岡山県
西粟倉
にしあわくら
話題の『ばあちゃん食堂』の経営者に聞く、75歳以上のおじいちゃんおばあちゃんが村で働けるビジネスのつくり方
Date : 2022.03.04
村の中にある願いを集め、外部のプロデューサーやプロボノ・インターンなどと協働してビジネスへと育てていく「TAKIBIプログラム」。
村の願いからビジネスアイデアを生みだす、2泊3日のワークショップ「TAKIBIキャンプ 第2回」で、ビジネスアイデアの一つとして「じーばーレストラン(仮)」が認定を受けました。
実現に向けてプロデューサーとして関わることになったのが、キャッチコピーとして「75歳以上のばあちゃんたちが働く会社」を掲げ、おばあちゃんたちが調理や接客を行う「ばあちゃん食堂」などを経営する『うきはの宝株式会社』の代表取締役・大熊充さん。
「僕のミッションは、おじいちゃん、おばあちゃんたちの働く場と働く仕事をつくること」と話す大熊さんに、個人的な体験や想い、地域で事業を立ち上げる方法についてお聞きしました。
「生きることをもう一度やろう!」と思ったターニングポイント
— まず起業前のことについてお聞きします。大熊さんにとって大きな経験となったのが、長期入院されたことだそうですね。
大熊:26歳のときにバイクで自損事故を起こしてしまって、それから約4年間入院したんです。最終的には骨を移植する手術を4回か5回受けてやっと退院できたのですが、それまではずっと良くならなかったので、精神的にかなり参ってしまって。当時は自暴自棄になり「俺の将来、どうせだめじゃん」と絶望を感じていましたね。
そのとき、同じ病棟に入院していたおばあちゃんたちが4、5人いたんです。僕だけが若かったので、気になったんでしょうね。おばあちゃんたちが何度も話しかけてくれたのですが、僕は人としゃべれるような状況ではなく無視をしていました。でも、おばあちゃんたちはめげずに(笑)、一週間経ってもずっと話しかけてくれて。
そこで僕のほうに変化が生まれました。長い間誰ともコミュニケーションを取っていないし、取れない状態で、心がピクリとも動いていなかったんですけど、おばあちゃんたちがあまりにもしつこく、夜もめげずにずっと話しかけてくる。それも一番聞いてほしくないところをえぐってくるんですよ、「どこか体悪いのか」とか「なんで怪我したの」とか。それで、さすがにいくらなんでもしつこいな、どんだけと思って笑ってしまったんです(笑)。
僕はそのとき、数年ぶりに笑ったんだと思います。そこからおばあちゃんたちと話すようになりました。「そこにあなたがいるから、あなたと話をしたい」という気持ちを感じましたね。そもそも僕は両親が共働きで、おじいちゃん・おばあちゃん子だったんですよ。
その後、おばあちゃんの一人が見当たらず、「どうしたんやろう。退院したんかな」と思って看護師さんに聞いたら、その前日に亡くなったと言われました。そのとき、生きるってどういうことなのかを見つめ直したんです。「生きるってことをもう一度やろう!」と思えて、人生のターニングポイントになりました。
— それで退院後、デザインの世界に進んだのですね。
大熊:実は退院後、就職できなかったんです。20社ぐらい落ちちゃって、「世の中は僕のことを必要としてくれない」と落ち込みました。でも、誰も必要としてくれないのであれば必要としてもらえるような人間になろう、と。そこでいきなり、2014年にデザイン事務所を創業したんです。
大熊:バイク屋に勤めていたときに培った板金技術で、真鍮や銅の装飾品をつくり、インターネットが盛んになってきた時代で、自分でサイトをつくってネット販売を始めました。はじめは売れなかったんですが、マーケティングやデザインを勉強し、一人で企画からデザイン、コーディングなどもやっていたら、だんだん売れるようになって。周囲から声がかかって主にホームページ制作を請け負うようになり、それが本業になりました。
仕事をしながらも、僕はおじいちゃん、おばあちゃん好きだし、特におばあちゃんに恩があるからそれを返したい、超高齢化が進む故郷のためになることをやりたいと思っていました。退院してどこにも行くところがなかったとき、故郷の吉井町(現・うきは市)が迎え入れてくれたからです。
そのとき、故郷っていう概念が「お帰り」って言ってくれたような気がしていました。実際には実家があったからなんですけど、故郷が快く無条件に受け入れてくれたように感じていたので、返したいなと思っていて。
その後、仕事をしながら福岡の博多にある専門学校「日本デザイナー学院」にできたばかりのソーシャルデザイン科に入りました。そこで出会ったのが、宮﨑県日南市のテナントミックスサポートマネージャーとして「油津商店街」を再生させた木藤亮太さんです。木藤さんは、まちづくりではRPG(ロールプレイングゲーム)のように勇者となって旗を振る人が必要だと話していました。「大熊くん、君が地域で旗を振ってやるんだぞ」と言ってくださって。
さらに木藤さんは「旗を振る人は優秀じゃなくてもいいから、目的を明確にして旗を振れば優秀な仲間が集まってくる」とおっしゃいました。僕は中卒で、大人になってから勉強して大学卒業の資格は持っているんですけれど「自分はあまり優秀ではない」というコンプレックスを持っていました。だからハッとして、その瞬間に「やろう!」と思いました。
同時期に、『株式会社ボーダレス・ジャパン』が運営する社会起業家育成の学校「ボーダレス・アカデミー」にも入り、事業プランや対象を考えました。高齢者に話を直接聞くため、無料送迎サービス「ジーバー」を始めて仲間とともに送迎し、3000人以上と対話もしました。
大熊:そして、孤独や生活困窮の実態が見えてきたんです。「まずは対象をおばあちゃんに絞ろう。働く場を創ろう」と、おばあちゃんたちが働ける会社『うきはの宝株式会社』を2019年10月に作りました。
おばあちゃんたちにとって生きがいと収入が増えたかどうか
— そうして始めたのが「ばあちゃん食堂」や商品開発だったのですね。
大熊:はい。コロナ禍の影響で、今活発に働きに来てくださっている方は75歳以上の「ばあちゃん」が6名で、「ばあちゃんジュニア」と呼んでいる75歳以下が1名です。他に若いスタッフが2人、バックオフィススタッフが2人います。
— 事業を進めていくときに大切にしていることはありますか?
大熊:今も葛藤はあるんですけど、僕がお金儲けをするためにつくった会社ではないんですね。おばあちゃんたちにとって生きがいと収入が増えたかどうか。これを目的にしています。
とは言え、会社として利益がないと続けられない。でも会社にとって良いことと、おばあちゃんたちにとって良いことは別です。なので、おばあちゃんたちにとって生きがいになるのか、何をやるかなど、相談しています。一緒に考え、共に汗を流す多世代型協働です。
もう一つ意識しているのが、自己実現ですね。おばあちゃんたちには「自分がこういう料理を食べたい」という欲よりも「人に食べさせてあげたい」っていう気持ちがあります。生きがいって、人から認められたり「ありがとう」と感謝されたりして幸福を感じることだと思うんです。そういった要素が絡み合って、生きがい、働きがいを感じるものだと思います。
僕は「おばあちゃんたちのため」とか「地域社会のために」と思っていますけど、ふたを開けたら逆ですよ。おばあちゃんたちのほうも「大熊くんのために」「大熊くんの会社のために」って。人は、人のために何かするほうが力が出るんですよね。おばあちゃんたちがそれで生きがいを感じるのなら、いいと思っています。
— 現場をどんな風にまかせているのですか。
大熊:リーダーのおばあちゃんがいます。でも…まとまっていてすべてうまくいっているわけではないです。今3期目で、注目していただく立場になりましたが、揉め事だってありますよ(苦笑)。
形態としては委託にしていて、時給900円換算でお給料をお渡ししています。1ヶ月につき2〜3万円の方が多いのですが、6万円という方も。ただし、日本では一定基準を超えると年金が減らされてしまいます。また、会社としては「雇用」の形にして社会に対して声を上げたいのですが、雇用保険では週20時間以上働かないと「雇用」とは言えないので、制度に関して思うところはあり、国とも話をしているところです。
西粟倉村の前向きな姿勢に、良い意味で驚いた
— 2021年の「TAKIBIキャンプ」に参加されたそうですね。西粟倉村の印象はいかがでしたか。
大熊:村のおじいちゃん、おばあちゃんたちの持っているスキルを活かし、健康寿命を上げていきたいというお話で、声をかけていただきました。実際に来てみたら、僕の故郷よりも過疎なのに、若い人や移住者が多いなと。しかもわりと自由にやっていらっしゃるんだと感じましたね。
「TAKIBIキャンプ」では、外部から来た僕のような人たちと村の方たちが討論したり、考えたりしたのですが、皆さん柔軟で熱いなと思いました。官民協働で、行政の方々も現場に来て一緒に泊まり、一緒に考えていらっしゃって。みなさんの問題を前向きに解決していこうという姿勢に、良い意味で驚きましたね。
大熊:西粟倉村のシルバー人材センターでは、仕事があるけれども仕事を請け負える人が少なくなってきていると聞きました。生きがいと働きがいを生むような仕組みを西粟倉村でもつくっていきたいです。
西粟倉村ではプロデューサーとして関わっていく
— どのような計画があるのでしょうか。
大熊:僕は起業前に学んだ「ボーダレスアカデミー」を主宰している『株式会社ボーダレス・ジャパン』の代表取締役社長・田口一成さんの「これから先の時代は『何を得るか』じゃない、『何を残すか』だ」という言葉が好きなんです。村の中で特有のもの、知識や財産を残していきたいですね。かつそこにビジネスを入れることで、残しながら収益を上げていく。伝承していくプロセスも、おじいちゃん、おばあちゃんたちにとって生きがいになるはずですから。
今、九州の各県をはじめ、全国各地でも関わっている案件があり、各地で関心が高まっているのを感じています。西粟倉村では、「じーばーレストラン(仮)」として認定を受けたものの、現段階では食堂にするのか、形は決めていません。「ばあちゃん食堂」のようにおばあちゃんやおじいちゃんが働ける場で、特有のサービスが生まれれば、それはそれでいいのかなと。でも食は、大きな要素だと思いますね。
これからおじいちゃん、おばあちゃんの声を集め、何ができるか、どんな風にできるのかも含めて調査し、現地でやる方々の育成をして、プロデューサーとして関わっていきます。これからプロボノやインターンの方が来て、「これだ!」という結論が出るのかもしれません。僕が決めたプランを実行するというよりも、みんなで話し合いながら決めていきたいですね。