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【前編】4組の支援事業者が誕生!西粟倉ローカルベンチャースクールの実態に迫る(村外応募者)

西粟倉ローカルベンチャースクールでは、1次選考後に約40日のブラッシュアップ期間を経て、最終選考が行われました。みごと西粟倉村の支援事業者として認定されたのは、4組のみなさん。西粟倉村で支援を受けながら、事業を立ち上げ・進化させていくことになりました。一体、どんな人が認定されたの?そんな疑問にお答えすべく、認定者4組の方へのインタビューを前後編に分けてお送りします。前編では、ローカルベンチャースクールを知るまで西粟倉に来たことがなかったという、村外からの応募者2組。人生の大きな決断をした2組にとって、ローカルベンチャースクールは一体どんな場だったのでしょうか。

 

いちご一筋の女性を振り向かせた、西粟倉

1組目の認定者は、京都でいちごのお菓子専門店『MAISON DE FROUGE』を営む渡部美佳さん。お店で扱うお菓子のバリエーションは和菓子、洋菓子、中国菓子と幅広く、「いちごの魅力を引き出すことだけを考えたお菓子を作る」というこだわりで、開店前から行列ができるほどの人気店になっています。お店を立ち上げてから14年、渡部さんはいちご一筋でここまでやってきました。
 

京都で人気店を営む渡部さんが、あえて西粟倉の地で挑戦したいこと。それは、お菓子の製造拠点の拡大、新商品開発、そしてゆくゆくはいちごの栽培という、いちごのお菓子作りに関する全工程を手がけることです。

渡部さんをいちご一筋に駆り立てたのは、ある時出会ったとびきり美味しいいちごと、それを作る農家さんの存在だったといいます。それ以来全国の農家を巡り、美味しいいちごを作る農家さんと直接取引を重ねてきました。ローカルベンチャースクールの存在を知ったのは、京都のトークイベントで出会ったエーゼロ株式会社代表の牧さんとの会話から。
 


渡部:最初は、西粟倉でいちごの栽培ができるかも、という話から始まったんです。農家さんを回っていると栽培に関する悩みをお聞きするんですが、専門的なことがたくさん出てくるので「せめて自分でも育てていたら、もう少しお話が深く理解できるのに」って思っていて。自分でできる可能性があるならと、一度西粟倉を訪ねてみました。それで、ここであれば栽培に関わらずもっと幅広いことができそうだと感じたんです。

渡部さんがこれまで農家を訪ね歩く中で、見えてきていたもの。それは農産物の流通の仕組み上、農家が手をかけて安全で美味しいものを作っても、そうでないものと同様に取引されるケースが多く、報われにくい状況になっているという現実でした。渡部さんは、自身が幅広くいちごに精通することで、この流れを変えられたらと話します。

渡部:全国の農家さんが作るいちごが、それぞれどんな個性を持っていて、どういう形でなら一番美味しく食べられるか。これまでも店をやりながら、研究してきました。美味しくてコクがあり、安全ないちごが日本中で作られるようになってほしいですし、将来的にはその世界のスペシャリストになりたい。そして世界的に見ても日本は世界に誇れるいちごを生産しているので、いずれは世界に日本のいちごをもっと広めていきたいです。
 


そんなビッグな構想を一緒になって膨らませていったのは、ローカルベンチャースクールのメンターたち。これまで商業的にはいちごと縁のなかった西粟倉ですが、そんなことは全く関係なし。どこから、どうやってであれば実現させられるか。渡部さんと同じ方向を向いて、構想を具現化していきました。そしてまずはお菓子の製造拠点を西粟倉に作るところから始め、そこから商品開発といった形で事業を展開させていくことになりました。
 

片道2時間も、なんのその

渡部さんは、これまで営んできた京都のお店を続けながら、西粟倉に通うことになります。京都から西粟倉村までの時間は、最速でも片道2時間以上。さすがに大変なのでは、という声も選考段階から多く聞かれました。そこまでして、なぜ京都でなく西粟倉なの?という問いに、渡部さんはこう答えてきました。

渡部:京都でも、あちこちから「うちで事業をしませんか」というお声はいただいていたんです。でも西粟倉は、いる「人」が本当にいいなと感じて。その人たちが培ってきた関係性の中で、事業をやってみたいと思ったんです。牧さんにお話を伺っても、他と比べることができないくらい別次元の活動してはると思いましたしね。

一般的には、これまで馴染みのない地域で事業をするのはハードルが高いもの。でも西粟倉でなら、村を全く知らなかった渡部さんでも安心して事業に打ち込めそうだと話します。

渡部:よそ者が村で何かしようとしたときに、役場や民間の方が「こんなところにこんなものがありますよ」ってサポートしてくださるのは本当に大きいんですよね。そして役場と民間のエーゼロ社の間に信頼関係があるので、すごく安心できる。普通は民間会社だけと関わることになって、本当のところ行政側はどう思ってはるんやろ、って不安になると思うんですけど、それがないんです。
 


1次選考の最中には、産業観光課長の上山さんが製造拠点の候補地「旬の里」や、個人的にいちごの育苗をする農家さんのもとへ案内。こうして、役場の人が次々に案内してくれるのも心強かったと話します。

渡部:一番安心につながったのは、役場の方が村の方々とつないでくださったこと。新しい地域で事業をしていくのに、地域の方との調和は大事だと思っているんですけど、それだけを気にしていても、進まないことってありますよね。そこを、村のことをよく知る役場の方がサポートするよと言ってくださるので、本当にありがたいなと思います。

もし西粟倉村との出会いがなかったらどうされていたと思うか、と伺うとこんな答えが。

渡部:この壮大な計画はどこでもやっていなかったと思います。今回は西粟倉とのご縁があって、いろいろな可能性が見えてきたからこそ、取り組みたいことも具体的に出てきたんですよね。

年明けから、まずはお菓子の製造に向けて本格稼働している渡部さん。今後の意気込みを聞かせていただきました。

渡部:野望に満ちあふれております(笑)。どれだけ早いこと、事業が形にできるかなと思って。まだまだ具体的に詰めなくてはいけないことはたくさんありますが、事業に専念させてもらえる分、事業で恩返ししなきゃなって思いますね。
 


渡部さんの構想は、土地や資金、そこで働く人など、ゼロから多くの事柄を巻き込んでいく、壮大なものです。役場、エーゼロ社、外部メンターは、こうした事業のあらゆる側面を、それぞれが持つ強みをフル活用して具現化していきました。1人では「できたらいいな」で終わってしまうことも、西粟倉でなら実現への一歩を踏み出せる。渡部さんの第一歩を、ローカルベンチャースクール参加者皆が応援しています。
 

林業を愛する人が、東京の若者を動かした

続いての支援事業者採択者は、西粟倉で林業の新規事業体を立ち上げることになった、中井さんとTさん。西粟倉で2008年から行われてきた『百年の森林構想』を推進する、林業専門の事業体の立ち上げ・運営を行うことになりました。2017年の4月から地域おこし協力隊(起業型)として西粟倉に居を構え、本格始動します。

2人は、ローカルベンチャースクールの1次選考で始めて西粟倉を訪問。実はこれまで林業の経験は全くなく、山に囲まれた暮らしもしたことのない、バリバリの都会出身です。そこから、2ヶ月足らずのローカルベンチャースクールを経て、見ず知らずの土地で初の事業に取り組むことに。何が2人を動かしたのでしょうか。

きっかけとなったのは、西粟倉の林業の”今”と”これから”を伝える、こちらの記事を読んだこと。今、日本の林業は担い手不足で危機に瀕していますが、西粟倉では、長年受け継がれてきた山を次の50年に残すため『百年の森林構想』を官民の連携で推進し、注目を集めてきました。しかし、構想を進化させるにあたり、新たな事業体が必要という局面に。林野庁から西粟倉役場に出向し、林業に向き合い続けてきた長井さんは、「未経験でもいい。林業に興味があって、経営感覚を持つ人の力が必要です」と発信していました。
 

中井:記事を見て、「自分は長井さんに呼ばれてる」って思いましたね。林業とか山の仕事って、スケールがでかくてロマンがあるじゃないですか。応募のときは、絶対にライバルが殺到すると思って、どう勝ち残ろうか考えてたくらいです(笑)。

こう話す中井さんは、これまで商社、電力会社でエネルギー事業を手がけ、「日本の国土の7割を覆う森林が、エネルギーとして活用されていないこと」に対し違和感を持ってきた方。応募にあたって、小学生のときに意気投合して以来の仲という、Tさんを誘いました。

T:中井といると、昔から何かと面白いことが起きるんですよ。だから、いつか何かを一緒にやれたらいいなと思ってたんです。林業の話を聞いたときは、実はそこまで林業に関心があったわけじゃなかったんですけど、僕は昔から面白そうに何かと向き合っている人と一緒に働きたいと思ってきたので、それならやってみようと。

いくら魅力に感じるとはいっても、林業は全くの未経験領域。応募にあたってできる限りプランは練ったものの、西粟倉に行くまでは「ひとまず行って、話を聞いてみよう」という気持ちが強かったといいます。しかし、ローカルベンチャースクールで直接長井さんに話を伺い、その林業への熱い想いに強く感化されたそう。
 

中井:長井さんとお話していると、本当に林業のことが好きなんだなって伝わってくるんですよね。名誉とか、プライドとか社会的ステータスとか関係なく、何か純粋に好きだっていえるものに取り組んでる方って、本当に素敵だと思った。だから、僕らはそれをサポートしたいと思ったんです。

選考期間中、山主の方や材木店、製材所や役場の方など、様々な立場の人にも話を聞いていくうちに「正直、こんな”ぽっと出の”人間が山に関わって大丈夫なのだろうかと、不安にもなった」と話す中井さん。それでも、村内を案内してくれた役場の横江さんの想いも聞き、自分たちにできることをやりたいと感じたとTさんはいいます。

T:横江さんは、僕たちの先駆け的存在ですよね。『百年の森林構想』がまだ構想でしかなかったころに、やりますって手を挙げて、横浜から移住してきた最初の人ですから。長井さんや横江さんみたいに、山のことを真剣に考えてる人たちがいるんだから、その人たちがやりたいようにできる環境にしたいです。
 

数字的根拠より“想い”を重視。こんな役場は滅多にない

中井さんとTさんが全選考を通じて一番伝えてきたのは、応募するまでの歩みと”林業への想い”でした。それは、ローカルベンチャースクールそのものが「担い手自身が、なぜそれをやりたいのか」「どんな夢を実現させたいのか」という部分を大事にする場だからです。こうした選考の仕方は新鮮だったと、2人は話します。

中井:最初に募集要項を見たときは、ちゃんと事業計画を作らなきゃとか、何かいきなり難しいこと考えなきゃいけないのかな、と思いました。テーマにも「ちゃんと稼ごう」って書いてありましたし。でも西粟倉の考え方は、まずはそれよりも大事なものがあるはずだ、っていうことだった。それがすごくよかったですね。
 


T:もし普通の役場に新しい事業をやりたいと言ったら、売上計画は何年間でこれくらい、なぜ実現できるのか、その裏付けはこんな過去実績があるから、といった説明を求められると思うんです。そんな中で、僕らはこれまで林業での実績すらないから、役場にとっては”リスク”でしかないはずだった。でも西粟倉村は、未知数のぼくらに対して、Goを出してくれました。リスクを負ってでもぼくらの想いを重視してくれた。こんな場所は中々ないと思います。

ずっと住んでいた東京とは、まったく環境の異なる山村へ移住が決まった2人ですが、移住への決断は自然にできた様子。お話からは、決断にはローカルベンチャースクールの雰囲気も一役買っていたことが伺えました。

中井:人って、個人の意見とか思想は、結構周りの人に影響されると思うんです。僕はローカルベンチャースクールのコミュニティに入って、あういう「想いがあるなら、まずはやってみようよ」っていう雰囲気があったから、自分もやってみようと思えたところはありますね。

もしローカルベンチャースクールのような機会が存在していなかったら、全く違う人生だったでしょうか、と聞くと、中井さんからはこんな一言が。

中井:多分、林業いいなあってモヤモヤした想いを抱えながら、東京で今の仕事を続けていたと思います。明治神宮の木でも見ながら、ただ散歩して終わってたかと(笑)。

4月の移住が待ち遠しいという2人。今後の展望を伺いました。

T:まずは山の関係者の方に自分たちの存在を知ってもらって、お話を聞くところからだと思ってます。初年度は平行して法人設立の準備をして、2年目の春には本格的に事業をスタートさせたいですね。支援があるのは3年目までだし、それまでにちゃんと食べていける状態にしなきゃと思ってます。

中井:これだけ懐の深い場所は、他にはあまりないと思っています。こうやって西粟倉に住めることになったので、山のことを真剣に考えてる人たちの中で、僕らも本気でここの山や林業のことを考えてサポートできるような組織を作りたいです。

T:これまでも関係者の方に話を伺っていて、林業には課題もたくさんあるのだろうとは感じます。でも、暗くなる必要はないかなと。ゆくゆくは林業を明るい業界にしたいですね。
 

1次選考に現れたときから「この2人なら、林業の世界を変えてくれるかもしれない」と思わせる明るさ、ポジティブさを持っていた、中井さんとTさん。2人の想いが、ずっと西粟倉で林業と向きあい続けてきた方々の想いと重なり、林業の未来を照らしてくれそうな気がします。

中井さんの言う通り、ローカルベンチャースクールには、その人のやりたいことを真剣に受け止めた上で背中を押してくれる人たちが集います。村内村外に関わらず、夢を叶えたいという人を応援するローカルベンチャースクール。来年の更なる進化にも、期待したいですね。

西粟倉ローカルベンチャースクール最終選考 【後編】記事はこちら