感情で動いたことに力が宿る。 猪田有弥さんが村で起業を目指したモヤモヤとハレバレの日々。

西粟倉村は様々なかたちで自分の人生を生きようとする人が集まっている場所です。
例えば転職で、例えば起業で。
今回お話を伺ったのは、その中の1人、起業家となった猪田有弥さん。

猪田さんは2018年春から移住し、西粟倉ローカルライフラボという起業家支援プログラムに参加しながら起業を目指してきました。
起業家としての支援を受けるために最初の年に挑んだ選考会は通過出来ず。
しかし、もう1年トライし今年2020年1月に開かれた2度目の選考会には見事通過。
これからいよいよ起業家として様々な事業に取り組んでいかれます。

この2年弱の日々は事業を作ることに、仲間をつくること、そしてここで暮らすことに向き合い、時に迷いながらも進まれてきました。この日々はどのようなものだったのか、そしてこれから起業家として歩もうとする未来について伺いました。

 

―猪田さん、今日はどうぞよろしくお願いします。そして選考会通過!おめでとうございます。
今のお気持ちはどうですか?

 

猪田:良かったなとホッとしているのと、これからどうなるかとワクワクした気持ちが入り混じっています。


―明るい色のお洋服がぴったりの表情です。

その表情の背景にはこれまでの日々がとても濃かったものが有ると思います。
早速ですがこれまでの日々を教えていただきたいと思います。
まず、もう大昔のようかもしれませんが、2年前の村に来ることになった経緯から聞かせてください。

 

猪田:はい、最初のきっかけは4年前に都市とローカルをつなぐ人材を育てる『地域共創カレッジ』(アスノオト:信岡良亮氏が主宰)の第1期生として、東京で半年間毎週20名の仲間と学びを深めました。そのときのフィールドワークの地が西粟倉村でした。
たった1泊2日でしたがそこからこんな展開になるとは当時は夢にも思っていませんでしたね。
小さな頃から鉄道好きでいわゆる「てっちゃん」の私にとっては、西粟倉村の交通環境に惹かれました。高速道路は無料だったり、羽田空港から西粟倉まで3時間台で来れることが、「村」でありながらも、非常に便利な場所だということが印象的でした。

その当時は漠然と、仕事においては東京の会社で働き続けることの意味が気になっていて、このままでいいのかなと考えていました。また、暮らしの部分では3.11の震災も東京で経験して、大都市に住み続けることへの不安もあった中で西粟倉と出逢いました。

「西粟倉ローカルライフラボ(以下:LLL)」というプログラムの存在を知り、「このままでいいのかな」とか不安だけでなく、人生を変えると言うと大仰かもしれないですが、暮らしも働き方も変えて自立し夫婦で、家族で暮らしていくことに挑戦していきたいと思い、新しいなりわい作りに挑戦しようと移住を決めました。

西粟倉LLL1期のメンバーと


-猪田さんの奥様も助産師として経験を積まれていて、お二人でなりわいを作りたいと移住されてきたんですよね。

移住されてきてすぐの日々はいかがでしたか?

 

猪田:最初は期待がありつつも、まず地域おこし協力隊制度を活用した個人事業主としての暮らしに慣れることに必死でした。LLLでは事業を立ち上げる為の仮説検証に取り組むことになるのですが、どうやればいいかわからなかったです。
覚悟を決めようとか、あなたにとって一番いい選択をしてほしいとか、色々とアドバイスや感想を言ってもらいました。ありがたいのですがどうやって受け入れたいいのか、何が自分の為かもわからなくなっていきました。
そこからモヤモヤ期が始まりました。2018年の夏から暫く続きましたね。


-1年目の起業家としての選考会は10月から始まっているのでモヤモヤ期の中、選考会があったんですか?

猪田:はい、そうですね。
西粟倉では事業を起こそうとすると、よく「想いがあるか」「自分軸を持っているか」「愛を持っているか」を問われます。
そこに集中して発表していても、もっと事業計画を詰めようというアドバイスももらう。
結果、通過は出来ず、当時は一体何が足りてないのか、混乱の中で理解することは難しかったです。

1年目の選考会の様子


-通過出来なったことからもう1
年希望された時はどういう気持ちでしたか?

 

猪田:通過できなかったことはとても落ち込みました。色んな人と話して、この村に居続けることやプログラムに参加しなくてもいいのではと思うこともありました。でもまだ諦めたくなかったですし、やっぱりもう1年やらせてもらいたいと思いました。

でもすぐグイグイと進んでいけたかと言うとそうではなく、引き続きモヤモヤ期の中にいました。
2年目は前職のコンサルティングの仕事の経験も生かして、福祉とモビリティの切り口でのコンサルタントも並行してやってみようと考えていました。しかし、それも決めたものの漠然としていて、コンサルタントとして何を生み出す人になるのかなかなか先が見えませんでした。


-それはけっこうモヤモヤ期長かったですね。その時から今に至るまでには猪田さんに大きな変化があったのだと思いますがそのきっかけはなんだったんですか?

 

猪田:きっかけはポツポツとありました。

まずは去年の夏頃かな、私が落ちた選考会に通過した、革職人の渋谷くんが「仲間をみつけることが、選考の際にもよく耳にした“愛”や“自分軸”につながっている」と言っていたんです。聞いた時はよくわかっていなかったんですが、これは後々とても大切になる視点をもらっていました。

そこから大きなきっかけとなるのは、秋に村内の施設のアンケート調査をお願いされてコンサルタントとしての経験が活かせたこと、昨年10月から村の中で始めた通所付添サポーター「元気DEあい隊」(げんきであいたい)の有償ボランティア活動です。

通所付添サポーター「元気DEあい隊」の活動の様子

LLLの研修内でよく「何か動こう」と言われます。
動こうとした理由は「自分の出来ること」だったからです。コンサルティングは前職の経験から出来ると自信がありました。そして付添サポートは高齢者のモビリティという切り口は気になったこともありましたが、ドライバー募集が一番目についてそれなら僕も出来るからということで手を挙げました。

 

-だんだん村内で活躍できる場が増えてきたのですね。そこからクラウドファンディングに至った経緯は、何かあるのですか?

 

特に2年目のLLL研修で何度も言われたのが「売上目標を立てよう」「小さくとも売上を立てよう」でした。正直、モビリティに関しては、情報のストックはあるものの、すぐにコンサルタントとして売り上げがたつものでもないので、クラウドファウンディングをしようとひねり出しました。
内心、焦っていた部分もあると思います。

LLLの事務局に相談したところ、READYFORというクラウドファウンディングを運営しているサイトを紹介してもらいました。そうしたらちょうど、中国銀行と山陽新聞社、READYFORが手を結び、岡山生まれの夢を岡山のみんなで叶えていくという岡山発の地域密着型クラウドファンディング「晴れフレ岡山」を教えていただき、挑戦することになりました。

猪田さんのREADYFOR プロジェクトページ https://readyfor.jp/projects/30365

 

-クラウドファウンディングを進めていく中で何か心境の変化はありましたか?

猪田:最初、クラウドファウンディングを始めた時はやっぱり怖くて「こんな自分が白書を作るなんて宣言していいのか」と思っていました。READYFORの担当キュレーターの方からは、支援を募る為に友人知人へのメールでのアタックを勧められましたが、私はその手法は苦手であまり気乗りしなかったんです。なので、出来るだけ実際に会いにいきました。
暫く会えていない人たちの他、新しい仲間を求めて、東京や大阪に行き、最近の活動としてクラウドファウンディングを始めたことを伝えていきました。SNSでリアクションがなくても、村での活動を知ってくれている人がたくさんいることもわかり安心しました。そこで会った人たちの反応や応援コメントにとても勇気づけられました。
気がつけば、100人くらい会いに行っていました。

【応援メッセージをクラウドファンディングの新着情報に載せることができました】 ※参考:https://readyfor.jp/projects/30365/announcements

人に会いながら、SNSでの発信も進め結果、目標金額55万円に対して、895,000円の支援をいただき、支援者数も111人もの数になりました。今は5月の完成に向けて資料集めと執筆を進めています。
この白書を通じて、西粟倉のような地域のモビリティの現実をしっかりと伝えて、地域交通をもっと便利に面白くしていくことに繋げたいと思っています。

猪田さんが挑戦したクラウドファウンディング

 

―なるほど。動いたことを実感しながら、周りに対しての安心感も増していったんですね。

 

猪田:はい、そして渋谷くんに言ってもらった「仲間」もこれらの動きで得た、というか仲間がいることを実感出来たと思います。

そして仲間とは、「これをやりたい」という強い想い=“愛”“自分軸”があるから募る事ができる、仲間になれるということだと気づきました。

今年の選考会の資料を見返すと「仲間」が居ることを伝える内容になっていました。

プレゼンテーションで伝えたかったことは1年目も2年目もそんなに違わず、「西粟倉をはじめとする中山間地域のモビリティを良くしたい」ということなのですが、出来上がった資料は1年目と2年目で全く違うと思います。

この仲間と一緒に地域のモビリティを良くしていきたい!なので応援してほしい!という気持ちには、迷いもモヤモヤもありませんでした。

2年目の選考会の様子

 

-ここまでのアクションは、「行動しなければ」「売上をたてなければ」という“~~しなければ”が先立ち、言ってしまえば前向きなものだけで動いていたものではないと感じました。それでも、行動や状況はどんどんと前向きになり仲間や資金が集まり、今こうして猪田さんはハレバレとしている。どうしてこういう結果に繋がったのだと思いますか?

 

猪田:1年目、2年目半ばまでのモヤモヤ期は、活動一つひとつを頭で理解して頭で自らを評価していたのだと思います。つまり頭の中の範囲を出ることが出来なかった。
ここ数カ月“~~しなければ”であったとしても、派生して動いていけたのは頭の範囲を越えていたと思います。感情が大きく動いたと思います。
怖さや焦りがスタートなので、特にクラウドファウンディングは始まった頃はどう思われるかと怖くなる時もあったんですが、人生にそうそうある機会じゃないと思いどんどんと動いて産まれた結果が、次の取り組みや気持ちにおいても大きな力をくれました。

 

-なるほど。焦りでもあったけど感情の動きが原動力だった。感情で動き始めたことが自分の力になる過程はとても興味深いです。多くの場合、焦りで動くと空回りしたりすることもあると思いますが、猪田さんの焦りには根底に、もともと村に来られた時の気持ち、「自立したい」という強い気持ちがあったんではないでしょうか。それがどんどんと行動することで前に出て来て、人もお金も集めていったのではないでしょうか。

さて、これから未来についても伺わせてください。これからどんな事業を仕掛けていきたいですか?

 

猪田:今、白書を皮切りにモビリティ10年構想を考えてて、それに沿ってやっていきたいです。

10年かけて、地域のモビリティを便利に、面白くしていきたい。そのために具体的にやりたいことは沢山あります。

例えば高齢者の買い物ツアーの充実や、カーシェア、村内の観光地へはゴルフカートみたいなグリーンスローモビリティを走らせてみたいとか、移動型のコミュニティスペースをやってみたいとか。

今、役場の方も混じって進んでいるワーキンググループに参加しているのですが、そこでは村内で新しいモビリティの開発が出来ないかなんて話もしてて、とても面白いですよ。

これまで自治体の福祉分野の計画立案の仕事もしてきたし、その知見も活かしたいです。モビリティはやはり福祉の分野とは切り離せないのでそこも意識して取り組みたいです。福祉は子どもたちや親御さんたちも関わる部分なので、そこは助産師の妻の活動とも一緒に出来ることが有るのではとそれも楽しみです。

本当にやりたいことは沢山あります。

どんどんと進む技術や制度の様子にアンテナを張りながら仕組みと仲間づくりをしていきたいです。

 

-本当にワクワクされていることが伝わります。

 

今仕事が大きく新たなステージになろうとされていますが、暮らしの部分も大きく変わりますか?

猪田:移住してわかったんですが、村の暮らしは“仕事”と“暮らし”が表裏一体なんだな、と。

最初の頃は瞬間瞬間でどちらかの変化に対応しようと必死になり、その結果どちらかが置いてきぼりになり、辛いこともありました。

しかし、やっと暮らしも変化に慣れ、仕事が新たなステージになる今は、穏やかにここで暮らしている感覚があります。仕事を抜きに繋がれる人たちも出来ました。

 

―最後に。これから大切にしていきたいことはありますか?

 

猪田:質問を聞いて、「仲間を大事にする」ということが浮かびました。今自分を応援してくれている人たちを大切に取り組んでいきたいです。

 

-ありがとうございました。

これから始まる猪田さんの挑戦を楽しみにしています。

 

メールマガジン

いきるが、ひろがる。Through Me Magazine をお届けします。