岡山県
西粟倉
にしあわくら
夫婦それぞれ、ふるさとの森に向き合う(前編) 夫・金田洋一さんの話(私と百森Vol.8)
Date : 2017.11.02
夫は西粟倉、妻は近隣の美作市(旧作東町)で共に山に囲まれた土地で生まれ育った一組の夫婦。夫は若手の腕利き林業家で、日々山へ通う。妻は紆余曲折を経て「株式会社西粟倉・森の学校」の社員になり、生産管理を任されるほどの仕事ぶりで、頭の中は木のことでいっぱいだ。
金田洋一さん・好代さんは普段家で仕事の話はしないというが、それぞれの仕事に情熱を燃やす。林業が盛んな村といっても、夫婦両方が森の仕事に従事する家族はそう多くはない。方法は違えど、いま共にふるさとの森を想って仕事をすることについての胸のうちをうかがった。
林業一家の長男坊のプライド
– 洋一さんもさることながら、お父さまも林業の達人だとうかがいました。代々林業をされてきたと思うのですが、洋一さんも最初から林業の仕事についたのですか。
洋一:いいえ。高校卒業後、25歳くらいまでは、西粟倉村内の「森の村振興公社」でウェイターをやっていました。特にしたいことがなかったんですよ。だからとりあえず就職はして、何かやりたいことが見つかったら、また改めて考えようと思っていました。
村外に出ることも考えましたが、都会だと車に乗れないじゃないですか。田舎やったら、車の維持が楽。そんな理由で、村にとどまりました。
– なるほど。車がお好きなんですね。公社をやめたきっかけはなんだったんですか。
洋一:お金ですね。上の役職のお給料もチラッと聞いたことがあったんですが、わりと少なくて。公社からも「給料が上がることはないから、ここで区切りをつける人はつけてください」というお達しもありましたから、「もうあかんわ」と思って。
それから10年以上、父親と組んで親子班で林業をやってきました。みなさんそれぞれに流儀があるので、親子が一番無難ですわ。
– 実際に林業に転じて、収入面でも満足がいきましたか。
洋一:森林組合の仕事でも、直営班というサラリーマン的な仕事と、請負班という出来高制の仕事があります。うちは請負なので、がんばっただけ収入も増えます。仕事のうちの8割、9割は森林組合経由の請負で、その中には山主さんから「金田班で」という指名もあります。
それまでサラリーマンで、一生懸命やってもダラダラやっても一緒なのが嫌やったんです。雇われだと、どんな働きでも月にもらえる額は決まっている。だから今は、力試しというか、修羅の世界に生きている気持ちです。
– 修羅の世界!
洋一:そうですよ。林業は命がけですからね。前の仕事を辞める時に、一番きついところで力試しして、強くなりたい気持ちもありました。その現場として、自分が知る限りは山が一番だったんです。
– 腕試しができて、がんばった分だけ評価されて、結果もついてくる仕事が林業だった。山に魅せられて…とかじゃないんですね。
洋一:はい(笑)。でも入り口はお金でしたけれど、当初から仕事へのプライドはもちろんありました。収入だけ考えれば、適当にこなして「終わりました」と報告することもできます。実際にそういう人もいてますから。
うちは、親の代からナンバーワンの仕事だったんで、「最高ランクの仕事は必ず提供します」といつも思いながらやってます。ありがたいことに指名も結構もらえるんです。目標は、自分たちが手がけた山を見た人から、「うちも頼みたい」と思ってもらうことですね。
– お父さんがやはり目標なんですか。
洋一:そうですね。親父はスーパーマンです。林業に関して「岡山五本指」の一人だと人づてに聞いたことがあって、妙に納得しました。自分は親父の弟子といえば弟子ですが、何も教えてもらってなくて、チェンソーのかけ方すら教えてもらっていないんです。機械を渡されて、「これがスイッチな」で終わり。
うちは、ずっと造林業を基本的にやっていて、高校の時から春休みにちょっと山に行って、植林などの手伝いはしていましたが、本格的なことはなにもかも初めてでしたからね。
– そもそもの質問で申し訳ないのですが、林業の仕事のなかに「造林」という分野があるんですか。
洋一:そうですね。造林と林産に大きく分けられるのですが、林産が丸太を出して販売する仕事、造林はもっと広く、森を育てる仕事といえるかもしれません。ほんまの最初、植えるところから、収穫できる森に育てていきます。地ごしらえ、植林、そして何年も下刈りを続けて、除伐を重ねていって、枝打ちをして…という。
– 将来いい山にするための投資として、やっていく作業が造林なんですね。
目の前の山はすべて、自分の山のつもり
洋一:仕事で入るのは人の山ですが、自分の山やと考えながら、「これは将来性があるな」とか、先々まで見据えたうえで、きれいにきっちり。他の作業班からしてみたら、「割に合わんことやってるな」っていつも言われます。
いつも、人に言うんですよ、「もちろん、最高の仕事しますから」って。それは、言ってしまえばやらざるをえなくなるから。できなかったら笑われるぞ、と。そうやって自分に発破をかけています。
– 洋一さんにとっての「きれい、きっちり」の仕事って、林業が分からない人に伝えようと思うと、どう説明すればいいと思いますか。
洋一:そうですねぇ…。まずは、山主さんが納得してくれること。「すごくきれいになったやん」って。素人さんでも、今まで見たことのある山と比べたら分かると思いますよ。そういう仕事をしているつもりです。
– なるほど。残存木は傷つけないとか、育林であればいい木を残すとか、あと施業終わった後にごみは残っていないとか。
洋一:当然です。
– 洋一さんからすれば当然なのだと思います。ただ、山の手入れを頼んだ場合の不満として、その辺ができてないっていう話を結構聞くみたいなんです。
「自分の山だと思ってやったらこうはならないだろう」っていう山主さんが多いんですよね。だから洋一さんから、「自分の山だと思ってやる」という言葉が出てきたから、やっぱりそこが結構ポイントなのだと感じました。
洋一:性分でしょうね、たぶん。手抜きできないんですよ。手抜いてしまうと自分に負けた気がして絶対嫌。だからあくまで自分を追い込みたい。でも、今までしんどいばっかりだから、能力アップして、少しは楽したいです。
– 山仕事での「一人前」ってどういうことなんでしょう。
洋一:そうですね、山でいうところの一人前ってなんやろな。
好代:「そこやっといて」って言われて、手直しがないことなんじゃないかな。この木は生かす、あの木は間伐する、と自分で判断できる。
– 確かにそれは、最初からは分からないことですよね。
洋一:はい。全く分からないです。父親が切った跡を見て間隔を知ったりしてだんだんと…。経験を積むと、パッと見たら分かるんですよね。「あっ、切る木、切る木、切らない木」っていうのが。
– 山に入ったら、切るべき木と残すべき木というのは、パッと見て分かるんですか。
洋一:分かります。1秒かかんないです。
– 一応間伐率何パーセントとか、補助金上の基準がありますよね。計算はするんですか。
洋一:しないです。あくまでその状況に応じて、絶対に必要ない木は容赦なく切ります。でも、それで大体言われているパーセンテージに収まっています。
作業後の検査の時に、山の区画で本数を数えられても、不思議と規定通りなんですよ。
何があっても動じない、山のセンス
– 兼業の方だと、仕事の合間で作業するしかないので、あまり季節に関係なくやることも多いみたいですが、金田さんは季節によって作業の変化はありますか。
洋一:そうですね。冬は、一番の基礎である地ごしらえをやる時期ですね。
– 地ごしらえって言葉は聞きなれないのですが、具体的にはどういう仕事ですか。
洋一:雑木山を全部切るんです。そして一定間隔で切った枝などを積んで行く。その後、木は植えるわけですね。全て手作業です。きれいにごみを積んで、横に筋状に間隔を空けて並べていく感じです。枝打ちも、11月から冬場の仕事ですね。
春夏だと木が元気で、水を吸い上げるし湿気が多いから皮が剥けやすいんです。水分が多いのに枝を打ってしまうと水分が多いから腐れが早いんです。だから木が眠っている冬場にするのが基本です。
春は植栽の季節で、夏は下草刈りが多いですね。
– 山の仕事のおもしろさ、やりがいはどんなところですか。
洋一:そうですね、今まで切れなかった大きな木とか、倒したいとこに倒せるようになったら嬉しいです。引っかけることなくストーンと入ったら気持ちいいです。
– 上達するためには、数をこなすことですか。
洋一:数でしょうね。もうひとつ欠かせないのは、インスピレーションです。山はセンスやと本当に思います。何年やってもセンスのない人は駄目ですし、すぐうまくなる人もやっぱりいるんですよね。
– 林業のセンスって、もうちょっと具体的に言うと、どういうものでしょうか。
洋一:まずは、絶対的な危機管理ができてることです。それから、いかなる状況でも常に周りに気を張り巡らしてる状態で、音で判断するというか、いつもと違う音がしたらみたいな感じですから。それを怠っていると絶対にやられますから。あったもんな?
好代:ありましたねぇ。
洋一:大きい腐った枯れ松が、ちょうど嫁を山に連れて行ってるときに、メキメキッて音がして倒れてきたんです。音が最初で、「あっ、これ何か倒れてきた」と思ったら、ちょうど目の前に倒れたんですよ。
好代:あれはショックでした。私には、メキメキの音なんて聞こえなかったんですよ。彼から声が出た瞬間に逃げて、セーフでしたけれど。
洋一:ぎりだったけどな。いつもと違う音がしたら、絶対異変が起こっている。異変に気付くためにも常に「一定」を意識しています。
仕事に行くときも、大体起きたら一緒なんですよね。ちょっと違うところがあると反動が必ずくるから、波をつくらないようにしています。だから普段もリアクションが基本的にないんです、何が起きても。
林業の発展を願えるのは、仕事として向き合っているから
洋一:森林の仕事を始めて半年か9カ月ぐらいで大けがしたんです。首の骨と腰の骨を折って3ヶ月入院しました。「あっ、次やったらたぶん死ぬな」っていうのがあったんで、それから気をつけてます。遅いんですけどね。
– 大怪我までして、今まで辞めたくなったことはないですか。
洋一:それはないです。転職した段階で、一番えぐい所に行ってますからね。自分で逃げ場を消しているし、逃げる気もないです。
– かっこいいな。すごいですね。そういう気持ちで仕事を選ぶって、新しい考えに出会った感じがします。
洋一:先のことは分からないけれど、ここまで来たら、今から転職して違う職種になるのはもったいないですよね。
– 仕事に関しては今後の夢はありますか。
洋一:夢ねえ、これといった夢はないですね。とにかく仕事が切れずにあればいいな、というのはいつも頭にあります。
– このインタビューではそれぞれの「百年の森林構想」への想いをお聞きしています。洋一さんはどのようにお考えですか。
洋一:自分は仕組みというより実際の作業についてしか知らないのですが、地権者さんが「仕事がちょっと粗いんじゃないか」という気持ちが分からないでもないです。
みんながみんなそうじゃないけれど、作業班によってむらがありすぎると思います。試行錯誤できる場であればいいけれど、山はやってしまったら終わりで、やりなおしがきかないですからね。
もう少し煮詰めてから施行に入っても良かったんじゃないかとも思うけれど、山に興味関心がない人がほとんどだから、難しかったんだと思います。
– 何でみんな山に関心なくなっちゃったんですか。
洋一:お金にならないからでしょう。
– も何で洋一さんは関心を持ち続けていられたんでしょう。
洋一:何でやろう…。仕事である以上は全力でやるしかないからじゃないですかね。
– 2008年に百年の森構想を掲げて、50年は諦めずに村全体の山をきれいにしていくんだと、当時の村長は宣言したと聞いています。2058年、西粟倉村がどうなっていてほしいですか。
洋一:77歳になっているのか。分からんもんなあ、明日死ぬかもしれへん。
山持ちとしては、木の値段が上がってくれれば嬉しいです。そうなったらみんな山に関心を持ってくれますし、林業が発展しますから。