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ヨルウララ第1回 西粟倉村にやってきた若者たちの本音トークナイト

西粟倉村に夜のとばりが落ちる頃、この村のカッティングエッジな酒屋『酒うらら』店主・道前理緒(以下ママ)がひっそりと開くバーが『ヨルウララ』。挑戦者たちの話に耳と盃をかたむけ、時に厳しく、常に厳しく、酒を酌み交わすヒミツの酒場です。
今宵、ママの元に集いし者たちは「挑戦者の“挑戦者”」。そう、ローカルベンチャー企業に就職をした若者たちです。ローカルベンチャー創業者の元に集った彼らは謂わばソーシャル第二世代。どんな想いでこの村にやって来て、そして日々暮らしているのでしょうか。そこには「移住すること」「田舎で働くこと」のヒントがちりばめられています。移住を検討している老若男女必見。バーの隣席から聞き耳を立てるような気分で彼らの本音を覗いてください。

 

関係者立ち入り禁止!「挑戦者の“挑戦者”」紹介

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道前理緒 33歳 「酒うらら」店主
島根県出身・2013年4月移住
「起業型地域おこし協力隊」として西粟倉村に赴任。西粟倉・森の学校を間借りして日本酒を専門に扱う酒屋「酒うらら」を営む。とにかく酒とその造り手を愛して止まず、好きを拗らせて酒屋をはじめた強者。日本酒ファンを増やすべく出張日本酒バーとして全国各地を巡る。その武勇伝はこちら。若い移住者たちの精神的支柱かつ鋭いツッコミ役。

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大林由佳 27歳 ablabo.主宰
兵庫県出身・2012年4月移住
西粟倉・森の学校のインターン/従業員を経て2014年に独立。美味しい「油」(植物油)に魅せられて、「一滴の油でこぼれる笑みを」をコンセプトに油を製造販売や商品開発に奮闘する。男前系女子。

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鍋島奈保子 27歳 あわくら温泉「元湯」マネージャー
愛媛県出身・2014年11月移住
村楽エナジー株式会社が地域おこし協力隊制度を利用して採用した「雇用型地域おこし協力隊」。主な業務はあわくら温泉「元湯」のマネージャー。縁の下の力持ちを地でいく癒しの存在。

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羽田知弘 26歳 西粟倉・森の学校
愛知県出身・2015年3月移住
三重大学を卒業後、国産材専門の木材商社を経て、西粟倉村へ移住。西粟倉・森の学校の従業員として採用。材木屋の営業として日夜奮闘中!田舎暮らしを満喫しているのが爽やかすぎて眩しい最年少。

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バー「ヨルウララ」 本日のお酒(右から)
若林酒造「開春ひやおろし」:米の旨味と力強い酸味でメリハリある酒
山根酒造場「日置桜ひやおろし」:やわらかい中に渋みがひきしめる。秋の味覚とあわせたい。
藤井酒造「龍勢 純米大吟醸」:なめらかできれい。ごほうび的に飲みたい酒。
太田酒造場「辨天娘 にごり」:甘ったるくないさわやかにごり。白ごはん的に何とでも合います。
※レコメンドby「酒うらら」で取り扱っています。
 

– 西粟倉村という地で最初から起業した若者、就職から独立を果たした若者、ローカルベンチャーに就職したばかりの若者、起業を目指してローカルベンチャーに就職した若者。四者四様の思惑で西粟倉村にやってきた若者たち。いつもの「挑戦者」の紹介とはひと味違う、今までお伝えしたことのない、リアルなストーリーがあるようです。
 

なぜ若者たちはこの村を目指したのか

 


本日、ママが若者達にチョイスした日本酒は、讃岐の地酒 川鶴酒造株式会社の「川鶴」ぽってり甘めの、10代女子みたいなお酒とのこと。

ママ:…甘ちゃんたちにはちょうどいいかなと思ってね。
(一同うなずく)

– まず彼らはどんなきっかけで西粟倉村へやってきたのでしょうか?鍋島さんと羽田さんはそれぞれ地方出身・大学を経て東京に就職しました。まだまだ遊びざかり学びざかりの若者が大都市から人口1600人の小さな村へ来る事に戸惑いはなかったのでしょうか。
 

鍋島奈保子(以下鍋島):東京で働いていたときから、移住や地域というキーワードが気になっていました。そんな時、村楽エナジーの人材募集説明会が渋谷で行なわれることを知りました。説明会で「いいな。こちらの仕事をやめて行こうかな」って決めました。
ママ:(日本酒ごくごく)………あ、ごめん、ちょっと訊いてなかった。
(一同爆笑)
ママ:わかった。田舎に来たかったんでしょ。
羽田:一言も田舎に来たいなんて言ってないよ(笑)!
鍋島:直感で動いちゃいました。

– 地域課題を解決したいと高い志を持って移住する若者。そことは一線を画すという鍋島さん。地域に思い入れはなかったといいます。では、鍋島さんはライフスタイルとして「こんな風に働きたい」「暮らしたい」って思って移住したのでしょうか?

鍋島:それも違います。村楽エナジーの人材募集説明会の時も、元湯を経営するという話しはほとんど出ていません。ざっくりと「薪とか割ります」みたいな。エネルギー会社ですという説明を訊いても「わ、わたし、そんなこと考えたこともない」くらいの意識でした。来ることが決まった時は「どんなことでもします」という意気込みでした。たくさんの応募者の中で私を選んでもらったのは、村楽エナジーも私になにか感じてくれたのか、と嬉しかったんです。それがここで暮らし働く動機でもいいですか?
ママ:イイヨ!
 

羽田知弘(以下羽田):僕は木材で儲けたくて、いつか自分で起業をするときに役立つのではないかと思い西粟倉村に来ました。僕、22歳の時に、むこう20年先までの人生計画を作って、その時に設定した起業目安に向かって精進しています!
ママ:それ、見直ししているの?概ねその通りになっているの?
羽田:細かいつまずきは計算に入っていませんけど(笑)。僕は、森の学校という企業を目指してこの村へ来ました。大学で林業の勉強をしている6年前に初めて西粟倉村を訪れました。木材で稼がなきゃと焦っていたときにちょうど森の学校が創業したんです。「こういうことだー!ぼくのやりたいことはー!」って思いましたよ。それからちょくちょく訪れるようになって、いつか一緒に働きたいですと話していました。でも新卒で行くという選択肢はなくて、東京で就職したあとに「来ない?」って再度声を掛けてもらえたんです。
西粟倉・森の学校は、代表取締役社長が交代する、新しい試みが行なわれる、…諸々考えて、今のタイミングでいかないと一生行かないだろうなって。だから「行きます」って。
 

ママ:東京の超大手材木会社へ就職したというのに1年で辞めて、親が泣いたそうだね。
羽田:泣きましたね。箸投げられた(笑)。
ママ:当時はエースがやってくると村中大騒ぎだったよ。最初はね。
羽田:最初は……最初は……?
ママ:牧さん(森の学校HD 代表取締役社長)にスカウトされて森の学校に来たんだよね?
羽田:牧さんと井上さん(西粟倉・森の学校 代表取締役社長)がいなければ西粟倉村には来ていませんから。学生の時に西粟倉へ来て、林業的にはここが最先端だったわけですよ。もう「すげー!やっぱりこういうことが林業には必要なんだぁ」って感動しました。入ってからは、やはり色々ありますけれど、がんばっています!
 

大林由佳(以下大林):私も、大学時代から西粟倉・森の学校にお世話になっていまして、ここで働こうと思って西粟倉村にやってきました!そして、2014年に起業に向けた準備のために退職しました。最近どうよ、ですか?今は、好きなことをやっています☆
ママ:好きなこと…(笑)。
大林:そこ笑うトコロじゃないよ!

– 若者たちは、「西粟倉村」という田舎を目指すというよりは、その村でなされていることに興味関心を持って移住しているようす。田舎に住むことは大前提として、その場所がなにを己にもたらして、自分はなにができるのか。若者たちは、起業せずとも「好きなことをするために」西粟倉村へやってきたのです。
 

ローカルベンチャーはブラック企業?!

 

– さて、精進中だという若者たち。日々、不満などあったりするのでしょうか?

鍋島:え?不満?それはあまりないですね。全体として最近すごく安定しています。うちは宿泊・日帰り入浴・カフェの3つの機能を持っているので常に何かしらのお客様がいたり、掃除やごはんの仕込みをしなくちゃいけなかったり。毎日フルで盛り沢山。それもあって、まだリズムをつかみきれていない時期は早朝から深夜までほぼ毎日スタッフ全員が元湯に缶詰状態でした。だけどオープンから半年経った今は、営業時間も少し見直しをしてシフトの組み方も大分わかりやすくなってきたかな。
 


頑張るところは頑張って、抜くとこは抜いて。互いにフォローし合うことで、家族の時間やプライベートの時間も各々大切にできるようになったと感じています。
ママ:じゃあ以前はブラック企業だったってこと?
鍋島:ブラック!?というよりは、宿屋をやるなんてみんな初めてのことで、一つ一つが探り探り。とにかくやるっきゃない!って感じで。私自身、気張っていたところがけっこうあったかもしれません。でもがむしゃらになっていたその日々があったからこそ、少し冷静になれている今があるのかも。ここでのライフスタイルに慣れてきてある程度気持ちに余裕が出てきたのもあると思います。

羽田:僕は壁にぶつかっています。
ママ:それは本当に壁なの?
羽田:なにそのツッコミ??!!いや〜仕事頑張らなきゃって感じです。森の学校の製造所(木材加工の工場)もそんなに大きな工場ではないし、それでも受けた仕事だから絶対にお客様に応えなきゃいけない。そんなとき、双方に頭を下げているときが一番しんどいです。社内も工場でも「あれはいい仕事だったね」って思える仕事にしていきたいです。

– 西粟倉・森の学校は、村の理念「百年の森林構想」を支える製造所だからこそ従業員数も多く、その社内調整も重要になってきます。羽田さんのようなスタンスの若者がもの申す会社は風通しが良いと言えます。そしてその西粟倉・森の学校で働いていた先輩・大林さん。村最大規模といえるローカルベンチャーから、たったひとりで起業と、チームプレイから個人プレイにモデルチェンジした例もあります。

大林:確かに判断することは1人のほうが多くありましたけど、森の学校の時も、暮らし創造部という部署にいたので、製造所とのやりとりもあまりなくて、ものづくりをしているという感覚はあまり持ってなかったんですね。どちらかといえば、客商売寄りの考え方だったかもしれません。

– では、ほどよくお酒も回ってきたところで「最近嫌だったこと」ありました?

鍋島:この仕事内容なので、基本的に平日しか休みが取れないのは少し寂しいです。友だちと休みがあわなかったり…週末にイベントがあってもなかなか参加できない。
羽田:20代女子っぽくてイイネ。普通の女の子に戻りたい★みたいな?
ママ:羽田、うるさい。
大林:嫌なこと?ないっすよ!出てくるとすれば、油絞るために買った種がカビていたことかな。
(一同爆笑)
ママ:悲しい話やな…。
大林:個人事業はリアルにキツいですよね。ぉおう!って。

– 創業者や経営者は、すべて懐に直撃するので何事もシビアになりがちです。そのリスクを感じながらも直接被害を受けないのが従業員。ローカルベンチャー勤務を経て起業した大林さんは、その「経営者と従業員の価値観の差」をひしひしと感じているようです。
 

Iターン者は特別なことをしなければ田舎で暮らせない?

– 西粟倉村は、この村に惹かれた挑戦者たちが自己実現のために頑張る村。その彼らと一緒の働く若者もスペシャリストを目指しているかといえば…

大林:私はスペシャリストにならなきゃ仕事にならないんじゃないですか?3年前、西粟倉・森の学校に入社したときも「自分は何者かになる」とか「何かをなし得る」とか、そういう修業期間だと思っていました。

– 自分が何者かを明白にして自分で旗を掲げる。それがローカルベンチャーであり、経営者となります。スペシャリストになりたい変態ばかりが集いがちな西粟倉で、「スペシャリスト」「スペシャリスト候補生」でなければ、この村には来られない、と対外的に思われているのもまた事実です。

鍋島:私も最初は「成すべきもの」がなければいけないのかなぁって、思っていましたけど最近はまったく気にならない。元湯で働いているうちに自然とそうなりました。私の場合、求められたり必要とされることがモチベーションに大きく繋がっている気がします。もっと応えたいし力になりたいと思う。今目の前で起こっていることをきちんと自分ごとにして、日々向き合っていきたい。だから私は、自分がここに来たくて来た、村楽エナジーの一員として今を生きたいと思った、それで充分な気がしています。

– 都会で働き暮らしていたら身に付かなかったことがここにはある、と鍋島さん。「ただ、西粟倉村で暮らす」それが、この挑戦者の村ではもしかしたら一番ハードルが高い移住なのかもしれません。起業するひともいれば、そこで働くひともいる。それこそが、生態系の多様性。様々なローカルベンチャーが同時多発する西粟倉村だからこそ、その事実を忘れそうになります。
 

彼らは「定住」するのか否か?

 

大林:私は死なないかぎりablabo.辞めないですけど、今後もここにいるのかと言われれば、わからないですね。ローカルベンチャーも「西粟倉村じゃないとなにもできない」っていうわけではないから。
羽田:菜種も取れないしね。
大林:材料が穫れる穫れないとかそういう理由で起業する場所を選んでいないかな。もっと別の理由があってここで起業したよ。
ママ:酒うららは西粟倉村にずっと居るよ。だって、冷蔵庫、7年リース組んじゃったし…。動かすのめんどうだし…。
羽田:面倒(笑)。
鍋島:私は、定住とか移住とかあんまり考えてないです。
ただこの歳になってくると、結婚とか出産とかけっこうリアルになってきますよね。もっと若い頃は結婚願望なんてほぼなかったのに、女友達と話す内容とかが今は不思議とそんな話になりがち。それに今、3才と1才の子どもたち(井筒夫妻の息子と娘)と半分一緒に暮らしているような生活なので、「夫婦」とか「家族」とか、「子育て」というものに以前より関心を持つようになりました。正直、ここに来るまでは子どもをすごく遠い存在に感じていて、一緒にいてもどうしていいかわからないタイプだったので。

– 西粟倉村ローカルベンチャーは家族経営であることが多いので、従業員も家族のように働き暮らすことになります。家事、経営者の子どもの面倒、おつかいなどを「業務内」とするのか「業務外」とするのか。その線引きがあやふやになることもあります。

鍋島:私は逆にこちらが面倒をみてもらっている部分も多いと感じています。社長の耕平さんや女将のもめさんにご飯を作ってもらうこともしばしばですし、「してもらっている」という感覚があるから、逆にこちらが助けるべきところは助けようと思えるのかもしれません。
 


ギブアンドテイクみたいな感覚ですが、それはあまり意識的なものではなくて、あくまで自然にそんな循環が生まれているように思います。「母ちゃんにはいつも世話になっているからたまには楽させてあげたいな」みたいな感じ(笑)。
ママ:逆に鍋ちゃんが結婚して子どもを産んで、その子どもを今度は村楽エナジーが面倒みるんだろうね。循環だ。
 

未来は彼らの手の中に

– 夜も更けて、お酒もまわって。バー「ヨルウララ」で「挑戦者の“挑戦者”」たちの生態が見えてきました。では、彼は今後、西粟倉村で何をしていきたいのでしょうか。まずは起業組のお二人に伺いましょう。
 


大林:稼ぐだけです。それだけっていうか、急務。作るも売るも倍増しないとキツいっす。いまやっと色々なパーツが揃ってきて、ちょこちょこ話しが出てきているところなのでそこをいかに組み合わせて掴んで行くかですね。
ママ:それだよね。酒うららもやりたいこといっぱいある。飲み手を育てたい。私に与えられた上手い酒をただ飲むんじゃなく、自分で選んで飲めるように育てる。自分で考えて酒を選べると楽しくなって、自分でどんどん登っていくから、その段階まで行かせてあげたい。出張日本酒バーをやるのは、数打って当たるって感じだったけど、これからは打ったものすべて当てたいから、全体を底上げするようなやり方で日本酒バーのやり方も変えていこうと思っている。
 


大林:大林:商売相手を育てるって大事だよなぁって激しく共感した。
ママ:やってみないとわかんないよな。起業して1年半くらいやってみて、「これじゃちょっとペース遅過ぎる」って少し焦っている。もっと厳しくいきたい。
大林:もっと客に厳しくしたいっていう酒屋、はじめて見た(笑)。
ママ:厳しくされたほうがお客さん喜んだりするでしょう。
羽田:そういうキャバクラあるよね。
ママ:羽田、うるさい。
ママ:その時呑んで美味しいって言っているだけじゃもう駄目なんだよね。
大林:導入部分でやるべきは、自分の好みをちゃんと知ること?
ママ:お客さんのレベルが上がれば、酒蔵のレベルも上がるという目論見もあるし、飲食店のレベルもあがる。飲食店はお客さんに言われないとなかなか買わないから。そこで、うまい酒どこで買うの?「酒うらら」じゃない??って、いい循環が生まれる。さらに「いい酒屋少ないね?」って。自分の店が栄えるというか、酒屋が増えて欲しいし、日本酒業界も栄えてほしい。
 


鍋島:すごい…。私は西粟倉村でなにをしていきたいか、パッと思い浮かびません。
ママ:鍋ちゃんがこの村で自分がやるべきことをイマイチ言語化できないのは、なんとなく、わかる気がする。私ははっきりと「酒屋になる」って決めてココに来たから、ある意味、言語化しかできない。はっきりしすぎていて。他からみたら、羨ましいと思われるんだろうね。やること決まっているから楽だもの。やること全部解っているし。だから、自分がなにやりたいかなんて、いまわからなくていいと思う。「挑戦者」も「挑戦者の“挑戦者”」も、忙しいから精一杯で、追われるものがたくさんあるから、まだその段階ではないかもしれないし。別に急がなくていい気がする。

一同:ママーー!!!(泣)

ママ:この村、まわりが変態ばっかりだから、焦るよね。女子が「稼ぐだけっすね」とか言い放つとか男前すぎだろ(笑)。この村は、若者を焦らせるよ。
大林:わかる。特に後から来た人ほど焦らされる。
ママ:変態じゃないと来られない村なんて日本にないし。来たけりゃ来ればいいんだよ。(日本酒ぐびぐび)

– 西粟倉村は現在「起業型地域おこし協力隊」を募集しています。多様性を謳うからからこそ、その応募のハードルが高くなっているのかもしれません。やりたいことがあってもなくても西粟倉村では暮らしていけるんです。夢を実現したっていい、自分探しをしたっていい、ただ暮らすだけでもいい。だって、若者たちはこの村の宝なのですから。