生物多様性は美味しくて楽しい「ビオ田んぼプロジェクト」を立ち上げ。担当したのは港区ボーイ。

エーゼログループは2023年の春から岡山県西粟倉村で4,580 ㎡の田んぼを借り受け、村の農家の方に協力いただきながらビオトープ付きの田んぼでお米を育てる「ビオ田んぼプロジェクト」に挑戦してきました。
同年9月にはコシヒカリ約1,600kg を初収穫、12月より販売しています。
(初めての収穫に合わせて配信されたプレスリリースはこちら

このビオ田んぼプロジェクトを担当するのは太刀川 晴之(たちかわ・はるゆき)さん。
東京港区出身で、子どもの頃の将来の夢は昆虫博士。お米づくりは未経験だったという太刀川さんが、今どうして目を輝かせてお米づくりをしているのか。
太刀川さんの生い立ちから、ビオ田んぼプロジェクトのこれまでとこれから。そして、西粟倉村のお米づくりの師匠たちにもお話を伺っていきます。

里山に心惹れて、田んぼでタガメを見つけてドキドキする

まず、ビオ田んぼプロジェクトの担当者である太刀川さんのこれまでをうかがっていいでしょうか。

太刀川:幼少期は父親が釣りが好きでよくキャンプに行っていました。山で遊んだりして、木の実や山菜を採ったり、特に自然の中で食べられるものには興味がありました。
東京生まれですけど自然に関われたのは原体験になっています。

(太刀川晴之さん)

東京のどちらが地元ですか?

太刀川:東京の港区、元麻布です。

港区ボーイですね。

太刀川:(笑)今は六本木ヒルズが建ってお金持ちの方々が来られて、まさに都会の真ん中のように思われますけど、僕が小学生の頃は今より下町感のある場所で、自分にとっての東京はたぶん皆さんがイメージされる印象とは少し違うのかなと思います。

ネイティブ東京人なんですね。

太刀川:はい、そうなりますね。曾祖父の代から住んでいるのですが、三代東京に住んでいると江戸っ子となるようです。

(幼少期の太刀川さん)

江戸っ子で港区ボーイの太刀川さんがどのようにしてエーゼログループにたどり着くのでしょう。

太刀川:実は高校生くらいから「里山」という言葉に惹かれていました。そのきっかけは昆虫写真家の今森光彦さんです。
滋賀県の高島市や琵琶湖の周りをフィールドにされている方で、今森さんの写真や映像を見て、すごくホッとする自分がいました。今森さんが撮られる昆虫や生き物がイキイキと暮らす環境を守っていきたい、自分自身もそういうところで暮らしたいと思っていました。人と自然が関わって、どうしたらいい関係性でやっていけるんだろうなみたいなところは昔から関心のあったテーマです。
大学進学の際は生き物がいる環境をどうしたら守れるんだろうか、人と自然の良い関わり方って何だろうなと考えた時に、環境も含めて研究する農学部で学びたいなと思って、岩手大学の農学部に進みました。
岩手大学の農学部は色々な先生方がいらっしゃって生き物のことも学べるし、景観や農村社会学のような文系寄りのテーマも扱っていて、幅広く人と自然の関わり方について学べるところでした。
専攻は野生動物の被害対策。どうしたら地域単位、集落単位で獣害対策ができるかという社会学的なアプローチで研究をしていました。研究の過程では農家さんにヒアリングに行ったり、アンケートみたいなのをとったり。大学3年生から院生の時まで岩手の農村に通っていました。

高島市はエーゼログループの拠点の1つですね。「里山」にずっと関心があることも、太刀川さんはエーゼログループにドンピシャな人ですね。(笑)
そこから次、就職はどうされたんですか。

太刀川:就職を考える時はすごく迷いました。民間の環境コンサルとか、生き物の調査会社とか。岩手はもちろん、東北は自然も豊かですごく好きでしたし、東北での仕事を探したりもしました。
迷った末に自然保護に最前線で関われる国立公園の管理とかを担う自然保護官という仕事を魅力的に思い環境省を受けて、運良く受かりました。1年目が本省勤務で、2年目、3年目は青森の八戸での勤務でした。
環境省は国家公務員の中でも現場に近いんですが自分が思っていたようには現場に出られなかったりとか、やっぱり生き物とか自然への興味は変わらずあったので、そこにもっと接して働けるような生き方をしてみたいなと考えて思い切って転職しました。
次に務めたのは林業の現場です。この先の進む道を林業に決めたわけではなくて、1度幅を広げてみようかなと思って選びました。転職に合わせて鳥取県智頭町に引っ越しました。
山に入ることはとても楽しかったのですが林業の素材生産の側面を強く感じて、やはり生き物とか生態系とか生物多様性みたいなテーマにダイレクトに関わりたいという思いが出てきて、そういう時にエーゼログループの求人で、当時アグロフォレストリー、山での農業での求人が出ていて。もっと幅広く山や森との関わりができそうだと感じ応募しました。

その募集は本当に一瞬出ていただけみたいですね。

太刀川:そうみたいですね。(笑)

本当に見つけてもらえてよかったです。(笑)
今は田んぼに集中されていてアグリカルチャー寄りですよね。フォレストリーの要素は少ないですけどそこは問題なかったのでしょうか?

太刀川:そうですね、問題はなかったです。実は大学でちょこっと田んぼのサークル、ため池サークルっていうのに入っていて。

なかなかマニアックですね。

太刀川:そうですね。(笑)
圃場整備されていない田んぼと溜池が一画だけ残っていて。そこで大学生と地元の農家さん、行政の方々とで昔ながらの農作業をしながら、合間合間に生き物を観察するようなサークルでした。ゲンゴロウとかすごく貴重な生き物もいて楽しかったし、田んぼってやりようによっては生き物を増やせる可能性がある場所なんだと改めて感じました。
なので、お米づくりをするぞとなった時に、お米を作りながらそこでどうすればどれだけ生き物を増やせるんだろうということに興味が湧きました。
実際この1年やってみたら、水路の一画にわずかに残っていたメダカが増えたり、タガメが来てくれたりとか。西粟倉村のポテンシャルも感じましたし環境を整えると生き物が増えることを実感できたのは楽しかったです。今、すごく田んぼの可能性を感じています。

タガメが来たことは本当に嬉しい出来事だったんですね

太刀川:はい。とても嬉しかったです。
成体のタガメは初めてみたんですが、本当にかっこいいんです。やっぱり見つけた時は動悸が止まらなくて。ドキドキしちゃって。えー!!いる!!って。(笑)

(発見したタガメ)

真面目に言うと(笑)タガメは餌になる色々な生き物がたくさんいないと生息できない生き物ですし農薬にも非常に弱いんです。タガメはそこが豊かである証明のような存在です。

自分は小さい時から図鑑を見るのが好きで、とにかく生き物が好きで、小学生の頃の夢は「昆虫博士」でした。
家の近くに有栖川宮記念公園という大きい公園があって、ザリガニ釣りをしたり、夏休みは虫採りしたりしていました。都会の真ん中だけど生き物にも触れ合える環境がありました。その環境が今も残ってくれていることは嬉しいけど、一方で空き地だった場所にマンションが建ったりするの見ていると、どうしたら人と自然の関わり・バランスがいい感じで成り立つのだろうかと思うようになりました。
多分、かつての里山ではそこまで生き物を意識していなくて、人が生業として農業をやっている中で持続的に生き物との共生ができていたと思うんですけど、今はそのバランスが崩れているんだろうなと感じます。
じゃぁどうしたら作り直せるんだろう、という問題意識が高校、大学と自分の中で出てきていて。それは今でもあまりに大きすぎるテーマで、なかなか答えは出ていないですけど、自分自身やっぱり生き物と関わることは好きだし、自然の中に入るのも好きなので楽しく生き物とか自然に関わりながら、ちょっとでもいい関係づくりができたらいいなと思っています。

 

小さなビオトープに生き物たちが溢れた

では、ビオ田んぼプロジェクトで取り組まれたことを伺わせてください。 

太刀川:このプロジェクトは生き物と共生した米づくりがテーマの取り組みです。代表の牧さんからもいいね!と背中を押してもらって進めていきました。
生き物がいることを前提においていたので、完全無農薬での米づくりをすることは決めてスタートしました。
しかし生き物の生息にとって課題だったのが夏場に田んぼの水を抜いて中干しをする期間があることです。中干ししてしまうとオタマジャクシだったり水生昆虫とかがいなくなってしまうので、それなら田んぼの脇に水を溜めるビオトープを掘ったら効果があるんじゃないかと試しに小さく作ってみました。そうしたら4月に用水路の上側にわずかに5、6匹残っていたメダカが自然に田んぼに入ってきて、ビオトープで何十匹と増えてくれました。他にも、ドジョウや様々な種類のカエルやトンボ、水生昆虫が増えてくれてビオトープが生き物の生息を支えたことを実感しました。

また夏にはビオトープでの生き物観察会や、秋には村内の子どもたちとお米を手刈りし、天日干しにする収穫体験イベントを開催しました。慣れない体験や作業に子供たちも始めはおっかなびっくりでしたが、やっているうちにだんだんと慣れてきてたくさんの笑顔を見ることができました。
観察会では網を手に、水路やビオトープをのぞき込んで生き物探しに熱中する子供や親御さんの姿を見れて、胸が熱くなりました。自然の少ない都会で育った自分にとって、身近に田んぼや川や山がある環境というのはとても恵まれた環境です。

かつては村でも自然の中で遊ぶ子供の姿があちらこちらで見られたようなのですが、最近は全然見なくなったと農家さんや役場の方がおっしゃられるのをよく聞きます。自分が田んぼでタガメを捕まえたときのような喜びや興奮をいろんな人にも感じてもらいたいなと思いますし、そのためにはたくさんの生き物が溢れていて、安全に遊んだり生き物と触れ合える環境や機会をもっと身近につくっていく必要があると考えています。
たくさんのいろんな生き物がいることって、とても楽しいことだと多くの人に伝えたいです。生きものが生息しやすい環境を整え、生きものと触れ合える環境をつくっていく。そのことがエーゼログループの目指す「未来の里山」のひとつの姿でもあると感じています。

お米の収穫はいかがでしたか。

太刀川:お米生産の成果としては約1,600Kgの収穫がありました。食味値※も88点と良い成績でした。
目指した完全無農薬栽培については途中、いもち病の発生がみられたためにやむを得ず薬を使用したので完全無農薬にはなりませんでしたが、節減対象農薬当地比7割減を実現しました。
生き物にとっていいだけじゃなくて、ちゃんと美味しいお米を求めていくのは大事なポイントだと思っています。そこは、村の農家さんにも相談させてもらいながら、自分でも色々勉強しながら引き続き進めたいです。
(※食味値はアミロース、タンパク質、水分を計測し算出され、満点は100 点です。一般的に75 点以上であれば美味しいお米とされています。)

また、完全無農薬はとにかく除草の手間がかかるし、これを全ての農家さんがやるのはとても無理だと思いました。でも生き物のことを考えると農薬は極力使いたくないとした時に、例えば除草剤の使用回数を1回だけにして、薬の影響がありそうな時期は生き物をビオトープに避難させるとか。農家さんの負担が大きすぎないやり方で生き物が沢山来て、お米も美味しく収量もあり、、というのを成立するのはどういうやり方だろうというのは諦めずに考えたいです。

今後については、ビオトープが今年は1箇所だったところを管理する各田んぼに造成し、また面積も田んぼの10%以上確保したいと思っています。そしてできるだけ春先早めに水を入れて、カエル等が産卵しやすい環境を作りたいです。1年を通じて水辺を利用する生き物が生息できるような環境を作っていきたいなと思っています。
今はエーゼログループだけの取り組みなんですけど、それをゆくゆくは地域に広げていきたいという思いはあって。そのためには、ビオ田んぼで育ったお米を買っていただくことが必要なのでどういうお米なのかをしっかり伝え、販売にも力を入れていかなくてはいけません。ちゃんと売れるお米に育てて農家さんにも利益が出ることを提示して、一緒に取り組んでくれる仲間を増やし、ビオ田んぼも少しずつでも広がっていくといいなと思っています。

西粟倉でのお米づくりの師匠たちの存在

今回、村でお米づくりの師匠の方々のお力も借りたということで、お二人の方にもお話を伺いました。
お一人目は福島八郎(ふくしま・はちろう)さん。
お二人目は白岩秀之(しらいわ・ひでゆき)さんです。
福島さんは減農薬でお米作りをされている西粟倉では数少ないお一人。
これまでどのようにお米づくりをされていたのでしょうか。

福島さん(以下敬称略):定年後から本気になってやりだして20年ほど田んぼをしてきました。
一番最初は子どもや孫に安全なものを食べさせてやりたくて、無農薬栽培しようとやりかけたのが始まりです。最初は鴨をようけ買うてきてアイガモ農法をして。鴨たちはようけ草を取ってくれていいんだけど田んぼ終わった後の鴨の始末に弱ってね。かわいそうに思うてしもて辞めました。そのあと「メダカ米」として米作りをしましたね。

(福島八郎さん)

「メダカ米」の最初は、ここは最上流の冷たい水が当たる田んぼなので水を温もらせるつもりで池を作ったんですね。その池でメダカがいっぱい増えて、ぬくもった池の水を流し込んだらメダカも田んぼに入って一斉に産卵するようになったんです。そこから生き物も増えました。
生き物が居ることを孫たちはよう喜んでね。孫が小さい時分はバケツいっぱいにアカハライモリを採っておりました。

(福島さんの田んぼのそばで見つけたアカハライモリ)

福島さんの田んぼは山裾なので効率よくお米が作れる場所ではないですが、いろんな生き物が入ってきやすい場所で子どもにとっては最高の遊び場ですよね。

福島:そうなんです。

太刀川:ビオ田んぼでは4月は水路の一番上の少し水が溜まっている場所に5匹ぐらいメダカがいたんです。それはきっと八郎さんところから来たメダカたちだと思います。それが今では、何十匹と増えました。

福島さんが20年以上やってこられたことで増えてきた生き物たちがいて、今の太刀川さんのチャレンジにつながっていると思います。福島さんからこれから大事にしてほしいなと思うことや、伝えたいなと思うことはどんなことがありますか?

福島:このまま守っていただければいいです。今のままで生き物はどんどん増えると思います。生き物が増えるということは、安全なお米でしょう。安全な食べ物を作って欲しいです。

太刀川:八郎さんが試行錯誤されて戻ってきた生き物たちが自分の田んぼにわずかに今年来てくれて、それがまた増えたりしたので、もっといろんなところで増やしていけたらいいなと思いました。

福島:それは最高やな。そういう環境になったらええな。

白岩さんにもお話を伺いました。
まず白岩さんから、これまでについてお伺いしても良いですか。

白岩さん(以下敬称略):僕はずっと酪農しよって、一番最初は田んぼを借りて牛の餌を作っていました。でも牛の頭数を増やしていくと同時に田んぼで作っている自給飼料の割合が追いつかんようになってきて購入飼料に切り替えました。そうすると田んぼがあるし丁度トラクターとか機械が出てきたこともあって稲を育てるようになりました。
そして農協に売る前提でのお米づくりをするようになって、規模が拡大していくようになります。
それと牛の糞尿の処理として土地に還元せにゃぁならんし酪農を続けるためにお米づくりをしたということもありますね。

(白岩秀之さん)

ありがとうございます。そんな白岩さんにお米づくりの先生をしていただいたと伺っています。太刀川さんにとってどんな存在だったのでしょうか。

太刀川:米づくりはやったことがないので何もわからなくて、そんな時に白岩さんを紹介していただきました。
白岩さんは地域の酪農家さんでもあって、村の中でも広い面積でお米を育てられています。
その白岩さんに毎日の基本的な水管理の仕方から田植え、田起こし、生育の見方…まさに米づくりのイロハを教えていただきました。会社で持っていないトラクターや田植え機、コンバインのような農業機械が必要な時には作業をしていただきました。
わからなかったらいつでも電話してくれればいいけえと言っていただいて、色々と相談しやすい関係を作らせていただけたのがとてもありがたかったです。白岩さんがいてくださったからこそ今年無事にお米が穫れたと思っています。本当にありがとうございます。

白岩さんが太刀川さんの指導役をされて何か感じられたことがあれば教えてください。

白岩:今、西粟倉の米農家の平均年齢が70歳を超えてるようなところで、太刀川くんのような若い人が農業する、米づくりをすると言ってこられて嬉しかったです。
でも太刀川くんが無農薬で米づくりをしたいということは、実際僕らは無農薬でやった経験はなかったのでわからないこともあったんじゃけど、太刀川くんが無農薬でやるんだ!というやる気に押されましたね。いい勉強になりました。
農薬使うたら、1時間で終わるところが無農薬でやるとなると作業が何日もかかる。
でも太刀川くんはほんまに本気だったんです。
僕が「あがしたらいいんじゃないか」と言うたら、それ以上に勉強されとる。いろんなことを調べてやる。
長い間米づくりをやってきたんだけど、気持ち的に原点に返ったような気がして、こういう試行錯誤のようなことを昔はしよったなと思い出したり、こういうことをせないけんのじゃなと、ほんまに勉強になった。

太刀川:いえいえ、お米の栽培の基本的なことは本当に白岩さんに教えていただきながら、でも無農薬はこの辺りで誰もやられてないので本を読んだり、滋賀県や真庭市で取り組まれている方に尋ねながら試しました。多分白岩さんからしたら、何でそんなことをするんだみたいなことを結構やっていたと思います。でもそれを温かく見守ってくださったことはとてもありがたかったです。

白岩:やっぱりだんだん米づくりする人も少なくなってきて、代わりに作ってくれ言う人がどんどん増えてきてね。今年もまたちょっと増えたんだけど。
僕ももう70歳じゃでな、どうにかせんといけんのは目に見えてる。

太刀川:僕らができることは本当に限られてるんですけど、どうすれば田んぼやこの豊かな自然を残していけるのかを考えていきたいです。田んぼのない田舎って寂しいですしね。

美味しいお米づくりもするけれど、その上でいろんな生き物もいるような場所、子どもたちの遊び場にもなるようなことも目指しているビオ田んぼプロジェクトを白岩さんはどんなふうに思われますか。

白岩:生き物がようけ居るということは、やっぱりそんだけ健康な米づくりしよる証明になるんじゃないんだろうかな。

太刀川:収量だけをみれば慣行栽培より下がると思うんですけど、それでも全体的に見たときに、生き物がたくさんいて自然環境が守られていたり、お米の味が良いという米づくりを目指したいです。

(白岩さんの育てる乳牛の牛乳を使ったソフトクリームを食べながら)

最後に太刀川さんに伺います。
エーゼログループが掲げる「未来の里山をつくる」という問いのような言葉がありますが、太刀川さんにとって未来の里山って何でしょう。
あと、今のビオ田んぼプロジェクトが広がっていった時に、どんな未来に繋がると思われますか。 

太刀川:僕にとってかつての里山のイメージは柴刈りや炭焼きに山に入ったり、川から田に水を引く水路の泥上げをしたり、生業を行う中で絶えず人の手が適度に入って保たれてきた自然の姿です。まったく人の手が入っていないのではなく、むしろ人が適切に関わってつくられてきた2次的な自然。そういう里山の自然や風景に温かみを感じますし、結果としてその環境に適応した生き物と人の関わりにほっとします。
人の関わりがあって初めて、里山が成り立つと思っていて、なので「未来の里山」は僕にとってはもう一度自然と人の関わりを作り直すことかなと思います。今自分は、田んぼをお米の生産の場所だけではなくて、多様な生き物が育まれて、人と生き物が気軽に触れ合える場所にしたいと思っています。これも新しい田んぼと人の関わり方をつくっていく作業だと思っていて、そういう意味では未来の里山をつくるということでもあるのかなと思っています。
このプロジェクトの先には、村中の田んぼにたくさんの生き物が溢れていて、そこで遊ぶ子供や大人の姿がいたるところで見られる光景が広がっているといいなと思います。その時には、前向きな気持ちでお米づくりに取り組める農家の方がさらに増えていてくれたらとっても嬉しいです。

ありがとうございました。ビオ田んぼプロジェクトの今後とても楽しみにしています

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(販売されているお米のタグは太刀川さんが1枚1枚手書きしたものです。)