岡山県

西粟倉

にしあわくら

「一緒に森へ入ろう」。西粟倉村で人が森や生きものに触れるきっかけづくりをする20代の二人の、静かで熱い思い。【百年の森林と生きる、人といきもの(後編)】

特集「百年の森林と生きる、人といきもの」では、西粟倉村の未来を見据え、山と人と生きものの関わりを結ぶプロジェクトに挑む、村のプレイヤーの皆さんを紹介します。(前編はこちら

後編で紹介するのは、西粟倉村で活動する「ちぐさ研究室」。20代の女性二人が活動する、森や生きもの、山と人の接点をつくるユニットです。

メンバーの川上えりかさんと、前編に続いて清水美波さんに、お話をお聞きしました。

 

タイプの異なる20代の二人が、森や生きもののことで意気投合

— まず川上さんから、経歴を教えてください。

川上:私は東京生まれで、両親が地方移住を希望して、12歳から宮崎で育ちました。当時は植物に興味がなく、山登りや外遊びはせず、家でドラマを見るほうが好きなタイプ。でも、『日立 世界ふしぎ発見!』など冒険系のテレビ番組や映画が好きだったので、「農村でフィールドワークをするなら楽しそうだな」と九州大学農学部へ進みました。

大学で、ミクロからマクロまでの視点で森林を見ていく森林科学という分野を知り、「いろんな視点で関われるのかもしれない。森っておもしろいかも」と思いました。勉強するうちにどんどん好きになりましたね。例えば、同じ樹種でも環境が変われば違う生き方をしていることなど、一つ調べるとまた分からないことが増えるんです。そうやって興味が尽きないところが一番おもしろいと感じています。

川上:そのまま九州大学大学院へ進み、森林の物質循環について研究する流域環境制御学研究室に所属し、森の中での養分循環や木の根っこが炭素をどのようにやりくりしているかなど、フィールドで自らデータをとって研究する学生生活をおくりました。

大学時代に感じたのは「森の世界はおもしろいけど、このおもしろさは大学の中だけではなくて、もっと社会に伝わってもいいのではないか」ということ。でも、私は森や山での獣害が生態系に与える影響などを研究していても実際の現場は知らなかったので、受け入れてくれる地域を探して『エーゼロ株式会社(現・株式会社エーゼログループ)』でインターンをしました。

インターンで村に滞在していろいろな方に出会う中で、「百年の森林構想」から始まった取り組みが、今はエネルギーやデジタル、起業など、さまざまな分野に広がっていることを実感しました。森林資源を起点にした地域づくりをどうやって進めていったのかに興味を持ち、「行政のなかから地域や森林を見てみたい」という気持ちが生まれ、大学院を修了し、2021年に西粟倉村役場の地方創生推進室の地域おこし協力隊になりました。今、最終年である3年目になります。

 

— 清水さんは前編の記事でもお聞きしましたが、改めて経歴を教えてください。

清水:私は小学5年まで大阪府で過ごし、その後神奈川県へ引っ越しました。どちらもベッドタウンで、あまり自然はないところです。それでも外遊びが大好きで、公園や駐車場などはもちろん、マンションの2階から配管パイプをつたって1階に下りたりして遊んでいました(笑)。

転校先の神奈川県では受験する子が多く、外遊びを冷めて見る感じの雰囲気があり、自分が置いてけぼりになる感覚がありましたが、「外遊びが好きなまま大人になってやる!」という反抗心も芽生えて(笑)。将来は田舎に住みたいと、当時から考えていました。

清水:祖父母の家が千葉県にあり、毎年帰省して遊ぶのが楽しく、自然が好きになったんです。「外遊びに近いことができるだろう」と、千葉大学の園芸学部緑地環境学科に進みました。大学1年のとき、キャンパス内にある樹種を100種類覚える「葉っぱ授業」があり、毎週葉っぱのスケッチをしたり、生態などを図鑑で調べたりするレポート作成が楽しくて、その作業にハマりました。

大学では、植物や鹿の食害などの森林情報をデータから解析する研究室にいました。進路を考えたとき、森林情報をもとに仕事を進める民間会社として『株式会社百森』が気になったので、西粟倉村へ足を運びました。2021年に移住し、『百森』の地域おこし協力隊になったので、協力隊として川上さんと同期になります。

 

— 二人とも地域おこし協力隊の3年目なのですね。タイプが違っていて、バランスが取れているのではないですか? 

清水:川上さんは研究肌で、一つのことに飽きずに取り組めるタイプです。私は企画を思いついたときにテンションがMAXになり、実施までの準備は川上さんが主導してくれています。短距離型の私と、長距離型の川上さん(笑)。

川上:清水さんは「これやろうよ」という企画力があって。私は不器用なので、器用さが求められる制作系の作業は清水さんに主導してもらっています。

 

普段はYouTubeに夢中な子どもが、生きものに興味をもつきっかけ

— 「ちぐさ研究室」はどのように立ち上げたんですか?

清水:西粟倉村へ移住して1ヶ月くらい経った頃、川上さんからメッセンジャーで「ご飯に行きませんか」とお誘いを受けたんです。私のことを「同い年くらいで森林関係のことをやっている人だ」と聞いて連絡をくれたそうで、私にとっては村で最初に親しくなった移住者です。

二人で話していて、「学生時代のフィールドワークが楽しかった」「気軽に森や山へ入りたいよね」という思いが共通していると分かり、「自分たちでフィールドワークをしよう!」と決めたんです。村民の方たちと一緒に葉っぱの樹種などを調べる同定のイベントをしてみようと話して、6月に「やまと森の知らない世界」というイベントを図書館で開催しました。それが始まりです。

図書館で開催した第1回イベント「樹木の名前を知ろう!」の様子。身近な樹木の葉っぱを頼りに図鑑を使っての名前を調べる講座を開催

 

— 現在までに、20回以上もイベントを開催してきたんですよね。 

清水:イベントが中心の活動になっています。毎月開催していた頃もありました。お互いに本業があるので、毎月できない時期もありましたけど。仕事としてご依頼いただいたイベントも含めると、30回ほど開催しています。

参加者は移住者や、移住者の方のお子さん、小学生が多いです。移住者は地元の方と接点が少なく、森や山に入る機会もあまりないんですよね。

川上:最近、西粟倉村出身の親子さんも常連になってくれて「子どもが楽しみにしているんです」と聞いて、嬉しかったです。「子どもが来るからワークショップをしてくれないか」とお声がけいただいたり、「森や山についてこういうことは知ってる?」と聞かれたりすることも増えてきました。

 

— 反響も寄せられているんですね。印象に残っているエピソードはありますか?

清水:移住者のお子さんで、普段はYouTubeばかり見ていて、車など乗りものに興味があるという年中の子がイベントに参加してくれたんです。土壌生物を顕微鏡で見る大人向けのイベントだったんですが、めちゃくちゃ熱中してくれました。「お風呂の時間だから帰ろう」と親御さんが言っても「帰らない!」と床にしゃがみこんで(笑)。ずっと顕微鏡をのぞきこんでいて、その日を境に、生きものに興味をもったそうです。きっかけになったことは、とても嬉しかったです。

ローカルベンチャーが多い西粟倉村の特徴で、こういう活動をしていると「事業化しないのか」という話になりやすいんです。でも私たちは、そういうきっかけが生まれることが嬉しくて、好きで活動しているだけ。そんな風に活動を続けていたら、これまでに事業化の声をかけてくれた人たちが「続けていてすごいよね」「頑張っていると思う」と言ってくださって、「頑張っていてよかったなあ」と思いました。

土の中にいる生き物たちを見つけ、顕微鏡で観察したイベントの様子

 

— 西粟倉村の自然環境の魅力は何でしょうか? 

川上:自然環境へのアクセスの良さだと思います。大学院のときに調査をしていた地域では、研究や調査ができるエリアまで車で1時間かかっていました。でもここでは役場や自宅から20分ほどで、若杉天然林やイベントなどで利用させてもらっている『(株)百森』さんの社有林に着きます。

清水:今、生きものの骨格標本の制作活動もしています。村内の山や畑で野生鳥獣の有害駆除をしている業者や個人の方から提供していただき、解体してつくっています。被害に困っている状況があるからこそ、周囲の人たちに環境保全の大切さを身近に感じてもらいやすいのは、この村のおもしろいところかなと思います。

川上:あとは、小さい村ですけど、村内でも地域によって気候の差があっておもしろいです。調べていくと、南側にしか生えていない植物があったり、積雪量も違ったり。マニアックなところでおもしろい差があります。

 

— あわくら温泉駅で展示活動もしているんですよね。どういうものを展示しているんですか? 

清水:はい、クラウドファンディングを活用して「ちぐさ顕微室」という小さな博物館をあわくら温泉駅で始めました。展示はパネルが中心です。スズメバチ、鹿の食害や分布、村の気候帯、昆虫標本のつくり方、土壌生物の観察方法、森林の植生調査結果などのパネルと、昆虫標本を展示しています。制作中の骨格標本も、いずれ置きたいですね。

 

— 精力的に活動されていますが、継続のコツはありますか。 

川上:年度の始めに、活動予定を決めるんです。スケジュールを立てちゃって、やらざるを得ない感じに(笑)。

清水:1年目は一回ごとのイベントに体力をかなりさいていたので、2年目以降は体制をつくろうと思って、継続のために工夫したんです。

 

共に記憶をつくることが、山を守りたいと思える仲間を増やす

— 人と生きものの関わりについて、感じていることは何ですか?

清水:個人的な意見ですが、都市部に住む人だけでなく、地方に住んでいる人も、そこにいる生きものを感じにくくなっていると思います。私は山育ちではないけれど、現在のようになったのは外遊びの影響が大きいんです。教育は大事ですけど、「この山がこのままあってほしい」「この森はこうしないでほしい」と思えるのは、愛着などの感情面が強いと思うので、楽しい記憶をつくるお手伝いができたらいいですね。共に記憶をつくることが、森や山を守りたいと思える仲間を増やすことなのかなと思っています。

川上:外遊びは苦手なタイプでしたけど、振り返ってみると、夏休みに親戚とキャンプに行って川で遊んで楽しかったという記憶が残っているんです。自然の中で過ごした原体験や思い出があるからこそ、私は今、森や生きもの、山に興味があるのかもしれません。

自然にあまり親しんでいない子どもたちが、私たちの顔を知っていて「何するか分かんないけど、一緒に遊びたいからイベント行こうかな」と思って参加してくれたらと思います。イベントをしていると、4歳くらいの子が山をたくましく登ったり、骨を見つけて叫んだりしている姿が微笑ましくて、幸せな気持ちにさせてもらっています。記憶に残ることが一つでもできたら、そういう関わり方ができたら、と思いますね。

 

— 協力隊の活動を終えたら、2024年度以降はどうする予定なのですか。

清水:確定していない部分はありますが、「ちぐさ研究室」の活動は続けます。私は地域おこし協力隊の任期後は『百森』の社員になりたいと考えていて、公私共に、森や生きもの、山の魅力を提供する形を続けていきたいです。

川上:現在所属している推進室の皆さんには、「やりたいことを一番大事にしてほしい」と言っていただいているので、森や山に関わり続け、究めていきたいと思っています。今の「ちぐさ研究室」の活動を続けつつ、地域の森林生態系の研究や調査をできるような働き方ができないかなと模索しています。

 

— 最後に、「ちぐさ研究室」で挑戦したいことや目指したいことはありますか? 

清水:「ちぐさ研究室」としてのメンバーは私たち二人ですけど、標本をつくるなどの作業やイベント、出展をするときなどには友人にも声をかけて一緒に楽しんでいます。建築や哲学などの専門分野をもつ友人です。そういういろいろな専門をもつ人たちと、文化や生活の質を高め合い、寝食を忘れて熱中するゼミのような形に広げていけたら、地域性を活かせるのでは、と考えています。友人たちのおかげで、そんな風に思い始めました。

川上:私たちが大事にしたいのは、一緒に楽しんでくれる友人や地域の方、特に子どもたちです。定期的にイベントなどで発信する機会を維持しながら、それぞれの興味のポイントで森に関わるルートをたくさんつくれたらと思いますし、それができるのが西粟倉村です。「こんなものと森や山をつなげるの?」と驚かれるような企画や展示、イベントができたらいいですね。

— ご活動、応援しています。ありがとうございました。