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人間の本質をつくったのは「共感」。 未来の里山のイメージが少し見えてきた【未来の里山研究会 第1回】

2023年春、『株式会社エーゼログループ』が誕生した際、代表取締役CEOの牧大介(まき・だいすけ)は「未来の里山をつくっていきたい」と宣言。

「人が生き、サバイブしていくためには、地域ごとにかつての里山のようなシステムをつくり直していかないといけないのでは」
「かつての里山をそのまま復元したとしても、やっぱりそれは経済的にも成り立たないし、色々無理が多い。でも、今の時代だからこそできる、新しい技術も使っていくことで、ただの懐古主義ではない、未来において経済的にも成立しうる里山っていうのがあり得る」
とイメージを語っていました(参照記事)。

未来の里山って、何でしょう?
みんなでそのイメージをつくっていくため、同年秋に立ち上がったのが「未来の里山研究会」。
『エーゼログループ』の社内研修として、近しい仲間と共に考え、学び合う機会をつくりました。

第1回のゲストは、ゴリラ研究の第一人者として知られ、京都大学前総長であり、現在は総合地球環境学研究所所長を務める山極寿一(やまぎわ・じゅいち)さん。

山極さんがゴリラを研究した理由は、「人間から一歩離れて人間を見つめてみたかったから」だそう。サル学を志し、後にゴリラ研究を専門にしました。
そんな山極さんが語る、人間や未来の里山のお話には、未来を考えるうえでのヒントがあふれていました。ぜひ、共に考えましょう。

⚫️山極壽一氏のプロフィール

山極壽一(やまぎわ・じゅいち)
総合地球環境学研究所所長。京都大学理学部卒、同大学院理学研究科博士課程退学、理学博士。(財)日本モンキーセンターリサーチフェロウ、京都大学霊長類研究所助手、京都大学理学研究科助教授、教授、同大学理学部長、理学研究科長を経て、2020年9月まで京都大学総長を務める。日本霊長類学会会長、国際霊長類学会会長、国立大学協会会長、日本学術会議会長、環境省中央環境審議会委員、内閣府総合科学技術・イノベーション会議議員を歴任。2021年4月より総合地球環境学研究所所長を務める。鹿児島県屋久島で野生ニホンザル、アフリカ各地でゴリラの行動や生態をもとに初期人類の生活を復元し、人類に特有な社会特徴の由来を探っている。新著に『共感革命 社交する人類の進化と未来』(河出書房新社)がある。

 

身体を共鳴させる経験が信用社会をつくる

はじめに、牧より挨拶がありました。

「AIの登場など世の中が便利になっていくなかで、身体感覚の欠如や、人らしくいることがむずかしくなっています。今の時代だからこそ、それを大切にしたいと思いました。そもそも人って何なのか。それが分かりにくい時代でもあるので、考えたいと思いました。

矛盾を乗り越えて調和していく世界があるとしたら、地域に根差した未来の里山があるのではないでしょうか。『人って何なんだろう』を入り口に、未来の里山を考えたいと思いました。一人ひとりがどう生きていくといいのか、幸せをどう増やしていけるのか、みんなで悩みを深めていけたらと思っています。山極先生、よろしくお願いします」

山極さんは、講演で「人らしさ」として「言葉」について語ってくれました。

「人間の脳の大きさは、ゴリラの3倍です。人間だけが言葉を話します。言葉による知性で大きな脳になったと考えがちですが、どうもそうではないことが分かっています。約200万年前から人間の脳の容量は増大しましたが、当時まだ言葉は話していませんでした。

実は、霊長類の大脳化と社会集団の規模の増大が、正の相関関係になっています。化石から脳の大きさを推定し、当時の集団規模を出したデータがあります。10〜20人だった集団は、約200万年前に30〜50人となりました。30〜50人の集団は、顔と性格を熟知できる規模。学校のクラスがそうですね。宗教や会社の規模もこれにあたります。

そして約50万年前に100〜150人になりました。仲間の数が増えると、仲間と自分の関係や、仲間同士の社会関係をよく記憶しておくほうが有利に生きられるので、脳が大きくなったと予想できるわけです。100〜150人の集団は、顔と名前が一致し、信頼もできる仲間の規模。喜怒哀楽を共にできる、身体を共鳴させられる仲間の数の上限です。未だに人間の心身は150人ぐらいの規模の社会の暮らしに適応していて、一つのコミュニティ規模は150人規模であるべきだと思います。

身体を共鳴させるとは、現代で言えばスポーツをする、音楽を一緒に歌う、ボランティアワークを一緒にするなどの経験です。それがソーシャルキャピタル(社会関係資本)、信用社会をつくります。

脳が現代人並みの大きさに達するのは約40万年前。言葉が出てきたのはその後で、7万年から10万年ぐらい前だと言われています。つまり言葉は集団を大きくするのに役立っていないのです。

未来の里山は「パラレルワールド」と「間の世界」の入り口に

人間は、長い離乳期と思春期を支えるために共同保育があり、家族が形成されました。その家族が複数集まって共同体ができて、いまだにこれが社会の基本になっています。ゴリラは家族的な集団のみ、チンパンジーは家族がなくて共同体のみ、類人猿にはどちらかしかできません。二つを両立させるために、高い共感性が必要でした。そしてその両立によって、自己犠牲をはらっても共同体につくすという人間的な精神が芽生えました。

そのときに役立ったのは、音楽です。体重が重い赤ちゃんをお母さんはずっと抱いていることができず、誰かに預けるか、どこかに置きます。そこで生まれたのが子守唄でした。育児が音楽の能力を向上させたのです。人間の本質の一つは、言葉以前の音楽的コミュニケーションではないかと私は思っています。

対面する交渉に始まり、音楽的コミュニケーションを発達させ、相手の意図を読む心の理論が発達して、それが言語の創出につながったと思います。その上で、言葉がもたらしたものは大きいです。見えないものを見せたり、体験しなかったことを伝えたり、想像して物語をつくったりもできます。でも言葉が、人類史においてつい最近の現象だと考えると、身体の共鳴による共感力が人間らしさなのだと思います。

今、世界には閉塞感があり、GAFAなどにより文化は無国籍化しています。信用社会から契約社会になってしまいました。クレジットカードなどは契約社会の手形です。言語は複数の文化をつなぐ役割を果たしましたが、言語だけではソーシャルキャピタル、信頼関係は広がっていきません。共感力を駆使したシェアリングやコモンズを増やすほうが幸福感を感じるのではないでしょうか。これからこれが重要になると思います

 

そして、話題は「未来の里山とは何か」へ展開。未来の里山のイメージについて、二つのキーワードをもとに話してくれました。

 

「一つは、『パラレルワールド』の入り口です。人間が言葉を発する以前からパラレルワールドはあり、人には未知の世界を想像する能力がありました。これは、他の動物にはない力です。里山は自然に根を下ろして、文明世界と自然世界の回廊になっています。パラレルワールドの回廊をつくると、人間はどちらの世界にも行き来できると考えるようになりました。お盆やお彼岸などはその典型です。

もう一つは、『間(あいだ)の世界』の入り口です。里山は、普段住んでいるケの世界の常識を乗り越えられる、ハレの世界との間の世界。例えば、森に棲む生き物と出会う狩猟採集の生活にとって里山は間の世界です。どちらの立場にも立てる。

どちらでもありどちらでもないという世界が生きるうえでとても重要です。里山は、人間の本質を自然と文化の両方から見直せる場所だというのが、私の一時的な答えです。文化は人間が持っている、体に埋め込まれた価値観であり、価値の本質は情報化できません。自然の多様性とも密接なつながりを持っています。

所有から行為へ。そうすれば社会をひっくり返せるのでは

ここから、ファシリテーターとして国見昭仁(くにみ・あきひと)さんが入り、牧と山極さんの3人によるディスカッションタイムへ。


⚫️国見昭仁氏のプロフィール

国見昭仁(くにみ・あきひと)
1972年、高知県生まれ。クリエイティブ・ディレクター、経営戦略家。96年、第一勧業銀行(現・みずほ銀行)に入行。アサツーディ・ケイ(現・ADKホールディングス)を経て、2004年に電通に入社。10年、社内で経営/事業変革のクリエイティブユニット「未来創造グループ」を立ち上げる。同グループは17年に「電通ビジネスデザインスクエア」に拡張。18年、エグゼクティブ・プロフェッショナル(役員待遇)に就任。20年、電通を退社し、6人の仲間とともに「2100」を創業。主なクライアントにダイセル、パナソニックエナジー、スノーピークほか。

 

国見:人としてどう生きるべきか。答えのあるようでない議論ができればと思っています。まず、音楽的なつながりについてお聞きしたいんですが、人と人はどういうつながりをしてきたのでしょう。言葉にある意味頼りすぎていたのかなとも思ったのですが、音楽的つながりって、どういうものなのでしょうか。

山極:30人が前を向いてじっとしている状態なんて、人間以外にはありないことで、人間は同調しながら身体を合わせているんですね。サルは、他のサルの行為をコピーできません。「猿真似」ができるのは人間だけなんです。人間は身体の共鳴を先にして、相手の心と自分の心を合わせていくんです。言葉に頼りすぎると、意識で同調するようになるけど、本来は身体が先なんです。

音楽って波ですから、それにのれるということですね。ダンスや盆踊りで、自分が同調するというのは、自分の身体を仲間に預けるということ。人間は二足で立ったときにそういうことを始めたんだと思うんです。それが共鳴力をもたらして、長い時間をかけて、音楽につながっていった。

国見:里山を考えると、今は情報だけで繋がっているような気がします。

山極:里山は自然につながる回廊だと思っています。自然と会話をしているんですね。アフリカで狩猟採集をする人は生き物の気配を感じている。土地の気候や風土で気付きを毎日得ていますし、森のめぐみが実れば「これを調理・加工すればおいしいだろうな」と食卓を思い浮かべます。土地の自然と密接で、伝統が身体に埋め込まれている。

里山があれば、厳正な自然に入っていかなくても、兆候を感じとる能力によって自然からのメッセージを受け取ることができます。

国見:「今の世の中は契約社会になってしまった」というお話もありました。これまで「所有」は良いものだとされてきて、俯瞰して「どうだったんだっけ?」という感覚になった方もいると思います。所有はこれからどういうふうに変わっていくべきなのでしょうか。

山極:例えば農耕牧畜は、所有がないと始まらないんです。肥料をやって、育てて、作物を害獣から守り、収穫する。所有は可能性を高めてくれたけど、担保するのはお金です。それでさまざまなことができる可能性を蓄積しました。今の社会はお金持ちが権力を持っています。でも、ひっくり返して考えてみれば、お金は使わなければ何の意味もないんです。

所有にかわるものは、承認欲求です。人々に認めてもらわなければ、権力になりません。だから、承認を別のほうにもっていけばいい。所有から行為にもっていけばいいと思うんです。何をしたか、何を見たか、最近は行為と経験をみんなSNSにアップしています。情報社会をうまく使えば、つくりあげてきた社会をひっくり返せる。

誰かに認めてもらわなければ、生きていく力がわいてこない。情報社会では離れていてもその承認が得られるので、それを頼りにしている。ひっくり返せるきっかけが見えてきたと思うんだけど、牧さん、どう思う?

 

商品の価値を個人の領域に取り戻し、信頼関係を結ぶこと

牧:所有と定住については、僕らの仕事のなかで「地域に定住してくれる人をいかに増やすか」という世間一般の捉え方をしていて、今本来の人間らしさを取り戻せる技術があるなかで、関係人口の捉え方が薄っぺらいのかもしれません。

その前提を外して、所有しないけど承認がある。定住ではなく移動する。僕自身もうちのスタッフも、会社にいないといけないんじゃないかという暗黙の了解がありましたけど、ノマド化していく。そういったことに未来があるんだと感じました。

そういう社会になったうえでの関係人口や、人とは本来何なのか、つくるべき未来が何なのかを考えて、どういうサービスなどがあるといいのか。原点にしっかり立ち返ってつくり替えるヒントを今いただいている感じです。先生が考える関係人口って、何でしょうか。

山極:関係人口については、元教え子から聞いたこんな話があります。その人は東京から1時間半で行ける南アルプスでエコツアー会社に所属していて、コロナ禍ではワーケーションが流行り、人がかなりやって来た。テントがあるから、お客はパソコンと衣服を持って行くだけでいい。来る人が増えていくと、まちに喫茶店ができ、酒屋が流行り、若い人が定着するようになる。

昔は「地域過疎化は仕事がないからで工場誘致が必要だ」と言われたものです。しかし、逆に人が集まる場所と機会をつくれば、若い人がアイデアを出し、新しい創造が生まれ、ビジネスになっていくかもしれません。人が集まらないと何もできないんですよね。そういうことをファシリテートするものが必要になる。ふるさと納税はそういうことに使えばいいと思うんです。

もう一つ言うと、ものに価値が付いていて、その価値を自分ではつくれないから所有があるんです。マーケットが決めた価値で、所有物によって自分の価値を決めている。だから所有を薄めれば、価値を自分たちでつくれる。市場が価値を決める世界ではなく、自分たちで価値を決めるんだと思え、自分たちでマーケットを決められます。商品の規格や価値を個人の領域に取り戻し、信頼関係を結ぶことが必要です。

私は、瀬戸内海の近海漁業のある漁師に毎月数千円を支払って、山極に食わせたいものを選んで送ってもらっています。投資に見合うものを送ってくれる。ものが人と人をつなぎ、そこに信頼関係が生まれるんです。マーケットをものを通じた人と人の関係に戻すべきではないかと。

牧:地域側が主導権をもち、お互いに幸せになる関係をつくるという、これはしっかり受け止めたいお話です。そういう視点から、ふるさと納税や企業研修を考え直していきたいです。

山極:生産者と消費者をマッチングさせ、出会いの場をつくる「社交」が新しいビジネスになると思うんです。クラファンが流行っているのもこれです。人と人の関係性を結び付けるような業者が現れれば、新しいビジネスになると思います。

 

プロセス重視で、「自分だけの体験」ができるビジネスを

ディスカッションが終わり、参加者は隣の席の人と印象に残った話を5分ほどシェア。その後に行われた質疑応答では、次のようなやりとりがありました。

黄塚:西粟倉村で養蜂をしております、黄塚森(こうづか・しん)と申します。僕らは「自然と人の、失われた関係を取り戻すために」をミッションとする蜂蜜ブランドを運営しています。
現代から未来を見たときに、人間が自然と共に歩みを進めていく社会をつくるためには「“バーチャルな世界”に寄りすぎてしまっている人間の感覚を、もっと“体験”や“体感”などの手触り感のある方向に戻していく」必要があるのではないかと、僕らは考えています。でも、現代の多くの人は「体験だよね」と言われても、感覚がバーチャルに寄っているがゆえに興味を持ってもらえません。僕たちは「物語」というものに可能性を見出していて、「自然の不思議さ・面白さ」を、絵本や小説のようなフィクションを通じて感じてもらえるように「全ての商品を物語と共に顧客に届ける」というアプローチを取っています。
この「体験」という方向に人を導いていくときに、どのような方法が有効なのか、山極さんの仮説があれば教えていただきたいです。

山極:人間は時間を止めて、文明をつくってきました。バーチャルなものが増えたのは、結果重点主義なんですよね。教育でもビジネスでも結果がすべてになっています。近年ではビデオは早回しでいいとか、音楽のイントロはいらないとか。その時間を戻さないといけない。時間をかけるほどいいものができる、楽しくなるというようにね。スローが流行った時代があったけど、もうちょっとプロセス重視の世界をつくっていったほうがいい。

時間を止めるんじゃなく、うまく活用する方法なんですよ。言葉が担保しない「体験」はオンリーワンなんです。時間が担保する自然現象。みんなが同じ体験をするのではなく、自分だけの体験ができる。オンリーワンのために時間を使わなきゃいけないというのを常識にする。これをビジネスにしていくのがいいと思います。

あなただけじゃなく現場にとっても意味があるんですよ、これまでになかった体験が生まれ、特別なことが起こるんだということを奨励していく。向き合うためには時間が必要です。時間をかけるのはいいことで、本来、労働とは時間を楽しむものであったはず。労働そのものを変えないといけませんし、プロセスを重視するほうへいかないと幸福にならないのではないでしょうか。

国見:スノーピークのブランディングを10年やっているんですが、便利ってプロセスを消去する行為だと思うんです。同時に、情緒的なものも消去してしまった。今なぜキャンプが流行っているかというと、面倒臭いことを手に入れたいからなんですよ。プロセスという行為をあえて取りに行く。そういう意味で、『エーゼログループ』は面倒臭いことをいっぱいやっている会社ですよね。

牧:今まで社内で「面倒臭いから不合理なんじゃないか」という意見がでたことはありました。例えば「森のうなぎ」は、鰻を育てる水温をキープするための燃料として、端材をわざわざ持って来て使っているんです。灯油代の削減に大きく影響するわけではなく不合理なんだけど、それを続けているからお客さんがいる。身体感覚を伴いながら、物語を共有するところに仲間がいる気がしていて。

蜂獲り師で罠猟師の熱田安武先生は川釣りも得意で、一緒に川に行くと楽しいんです。たとえ魚が獲れなくても「やっぱり獲れなかった!」とか言いつつやるのが楽しくて。プロセスを失っている便利すぎる時代に、不合理ななかにある楽しみを分かち合うのが大切です。里山も不合理ですけど、そこに意味があるんじゃないかと思っていますね。

大量消費社会は、利益を本当に人間のために使えているのか

山極:人間の本質をつくったのは共感で、共感能力を高めた理由は子育てや食事にあるのですが、この二つの共通項は「共にいる時間」なんです。我々は個人の自由をつくろうとしてきたけど、本当は共にいる時間が楽しいはず。生産的な時間でなくても、楽しいし嬉しい。食事も一人よりもみんなで食べたほうが楽しい。社交の時間は早く済めばいいものではありませんから。アイデアを出せば、そういう暮らしの設計ができるはず。「共にいる時間」として設計し、そこにお金をかける仕組みとしてつくれば、解決できると思います。

国見:これまでは、「買ってもらいたくなる・買いたくなる」をゴールにしていましたけど、「一緒にいたくなる」をゴールにするのは、いいかもしれないと思いました。

山極:たくさんものを売らなきゃいけなくなると、買ってくれる人との会話を無視したくなるんです。本来なら、この品物はどうつくられて、どういう労力がどういう形でこめられているか、そこに値段がつきます。今の大量消費社会は、利益を本当に人間のために使えているのか、疑問です。人と人のつながりをつくるためのものであったはずなのに、個人をバラバラにする方向にしか動いていない。その仕組みは変えなくてはいけないと思います。

国見:パラレルワールドが人間の能力のキーになると思うんですが。

山極:人間は出会いと気づきを得たんです。気づきがないと生きられない、そのために出会わないといけない。我々は自由に動いて集まれるからこそ、出会いがあります。気づきをもたらしてくれるものは信頼なんです。そういうふうに仲間や世界をつくっていくべきだと思います。内向きではいけない。

国見:見えた感じがちょっとしました。牧さん、いかがですか。

牧:何かが見える入り口に立たせてもらったように思いました。

最後に、山極さんから感想を含めたコメントをもらいました。

山極:今日の話は、日本の社会の里山化をするという話なのかなと思いました。現代は結果を重視した二元論になっていますけど、間、隙間を入れていって、それを社交や動くことで楽しむようにすれば、そこに幸福感がやどります。都市と地方の間の里山、大企業と小さな企業の間の里山もできるでしょうし、間を重視した社会観をつくっていくこともできるのかなと思いました。

ありがとうございました。

山極さんの数々の提案、いかがでしたか。ぜひ自分にとっての「未来の里山」について、想いを巡らせてみてください。
2024年2月、この会を振り返るオンラインイベントを行います(詳細は以下)。「未来の里山」像をシェアしましょう!

 

▼イベントで登場したキーワードたち

未だに人間の心身は150人ぐらいの規模の社会の暮らしに適応していて、一つのコミュニティ規模は150人規模であるべき
 ・(人間は)シェアリングやコモンズのほうに幸福感を感じるのではないだろうか。これからこれが重要になる
・里山は未来の里山は「パラレルワールド」と「間の世界」の入り口になる
 ・里山は、人間の本質を自然と文化の両方から見直せる場所
 ・承認を所有から行為にもっていけばいい
 ・人が集まる場所と機会をつくれば、若い人がアイデアを出し、新しい創造が生まれ、ビジネスになっていくかもしれない
ものが人と人をつなぎ、そこに信頼関係が生まれるんです。マーケットをものを通じた人と人の関係に戻すべきではないか
 ・本来、労働とは時間を楽しむものであったはず。労働そのものを変えないといけないし、プロセスを重視するほうへいかないと幸福にならないのではないだろうか
・不合理ななかにある楽しみを分かち合うのが大切。里山も不合理だけど、そこに意味があるんじゃないか
・気づきをもたらしてくれるものは信頼。そういうふうに仲間や世界をつくっていくべき 

 

研究会当日の様子は動画でも記録しております。
こちらも是非ご覧ください。

・第一部(山極氏の講演)

・第二部(ディスカッション)


【ご案内】

第1回未来の里山研究会の振り返りをオンラインイベントとして実施いたします。関心のある方は是非お申し込みください。

・開催日時:2024年2月7日(水)19時〜20時30分

・開催方法:お申し込みいただいた方にはオンライン会議URLを送付させていただきます。

・イベント出演者:株式会社エーゼログループ 代表取締役CEO 牧大介、取締役COO 佐藤道明

・内容(予定):
第1回未来の里山研究会を開催してみてエーゼログループが目指す「未来の里山」とは何か、私たち人間が取り組むことはなんだろう、あの時間で感じたこととは・・等、牧と佐藤がゆったりと振り返ります。参加人数にもよりますが、できれば参加いただく方との対話する時間も設けたいと考えています。
かしこまった時間ではありませんので、エーゼログループって何を考えているのか、どんなことをしようとしているのか、是非覗きにきてください。

・お申し込みフォームはコチラ