岡山県

西粟倉

にしあわくら

西粟倉に生きた祖母の想いを引き継いだ、異色のB&Bとパン屋さん

西粟倉村に、「軒下図書館」というB&Bとパン屋がある、と聞くと少し驚くかもしれません。こんな田舎に?と、さんざん反対されながらも、宿とパン屋をオープンさせたのは、チャールズ・オリビエさん、裕美さん夫婦。5年前、大都会ロンドンから2人の幼い息子とともに祖母の家を引き継ぐかたちで西粟倉にやってきました。英語とフランス語の教室に、ヨガのレクチャー、ヨガ合宿…と少しずつ営みの幅を広げ、今やっと自分たちのペースで仕事と子育てができるようになってきたといいます。そして今気になるのは、自分たちと同じIターン仲間が定着するための方法や、村の基盤でもある林業のこと。パン屋が悩みの語らいの場を担うことや、自分の家の森に入ってみることなど、子どもの未来と村の未来を重ね合わせた想いが、むくむくと湧いてきているようです。

 

大都会ロンドンから真逆の田舎・西粟倉に来たものの・・・

– 裕美さん一家が現在住んでいる家は、もともとは裕美さんの祖父母が住んでいた家ですよね。フランス人の旦那さんと、お子さんとロンドンで生活していて、どんなきっかけで西粟倉に移住して来たのですか。

チャールズ:上の子が3歳、下の子が9ヶ月の2009年10月1日に西粟倉に引っ越してきました。夫のオリビエの当時の仕事は、オンライン広告の会社経営。海外出張もすごく多くて、彼は子どもと触れ合う時間がなく、私も子育てに四苦八苦していました。ロンドンは治安がよくなくて、子どもを遊ばせる場所がないのも嫌で、悩んでいました。そんなとき、「おばあちゃんの家が空き家になっているから、住まないか」と私の父親が誘ってくれて、思い切って移住してきました。

– 裕美さん自身が育ったのも西粟倉なんですか。

チャールズ:いいえ。岡山県津山市育ちです。だけど、おばあちゃんの家に遊びに来た思い出はたくさんあって、夏は、影石小学校(現:西粟倉・森の学校)のプールで泳いだり、冬は、大茅スキー場でスキーしたりしていました。

– おばあさまは「軒下図書館」でどういう活動をしていたんですか。

教育に熱心なおばあちゃんだったから、10年くらい自宅の図書室を開放して、子どもが集う場所にしていたんです。私もすごく教育に興味があるし、この名前をそのまま使おう、と。B&Bの宿泊と、語学スクールをやるのに「図書館」というのはおかしいんですけど(笑)。私としては、ルーツを忘れたくなかったんです。「どうして軒下図書館なの?」と問いかけられておばあちゃんの話ができるから、ややこしい名前でよかったと思っています。

B&B 軒下図書館の客室

– おばあさまに対して、特別な想いがあるのですね。

チャールズ:祖母は教師をしていていたこともあり、私の教育に関してもずっと支援してくれていました。私が海外留学する費用も、全部出してくれたのは彼女でした。ロンドンから引っ越して西粟倉のこの家に暮らして、おじいちゃんおばあちゃんが立派な家を建ててくれたおかげで今自分たちがこの家に住めること、海外で経験を積んでこられたおかげで今すごく豊かな人生を送れているということに対して、感謝の想いがこみ上げてきました。一冬準備をして、2010年の5月に語学スクールを始めて、8月に宿泊施設、11月にパン屋を立ち上げました。

– 森の学校の立ち上げで西粟倉にIターン者がだんだん集まって来た時期と、裕美さんが移住して来た時期が重なっていますね。移住する前に、ここが盛り上がっている地域だよ、という情報もあったのですか。

チャールズ:そうですね。自分で調べていたのもあるし、両親から森の学校の動きとともに「西粟倉はひらけていると思うよ」とも聞いていました。

– とはいえ、都会のロンドンから西粟倉へ。海外から日本の田舎への移住は、変化が大きかったと思います。どんな点で苦労しましたか。

チャールズ:私より、夫のオリビエが大変でした。言葉の問題はもちろん、帰ってきた年がちょうどどんどんポンドの価値が落ちていった年で、貯金が2/3くらいになってしまいました。私があてにしていた英語教師の仕事の話も結局実現せず、冬が寒くて光熱費が思ったより高いとか、車が2台必要だとか、準備して帰って来たつもりだったのに、すぐにいろいろな問題に直面しました。

– 慣れない環境での寒い冬はこたえたでしょう。

チャールズ:そうなんです。寒くてすごく落ち込んで、さらにパンがおいしくなくて、どんどんテンションが落ちていっちゃって(笑)。でも、そのおかげで「おいしいパンを食べたいからパン屋をやる」っていうアイデアが生まれたので、意味はあることだったのかな。パン屋については、オリビエは一度フランスに戻って、3週間くらい修行してきました。

– 母屋の宿泊部分はもちろん、離れのパン屋の部分はちょっと外国の風情もあって、すてきな空間ですね。

チャールズ:2010年の夏は、ここの納屋をパン屋に変える工事をずっとしていましたね。本宅のリフォームでは衝突もした大工さんが、パン屋を建てるときにすごく協力してくださって、感謝しています。白籏さんという方で、おじいちゃんおばあちゃんの家を建ててくれた人でもあるんですよ。パン屋の建具は全部リサイクルで、入り口のひとつは母屋の扉、窓枠も森の学校からもらってくれたんです。新しい木はご先祖様の森から切り出しているし、西粟倉だからこそのパン屋ができたと思います。オリビエを指導して、天井や壁はりは一緒にやってくれたのも、ありがたかったです。

 

パン屋、ヨガ講座・・・新しい仕事は逆境から生まれる

– 軒下図書館の事業は、逆境がよく作用して生まれている感じがします。それがさまざまに展開している。今現在はどんなことをやっていますか。

チャールズ:パン屋と宿泊と語学スクール以外に、オリビエがヨガのインストラクターをやっていますね。ヨガのインストラクターについても、彼が冬をしのげなくて、冬の間はインドで仕事をするようになった。そこで、せっかくなのでインドでヨガのインストラクターの資格もとったんです。ヨガは前からしていたんですけど、日本に来て体調を崩すことが多くて、健康面でも問題が出てきてたので、改めてヨガをし始めたんです。2011年に、インドの2ヶ月くらいのコースで資格を取ったんですが、途中で日本語で教えなくちゃと気づいたんですって。それがきっかけで彼は日本語がすごく上手になりました。

– 西粟倉だけに縛られない柔軟な働き方も、裕美さんたちだからこそですね。冬のインドはオリビエさん単身で行くのですか。

チャールズ:オリビエはこの冬はインドでヨガのインストラクターの職を得て2ヶ月半くらい行く予定です。私と息子2人も、半分くらいの期間は一緒に行きます。柔軟に生活できるようになるまでは本当に辛くて、最初の2、3年は軌道に乗らなくてしんどいばっかりでした。例えばパン屋についていうと、西粟倉ではパン屋でパンを買ったり、カフェでお茶をする文化がなくて、週3回と月1回日曜日の営業ではとても採算は合わない。パンを売り歩いたりもしていました。雪深い冬の間は、誰もパンを買いになんて来なかったですしね。

– 行商まで・・・それは辛い。

チャールズ:冬は休んで、無理なく今の週2回のペースにしてから、だんだん常連さんがついてくださるようになりました。パン屋はお金にはならないけれど、軒下図書館のアンテナショップの役割を果たしてくれていると思います。パン屋には気軽に来れるので、ここからヨガや英語のレッスン、宿泊のことを知ってもらえるんです。一番人とのつながりを実感させてくれるのが、パン屋。一番大変なんだけど、心を豊かにしてくれる仕事ですね。

– おいしいパン屋はどうしても都会に集中しがちなので、地方のパン屋は貴重です。ここに本格的なパン屋さんがあると聞いて最初はびっくりしました。足を伸ばして来てみようかなと思いますよ。

チャールズ:こんなに田舎なので、パン屋も宿も絶対に成功しないと直接いわれたこともありました。でも、それでかえって見返してやると思ってがんばれました。最初の3年間はサバイバルゲームみたいでしたから。今はオリビエも私も、西粟倉での生活のいいところも実感しています。パンづくりを子どもとやることもあるし、宿業も子どもたちを含めてできる仕事。特に宿泊は子どもの存在が大きくて、うちの子と同年代の子ども連れの家族が来られたら、子ども同士一緒に遊んでいて、「それが楽しかったから」とまた来てくださる方もいます。

– 家族一丸となって仕事をしている感じですよね。

チャールズ:一緒にやりつつも、子どものための時間もちゃんととってあげないと、子どものバランスはすぐに崩れちゃいます。立ち上げのときは仕事ばかりになってしまって、「子どもとの時間をつくるために来たのに」と葛藤していたんですけど、今はちょっと余裕が出てきました。

– では、バランスがとれはじめたのは、ここ1年くらいのことなんでしょうか。

チャールズ:そうですね。田舎に来て、なにかを0から立ち上げるときって、どうしても仕事にかかりきりになります。子どもが小さくて移住して来る人にとっては、苦労する点だと思います。

B&B軒下図書館の朝食

「自然に恵まれた」子育てと「厳しい環境」は表裏一体

– 裕美さん自身は、海外留学までされて「いい教育」を受けていると思います。お子さんの学ぶ環境についてはどのように考えていますか。

チャールズ:課題もありますね。親として学校に期待することがどうしても多くなってしまいます。でもそれではいけないと思い直して、学校でできないことは家庭で補おうと考えています。子どもの将来を考えて、英語だけは話せるようにしたいです。私とオリビエが英語でコミュニケーションとっていますし、子どもには英語で話しかけています。西粟倉のいいところは食育が盛んなところ。日本の食育のレベルは、全体的にすごく高くて、その点に関してはすごく感心しています。

– 給食に地場産品が使われていたりするんですか。

はい。給食にはすごく恵まれています。地元のものを使うだけでなく、暮らしの周りで、お米や野菜の育ち方が自然に分かる。それは、ロンドンではできない経験です。

– 確かに。生産者や食べものの育つ姿が見えるから、「教材」はたくさんあります。

チャールズ:西粟倉のような自然環境を身近に見て感じて育っていけば、将来ここで育ってよかったなって感じるはず。この環境の中での経験が、子どもたちの原点になるのは、いいことだと思います。

– 西粟倉村の子どもの数、小学校の規模はどのくらいですか。

チャールズ:小学校は一学年10人前後が平均です。だけど、下の子は幼稚園の同学年は6人、男の子はうちの子1人だけ。震災後に東京から来て、西粟倉に10ヶ月間住んだ方に、息子と同い年の男の子もいたけれど、結局定住には至らずに出ていってしまって。結構ショックでしたね。そのことをきっかけに、村のためにももっといろんな方に来てもらいたいし、来た方がちゃんと暮らし続けられるようなはたらきかけをしたいと思っています。直接何かできるのか、まだ分からないですけれど。

– お子さんがいる環境を通して見えたり、感じたりする現実があるんですね。なにか移住者が定着するようなヒントはありそうですか。

チャールズ:たとえば、西粟倉には古いお家はたくさんあるんだけれど、貸せないという方が多い。でも、西粟倉全体で向かおうとしている、森を守っていく活動や地域の循環への理念を知っていただけたら、協力してくれるんじゃないかと思うんです。薪ボイラーを温泉に入れることや、西粟倉のエネルギー自給率100%を目指している動きだって、もっと内外の人に伝えていきたい。私は、そういう動きを伝える媒体でありたいと思っています。私も苦労してきたし、Iターンして来られる方みんながハッピーなわけではない。みなさんと協力して、サポートし合えればいいですね。

– どういうサポートをすれば、みんながハッピーになれるんでしょうか。

チャールズ:今、うちのパン屋に近所の方や、同級生のお母さんたちが気軽に来てコーヒーを飲みながら、わいわい話しているのはいいことだなと思います。話すだけで気が楽になることも多いから、そういう場を提供できているのかな、と。

– 地域にIターンが増えてきて5年くらい。だんだん、Iターンのお子さんが成長して、学校に入る時期にもなってきます。その子どもたちがどう育っていくのか興味があります。

チャールズ:西粟倉独自の教育で、自分の生活と森とのつながりを教えてくれているのが、すごくいいと思っています。この前も下の子が小学校5年生のお兄ちゃんお姉ちゃんと沢登りに行っていました。幼稚園と小中学校のつながりが強いことも、西粟倉のいいところじゃないでしょうか。

自然と共生する価値を、我が子にもお客さんにも伝えていきたい

– これからの軒下図書館について、教えてください。

チャールズ:オリビエは、基盤がちょうど固まってきたところなので、それを固めていきたいと話しています。私の課題は、夫婦間のやりとり。2人の思考回路が全然違うから大変なんです。オリビエは全然フィルターのかかっていないものの見方をして、私はフィルターを通して物事を見ちゃうタイプ。でも、二人の呼吸がうまく合わないと、サービスに影響してくるので、まずは夫婦仲良く(笑)。夫婦が仲良くやっていくためには、自分を磨き、常に成長していくことが大事なはず。その上で、宿もパン屋も、今やっていることの質を高めていきたいですね。

– 個々の事業についてはなにか考えていることはありますか。

チャールズ:宿泊については、もっと外国人のお客さんに向けて発信していこうと思っています。外国人のお客さんのゴールデンルートがあって、東京京都広島なんですよね。だけど、田舎を見ないと!西粟倉に立ち寄った外国人はみんな、すごくよかったっていってくださいます。それと、オリビエは、西粟倉をヨガのメッカにするっていっていますよ。日本で野外でヨガをしているところは意外と少ないんです。すぐ近くにちょうどいい場所を見つけたので、ヨガ合宿ももうちょっと本格的にやりたいと思っています。

– おばあさまがやっていた「軒下図書館」を、裕美さんは自分たちのやり方で引き継いでいます。おばあさんに対しての想いは、ご自身がここに住んでみて変化などありましたか。

チャールズ:村がやっている環境への取組みや森のことも、自分の家の山を通して考えるようになりました。私は、自分の家の山の管理をするところまでは踏み込めていないんです。夏に子どもを連れて自分の山に入ってみたんですが、最低限の管理をしてもらっているとはいえ、寂しい感じでした。おばあちゃんが詠んだ歌集には、森への想いを詠んだ章があるんですが、木の精が出て来たり、すごくすてきな和歌がたくさんあるんです。

– 「粟倉は樹がいのちぞと人ら云ふ遅れつつ植うる桧千本」「五十年の樹のいとなみよ杳き日を話しかけ見む木の精をよびて」。他にも、西粟倉が掲げている百年の森林構想をずっと前から見通していたような和歌がたくさん詠まれていますね。

チャールズ:これを読む度に涙が出てくるんです。最近とくに、この歌集を読んでいます。もっと、おばあちゃんの木に対する想いをつなげていきたいので、自分自身が子どもに伝えられることも模索しています。やっぱり、一緒に山に入って、何でもいいから楽しい思い出をつくってあげるのがいいのかな。木の下でおやつを食べたり、この間は森の掃除をしたり。ちょくちょく山に入って、まずは自分と子どもとの森での時間をつくっていきたいです。