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「厚真町の人たちは“住民力”が高いんです」。町民に寄り添う村上朋子さんに聞いた、まちの今とこれから。
Date : 2019.05.13
厚真町の「厚真町社会福祉協議会」に勤めている村上朋子さん。
北海道江別市出身で、看護師やオーストラリアでの医療通訳の仕事を経て、2008年に厚真町へ移住したという、アクティブでとにかく明るい人柄の女性です。
2018年9月の北海道胆振東部地震後、厚真町民をどう見てきたのか、そして何を感じているのか、お話をお聞きしました。
震災後、町内の全戸を回ってまちの状況を把握する
— 村上さんはどのような経緯で厚真町に移住されたのですか。
村上:ただ単に、サーフィン。(笑)。ダイビングやサーフィンが好きで、沖縄やオーストラリアに住んでいたこともあったんです。でも故郷の北海道へ戻ってきて、終の棲家を、サーフィンのできる厚真町に決めさせていただきました。
夫と何の下見もせず、一番海に近い上厚真に物件があったので、即買い(笑)。厚真町役場の担当の方も驚いて「え、少し試しに住まなくていいんですか?」「いえ、いいです」っていうやりとりをしました。私の母にも「厚真行くよ!」って一緒に引っ越してきたんです。夫は2009年に、厚真町でサーフショップ『tacoo(タクー)』をオープンしました。
— 厚真町ではどのようなお仕事をしているんですか。北海道胆振東部地震後のことも教えてください。
村上:「社会福祉協議会」っていうところなんですが、一般の方は馴染みがないですよね。略して「社協」と呼ばれています。地域の住民やボランティア、福祉・保健関係者、自治体などと協力し、福祉によるまちづくりを目指す民間団体です。
北海道胆振東部地震後、まず「社協」では「厚真町災害ボランティアセンター」を開設し、土日や祝日のボランティアを募集し、受け入れました。
途方に暮れるような生々しい被災現場や、目の前の現実に向き合っている住民の方たちのところに、町内はもちろん、札幌、恵庭、苫小牧、北広島、江別、岩見沢など、町外からもたくさん来てくださっています。全道の「社協」や専門の団体も複数入りました。
また、「社協」に生活支援相談員を2名配置しました。生活支援相談員とは、被災者の支援を行う人です(編集部注:トップにある写真の左側にいるのが、生活支援相談員の山口純子さん)。東日本大震災や新潟中越地震などの発生後にも、各市町村の「社協」に職員として配置されました。私は、その生活支援相談員や業務を統括する責任者で、生活支援係長です。
— まちには保健師もいらっしゃいますよね。
村上:えぇ。大きく分けると、医療や心のケアなど専門性の高い部分は保健師が、それ以外の地域コミュニティの支援は私たちが担当しています。
2018年11月から保健師と生活支援相談員が世帯調査として、まずトレーラーハウスを含む仮設住宅、みなし仮設住宅(仮設住宅に準じる、被災者が無償で入居する民間の賃貸住宅)、公営住宅の避難者のところを回ったんですよね。その後、必ず最低月1回訪問しています。
でも自宅に住んでいる被災者の方もいるので、2019年1月からは全戸へのポスティングを、福祉医療専門職のボランティアの方と一緒に行いました。保健師が継続で担当するところと、生活支援相談員が担当するところの役割分担をして回っています。
気になる人のところへは何回も行っています。何かお知らせがあればポスティングしたり、会えなかったら「お変わりありませんか?」とメッセージを残したり。
1月と2月で500戸を回れました(編集部注:取材は2019年2月28日に実施)。まち全体で約2000戸ですから、4分の1は回れたことになります。
地域を回っていれば、被災状況とか今の心の状況とか、住民のいろんな声を拾って把握することができます。私たちは、あくまで町民のお話を聴いて、サポートすることしかできません。「こういう課題があります」と行政にお伝えして、可能なら対応してもらっています。
でも、すべて解決できるわけではありませんから、例えばコミュニティの課題であれば「みなさんで話し合って決めてください」とお話しすることもあります。
仮設住宅のリーダー機能も回り始めている
— 全戸を回るって、簡単なことではありませんよね。
村上:保健師がすべての町民を知っていて、民生委員やケアマネージャーからも、町民の住んでいるところと顔と情報が、パッと出てくるんです。もともと保健師たちが健診後のフォローや訪問などをきちっとしていて、代々培ってきたものも大きいです。「厚真町ってすごいな!」と思いました。
でも、私たちだけでは回れないので、実際に足を運ぶのは外部の専門資格を持ったボランティアにもお願いしています。
2月21日に大きな余震がありましたが、いろいろな専門職のボランティアさんが集まってくれたんです。ソーシャルワーカー、精神保健福祉士、ケアマネジャー、産業カウンセラーなど、災害ボランティアセンターに継続的に入ってくださっているプロフェッショナルがいっぱいいるんですよ。みんなで地域を回ってもらったんです。
— 強力なチーム編成ですね。
村上:はい、おかげさまで、そうなっちゃいました(笑)。すごいチームだと思います。
— 北海道胆振東部地震から半年以上経って、町民のフェーズは変わってきていますか?
村上:変わってきています。12月頃までは、被災された方が「まずどこに住むか」という急性期だったんですが、仮設住宅での生活が少し落ち着いてきて、今は次の段階です。今後の生業や、長い目で見た住宅についてどうするか考えていらっしゃいます。
そうしたお悩みのある時期ではありますが、良いこともありました。仮設住宅のそれぞれのコミュニティのリーダーが決まって、上手く機能しているんです。各コミュニティで「自分たちの仮設から孤独死を絶対に出さないぞ!」という意気込みもあります。
2月の余震のとき、すぐにリーダーさんに電話したら、「もう全部見たよ、(コミュニティの人たちが無事か)回った。俺、ちゃんと見てきたから」って。不在などで「〇〇さんは、よく分かんないんだよね」というお話があれば、「大丈夫です。そこは私たちのほうでちゃんと確認しますから」と連携もできていて。
集まったボランティアの人たち。(写真提供:村上朋子)
「自分たちで何かをしたい」という“住民力”が高い
— 頼もしいですね。
村上:2019年からはサロン活動を始めました。体操教室や手芸などを一緒に行う活動です。口コミで仮設の人だけじゃなく厚真町全域から毎回20人近く集まっていて、運営は町民のみなさんでやっているんです。私たちは会場を貸すだけ。
人が集まると、いろいろな話題が出ますよね。それで「上厚真近隣公園の仮設団地の空いてるスペースで畑つくらせてくれ! 畑つくりたい!」っていう声があがったんです。農家さんが多いので、そういうことをしたかったのでしょう。
それで会議で町長にその話を伝えたら、「○○の土地を使っていいよ」と一発でOK(笑)。4月から実際に始まる予定です。それを聞いた他の仮設の人たちからも「私たちもやりたい。野菜つくったら産直やれるじゃん」という声があがって、会議で伝えてきました。産直っていうアイデア、すごいですよね!
「編み物のできる子いない?」など、「何かしたい」っていう声が町民から出ているんですよ。厚真町はすごい!“住民力”が高いと思います。
— 村上さんのおっしゃる“住民力”って、どのような力ですか?
村上:自分たちで何とかしたい、何かをしたいと思うこと。そして、つながろうとすること。大勢が住んでいるから、もちろんそうではない方たちもいらっしゃいます。だけど、「何かしよう」と前向きにつながっていき、行動に起こせる力が、実はあった。それが、今回初めて分かったんです。
私は以前、高齢者の生活をサポートする「厚真町地域包括支援センター」で働いていたのですが、そのときはそう思っていませんでした。働きかけても、なかなか形にならなくて……。実は、「社協」に震災前から「ボランティアセンター」はあったんですけど、ほとんど機能していなかったです。
でも、被災して、「支援を受けるだけではなく、自らがしたい」という意識が高まったのでしょう。同時に、外部のボランティアさんがだんだん減って、「ほかの地域から人がせっかく来てくれていたんだから、自分らもちゃんと何かしようよ」という意識の輪が広がっているのを感じます。
— 震災をきっかけとして。
村上:きっと外部のボランティアさんの存在が、触媒になったんですよね。仮設住宅に入っている方たちは、「災害ボランティアセンター」に町外から人が入ってきたのを見ているし、助けてもらって感謝していますから。
被災した直後は自分のことで手一杯だったけれど、今は「恩返しをしたい」「何かしなきゃ申し訳ない」という気持ちがあるようです。町民の方から「何かやることありませんか?」という問い合わせがあるんですよ。今日も、ある方に、物資の片付けを手伝ってもらって。
私たちも「災害ボランティアセンター」を運営してみて、いろいろな人と関わってニーズを拾い、マッチングする作業をしたことで、私たち自身も動けるようになった部分も大きいですね。
震災は大変なことでしたけれど、今のまちにはおもしろい前向きな動きが出てきていますよ。そういう動きが広がれば、きっとみんなが元気になるじゃない? そこから復興へ向けてどう進めていくか、考えやすくなるじゃないですか。
まちでの私の役割の一つは、何かのニーズが出てきたときに「あっ、あの人いた!」「こんな方がいた!」とひらめいて、「ちょっと、おもしろいことやんない?」「ここに来ませんか?」って、声をかけてマッチングすること(笑)。新たなつながりや広がりが出てきています。
町民のみなさんの心に寄り添い続ける
— 今、とくに発信したいことってありますか?
村上:生活再建に向かって進む困難さは、すでに感じています。ここからまた、いろんなことが出てくる。急性期は終わったけれど、被災地はこれからです、本当に。町外の方たちには「これからのまちの様子を見て、気にかけてほしい」という気持ちがありますね。農業ボランティアなど、また人手が必要になるかもしれませんし。
“住民力”があるのも一つの姿。だけどもう一つの姿として、さまざまな苦難に直面する方たちがこれから出てくる。二つの事実がこのまちにあります。
それに、私たちはただ向き合うだけ。だって、(私たちだけですべては)解決できない。解決していくのは国であり、北海道であり、自分自身でもあるかもしれない。ただ、町民のみなさんの心に寄り添い続けます。
きっと遠慮したり、我慢したりしている人もいます。でも、「していい我慢」と「しちゃだめな我慢」があるから。後者は私たちが間に入って、しなくていい我慢はさせないように気を付けないと、心が折れてしまいますよね。
そして声を出せる人はまだいいけれど、声を出せない人を見逃さないこと。助けを求められない人を見逃さないことが私たちの役割ですから。そこをひたすら、頑張るだけです。
—
村上さんのような方たちがまちにいて、ときには直接話を聞き、ときには少し離れたところから見守り、継続的に寄り添っていく。それはまちの人々にとって、心強い存在ですね。コミュニティづくりやまちづくりを支える“まちのお母さん”だと感じました。ありがとうございました。