岡山県

西粟倉村

にしあわくらそん

こうしてチャレンジは引き継がれた。西粟倉村の人気ゲストハウス「あわくら温泉 元湯」を託した人と引き継いだ人が、今だからこそ語り合います。

西粟倉村と言えば、何を思い浮かべるでしょうか。
村として生きる道を選んだ自治体。
移住者や起業家が多い村。
なかには、エネルギー事業やゲストハウス「あわくら温泉 元湯 (以下:元湯)」を思い浮かべる人もいるのではないでしょうか。
村や村を拠点にするさまざまな人が、チャレンジを重ねてきました。

西粟倉村のエネルギー事業や「元湯」を語るときには、2014(平成26)年から2020(令和2)年まで西粟倉村で活動していた「株式会社sonraku(以下:sonraku)」の存在が欠かせません。
「sonraku」は、西粟倉村で薪ボイラーによる温浴施設への熱供給などを行う木質バイオマス事業、「元湯」などの自社運営、エネルギーやバイオマスなど地域が抱える課題を解決するコンサルティング事業を行っていました。

現在、「元湯」は「sonraku」にいたスタッフが引き継ぎ、経営をしています。
後継者の不在に悩む事業者が全国で増えるなか、チャレンジングな西粟倉村だからこそ生まれた、事業継承です。

「元湯」を立ち上げたチャレンジャー・「sonraku」代表取締役の井筒耕平(いづつ・こうへい)さんと、引き継いだチャレンジャー・「株式会社motoyu」の代表取締役の半田守(はんだ・まもる)さんに、語ってもらいました。

 

北海道への移住を機に「引き継いでみないか」と提案

— 半田さんは2018(平成30)年1月に西粟倉へ移住し、「sonraku」へ入社しました。経緯などは、2020年にこちらの記事で紹介させていただきました。その後、半田さんが引き継ぐことなったわけですね。

半田:はい、コロナ禍の頃です。「sonraku」が経営していた「元湯」に予約が入らなくなってしまい、経営面で厳しい時期でした。当時、僕は木質バイオマス事業を担当していて、熱供給先の温浴施設が相次いで休業したため、こちらも苦しい状況でした。

地域おこし協力隊として入社してもうすぐ任期が終わるという時期で、2019(令和元)年に設立したレスリングウェアなどの企画・販売を行っている「合同会社MAMO」の事業もあるので、次のステップへ進もうと考えたんです。つまり、「sonraku」を離れようと考えました。

(あわくら温泉 元湯)

井筒さんにそれを伝えたら、1日か2日ぐらい考えられた井筒さんから「半田くん、引き継いでみないか。『元湯』と木質バイオマス事業を半田くんが経営してみないか」と提案してもらったんです。以前から僕が「経営者としてキャリアを積みたい」と言っていたからだと思います。

(半田守さん)

井筒:半田くんがジョインして3年目のときだよね。うん、経営に興味があると聞いていました。僕は2018年に家庭の事情などで神戸市に引っ越し、そこから西粟倉村へ通う形だったのですが、実際は他の業務があって全然通えていなかったんです。「店舗を運営しているのにこんなに行けないのはだめじゃないか」と思っていました。現場の皆さんに完全にお任せ状態になっていたこと、反省しています。

そんななか僕が、木質チップを活用した発電・発熱により地域へ電気と熱を供給するバイオマスCHP(熱電供給)事業のため、北海道へ移住することになったんです。北海道は、北海道大学から大学院までの7年間を過ごした大好きな土地です。僕の選択肢として、運営そのものをやめるか、引き継いでいただくか、その二つしかありませんでした。宿泊施設としてのあり方と、経営面の両方で「半田くんにお願いすれば、新しい『元湯』をつくってくれるのではないか」と思ったんです。コロナ禍のあの状況で、提案を受け入れてくれてありがたかったですね。

(取材はオンラインで繋ぎ実施しました)

半田:コロナ禍で、隣の部署から見て「『元湯』の経営は難しいな」と感じていたので、やるならば腹をくくらないといけないと思いました。「sonraku」の子会社をつくって引き継ぐか、独立した自分の株式会社として引き継ぐか、僕の場合は後者のほうが覚悟できると感じたので、井筒さんにそれも伝えたんです。2020年10月に「motoyu」を設立し、「元湯」と木質バイオマス事業を譲渡され、2021(令和3)年1月から両事業を運営していくことになりました。

(「小型木質バイオマス発電+熱供給」の新事業のため、井筒さんと半田さんはフィンランドへ出張したことも(画像提供:株式会社sonraku))

 

1年間、毎日「元湯」のキッチンで働き、現場を知った

— 半田さんは引き継いだ後、どのようなところから仕事を始めたのですか。

半田:「元湯」は当時からスタッフがすばらしいメンバーだと思います。でも構造的な問題として、経営者が近くにいないと現場の動きが見えにくいとも感じていたので、「僕が運営をやるならば、絶対に僕がキッチンに入ろう」と決めました。相談した先輩経営者から「魂を注入しないとゼロイチはつくれない」とアドバイスをいただいて納得し、腹をくくったんです。

他の仕事もあったので、午前中は他の仕事をして、夕方から夜の時間帯は「元湯」で働きました。「元湯」で働いてみて、現場のことがよく見えただけでなく、自分が働けばそのぶん人件費が浮くというメリットもありました。約1年間はほぼ毎日入り、その後2、3年は僕が担当で入る日を週の半分ほど設けていました。今は98%ぐらいスタッフに任せている状況で、人手が足りないときだけ入っています。

あとはコロナ禍だったので、集客ができない中でどう経営していくか、考えました。僕の性格上、会社の経営でギャンブルはあまりしないんですけど、唯一ギャンブルしましたね。

希望的観測で、「目の前に川、建物の裏に森があってとてもいい場所だし、関わってくれている人もおもしろいし、西粟倉村の自治体やキーパーソンの方々がつくってくれている流れもあるから、これからどんどん盛り上がっていくはず。きっと『元湯』には可能性があるのだろう」と。そう考えたら「やるか! まだまだ試合終わってねぇぞ」と思えました。

(旅人と村人が自然にまざりあえる時間を提供しようと企画した「温泉BAR」)

— レスリングの選手だった半田さんらしいコメントですね。宿泊施設の経営は、他の事業と比べると難しいものですか。

半田:難しいです。特に継承の形だと、変えられないものがあるんです。1から立ち上げるんだったら、例えば常駐スタッフのいない一棟貸しスタイルにして、はじめから建物をつくり込むことができますけど、「元湯」の場合は個室が5部屋という絶妙な数で、建物が古いので大改築しない限りは変えられません。構造上の限界があるんです。宿泊部門に人手が必要な上に、さらに飲食部門に最も人手がかかります。

「元湯」を目がけて来てくださるお客さんを増やしたいと考えたとき、週末のお客さんにフォーカスを当てて、喜んでいただこうと思いました。そうすれば平日も含めて「元湯」を目がけて来てくださる人が増え、持続的に繁栄していくのかな、と。西粟倉村のバリューに頼りつつ、そこにあぐらをかかないよう意識しています。おかげさまで会社として黒字が続いていましたが、サウナなどの設備投資をしたため、2025年9月30日締めの期は赤字の見込みです。集客が安定しているわけではないので、まだ工夫していかないといけないと考えています。

いつも自分ごとのように「元湯」を気にしてくれるお向かいの新田茂さんはじめ、塩谷地区のみなさんにはよくしていただいています。また、やはり現場で働いてくれているメンバーには感謝しています。いい店をつくってくれてます、ほんとに。

 

— 木質バイオマス事業は、今どうなっているのでしょうか。

半田:継続しています。業務用薪だけではなく、30センチの家庭用薪も端材部分を活用してつくっていて、木を一本まるまる無駄なく使う工夫をしています。

(西粟倉村の資源を最大限に活用した宿泊体験の充実を図り導入した「卵サウナ」)

— 井筒さん、今振り返って「元湯」の事業はどんなチャレンジでしたか。

井筒:とても反省しています。今考えれば、村がいろいろ盛り上がっていてさまざまな方が送客してくださるところに甘えていましたし、スタッフやお店を放置しすぎていました。半田くんたち、スタッフが助けてくれていました。経営者として最低限のやるべきことをやっていなかったし、知らなかったですね。知った上でちゃんとやるべきだったと思います。

(元湯の番台に立たれていた時の井筒さん)

今、事業の一つとして北海道厚真町でコンビニを経営しているんです。クルー全員が違う目線を持っていることが大事だから、なるべく多くの人が関わってお店づくりをしたほうがいいと思っているので、オーナーとして僕もシフトに入ることもあります。業態や自由度は異なりますけど、店舗の運営という意味では「元湯」と共通する部分がありますね。

全国展開をしているコンビニなのでオーナーの人材育成の研修制度が充実していて、オーナーが知るべき経営面の数字などを教えていただきました。アルバイトの方たちのモチベーションを高くキープし続けながら、お店を変化させ、数字とも向き合う。そんな目線を得たら、「僕はこういうことが『元湯』でできていなかったな」と感じました。

でも半田くんはちゃんと予算を組んで、実際にどうだったか振り返りつつ進めている。表面的な嬉しさではなくて、ちゃんと経営をしようとしてくれているところに、「熱いな、すごいな」という印象を持っています。

(オーナーをされている厚真町のローソンの前での井筒さん)

半田:井筒さんは経営面でネガティブなことをおっしゃっていますけど、ボスとして熱い方ですごく面倒見がよくて、お世話になりました。僕が火事を起こしてしまったり、クレーンを上げたまま道を走行してしまって電信柱に当たって川に落ちかけたりと、何かやらかすたびにたくさんフォローしてくれました。僕だけではなく、全スタッフのフォローをしてくれていました。

井筒:そんなこともあったね(笑)。起業って簡単にできますけど、一度会社を始めると、簡単にはやめられないんですよね。僕の場合は起業してから「経営者に向いてたんかな……」って思ったりして。資金繰りや人材育成を考えることと、自分が成長することは違う軸の話ですから。起業して1人で事業をやるのはいいんですけど、会社を大きくすることを目指した途端、全く違う人生になっていくんだと思いましたね。

(厚真町の風景)

 

西粟倉村でのチャレンジがあったからこそ、今も突っ走れている

— プレイヤーであることと経営者であることの間で揺れる方は多いのかもしれませんね。お話を聞いていると半田さんは経営者という印象ですが、何か線引きはあるんですか。

半田:グラデーションで、はっきり分かれてはいないんですけど、基本的に僕は「motoyu」では「元湯」の経営が難しいからこそ、軌道に乗せることができたら経営者として磨きがかかると信じて諦めずにやっています。もちろん取り組んでいることに対して意義を感じていますが、難しさゆえに経営を網羅的に学べるので、やっていること自体に喜びがあって続けられています。

もう一つの「MAMO」では自分がレスリング競技をやっていたので、人生と事業がリンクしすぎています。今僕にしかできないことがたくさんあって、誰よりも先駆けてやってやろうっていう強い気持ちがあるので、勝手に手が動く感じです。「プレイヤーとは何なのか」という話でもありますけど、そういう意味ではプレイヤーかもしれないですね。

(半田さんが創業した「MAMO」で企画開発・販売するレスリングウエア)

— 井筒さんは今、どのような事業をしているのか、教えてください。

井筒:「sonraku」では、林業や木質バイオマスの調査のコンサルティングのほか、ウッドチップ、バイオマスボイラー、チップ乾燥機などの販売を行っています。さらに、先ほどお話しした厚真町の「ローソン上厚真店」、同じ建物内にある「あつまランドリー」、そして厚真町内の小規模な木質バイオマス発電所も運営しています。また、2025年6月から業務委託で北海道内全域の風力発電の開発のお手伝いをしています。

「sonraku」は、士別市で土木・建築事業、飲食、福祉事業など多角的な事業展開をしている「イトイグループホールディングス」と業務提携し、グループの傘下に入っています。僕は企画開発室長で、優れた強度をもつ木質の建築資材「CLT(Cross Laminated Timber)」を活用した事業で、今土木にも利用していこうと販売やレンタルの営業もしています。

 

— 最後に井筒さん、西粟倉村のみなさんにメッセージをお願いします。

井筒:西粟倉村はチャレンジさせていただいた、学ばせていただいた場所で、今では多くの刺激をいただいている場所です。僕の人生、西粟倉村でチャレンジした経験がなかったら走れませんでした。お礼を伝えたい方がたくさんいます(笑)。おかげさまで今も思い切って突っ走れています。これからも刺激をいただきたいですし、日本中にどんどん発信していただけたらと思っています。

 

— ご活動、応援しています。ありがとうございました。

 

特集一覧

プロローグ

vol.1 「西粟倉ローカルベンチャースクール」をきっかけに生まれた「株式会社百森」。主要メンバーは今も、森林を愛する仲間。

vol.2 「保育家具を手がける林業会社だからこそ、保育施設をつくりたい」。挑戦した「木の里工房 木薫」が困難を乗り越えてたどりついた、あたたかい保育園。

vol.3  西粟倉村で「生きるを楽しむ」ために。Nestの取り組みが、子どもたちをぐんぐん成長させ「生きる力」を育んでいる。

vol.4 こうしてチャレンジは引き継がれた。西粟倉村の人気ゲストハウス「あわくら温泉 元湯」を託した人と引き継いだ人が、今だからこそ語り合います。

 

参考記事: