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あつまちょう
“三度目の正直”で厚真町へ移住する林業の若手プレーヤー。「森が楽しめる場所だと伝えたい!」
Date : 2021.03.12
2021年春、厚真町にまた一人、林業の若手プレーヤーがやってきます。
「厚真町ローカルベンチャースクール2020」で最終選考を通過した坂野昇平さんです。
千歳市出身、27歳(2021年2月現在)の坂野さんが、なぜ厚真町へ? なぜ林業を?
4月から森に係わるナリワイづくりに挑む坂野さんの「これまで」と「これから」について聞きました。
坂野昇平(さかの・しょうへい)さん
1993年、千歳市生まれ。岩手大学農学部卒業後、修士課程に進む。1年間のドイツ留学後、馬方(馬を活用した仕事を伴う親方的存在)に付いて1年間全国を行脚。2020年3月、修士課程修了。農業関連企業の勤務を経て「厚真町ローカルベンチャースクール2020」に応募。2021年4月より厚真町で活動開始予定。
先輩たちの後ろ姿に「いつか自分も!」
— 坂野さんは2020年12月に行われた「厚真町ローカルベンチャースクール2020(以下、LVS)」で「人と森をつなぐ Forest Space」をテーマにプレゼンを行い、最終選考会を通過しました。このビジネスプランについては後ほど詳しく聞きますが、まずはいつから、なぜ林業に興味を持つようになったのか教えてください。
坂野:小学生の頃に教科書やニュースで環境問題を知って「何とかしなくちゃ」と思ったのと、人と関わる接客業に就くのは無理だと思っていたので、山を買ってひっそり稼ぐことができたらいいなと漠然と考えていました。
中学生のとき、日本の山村は森林資源が活用されないまま過疎化が進んでいると聞いて、「それはすごくかっこ悪いな」と思いました。当時もさまざまな環境保護団体が森を守る活動をしていましたが、大きな流れを食い止めるにはいたっていません。
ということは、「正しさ」だけで世の中を変えようとしても限界がある、大きなお金が動かないことにはこの状況は変えられないんだろう、そんなふうに思いました。それで、ビジネスの視点で山を見ることができるよう農学部へ進もうと決めました。
— 中学生でそこまで考えていたんですね。そして、高校卒業後に岩手大学農学部に進みました。大学時代は何を勉強していたんですか?
坂野:専攻は林業生産工学です。簡単にいうと、いかに森林資源を効率よく活用し、安全に木材を生産するかというのがテーマで、労働安全や機械化について学びました。
そのなかで小規模林業に魅力を感じ、特に馬搬に興味を持ちました。それで修士課程に進み、馬搬をテーマに論文を書くんですが、そのときに教授から「岩手大学出身で、今は北海道で馬搬をやっている西埜さんという人がいる」と紹介を受けます。
— 西埜将世さんですね。それで、厚真町とのつながりができた。
坂野:はい、2016年だったと思います。厚真町の環境保全林で馬搬作業をしているところをビデオカメラで撮影させてもらいました。その後、西埜さんが道南へ行く用事があるというのでご一緒させてもらったんですが、その道中の厚沢部町で中川さんに会いました。
— 『木の種社』の中川貴之さん? 中川さんが厚真町へ来る前ですね。
坂野:そうです。中川さんの家におじゃまして西埜さんと3人でお酒を飲みながら、林業のこと、森のことを話したんですが、自分にとってはこれが決定的だったのかなぁ。中川さんが曲がったきゅうりをまな板に置き、丸太に見立てて製材の話をしたのを覚えています。
こうやって、小規模だけど小さなニーズに合わせて製材の仕事をやろうとしている人がいるんだと知って勇気が湧きました。しかもその人が厚真町へ行きたがっている……、「いつか自分も」と思いましたね。
それから1年間ドイツへ留学して林業を学びました。印象的だったのはドイツの人たちがカジュアルに森へ入って楽しむ姿でした。森の中のレストランでジビエ料理を味わったり、お誕生日会を開いたり。こういう森との付き合い方があるんだと知って、すごくうらやましかったし、日本でもできないだろうかと考えるようになりました。
新卒で地域おこし協力隊は無理!?
— ドイツでの留学中に、「やりたいこと」が見えてきたわけですね。
坂野:実は留学中に厚真町役場でLVSを担当している宮久史さんと連絡を取り合い、応募する準備を進めていました。
そして、留学を終えて帰国したのが2018年9月5日です。その夜に北海道胆振東部地震が発生しました。
— 行きたいと思っていた場所がまさに震源地に……。
坂野:ショックでしたし、それからLVSが中止になったと聞いて、二重にショックでした。そのときに岩手県で馬搬をされている馬方から声をかけてもらい、付き人のような形で一緒に行動することにしました。
その後でLVSが再始動することを聞きますが、既に馬方に付いて行くことを決めていたので、結局この時の最初の応募は取りやめたんです。
それから1年間、馬方と一緒に全国いろいろなところへ行き、馬搬に興味のある人たちや森で活動している人たちに会いました。印象的だったのは、愛知県で森林整備団体の間伐作業に参加したときに、シニアの方々に混じって若い女性がけっこういるのを目の当たりにしたこと。森に入りたい人、小規模林業に興味のある人が世代も性別も超えているのを実感して可能性を感じました。たくさんの気づきを与えてくれた馬方には感謝しています。
— そして2019年度のLVSは正式に応募をしましたね。一度LVSを検討した上で全国各地を見てきた坂野さんがやっぱり厚真町でチャレンジをしようと思ったのは、西埜さんや中川さんがいたから?
坂野:きっかけはそうです。ただそれだけじゃなく、西埜さんを通じて出会った方々、中川さんもそうだし、役場の宮さん、厚真町で活躍する林業家の永山尚貴さんなど、林業に携わるプレーヤーの方々が本当に魅力的だったのが、厚真町に惹かれた理由です。
— ところが、このときは一次選考会の後に辞退なさいます。それはどうして?
坂野:う〜ん……。途中でわからなくなったんです。新卒で地域おこし協力隊になることが、果たして正しいことなのか? 西埜さんも中川さんも(※)、協力隊になる前にたくさんの経験を積み重ねた上で厚真町に来ている。でも、自分にはそこまでの経験がありません。そんな自分が行って大丈夫なのかと散々迷って、このときは辞退という道を選びました。
※西埜さんは2017年4月〜2020年3月の3年間、中川さんは2019年4月より地域おこし協力隊として活動中
— 結果的に2020年4月に三重県の農業関連会社に就職します。
坂野:はい。会社では、間伐材を活用した防災事業のプロジェクトを立ち上げる新規事業の部署に入りました。ですが、新型コロナウイルスの影響を受けて現場が止まり、オフィスにこもりきりで、林業とはかけ離れた業務をやることになりました。
会社にはすごくよくしていただいたのですが、地域に知り合いが少ないなかでずっと引きこもりのような状態が続くのは想像以上にキツく、仕事そのものも林業につながるまでに2〜3年はかかるだろうと言われ、精神的にまいってしまいました。それで、本当に申し訳なかったのですが、その年の9月に退職しました。
会社を辞めたものの、次のアテはありません。まずは県内で働き口を探さなくちゃと思っていたところ、西埜さんから連絡が来たんです。「手稲区(札幌市)の現場で一緒に働かないか?」って。
— 虫の知らせ!?(笑)
坂野:すごい偶然ですよね。実はもう一人、同じタイミングで連絡をくださった方がいて。
宮さんです。「次のLVSにもう一度、応募してみない?」と。正直、前回は自分から辞退したわけですから、もう二度と応募できないと考えていました。宮さんに声をかけてもらわなかったら、手を挙げることはなかったですね。
— 前回は、経験値が少ない新卒の状態で協力隊になるべきではないと考えて辞退したわけですよね。それから数か月後の決断でしたが、そこに対する迷いはなかったのでしょうか?
坂野:就職をしてわかったことでもあるかもしれませんが、「スキルを身につけてから挑戦しよう」と言っている限りは永遠に踏み出せなかったと思います。例えば、会社で3年間実務経験を積んでから次はこれをやろうと計画したとしても、コロナ禍のように、すべて予定通りに進むとは限りません。
「やりたい」と思うんだったら、やれるチャンスがあるのなら、そのときに踏み出したほうがいいんだと、1年たって思いました。
自分はまだ若いし独身なので、ある意味リスクを取りやすい状況ではあるのかなとも考えています。
既に西埜さんや中川さんをはじめとする厚真の地域の先輩方はノウハウを惜しまず提供してくれます。こんな環境はなかなかありません。今やらなかったら、確実に後悔するだろうと思ったんです。
都市と森、市民と森をつなぐ
— 坂野さんがこれからやろうとしていること、「人と森をつなぐ Forest Space」について教えてください
坂野:人々の森に対する見方を変えたいです。都市に住んでいて、森にまったく関心のない方からすれば、森はただの風景に過ぎません。「何もないところだね」で終わってしまいます。
ですが、森が楽しめる場所だと気づけば見え方がガラッと変わるはずです。「この森にはこんな木もあんな木もあって豊かだな」「あの森へ行けばこんな楽しみ方ができそうだ」と、森の見方が変わることで、地域の見方が変わります。
その一つの方法として考えているのが「薪(まき)ヤード」です。薪ヤードは、誰でも薪を割り、薪をストックできる「場」です。みんなでワイワイと薪を割ったり、焚き火を囲んだり、自宅に薪を保管する場所がない人は薪を預けることもできます。
ウッドデッキスペースやちょっとゆるめのコワーキングスペースを設けて、くつろいだり、仕事もできるようにしたいです。薪ヤードは薪を媒介に、都市と森、市民と森をつなぐ拠点。言うなれば森林空間サービスです。
— 薪ヤードの実現に向けて、既に動き出しているようですね。
坂野:はい。実現のためには場所や設備、資金の確保はもちろん、林業家としての基本的な技術の習得も必要です。幸い自分には、ビジョンに共感してくださる協力者や仲間がたくさんいます。西埜さんや中川さんの仕事を手伝ったり、「あつま森林むすびの会」の活動に参加させてもらったり。
町内の『かまた木炭』さんでは仕事を通じて炭焼きや薪割りの技術も教えてもらっています。厚真在住の方から私有の広葉樹林を提供していただけるというお話もいただいています。
まず1年目はいろいろなところへ顔を出し、いろいろな経験をさせてもらって、スキルを身につけたいですね。ただ、そればかりでは日々の労働で目標を見失ってしまいそうなので、どこかで自分のやりたいことを絞っていかなければダメなんだろうと考えています。
— 3年後はどうありたいですか?
坂野:薪ヤードをどこまで実現できるかわかりませんが、少なくとも、そこに行けば何かができるという場をつくりきりたい。坂野の名刺代わりになるような、スタート地点を築いておきたいです。
それともう一つは、西埜さんや中川さんを見て自分はここにいるので、3年後には「坂野がいるから厚真町へ行きたい」と言われるような面白い人間になれたらいいなと思います。厚真町の森に人が集まるという流れが自分で終わってしまったら意味がない。どんどん次へつないでいく、その一つに自分もなれたらいいなと思っています。
— さらにその先はどう考えていますか?
坂野:そうですね。もし薪ヤードがヒットして人を集められるモデルができたら、道内に限らず、いろいろな地域で真似してもらいたいと思っています。日本は森が豊かですが、森の空間自体を生かすビジネスは未開拓だと思うんです。
でも、自然の中で過ごしたいと願う人たちがたくさんいることを、全国各地で目の当たりにしてきました。ソフトとして森をとらえたとき、ビジネス的に伸びる可能性はものすごくあると感じています。
ビジネスとして森が大事だと気づけば、みんな森を大切にすると思うんです。金銭的なメリットがないと思われているから、木をバーッと伐ってソーラーパネルを置こうとか、宅地にしようという発想になる。森そのものが価値を生むんだと気づけば、森林資源が活用され、結果的に森を守ることにつながるでしょう。10年、20年かかるとは思うけど、ちょっとでもその力になれたらいいなと考えています。
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馬搬の西埜さん、製材の中川さんといった前を走るプレーヤーの存在がなければ、坂野さんは厚真町に来ることはなかったのかもしれません。厚真町の森はプレーヤーが加わるたびに可能性が広がり、「できること」は確実に増えています。
坂野さんが厚真町でどんなナリワイを築いていくのか。そして、厚真町の森がどう変わっていくのか。これからの活動に注目していきたいと思います。