岡山県

西粟倉村

にしあわくらそん

「西粟倉ローカルベンチャースクール」をきっかけに生まれた「株式会社百森」。主要メンバーは今も、森林を愛する仲間。

ある一人から切実な想いが発信され、それを別の人が受けとめ、動き出す——。

西粟倉村で2017(平成29)年に設立された「株式会社百森」は、法人化の少し前、そんな物語から始まりました。
はじめに想いを発したのが、当時林野庁から西粟倉村役場に出向し、百年の森林(もり)構想を担当していた長井美緒(ながい・みお)さん。
西粟倉で起業しませんか:森林への愛とビジネスマインド、両手に抱えて林業再生!」というタイトルの記事を通じてのことでした。それは、まず「西粟倉ローカルベンチャースクール2016」への参加を誘うものだったのです。

それを受けとめたのが、当時は東京で再生可能エネルギーベンチャーに勤めていた中井照大郎(なかい・しょうたろう)さんと、同じく東京でIT系の仕事をしていた田畑直(たばた・すなお)さん。二人は幼なじみです。
二人はペアを組んで「西粟倉ローカルベンチャースクール2016」に参加し、起業することになりました。経緯などは、2017(平成29)年の記事2018(平成30)年の記事で紹介しました。

同スクールから約9年。長井さん、中井さん、田畑さんに、改めて「西粟倉ローカルベンチャースクール」や起業後について、お聞きしました。

 

「西粟倉ローカルベンチャースクール」とは

2015年に始まった西粟倉村で挑戦する起業家を募集したプログラムです。およそ3ヶ月の間にフィールドワークや合宿型のブラッシュアップ&選考会、最終選考会を経て採択を受けた個人や事業者は「西粟倉認定事業者」として翌年度より活動。地域おこし協力隊制度を活用しての起業家育成の取り組みは2015年当時としては先駆けでした。
現在ではこのプログラムは終了しましたが、西粟倉村では地域おこし協力隊制度を活用した起業家の募集・選考は今も行われています。

 

 

あの頃も今も、林業への気持ちは全然変わっていない

— すべては長井さんの発案から始まりましたよね。

長井:役場職員には異動があるなどの事情から、「百年の森林構想は専任者がいたほうがいい。どうにかそういう形をつくれないかな」と思ったことがはじまりですね。それで役場内で「人を募集したらいいんじゃないか」と話し合い、ローカルベンチャースクールで募集しました。

中井:僕らは長井さんがそんな記事を書いてくれたところから始まって、そこで初めて「林業ってなんだ?」と。当時僕らは林業を全く知らなかったんです。何か変わった人がいると思って(笑)、林業にも村にも惹かれて。そこからスタートしましたけど、あの頃も今も、林業への気持ちは全然変わっていないです。

「西粟倉ローカルベンチャースクール2016」では、林業初心者ですから、何でやりたいのか、自分たちはどういう人なのかという自己紹介を話しました。それで興味を持ってもらえたらいいんじゃないの、駄目だったらしょうがないよね、と田畑と話して。

田畑:事業計画とは言い難いものでしたね(笑)。

長井:私から一応フォローすると、自己紹介の後に事業計画もちゃんとプレゼンしてくれましたよ。あの対比がすごくおもしろかった。そして「林業はかっこいい」と言い切ってくれたんです。これは山に関わる私たちにとって本当に嬉しい言葉でした。

中井:村の皆さんが、「いいじゃん」と言ってくれたことはすごく覚えてます。

(田畑さんと中井さんが参加した、西粟倉ローカルベンチャースクール2016のキービジュアル)

 

— 「西粟倉ローカルベンチャースクール2016」は、2人にとって入口になったわけですね。

田畑:はい、西粟倉村、そして林業の入口でしたね。

中井:林業という未知すぎる世界への入口でした。当時は林業を始めるとなるとまずは現場造林作業しかないのかなと思っていたのですが、そこに新しい選択肢を提示してくださっていたのが新鮮でした。

長井:2人が村に移住してくれることになった2017年度から私はちょうど出向が終わって、第1子の出産をし、村をしばらく離れたんです。起業して、既存のところから脱却して新しい形をつくるのは、大変だったんじゃないかなと思うけど。

(2017年10月、西粟倉に来てすぐの頃の田畑さんと中井さん、そして出向が終わった頃の長井さん)

中井:山主さんたちに向けて説明会を開いても、はじめは来てくれなかったりしましたね。

田畑:昔から育ててきた山をよそから来た人間がお預かりして、かつそれを新しい体制でやっていくわけだからね。どうやって信頼していただけるようになるかについては、まだ途中の話ではありますけど、一番のポイントだと思います。

中井:そうだね。特に初期は未経験の俺たちが「本当にできるのかな」という目で見られていた部分もあっただろうね。当たり前の不安だと思います。

田畑:最近は村の伐採業者さんとタッグを組ませてもらっていますけど、まだ道半ばです。

(中井照大郎さん)

— 起業したい人から相談を受けることもあるんですか?

田畑:たまにあります。「やってもいいんですかね」みたいなお話が結構多くて、応援してほしい感じなんですけども、応援がないとできないのであれば、起業はやめたほうがいいと思うんです。“起業”をしたい人は、ただ起業しても楽しくないだろうなと。何か目的があってそれが起業で達成されるなら起業したらいいし、起業っていう手段を取らなくて済むなら、起業しないほうがいいよとお伝えしています。

中井:いや、でもそれは俺、違うなと思う。俺も一人で起業するのは不安だったから、田畑を誘って来たんだよ。西粟倉村に移住するかどうかというときも、僕は「やっぱりやめようかな」と思っていたけど、田畑が前向きだったから「俺も行っとくか」と思えたのかもしれない。1人だったら来てない可能性もちょっとあります。つまり、「仲間を見つけて来い」みたいなことかも知れない。

田畑:そうだね。仲間はいたほうが絶対いい。

(田畑直さん)

 

あのとき西粟倉村へ来てもらってよかったと、日々感じている

— 離れていた長井さんが、その後「百森」のメンバーになったのはどういう経緯だったんですか。

長井:いつか参加できたら嬉しいなと思ってはいたのですが、育児中心の生活をしていました。そんななか、2人が「いつ来てくれますか」って言ってくれたんです。そのうち、当時の社員の中に子どもがいる人はいなかったのに、事務所内にキッズスペースが着々とつくられていったんですよ(笑)。

田畑:中井が「子どもがいても働ける環境にしよう」と言って、村内の木工ブランド「ようび」さんに内装をデザインしていただいて、つくったんです。長井さんの参加は、我々としてはわりと既定路線でしたね(笑)。

長井:外堀が埋められていった(笑)。でも、とても嬉しかったですし、第2子が2歳になったところで、入らせていただきました。合流したのは離れてから4年後くらいで、正式に社員になったのは2021年9月です。

私のようにずっと林業をやっている人には思いもつかないことを、視点が違う2人がどんどん進めていってくれました。例えば、株式会社であること。今でこそ、素材生産業者ではない林業の株式会社も増えていますが、計画立案側の株式会社は、当時はほぼゼロだったと思います。林業業界に長くいる私も、完全民間にしたほうが自由度はきくけど、山は公共物だし儲からないから、がんばって第三セクターかな、という青写真を描いていました。

そうして今の形があるので、本当にあのとき来てもらってよかったなと、日々感じていますね。募集をかけたとき、個人的に描いていた絵はありましたけど、良い意味でそれとは違った形で進んでいます。

(長井美緒さん)

— 一方で、中井さんは2020年に「青葉組株式会社(当時の名称は株式会社GREEN FORESTERS)」を設立されました。

中井:西粟倉村でいろいろ学んで、「自分はこれかな」と見えてきた事業を始めたんです。山に入るようになって最初に驚いたのは、多くの人が林業の未来に悲観的なことでした。また、造林や植林は儲からないのでやりたがる人が少なく、基本的に補助金をいただいてやる事業になっています。

従来とは違う新しいアプローチで、造林や植林に関われないかなと考えました。生物多様性や水源を守ることも考えると木を植えるだけではだめで、湿地や草地の維持や、広葉樹の森の育成なども大事なんですよね。造林という仕事をもうちょっと拡張させて、未来の自然資本につながる森林ビジネスを展開していきたいと思ったんです。

(青葉組WEBサイトより)

今は、自主的な植林や育林、はげ山になっている人工林の伐採跡地の買い取り、生物多様性に配慮した森林の再生など、伐採だけに頼らない林業を進めています。また、森林の育成で創出したカーボンクレジット(環境活動による温室効果ガスの削減量、吸収量の数値化のこと)をパートナー企業に購入してもらい、自然資本の保全と成長を目指しているんです。今では収益の半分近くが、民間企業からの資金提供によって成り立っています。

自然資本を育てる人を自然資本人材と呼んでいるんですけど、造林など現場の作業をしている人たちをちょっとずつシフトさせていって、森や陸の自然を全部育てる仕事にしたいな、と。

「百森」の仕事は基本的に田畑に任せて、僕は今東京に住みながら新潟と栃木でその事業をやっています。地道にやっていって3年以内にあと3ヶ所増やして、少しずつ広めていきたいと思っています。

 

気持ちは一つ。みんなで頑張っていこうぜと思っている

— それでも「百森」の共同代表は二人で継続しているんですね。

中井:始めたときから二人ですからね。お互いに背中を押したり引いたりしてやってきて、それがちょうどいいと感じています。「僕が共同代表にい続ける意味はあるのか?」と自問することもありますが、長い目で見ればきっといいときばかりではないから、大変なときも一緒に分け合うつもりで残っています。

田畑:共同代表については「今までそうだったから」という感じで、あまり意識していないです。でも造林の関係や生きものの調査などで、これから青葉組とのつながりは強くなっていくのではないかという予感はあります。

 

— 中井さんは今も西粟倉へときどき来ているんですか?

中井:そうですね、年に1回くらいは来てますね。

田畑:1.5年に1回ぐらいじゃない(笑)?

長井:去年はあまり気配を感じなかったような(笑)。

中井:1.5年か(笑)。ときどきやってきて「よっ!みんな元気?」と言う、親戚のおじさんみたいな感じ。村内で声を掛けられたり、「帰ってきてくれたね」みたいな雰囲気を感じたりすると、ありがたいなって感じます。西粟倉村は元々「この村のことだけしなきゃ許さんぞ」みたいなプレッシャーが一切なくて、基本「うまくいけばいいんじゃない?」という前向きなスタンス。この雰囲気があるのはやっぱり、すばらしいところだなと感じますね。とても感謝しています。

 

— 今回は何か予定があっての来村なんですか? 取材依頼をしたときに、たまたま中井さんがいらっしゃると聞いて、3人一緒にお話が聞けてよかったです。

中井:特に予定はないです(笑)。とりあえず行っとくかくらいの感じで。でも気持ちは一つで、みんなで頑張っていこうぜと思っています。

 

— 和気あいあいと話されているみなさんの雰囲気から、信頼関係を感じます。今までの取り組みに関してお礼を伝えたい方はいますか?

田畑:あらゆる方に感謝してもしきれないだろうなと思っています。生みの親である長井や共に立ち上げた中井はもちろん、一緒に歩みを進めてくれているメンバー、事業を共に実施する仲間である林業事業体の方々、製材所や木工関係の皆さん、山林所有者のみなさん、役場のみなさん、見守ってくださる村の方々。感謝するべき相手が多いというのもこの組織の特徴かなと思います。

長井:ありきたりな言い方ですが、代表の2人をはじめ、関わるすべての方に感謝、ですね。あえて言うなら、募集記事に至る気持ちになった大きなきっかけの一つに、その当時森林組合を退職し、役場で臨時職員として山林の仕事を補助してくれた、“西粟倉の人間GIS”と呼ばれる福島晴夫さんの存在がありました。晴夫さんのような、ずっと地域の山に尽力されている方が、「今日も楽しかった!」とおいしい一杯を味わい、翌日も頑張れる状況をつくりたいと日々感じたことは大きかったな、と。

※「GIS」とは
GIS(Geographic Information System:地理情報システム)。地図に人口や環境などの情報を重ねて可視化できる仕組み。複雑なデータが地図上で一目で分かる技術です。

 

田畑さん、「百森」のほうは今どのような事業をしていて、どのようなことを考えているんですか。読者へのメッセージがあればお願いします。

田畑:今も変わらず、百年の森林構想事業の推進はメインの仕事です。村内にある2600haを超える山林で杉や檜を管理しています。

「百森」は「山と人がともにある社会」を目指し、山林に関わる人たちの案内役のような存在でありたいと考えています。例えば、山の手入れを担う方が安心して作業できるよう、百年の森林構想事業における設計や現場整備を行うことも、その大切な役割の一つです。

西粟倉に残る森林は、単なる「スギ・ヒノキの畑」として扱うには惜しい存在です。私たちは、それらの森をより多様に活かす方法を模索しています。広葉樹の植栽など、新たな挑戦にも積極的に取り組みながら、次の世代へ受け渡していきたいと考えています。

森と共に未来を模索するこの取り組みに関心をお持ちの方、共に事業を創り上げたい企業の方や仲間になってくださる方、そして一度その風景を見てみたい方、ぜひ西粟倉へお越しください。お会いできるのを心よりお待ちしています。

(百森で企画実施した植林イベントの様子 写真提供:株式会社百森)

 

— ご活動、応援しています。ありがとうございました。

 


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特集一覧

プロローグ

vol.1 「西粟倉ローカルベンチャースクール」をきっかけに生まれた「株式会社百森」。主要メンバーは今も、森林を愛する仲間。

vol.2 「保育家具を手がける林業会社だからこそ、保育施設をつくりたい」。挑戦した「木の里工房 木薫」が困難を乗り越えてたどりついた、あたたかい保育園。

vol.3  西粟倉村で「生きるを楽しむ」ために。Nestの取り組みが、子どもたちをぐんぐん成長させ「生きる力」を育んでいる。

vol.4 こうしてチャレンジは引き継がれた。西粟倉村の人気ゲストハウス「あわくら温泉 元湯」を託した人と引き継いだ人が、今だからこそ語り合います。

 

 

参考記事: