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かまた木炭・厚真に移住して13年。先輩から受け継いだ技で、炭焼きを繋いでいきたい

夕張山系を望む広大な森林に抱かれた厚真町の北部・中南部地区。昔からこの地域では、豊かな森林資源を生かして木炭の生産が盛んに行われてきました。けれども昭和30年代以降、生活様式の変化に伴い家庭の中から炭は消え、木炭産業は急速に衰退していきます。しかし町内には、今もなお炭窯の火をともし続ける人びとがいます。「かまた木炭」を営む鎌田武一さんもその一人。田舎暮らしにあこがれ、厚真町に移り住んで13年。伝統の技を受け継ぐ、炭焼き職人の挑戦を追います。

 

目には見えない窯の中を“みて”火を操る

– 「かまた木炭」の炭づくりについて教えてください。

 


 
鎌田:木炭には備長炭に代表される「白炭(しろずみ)」と、軟炭と呼ばれ火つきのよい「黒炭(くろずみ)」があります。うちで作っているのは黒炭で、4基の炭窯を使って木炭を生産しています。町内には専業で炭を焼いている事業者が3社あり、そのほかに週末だけ焼いているところが一つありますが、当社は町内でも規模としては大きい方です。

原料は北海道産のナラとイタヤ(カエデ)の2種類を使っています。どちらも広葉樹です。針葉樹よりも広葉樹の方が木炭に向いています。作り方を説明しましょう。

①木割り。まず入荷した生木を扱いやすい大きさに切ります。太さはほぼ一定に、長さは135cm前後にそろえます。

②立て込み。次に木割りした原木を、窯の中に「立てた状態」で入れていきます。立て方が緩いとその部分だけ火が入り過ぎて仕上がりにバラツキが出るので、できるだけ隙間を空けないよう、ぎっしりと詰めます。木が曲がっていると中に詰め込める量が減ってしまいます。1回にできるだけ多くの木を焼きたいので、炭材はまっすぐなものを選びます。
 


 
③乾燥。立て込みが終わったら口焚をします。3日間ぐらい焚いて生木の中の水分を抜きます。窯の中を見ることはできないので状態を煙の色でチェックします。最初青みがかっていた煙は成分が抜けてだんだん白っぽくなっていきます。

④炭化。水分が抜けたらようやく窯に火が回り、木に火がつき始めます。炎を立てず消えない程度に空気を与えてじっくりと“蒸し焼き”の状態にします。煙突の温度、煙の色や匂いを確認しながら空気の量を調節し、少しずつ燻します。窯に入れた炭材は1日に30cmぐらいずつ燻されていき、4日間かけて完全に炭化します。

⑤精錬。煙突から煙が出なくなったら、炭材がすべて炭になった合図です。窯の口を開放して一気に空気を入れます。こうすることで窯の中の温度が上がり、火力の強い炭になります。この作業は丸1日ぐらいかかります。

⑥窯止め。通気口を完全に塞いで炭が冷えるまで待ちます。1週間ぐらいそのままの状態にします。

⑦窯出し。窯の中が冷えたら木炭を外に出し、選別・裁断して袋に詰め、商品化します。

– 炭を1回作るのに2〜3週間かかるんですね。

 


 
鎌田:はい。作業工程を少しずつずらしながら4つの窯を順に使って、まわしていきます。だいたい1カ月で4枚(回)まわします。冬は気温が下がって地面がシバれる(凍る)ので窯の中の温度を上げるのに時間が掛かります。夏は春先に切った木を焼きますが、春の木は火がつきやすいので燃焼をおさえるため空気があまり入らないようにします。

季節によって気候も違えば、木の状態も異なります。けれども木炭の品質は一年を通して一定にしなければいけません。しかも何度も窯のフタを開けて中の様子をチェックすることはできない。煙の状態や煙突の温度計を確認しながら、窯の中がいまどうなっているのかを推測するしかないのです。

精錬段階で高温にすれば硬く締まった良い炭になるけれど、温度を上げすぎると溶けたようになって炭としては売り物になりません。日々条件が変わる中でいかに最適な窯の中の環境を作るか。「炭焼き一生」といわれるゆえんです。

 


– どのようなところに出荷していますか。

鎌田:出荷先の多くは飲食店です。札幌や苫小牧、岩見沢の飲食店にも出していますし、本州の焼き鳥チェーンにも出荷しています。道内で売れているのはイタヤですね。イタヤは火力が強く、炭を起こしてもバチバチと弾くことはありません。硬くて火持ちがいい。みなさんからそう評価していただいています。長持ちする要因はいろいろあると思いますが、一つは時間ですね。うちでは炭化させるのになるべく長い時間をかけて燻ります。あまり短い燻り期間だと硬く締まった炭にはならないんです。

本州の焼き鳥チェーンには、特注のナラ炭を出荷しています。一般的には火力の強い炭が喜ばれますが、そのお店からは、火力が強くなり過ぎない炭が求められています。そのためイタヤではなくナラ材を使い、さらに精錬工程で空気を入れる時間を通常より短くすることで、あえて火力が強くなりすぎないように仕上げています。

飲食店以外では、キャンプやご家庭でのバーベキュー用に使うお客さまもいらっしゃいます。インターネット販売はしていませんが、うちに直接お越しいただければお買い求めいただくことは可能です。このほか、厚真町のふるさと納税の返礼品として提供しています。

– 世の中には外国産の安価な炭があふれています。価格差は相当なものがあり、価格競争では勝ち目はありません。それでも、国産の木炭を求める人が数多くいる。それはつまり、価格には変えられない品質(価値)が求められているということでしょうね。

鎌田:ありがたいことです。おかげさまで現在は需要に供給が追いついていない状況です。木炭自体のニーズは一定程度ある一方で、生産者が高齢化などで減ってきていることに加え、東日本大震災の影響もあって、木炭の生産量が減少してきています。木炭業界での担い手の不足の問題は、林業よりも進行が速いかもしれません。

 

同僚は人生の大先輩たち。どんな仕事かも知らなかった

– 会社について教えてください。

鎌田:かまた木炭の前身は新田産業といいまして、先代(新田勝正氏)が昭和25年に創業しました。厚真は炭の原料となる木が多く、冬は雪も少ないから木が切り出しやすいため、炭づくりには適した環境だったのでしょう。ほかにも炭焼き業者はたくさんあったようです。夏は農家をやりながら、冬場の仕事として炭を焼いてしのいだ人も多くいたと聞いています。

 


 
当時はいまのように窯を固定して原木を運び込むのではなく、山の中に窯を造り、自分たちで木を伐って炭を焼き、周囲の木が無くなったら次の山に移動して新たな窯を造ったそうです。当時は運搬に馬を使っていましたが、やがてトラック輸送が一般的になると、わざわざ窯を造り直さずとも原木そのものを運んでくることができるようになり、この場所に窯を構えることになりました。

創業当時はどこの家庭でも煮炊きのために炭を使っていましたが、だいたい昭和30年代からガスなどの化石燃料に置き換わり、生活の中から木炭が姿を消していきました。その頃に廃業した人はいっぱいいると聞いています。

– 表現が悪いかもしれませんが、家庭から炭が消え、産業としてはとうの昔に全盛期を過ぎた木炭製造の世界に、どうして鎌田さんは入ろうと思ったのですか。

鎌田:私は青森県出身で、大学卒業には一度民間の会社に就職しました。ただ、もともと田舎暮らしをしたいという気持ちもあって。その時に、新田産業の話を人づてに聞き、炭焼き自体を知っていた訳では無いのですが、その時はやってみようかなという気持ちになりました。

– ずいぶんと思い切った決断ですね。

鎌田:その時の勢いって有るんでしょうね(笑)。ただ、厚真町という場所は海が近くていいな、札幌も近いから不便じゃないだろうなとは思っていました。

– 炭焼きの仕事はどうでしたか。

鎌田:社長のほかにベテランの職人さんが2人と、比較的若い職人さんが1人。それでも全員70歳を超えていました。世間一般では引退していてもおかしくない年齢なのに、現役バリバリで木を伐ったり、重いモノを運んでいる。もうビックリしました。もちろん最初は分からないことだらけでしたが、みんな若い自分のことをかわいがってくれました。聞けばどんなことでも教えてくれました。それはとても嬉しかったですね。

大変なことと言えば、夜に窯の火を焚きに来なくちゃいけないことでしょうかね。炭焼きは窯に一度火が入ったら、朝から夜中まで4時間おきに火の管理をします。これは、根気のいる作業かもしれませんね。
 

– 先代の跡を継ぐことを意識したのはいつ頃からでしょうか。

鎌田:特に意識していた訳ではありませんでした。先代も何歳になっても元気でしたし、なにより現場が好きだったので。ただ先代も86歳になったこともあり、昨年(2016年)の5月に急遽代替わりすることが決まりました。

代表になったのは2カ月後の7月です。新田産業からかまた木炭の屋号に変えて再スタートしました。現在は、自分ともともと林業をされていた加賀谷さん、地域おこし協力隊の中山君、パートさんの5人で窯をまわしています。

– 今後について、どのように考えていますか。

鎌田: 自分が木炭産業を引き継いだので、まずは守っていきたいという気持ちが強いです。少しでも長く炭を作っていきたいですし、そのための努力を続けていきたいと思っています。

 

 70歳、80歳になるまで炭をつくり続けたい

– 鎌田さんの後輩である中山さんは、入って3年目。中山さんは「木炭がつくりたくて」地域おこし協力隊に応募したと聞いています。そのあたりの経緯を教えてください。

中山:はい。以前は炭を扱う札幌の問屋で働いていました。ですから、炭がどのようにできるかも知っていたし、昔からものづくりには興味がありました。それで2014年、29歳のときに協力隊に応募し、それ以来こちらでお世話になっています。

– 実際に炭づくりに従事してみて、いかがでしょうか。
 


 
中山:炭づくりは一見単純な作業にみえますが非常に奥が深いですね。仕事を始めて2年経ちますが、10年やって一人前といわれるこの世界の入り口に僕はまだ立ったばかり。自分ができることは少なく、鎌田さんにくっついて仕事を覚えている最中です。

現在は窯の中に材料を立て込む作業を任せてもらっています。立て方一つで仕上がりが変わり、出来高が1つの窯で10%前後変わることもあります。とても責任を感じていますし、そうした仕事を任せていただいているのは新人としてとてもありがたく思います。いまはとにかく一日でも早く仕事を覚えて、鎌田さんをサポートしたい一心です。

– 地域おこし協力隊の任期は3年。つまり今年度で協力隊を卒業することになりますが、その後はどうなさるつもりですか。

中山:厚真町でこの仕事を続けます。実は、かまた木炭に就職することになっていて、春以降もこちらでお世話になります。協力隊になった当初は独立を目標としたこともありましたが、仕事を続けるうちに実状も見えてきて、いまは新しい窯を造ることよりも、この窯を守っていくことを第一に考えるようになりました。

鎌田さんとは年齢も近いということもあり、とても楽しく仕事が出来ています。個人的には70歳、80歳になるまで炭をつくり続けられたらなと思っています。

 

最後に、中山さんに率直な疑問をぶつけてみました。「炭作りはどちらかというと辛い作業が多いように見えます。それなのに、なぜこの仕事を続けていきたいと思うんですか?」。

中山さんはしばらく考えたあとに言いました。「きれいな炭ができたときのうれしさ。失敗してボロボロになったときのガッカリ感。日々そうした一喜一憂の繰り返しですけど、それがやりがいなんだと思います。面白くもあり、難しくもある。ずっと続けられる。ずっと挑戦しがいのある仕事。いまはそう思っています」。

鎌田さんは言います。「厚真町に飛び込んで、気がついたら13年経っていた」と。「ただ、もっともっと良い炭を焼いていきたい」。
森の黒いダイヤに魅せられた二人の職人の物語は、まだ始まったばかり。より良い炭を目指して、日々挑戦が続きます。

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