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にしあわくらそん

必勝法がないからこそ、「土」はおもしろい!私たちのあるべき姿を「土」に学ぼう【未来の里山研究会 第2回】

未来の里山って、何でしょう?
みんなで考え、そのイメージをつくっていくため、2023年秋に立ち上がった「未来の里山研究会」。

第1回のゲストは、ゴリラ研究の第一人者として知られ、京都大学前総長であり、現在は総合地球環境学研究所所長を務める山極寿一さんでした(参照記事)。

第2回のゲストは、土の研究者である藤井一至さん。
子どもの頃は石を集めるのが好きで、土は石がもとになっていると知り、興味を抱いたのが始まりだったそう。

西粟倉村まで来てくださる藤井さんを、牧が車で空港までお迎えに行ったところ、初対面ながら車内で話に花が咲いたようです。
藤井さんと牧が会場に到着すると、二人の楽しそうな雰囲気がその場にも広がりました。

藤井さんは、一般人にとってやや硬いテーマである「土」を、分かりやすく届けてくれる方でした。地下である土の専門家でありながら、場の空気を盛り上げるムードメーカーでもあったのです。
終始和やかに進んだ、第2回の様子をお届けします。

⚫️藤井一至氏のプロフィール

藤井一至(ふじい・かずみち)
土の研究者。専門は土壌学、生態学。1981年、富山県生まれ。2009年、京都大学大学院農学研究科博士課程修了。京都大学博士研究員、日本学術振興会特別研究員を経て、国立研究開発法人森林研究・整備機構森林総合研究所主任研究員。インドネシア・タイの熱帯雨林からカナダ極北の永久凍土、さらに日本各地へとスコップ片手に飛び回り、土と地球の成り立ちや持続的な利用方法を研究している。
著書に『大地の五億年 せめぎあう土と生き物たち』(山と渓谷社)など。『土 地球最後のナゾ』(光文社新書)で河合隼雄賞受賞。第1回日本生態学会奨励賞(鈴木賞)、第33回日本土壌肥料学会奨励賞、第15回日本農学進歩賞受賞。

 

あらゆる生命を支えている土は、どういう存在なのか

はじめに、『株式会社エーゼログループ』の代表取締役CEOの牧大介が挨拶しました。

「エーゼログループにとって未来の里山とは、ビジョンという表現が合っていると思います。どのようなものなのか、私もいまだによく分からないけれど、みんなと一緒に考えていきたいんです。人と自然が共存・共有の関係をもちながら、豊かな自然のなかで人が幸せになっていける場所。それを取り戻し、今の時代の形をつくっていけたら、それが未来の里山になるのではないかと思っています。

今回お越しいただいた藤井さんは土壌の専門家です。私たちの『エーゼロ』という社名は土に由来している言葉ですが、人間に限らずあらゆる生命を支えている土がどういう存在なのか、どういう課題があって、未来に向けてどういうふうに土をつくっていくのか、お聞きできればと思っています。

私たちエーゼログループは今、岡山県西粟倉村、滋賀県高島市、北海道厚真町、鹿児島県錦江町という4つの拠点を持ち、自然資本をベースに事業をしています。年間の売上は10億円ほどで、パート含めてスタッフは170人くらいいます。そのうち社員数は70人くらいです。ちなみに今日は、4拠点それぞれの土を採ってきて前に展示しています。

我々のすべての事業で大事にしているのが、自然と人がお互いに歩み寄っていくプロセスです。結果として生成されていく姿が未来の里山ではないかと思いますし、日本の誇る文化として守り育てていく。

今日参加しているのはスタッフや関係者で、藤井さんの話を聞いて感じたことをできるだけみなさんに言葉にしていただき、それに対して藤井さんに答えていただけたらと思っています。藤井さん、よろしくお願いします」

藤井さんの講演が始まりました。

「よろしくお願いします。私は土の専門家ですが、里山を全力で扱ったことはなく、ややむずかしいテーマだなと感じています。そう言ってハードルを下げておりますが(笑)、はじめに自己紹介をします。

私は富山県出身で、京都大学農学部に進みました。趣味は将棋でして、人生唯一の自慢なんですが、大学生のときに関西学生王将になりました。学生時代は『御用学者にはなりたくない』と言っていましたが、今は粛々と国の機関で研究員として働いています。

土の研究者は絶滅危惧種で、みなさんの周囲にいないと思いますが、実は宮沢賢治も土の専門家として生きていました。そのなかで悩みなどを詩にしていたんです。私は基本的に『おもしろいことないかな』と自分の足で現場に行って、土を掘り、問題を探すという研究活動をしています」

 

岩でも生物でもない。その二つが重なった領域が「土」

「本題に入りましょう。まず『土とは何か』です。土とは、風や水に運ばれてきた砂などが、腐った落ち葉などの植物、動物の死体、微生物などと関わり、水を含んで粘土になって、さらに微生物が活動しているものです。一つの物質でできているのではないというところに、土が複雑で、なかなか理解が及ばない原因があります。

土って案外、定義が難しいんです。実は、いまだに化学構造式すらわかっていません。みなさん、岩は土じゃないですよね。落ち葉は土だと思いますか? 葉が落ちて地面についたら土? 違うんです。

私たち研究者にとっては、微生物によって分解が始まった瞬間から土の仲間入りになります。生物活動に関わり始めたときから土になっていく。ここが大事なところで、岩でも生物でもなく、二つが重なった領域を土と呼んでいます。土は、二つが重なり合う場所で生まれます。

では、土はどうやってできるのでしょうか。二つ、仮説があります。一つは、微生物が落ち葉を分解して二酸化炭素が出て、そのうち食べ残しがたまっていって粘土に吸着するという『食べ残し仮説』です。

もう一つは、微生物に吸収された後、微生物が死んでその死菌体が土になっていく。それが土の団粒(だんりゅう)というつぶつぶのなかに格納されることで保存される『団粒格納仮説』。この二つが議論されることもありますが、私はどちらも大事だと思っています。それらのプロセスを経て、土は約100年で1センチメートルぐらい堆積します。

せっかくなので、社名のエーゼロ(A0)についてもお話ししますね。土は1メートルくらい掘ると岩石までたどりつくんですが、各層に名前があります。一番上の堆積有機物層をオーガニックのO層といいます。下にある岩石層はロックでR層。その間にある層は、なぜかA、B、C層になりました(笑)。

森林分野では、このO層をA層の上ということでA0と呼びます。新鮮な落ち葉が積もっていて、栄養がたっぷりで、そこが循環することで植物や生き物を支えている場所です。地域の循環を表現する社名なのかなと思いました。 

さらにこのA0=O層は上から、新鮮なL層、分解・腐朽の進んだF層、もっと腐朽が進んだH層に細区分されます。H層のHは、腐植土を意味するラテン語『Humus(ヒューマス)』からきています。『Humus』は地形的に低いところは湿っているという認識から、『humidus(湿っている状態)』が語源になっているようです。『Humus』は『humor(ユーモア)』や『human(人間)』という言葉にも関係があります」

 

ミミズは自分の役割をつかみ、約4億年前から生きてきた

「土を1メートルほど掘っていくと、まずムカデがいるところ、ダニがいるところがあり、アメーバや菌糸、古細菌がいるところがあり、最後はウイルスがいるところに到達します。生き物たちが棲み分けをしているんです。

もしみんなが同じところにいたら、一番強いやつが勝ってしまいますよね。でも、棲み分けにより共存することができます。ここが、土のおもしろさだと思います。土には腸内細菌の10倍くらい細菌がいて、大さじ1杯の土におよそ100億個の微生物がいると言われています。構造の多様性で支えられているのが土です。

『ミミズが土を良くする』といった話を聞いたことがある人はいますか。ミミズが出すゴミが土なのですが、単にミミズを撒けば土壌が改良されるわけではありません。いろいろな生き物との関わりのなかでミミズは一つの役割をこなしているんです。自分の役割をつかんで、約4億年前から現代まで生きてきた。リスペクトですね。土は、堆肥化すればもう一度土になります。土の魅力は、持続性だと思っています。

地球の歴史をさかのぼると、土は昔からあったわけではありません。地球が誕生し、海ができ、海底に粘土ができて、その後にようやく生命が誕生しました。光合成をする生き物ができて、鉄サビが海底に沈殿し、大気中にオゾン層ができて、やっと生き物が上陸するんです。その頃、土が発達し始めました。

土がなかった時代、生きていたのは岩の上で根を張らない生き物だけでした。苔やカビ、藻類とカビの共生です。その後、根っこをもつ植物が生まれて、根が進化して岩を砕いて土が誕生しました。土が深くなって、種をもつ植物がでてきてどんどん広がっていきます。そうして生まれたのが、樹木です。虫に食べられずに長く生きるよう、樹木はコーヒーの苦味成分を複雑化させたリグニンをつくり出します。これは微生物からしたら毒で、樹木が自分の体を守るんです。

樹木が大きくなって土が酸性になり、きのこが増えて、土がさらに発達していくと、二酸化炭素が大気中から減っていって、寒冷化し、やがて氷河や砂漠ができました。すると熱帯雨林にいた猿の中には食料に困ったのがいて、それがヒトに進化していったんです。

このように、土が変わったらこそ、生き物が変わるというサイクルのなかで地球は変化してきました。土の本質は、物質ではなくシステムなんですよね。そこに土の真価があるのではないかと考えています」

 

必ずしも私たちの思うようにいかない、と覚えておく

「私は、『土がよければ人は幸せになる』と信じて研究してきたんですが、インドネシアでそうではない一面も知って、びっくりしたことがあります。

ジャワ島には火山があり、土に火山灰が多く、非常に軽くてなめらかで耕しやすいので、野菜などが栽培されています。その隣にあるボルネオ島の一部、カリマンタンには火山がなく土は酸性で、土に新しい栄養分が供給されません。

ジャワ島のほうが、人口扶養力(一定の条件のもとで扶養できる最大の人数)は約100倍も高く、幸せなのかと思いきや、ジャワ島はお米が収穫できるために子どもが増え、一人当たりの畑の面積が減ってしまい、貧しくなったんです。カリマンタンのほうが一人あたりの資源が多く、首都を移転する話まで出ています。

また日本でも、土がいい顔ばかりではないという現実を痛感しました。東日本大震災による東京電力福島第一原発事故で、土が汚染されました。その土はきれいにすることはできないので、すべて取り除き、新たに黄色い土が投入されたんです。

北海道厚真町でも2018年、台風の大雨で山肌の表面が崩れていたところに北海道胆振東部地震が発生し、二次災害として厚真町北部の約13キロ四方の山腹で多数の土砂崩れが発生しました。こうなると、土がただのリスクになるんです。また土砂崩れを起こすかもしれないので、危険性のあるところはモルタルで固めざるを得ませんでした。

つまり今、人と土は必ずしもうまく付き合えているわけではありません。向き合うのは決して簡単ではなく、必ずしも私たちの思うようにいかない、と覚えておく必要があります。

土には、必勝法はないんです。土に、何を求めるのか。収穫量や収入なのか、環境保全なのか、充実感なのか——。目的によって対策は変わります。「〜〜農法をしたほうがいい」とみんなにおすすめできる必勝法は、ありません。そこにおもしろさがあると考えています。

必勝法はないと言っておきながら、50歳でボディビルダーになった人にお会いした際、つい私も必勝法を求めて「どういう筋トレをしたらいいですか」と聞いてしまいました(笑)。そのとき「ある筋トレをすると、メンタルが次のステージにいける。すると、次のステージの筋トレができる。その繰り返しで今の私があるんです。一つのトレーニングが万能なわけではない」と聞きました。土も、まさにそうです。

社会もそうなのではないでしょうか。里山の未来について、必勝法の答えはなく、相互作用の末に模索していくところにしか答えはないのではないか。どの手法が正しいかの議論ではなく、「この人はあのタイプだよね」とお互いの考え方や哲学を理解し合うことはできるのではないか、と考えています」

 

土との関係を模索していくしかないと理解した「大地讃頌」

講演後、参加者は近くの3〜4人とグループをつくって、藤井さんの話を聞いて感じたことを10分ほど話し合いました。次に、その感想や意見、疑問点を紙に書き、会場内に置かれたホワイトボードに貼りました。それらを藤井さんが見て、気になったものに答えます。

<人と土は一緒だと感じました。土は循環してできていくもので、人体も社会も循環しているから、ペースが違うだけで同じだなと感じました>という感想に、藤井さんがコメントをしてくれました。

「私たち人間が社会をつくっているように、土のなかにも社会があると私も思います。人間はいろいろな生き物と混ざり合うところが、もうひと味おもしろいですね。

ただし、気をつけたいこともあります。私は音楽の授業でよく歌われる『大地讃頌』という歌が好きなんですけど、『土の歌』という歌の最後の第七楽章が『大地讃頌』なんです。それしか知らない方も多いと思うんですけど、第一楽章から聞くとすごくおもしろい内容です。例えば、もぐらのほうが賢いといった話や、戦争時代に戦争賛美の歌をつくっってしまった作者の反省のもとで生まれているので反戦への思いも出てきます。

人間がいかに微妙なものであるかとすごく悩まされる歌です。私たちは土と美しいつながりをつくれていないかもしれないけれど、そのなかでも自分たちが土との関係を模索していくしかないよね、という文脈で私はこの歌を理解しています

土のおもしろさや複雑さ、そして人として謙虚に、客観的に世界を見つめる藤井さん。次に、<長年生き続けているミミズのように、人類やエーゼロが、自分だけを立たせるのではなく全体のパーツの一つとして役割を担うことができないか>という意見にも、コメントをしてくれました。

「土のすばらしいところは、持続性と自立性です。放っておいても、自然環境で時間をかければ土ができるところはすごいです。でも、現代は自然に待っているだけでうまく循環するようにはなっていないから、私たちがミミズになるような気持ちで、資源をうまく循環させないといけないのではないかと思います。

また、地球史の教訓としては、巨大化して絶滅しなかった生き物はいないんです。恐竜も巨大化して絶滅してしまいました。ミミズは、外見はあまり変わっていませんが環境変化などに柔軟に対応して、体内は変わりました。柔軟に対応したからこそ、樹木が突然リグニンを備えるという大変化が起きても、それを分解してくれる微生物とつながりがあって乗り越えられたのです。 土とのつながりがないと、リスクって高くなりますね

 

自分たちにしか出せないものを追い求めるのが「未来の里山」

その後、牧の提案で、会場にいるすべての参加者にマイクを回しました。一人約30秒ずつ感想を述べ、藤井さんはそれをじっと聞いていました。

「講演会で、フィードバックをすぐに、こんなにたくさんいただけることはあまりないので、感激しています。感慨深いです。

里山は、人々が精一杯、営みを重ねて続いてきたものです。だからこそ未来の里山も、今の私たちの『精一杯』の延長線上にしかないのではないかと思います。過去のいろいろなものを教訓にしながら、より良いものをつくっていかないといけない、と。

最近福島で、原発に近い地域での「ゼロからまちをつくる」という事例の視察に行きました。公共事業では有事の後、まず復旧をするんですね。まちを再現しようとする。次に復興をしようとすると、そこに住んでいる人たちがやらざるを得ない。復興は、役場が与えてくれるものではなく人がつくっていくのだと、衝撃を受けました。

富山県出身の私は、どんどん廃れていく我が田舎をすぐ考えてしまうので、福島が他人事に思えません。西粟倉村もそうだと思います。私たちが今どうしたいか、ということでしかないのかなと思います。

いろいろな土があります。土でおもしろいのは、最高の土の定義はむずかしいこと。「どの土が一番いいか」という問いはけっこう困るんです。好循環や持続性をだすには、それぞれの場所で最適解を求めるしかない。だから私たちも、それぞれの場所で試行錯誤するしかないのだと思います。

未来の里山をどうするか、その理想像はみんな違っていて構わないけれど、自分のなかでどういうものかを問い続けて、たまにすり合わせながら、いいと思うものを大切にしていくしかないと考えています。

どうしたらイノベーティブなことが起こせるのか。ここにしかない味を出せるかどうか。成熟した社会はそういう感じになるはずです。そうなるには、自分たちにしか出せないものを追い求め、付加価値を出し続けていく、それが里山なのかなと思っています。ありがとうございました」

最後に、牧から次のような挨拶があり、第2回は終了しました。

「未来の里山という問いがより深まって、とても良い意味で、よく分からなくなりました(笑)。システムをどうつくっていくか、正解はないけれど精一杯試行錯誤を重ねながら、命とのつながりのなかで追い求めていけば、未来の里山に近づいたと思えるときがくるかもしれません。『藤井さんのあの講演から始まったよね』と言える日がくるのではと思いました。藤井さん、ありがとうございました」

 

▼イベントで登場したキーワードたち
・落ち葉は、微生物によって分解が始まった瞬間から土の仲間入り。岩でも生物でもなく、二つが重なった領域を土と呼ぶ。土は、二つが重なり合う場所で生まれる
・土がどうやってできるのか。『食べ残し仮説』と『団粒格納仮説』のどちらも大事。それらのプロセスを経て、土は約100年で1センチメートルぐらい堆積する
・A0は、新鮮な落ち葉が積もっていて、栄養がたっぷりで、そこが循環することで植物や生き物を支えている場所
・もしみんなが同じところにいたら、一番強いやつが勝ってしまう。でも、棲み分けにより共存することができる。ここが、土のおもしろさ
・いろいろな生き物との関わりのなかでミミズは一つの役割をこなしている
・土は、堆肥化すればもう一度土になる。土の魅力は、持続性
・土が変わったらこそ、生き物が変わるというサイクルのなかで地球は変化してきた。土の本質は、物質ではなくシステム。そこに土の真価がある
・今、人と土は必ずしもうまく付き合えているわけではない。必ずしも私たちの思うようにいかない
・土には、必勝法はない。そこにおもしろさがある
・里山の未来について、必勝法の答えはなく、相互作用の末に模索していくところにしか答えはないのではないか
・私たちは土と美しいつながりをつくれていないかもしれない。自分たちが土との関係を模索していくしかない
・ミミズは柔軟に対応したからこそ、樹木が突然リグニンを備えるという大変化が起きても、それを分解してくれる微生物とつながりがあって乗り越えられた。つながりがないと、リスクは高くなる
・だからこそ未来の里山も、今の私たちの『精一杯』の延長線上にしかないのではないか
・土でおもしろいのは、最高の土の定義はむずかしいこと。好循環や持続性をだすには、それぞれの場所で最適解を求めるしかない。私たちも、それぞれの場所で試行錯誤するしかない
・自分たちにしか出せないものを追い求め、付加価値を出し続けていく、それが里山なのかなと思う

 

研究会当日の様子は動画でも記録しております。
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