岡山県

西粟倉

にしあわくら

木工房ようびはつくり続けなければならない。彼らは、つくり続けていきたい。

西粟倉村に大寒波が訪れようとしていた2016年1月23日の午前4時、木工房ようび(以下ようび)の工房で火災が発生しました。真冬の不運な条件で発生した種火はあっという間に工房中を巡り、金属がひしゃげるほどの激しい炎は、工房も、商品も、機械も、場所も、材料も、ようびのすべてをあっという間に焼き尽くし、奪い去っていきました。「全焼」という厳しい現実を突きつけられた彼らのいまを、報告します。
 

火災発生の経緯

– ようびの代表である大島正幸さんが西粟倉村にやってきたのは6年10か月前のこと。『百年の森林構想』を掲げて、50年かけて育てた森林を50年後の未来へ残すことを決めたこの村の理念に共感した大島さんは、百年の森林から生まれたひのきで家具をつくる挑戦をはじめました。
 

– 日本ではほぼつくられていないひのきの家具づくりに挑戦することになった家具職人は、たった一人で山間の古びた役場の遊休施設を借り、ひのきと向かい合い、少しずつ機械を買い揃え、ものづくりに没頭します。
 



– 出来上がった家具は、国内外問わず瞬く間に評判となります。大島さんたちが作り上げた美しい家具たちは全国各地で西粟倉村のひのきの名を轟かせ、『百年の森林』に新たな付加価値をもたらしたのです。そして「西粟倉のひのきを使って家具を作って未来を明るくするんだ!」と言い一途にものづくりをする彼のもとには、志同じくする仲間が集まり、今のようびが形づくられていきました。

 

大島正幸(以下大島):2016年は、僕らがめざす「やがて風景になるものづくり」をより明確に形にして表現していこう、そう思っていた矢先に、ぼくらのものづくりの礎である工房に火災を発生させてしまいました。

– 火事発生が2016年1月23日(土) 午前4時14分(第一報)。前日の夜21時まで、ようびスタッフが工房内で制作中ストーブ使用した後、火を落として帰宅。その約6時間後に火事が発生しました。出火から30分後に火事を知った大島さんの率直な心境は「ようびの工房が燃えているはずがない」。心が現実を直視できないまま、工房の前に駆けつけます。

大島:…とにかく驚いた。そんなわけはない。理解ができなかった。

– 大島さんは、あの日のことを振り返り、そう言います。6年10か月間、心血を注いできた工房が大島さんの目の前でほぼ全焼状態。茫然自失の大島さんが一番最初にしたことは震える手で仲間の安否確認。火事発生の前日まで東京出張に出ていた大島さんは、前日、工房に誰が居て、なにをしていたのか把握していなかったのです。

大島:もし、仲間の誰かが工房で遅くまで作業していて、仮眠を取って工房にいたらどうしようとすごく怖くて…。火事の連絡は僕が移住するきっかけになった西粟倉村の山主、延東さん(延東義太)が僕に直接連絡をくれました。いつもすごく僕らのことを応援してくれているから、日頃から気に掛けてくれていたんでしょうね。だから誰よりも早く僕に連絡をくれたんだと思います。

– 延東さんや近所の人々は消防団よりも前に出て、消火活動をしていたといいます。西粟倉村民で結成している消防団も駆けつけます。彼らの挑戦を知る西粟倉村の人々は、「なにも全部焼かなくてもいいじゃないか」と悔し涙を流しながら、冬の遅い日の出のなかで燃えあがる炎を消し止めます。

そして、西粟倉村はその日の夜、大寒波が訪れて、雪に閉ざされました。
 


 

残酷な現実と

 



– この写真は、鎮火後すぐの写真です。あの美しい家具が生まれる工房は一瞬で廃墟と化しました。火災の原因は工房内ストーブからの引火とほぼ断定。消防の説明によると、工房内の達磨ストーブ周辺の壁内が遠赤外線によって蓄熱して、空気の乾燥と相まってその熱によって引火したことが考えられる、とのこと。

さらに、全焼という最悪の被害を出した条件はふたつ。ようびが家具づくりで使う木材は、良材をよく乾燥させたものでした。乾いた木材はよく燃えます。そして、建物自体が老朽化したものを6年10ヶ月こつこつ直して使ってきたこと。屋根の断熱材などが古いものだったので、屋根伝いに火事が広がり全体が燃える原因になりました。

大島:まずはこの場を借りて、僕らの過失によって、お借りしていた村の財産である施設に損害を出してしまったこを深くお詫びします。火災を発生させたことにより、近隣の皆様並びにお客様、お取引先様各位をはじめ多くの方々に多大なるご心配、ご迷惑をお掛けすることとなり、誠に申し訳ありませんでした。

そして、西粟倉村の皆さんの温かい支援の手がありがたかった。朝方から村の消防団が出動していただいて、本当にありがとうございます。消火が終わったあとも、その日1日は全員待機していただきました。

地元のお母さんたちにもたくさんお世話になりました。すべてが終わったあと、皆さんくたくただったのにあたたかいみそ汁とごはんを作ってくれた。「まずは食べなさい」と。ありがたかったなぁ。村の除雪車も僕らが作業しやすいようにいつもより丁寧に除雪してくれて。

今まで僕らに関わってきた人たちが、村からも遠くからも毎日何十人とここに来てくれる。「金はないけど、身体はあるから何かすることがあれば言って!」と声を掛けてくれるんです。本当にたまらんな、と思います。
 



– 夢を叶えるために西粟倉村に移住してきた余所者の彼らにすぐ手を差し伸べたのは地元の人々。彼が頑張っているのを知っているからこそ、悲しさや悔しさを分かち合うようにようびへ寄り添います。

 

– 彼らがこの村に残したモノが、跡形もなく燃え尽きた工房。黒こげの山をひとつひとつ片付けるしかありませんでした。小さな村の、吹けば飛ぶようなローカルベンチャーが食らった痛恨の一撃は、会社の存続そのものを揺るがします。

このまま、ようびは西粟倉村でものづくりを続けていけるのでしょうか。
 

諦めない人と村

 

大島:僕は「西粟倉のひのきを使って家具を作って未来を明るくするんだ!」って、ひたすら家具をつくって6年10か月走ってきたわけです。実際にたくさんのひのきの家具ができて、ちょっと明るくなってきたかもしれないけど、僕らは職人だから、よい良いものづくりをもっともっと…って、物質的なモノを形づくることを一生懸命やってきました。けれども、そうやって一生懸命つくってきた物質的なモノをこの火事ですべて失ってしまって、手元にはなにもなくなってしまった。

僕は、西粟倉の工房にどれだけ心血注いできたのか、失ったいま、思い知りました。はじめはたったひとりで西粟倉にやってきて、工房の床に、一枚一枚床を貼り、その床の上に、少しずつ買い足した機材を入れていった。それがなくなってしまったと認めることが怖い。そして悔しい。なによりも、ここで、ものが作れなくなってしまうのがなによりも怖かった。…そう思ったけれど、僕らの手元に残っていたものがありました。モノは燃えてしまったけれど、ヒトはすべて残った、と。

仲間全員の安否確認ができて、火事が鎮火して、ようび全員が集まって、僕は率直に「再起したい」と仲間に伝えました。厳しい道になるけれど、ようびという会社は前を向いて進まなければいけないと思いました。非常に辛いけれど、強くなるための機会だったと一秒でも早く笑えるように再起したい。そう話したときに、メンバーひとりも欠けることなく「そうじゃなければようびじゃないね」と言ってくれたことが救いでした。

-「モノを作って未来を明るくする」と高らかに宣言して、がむしゃらにものをつくり続けてきた大島さん。過程の中ではモノだけではなく、目に見えないものをつくっていたと火事でモノすべてを失った瞬間に気がつきます。それは、時に、縁と呼び、夢と呼び、希望と呼びます。

大島:そういう目に見えないものが西粟倉村にあるから、またここで再起したい。いまそれを強く感じています。今までも、多くの人々に助けられてきて、今もすごく助けられています。どうしたら返せるのか途方もないほどの恩です。願わくば、僕らはものづくりをする集団なので、モノを1秒でも早くつくれるようになって、お返しをしていきたい。

– 彼らの手が無事で西粟倉村に木があれば、きっともう一度立ち上がれる。火事はようびのすべてを燃やしたわけではありませんでした。彼らがつくってきたものは、家具と場、そしてつながり。つながりは燃えないどころかより強固なものとなりました。彼らはここで諦めるわけにはいきません。なぜならば、西粟倉村の誰もが「ようび」を諦めていなかったからです。
 


 

彼らは、つくり続けていきたい

-とはいえ、彼らはものづくりをする拠点を失ってしまいました。ようびは、この廃墟の中からどう立ち上がるのでしょうか。

大島:納品をおまちいただいているお客様のためにも、一刻も早く制作をはじめなければなりません。幸い、ようびは昨年、東京にも工房を持ちました。そこである程度制作ができる機材があるのでしばらくはそこでものづくりをしようと思います。そして家具づくりはナベ(渡辺陽子)にひとまず預けようと思っています。僕はナベに全幅の信頼をおいているから、ようびのものを作ることに関しては彼女に任せようとおもっています。僕は、ようびの再起のために動きます。

– 職人として、手を動かしたい。けれども、ようびの代表として、あの場を再建しなければいけないという大島さん。再建をしながら、通常の営業を目指すといいます。

大島:誰もが運営を止めずに再建していきたい。ようびは全員が自分の意思で、ようびがようびを続けていくために動いている。ここにいる人間すべてが前を向こうとしてくれていることを背中に感じながら、前に進みたい。そして今、僕らがつくるものはより人間味が増すと思っています。それをきちんと受け止めて、すべてを内包したものをつくるようびに、西粟倉の工房が再建したときになっているんじゃないかなと思います。だからようびは立ち止まらずに進んでいきたい。

-再建するという困難を抱え、内包した上で未来に進みたい。今までやってきたことはやる。ようび全員、そう宣言しました。再建もする。用意してきた新規事業もやる。その決意は、ピアノ線のように儚く透明に見えるけれども、ぴんと張ったそれはけして切れることのない強さを持ち合わせています。

大島:ようび全員の決意は、社長としてきちんと受け止めなければと思っています。だからようびは立ち止まらない、巻き戻さない、未来へ進みます。

– 創立以来、最大のピンチがおとずれたようびに、たくさんの支援の声があがっています。彼らの取り組みに共感しているひと、彼らの人柄を愛しているひと、そして、一番印象的だったのが「ようびの家具を買おうと思っていたんだから、なくなってもらっちゃ困る」という声。それは西粟倉の木から生まれた家具が愛されていること、プロダクトがそこまで育っていることを意味します。それが一番の財産であるとわかった彼らが、次にどんなものを生み出すのか、純粋に楽しみでもあります。

この出来事を悲しいことにするのも必然にするのも彼ら次第。ボロボロでも立ち上がり、また新たな道を歩いていく姿を見守ってください。手を差し伸べたくなったら、差し伸べてください。きっと、我々が伸ばした手をつかむその手は思っているよりもずっと、力強いはずです。

 

木工房ようびの家具を注文して、彼らのものづくりを勝手に応援するプロジェクト「まけるな、ようび、あいしてる」

「まけるな、ようび、あいしてる」(買って応援!ECサイト)
http://youbiloved.thebase.in/
「まけるな、ようび、あいしてる」(FBサイト)
https://www.facebook.com/youbiloved/

※上記ページは、木工房ようびの工房火災からの復興を勝手に応援する「負けるな、ようび、あいしてる」プロジェクトが企画しています。
※商品の受注・制作・発送につきましては、直接「木工房ようび」へ発注します。発注後の対応は「木工房ようび」が責任を持って行います。
※現在、工房再建中のため、発注後の納品にかなりの時間をいただきます。納品日については「木工房ようび」からご連絡させていただきます。詳細はリンク先をご確認ください。
※このWEBショップの売上は木工房ようびの復興に当てられます。詳細についてはリンク先でご報告します。

木工房ようびウェブサイト
http://youbi.me/maintenance/