しい眼差しで材木に向き合う、妻・好代さんの想いに触れる。

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ささやかにパートで働く…はずが現場リーダーに

– 好代さんは元々、山が身近な環境で育ったのでしょうか。
好代:そうですね。私は美作市出身なのですが、父が熱心な人で、小さい頃から山のお手伝いとか、田んぼのお手伝い、畑のお手伝いをたくさんしてきました。
山って薄暗くって、なんとなく怖いじゃないですか。だから、小学校の高学年の頃、山に連れて行かれるのは嫌いでした。父は素人なので、チェンソー一本で木を切るんです。私たちきょうだいで一生懸命ロープを引っ張って、決めた場所に倒すようにするんですが、なかなか大変でした。

– 森の学校で働く前はどんなお仕事をされていたんですか。
好代:新卒で最初に就いた仕事は介護職で、その後、当時「森の村振興公社」がやっていた旬の里で働くことになって、夫と出会いました。私がパン屋で、彼は2階のウェイターで、同期で就職したんです。同期といっても私は27歳で彼は18歳でした。その2年後くらいに結婚しました。
一時期は専業主婦だったこともあります。サービス業に従事していたときもあるんですが、夜も遅くてなかなかキツくて、転職を考えたときに、森の学校が候補に挙がりました。

– パートもいろいろ行く先がある中で、森の学校を選んだのはどうしてですか。
好代:「工場っていいな。楽そうだな」くらいの気持ちで(笑)。
私はずっと、「家から近い場所で働く普通のおばさん」に憧れていて、家に近いからという理由で森の学校のパートに応募したんです。まさか自分が契約社員になって、その後社員になって、今は現場でリーダーとして男の人をまとめて働くなんて、夢にも思っていなかったんです。

– 好代さんの働き方の変遷にもすごく関心あります。仕事を女性が続けていくって、男の人とも違う大変さがあると思うんです。今、工場で働き始めてどのくらいですか。
好代:丸5年経ちました。工場ができて間もない頃から働いています。ユカハリ・タイルの製造が本格的に始まって、まだ旧バージョンのタイルを製造していて。
本当に申し訳ないのですが、めがけていったわけではないので、作業を最初に見たときは、「何じゃこりゃ」って思いました。「私がこれをするの?」みたいな。

– 具体的には、どんな作業だったんですか。
好代:節埋めの作業ですね。フローリングの節の穴にパテを入れたりしてつるつるの状態にするんです。そのときまで私は、ノミも手ノコも全然使ったことがなかったし、ましてやハンドサンダーで削り取ってきれいにするなんて、できる気がしなかったです。

– 思ったよりも「職人っぽい」感じだったんですかね。
好代:そうです、そうです。ちょっと大げさかもしれないけれど、大工さんみたいだな、と思って。だから、道具を使いこなせるのか、果たして私が手がけたものが製品になるのかという不安がすごくありました。
実際に、サンダーをかけても、最初の頃はダメだしが結構あって……。不安の連続でした。

– その頃はすでに洋一さんも林業家になられていて、家で木の話をしたりしましたか。
好代:今は全くしないけれど、森の学校の工場に勤めはじめたときに、私が疑問に思ったことを彼に聞くことはありました。たとえば、「どうして節は腐るの?」とか「どうして虫がつくの?」とか「節の少ない木はどうしたらいいの?」とか。

– 仕事には、どのくらいで慣れてきましたか。
好代:それが私、入ってすぐにあばらを折っちゃって、1ヶ月くらいお休みしたんですよ。それからやっと本格的に仕事をし出して、「こんな感じかな」っ手応えを感じるまでに、1年近くかかりましたね。それまでは、やり方がダメだったら社員さんが手直ししてくれるだろうという気持ちもあって、甘えていましたね。
工場自体が立ち上げたばかりだったから、私たちパートに限らず、社員も含めて全員素人みたいな状態で、みんな手探りだったと思います。工場のラインでバリバリやられてたのが部長くらいで、あとはそのへんのおじちゃん、おばちゃんが集まったって感じの雰囲気だったと思いますよ。

– 当時の工場の規模はどのくらいだったんですか。
好代:製品課に7人、わりばし課に5人のパートがいて、あと社員さんでした。

– パートから社員になったのは、なにかきっかけがあったのですか。
好代:2013年、パートで働いて2年くらい経ったときのことでした。突然所長に「いつになったら手が空く?」と聞かれて、怒られると思ったんですよ。そうしたら突然契約社員の話で、あんまりにも突然すぎて、何で自分なんだろうという疑問と、自分には務まらないだろうという不安がありました。それで、「考えさせてください」と。

– きっと会社としては、有能なパートの人はできるだけ辞めてほしくない。できれば契約社員、社員にして長く勤めてほしかったんでしょうね。「ちょっと考えさせて」と言って、どのくらい考えたんですか。
好代:一週間です。そして、最初はお断りしました。ちょうど節埋めをしすぎて、肘にしびれがきていて、契約社員としての責任を自分が果たせるかどうかすごく不安でした。
もちろん主人にも相談して、彼は仕事に対して厳しい人なので、「生半可な気持ちではやっては駄目だ」と言われました。「不安を抱えて受けたって絶対いいことにはならないから、あなたのためには良くないんじゃないか」って言葉に、すんなり「そうだろうな」と思いました。

– 一度断ったけれど、その後契約社員になったのはどうしてですか。
好代:私はパートリーダーをやっていて、できることが増えてくると、不思議と次がやりたくなるんですよ、リーダーとしてのうれしさや楽しさを経験していくと、自分は他に何ができるんだろうと考えるようになりました。
するとパートさんでは時間が限られるし、自分が納得できるまでやれない。その頃ちょうど、主人の実家で同居することも決まったので、だったらしっかり働いてもいいかなと。
一回お断りしたのでたぶん無理だろうなと思ったんですけど、お話をさせてもらったら「いいですよ」っていうふうに返事をもらって。

– パートリーダーをやっていて、やってみたくなった「この先」というのは、どういうことだったんですか。
好代:人をまとめるとか、人に伝えるところですね。パートのメンバーで同じ方向を向いていて、楽といえば楽なんですけど、何となくそういう人ばっかりだと進まないんですよ、仕事って。
でも、同じ意識を持ってやっていくのはすごく大事なことで効率もいいし、達成感もある。その気持ちをまとめるにはどうしたらいいだろうと、自分なりに考えて実践したくもなっていたんです。

– なるほど。契約社員としてはどのくらい働いたのですか。
好代:2013年の4月から1年間、契約社員でした。社員になる話も突然で、所長が「社員になりませんか」と。そのときもちょっと「考えさせてください」って。
同じように働いて、同じように苦楽を供にして、同じように感じてはじめて成立するチームワークがあると思うんです。だから若い子たちと一緒に働きつつ、その子のサポートもできるのがリーダーだという想いがありました。
だから契約社員から社員になって仕事も増えると、周りのフォローをできなくなるのでは?という不安がありました。

– でも、今は正社員だから、なにか心境の変化があったんですか。
好代:それが……朝礼のとき、所長が言っちゃったんです(笑)。他にも契約社員になる2人と正社員になる人が1人いて、一緒に発表されちゃって。でも、そのときに腹をくくりました。やるしかない、と。

 

真剣な眼差しでひたすら節埋め

– 場内での具体的なお仕事についてうかがいたいです。さっき「節埋め」という作業について聞きましたが、一貫して節の処理をしてきたのですか。
好代:そうですね。とても地道な作業の、フローリング一筋です。部長に「なぜ床張りタイルじゃなくてフローリングなんですか」と尋ねたこともあるんですよ。特に理由はなかったんですが(笑)、異動がなかったからしっかり節と向きあうことができたのかもしれません。「これが私の仕事なんだ」って思えるようになりました。



– 今回、「ぜひ木に関わる仕事人として好代さんにインタビューを」と推薦して下さった牧さん(森の学校の代表)がおっしゃるには、いとおしそうに大事に、節を埋めてる金田さんの姿を見て、森の学校と契約を決めてくれた取引先も結構あるそうですよ。
好代:そうなんですか。それはうれしいですね。

– うちの自宅も西粟倉のフローリングなんです。さっき工場見学をさせていただいて、真剣なまなざしで向き合っている姿を見たら、いままでよりさらにありがたみが増しますね。今、敷いて2年半たってちょっと光沢が出て、いい感じになってきています。
好代:そうですか、大事に使ってやってください。

– ずっと同じ仕事向き合えたっていう面もあるけど、他の作業もやってみたくなりませんか。
好代:それがないんですよ。私がお会いすることはないんですが、きっとフローリングを見て喜んでくれるお客さんがいるんだろうと想像していると、やりがいがあるんです。
「えっ、こんなのにお金払っちゃったの」じゃなくて「えっ、こんなにいい品を買えてお得だな」って絶対に思ってもらいたい。だから手を抜くわけにはいかないんです。
床材に手を入れて、お嫁に出すような感じです。きれいな一枚板がサンダーから出てきたときに、本当にうれしい気持ちになるんですよね。節を埋める、穴を開ける作業はすごく私は好きなんです。
ただ、今は荒材の管理など節埋めの前段階の仕事を担当しているんです。今までは来た物を処理してお客さんに出す仕事だったんですけど、組み立ての工程に渡すために、荒材の量を把握して段取りをしなくてはいけないんですよ。

– なるほど、「生産管理」の仕事ですね。

好代:そうですね。何かトラブルがあって、物が次に送れなかったりするとすごく責任を感じます。自分で迷ってどうしてもスケジュールを組めないと思うときには、部長に助言をもらったりもしています。

 

森と工場はつながっている

– 百年の森林構想が見た未来、2058年の好代さんの展望を聞かせてくださいますか。
好代:若い子にキラキラ輝いて仕事をしていてほしいです。森を守ることは自然を守ることだと思います。私自身も、環境がいい場所で、安心して生活したいので、身近にある物を大事にして生きていたい。若い人たちもそうやって暮らせる村になっていてもらいたいです。
森に手入れが行き届いて、みんなが守っていると一目で見て分かるような感じになったらすごくいいですよね。せっかくお宝がいっぱい眠っている山に囲まれて生活しているので、大事にしていきたいです。

– その想いが根底にあるから、木材に向き合い続けられるのかもしれませんね。
好代:そうですね。材を無駄にしたくないと思ったのは、主人が命がけで働いてる姿を目の当たりにしたことがきっかけなんです。命がけで危険を顧みずに働いてくれてる人が一生懸命育てて守ってきた木を、私のところで無駄にはしたくないと強く思っています。

洋一:立派やな。かないまへんわ。普段こんな話しいへんからなぁ。

好代:自分にしかできないというと言いすぎだけど、ひたすらフローリングに向き合ってきたから、ここを埋めておいたらきれいに仕上がるだろうとか、大きめに穴を開けておこうとか自分なりにバランスを考えながらやっているんですよ。

– 洋一さんの仕事ぶりを聞いていると、金田班で枝打ちを手がけた木なら、好代さんの仕事も楽かもしれないですね。
好代:本当にそうです。

洋一:埋めなくちゃいけない節がたくさんあるのは、枝を打った時の間伐の仕方に失敗して腐れが入るからです。枝を打って同時に間伐をしっかりしておけば、日が当たって木が成長するから、皮が早く巻いて腐れが入ることもないんですよ。
自分は、枝打ちと間伐はセット物やと思ってますけど、森林組合の仕事でも枝打ちだけして間伐はないこともあるのがもどかしいです。

好代:実際に作業していても、いい木ばっかりのときもたまにあるんです。誰の山の木なのかは分からないけれど、一度主人が手を入れてきた山の木を扱ってみたいですね。

「私と百森」特集コンテンツ一覧

プロローグ そもそも「百年の森林構想」ってなんだろう

インタビュー 百年の森林構想は、村をどう変えたのか(全3回)

vol.01 「儲からないし課題もある。でも百森の仕事を続けて山を良くしたい」西粟倉初のベンチャー・木薫
vol.02 「次のステップは、新しい森のデザイン」地権者交渉を8年進めてきた役場職員・横江さん
vol.03 「時代の変化を受け入れる苦悩と、変わらぬ想い」山で働いて40年。元森林組合・福島さん

インタビュー 森を育てる山主たちの想い(全3回)

vol.04 「木が安くなっても、山は宝。見捨てるのは忍びない」山主歴65年以上・平田さん
vol.05 「いつかは人の手に委ねざるを得ないとしても」山仕事が身近な最後の世代、萩原さんの葛藤
vol.06 「林業を見限るな」300年の森を目指す、新田一男さん

インタビュー 大事なお客様へ、木を届ける(全3回)

vol.07 「百年の森林管理センター(仮)に託す夢」林野庁からの出向任期を終えた、長井美緒さん
vol.08 夫婦それぞれ、ふるさとの森に向き合う(前編) 夫・金田洋一さんの話
vol.08夫婦それぞれ、ふるさとの森に向き合う(後編)妻・金田好代さんの話
vol.09 「百森」があったから戻れた、母の出身地。 がらんどうの工場から、売り上げ3億円超までの道のり

インタビュー 森から広がり成長していく村の産業(全2回)

vol.10 「再エネで、村のエネルギー自給率を100%に」西粟倉村役場・白籏佳三さん
vol.11 「温泉宿があれば、森に関わる人を増やせる」株式会社村楽エナジー・井筒耕平さん。

インタビュー 山を受け継ぐことで見える未来(全4回)

vol.12 百年の森を伝える教育 西粟倉の子どもが、未来へ森を継いでいくには・関正治教育長
vol.13 仕組みの再構築に向けて、株式会社百森が始動
vol.14 「美しい山を後世に残すために、今を生きる人間がやるべきことをやるだけ。」株式会社青林・青木昭浩さん
vol.15 役場は、村人を豊かにする「会社」。ビジネスマインドで過疎の村の未来を拓く。西粟倉村役場参事・ 上山 隆浩さん