一つ一つ点を打ちながらチャレンジ・コミュニティを築いていく。 松崎光弘さんがCRO兼ローカルインキュベーション事業部 部長としてエーゼロに参画。

2022年4月よりエーゼロのCRO(Chief Research Officer(チーフ リサーチ オフィサー)の略。企業の最高研究責任者の意味)兼ローカルインキュベーション事業部(以下:LI事業部) 部長に就任いただく松崎光弘さん。

松崎さんには、これまで5年間エーゼロのローカルベンチャー関連事業(地域での起業支援、事業拡大支援に関する事業)の事業パートナーとして講師やメンターを何度も引き受けていただきました。
松崎さんは、若くして大学教授となった元研究者であり、株式会社知識創発研究所を起業し経営コンサルティングや研修の事業を行ってきた経営者でもあります。また大学教授の頃からマネジメントに関わり、一人一人が成果を出せる環境づくり、チームづくりに長く携わられています。

そしてエーゼロ代表の牧との初めの接点でもある、実践型インターンシップの草分け的存在の
NPO法人ETIC.(エティック)(以下:ETIC.)との出会い、「チャレンジ・コミュニティ・プロジェクト」(事務局ETIC.)への参画。
これまでの研究、経歴、スキル、ETIC.での出会い、エーゼロとの5年間、全て繋がったことで松崎さんのエーゼロへの参画が叶いました。

松崎さんのこれまでを振り返りつつ、LI事業部の役割、そして目指す先について、牧と対談いただきました。

 

 

研究者から大学マネジメントの世界へ

牧:まず、松崎さんのこれまでを伺わせてください。

松崎さん(以下敬称略):元々の専門は地球科学です。地震発生のメカニズムを統計的な立場から分析してシミュレーションモデルを作るというのが若い頃の研究テーマでした。その時に取り入れていた手法が「複雑系※1」の考え方。ここが私のルーツです。
27歳の時大学院を出たあと、ポスドク※2として日本学術振興会の特別奨励研究員になりました。ここまでは複雑系の考え方を活かしながら地震のメカニズムの研究をしていました。

※1 複雑系科学(または複雑性科学)は,小さなスケールで相互作用をしている多数の構成要素の集まりが,しばしば外部要因や中枢的権威やリーダーがなくとも自発的に自己組織化し,不思議な構造や振舞いを大きなスケールで生み出す,その仕組みを研究する学問分野。
※2 ポスドク(Postdoctoral ResearcherあるいはPostdoc)とは、大学院博士後期課程(ドクターコース)の修了後に就く、任期付きの研究職ポジションのことをさします。 ポスドク研究員、博士研究員とも呼ばれる

牧:その経歴ですと、バッチリ大学の先生になるルートですね。

松崎:はいそのルートですよね。自分もそう思っていました。テレビに出たいかどうかは別として、そのままいけば地震の時にテレビ解説するような人になっていたかもしれません。
ただ自分で言うのも変ですが私は研究者として2.5流で、28歳の時に短大の教員になりますが、地球科学ではなく情報処理の専任講師として採用されました。2つ目の大学(入った時点では短大で途中で四年制ができました)でもやはり情報処理の担当です。
その後30歳で助教授になって、31歳で情報センターの次長、32歳で図書館長、そして34歳で教授になって。教授になった時は教務部長と学生部長という役職も兼務していました。

松崎光弘さん

牧:34歳で教授というのは、大学のキャリアとしてはかなり最速スピードですよね。
一方で、権限も大きくなるので研究に没頭するということはなかなかさせてもらえなかったでしょうか?

松崎:とてもじゃないですけれど研究はできません。何回も言いますけれど私は研究者としては2.5流で、その世界では全力でやっていてギリギリついていくぐらいの感覚だったので、必死で研究する時間が無くなったらもう無理でした。と同時に、マネジメントって面白いと思ってしまったもので、その二段構えで研究者の道を逸れていった訳です。
逸れていった先でも、34歳で教授・部長といったら「あがり」のポストにとられるので、妬み・恨み・やっかみ・嫉み・僻み、いろいろなものが押し寄せてくる環境に身を置くことになるんですよね。しかも、決して謙虚なタイプではないので軋轢だらけですね。まぁ多少のストレスもありましたけれども、むしろ負けん気が強いものですから燃えちゃって面白く感じてどんどんマネジメントの方にシフトしていきました。
そうすると、マネジメントでも複雑系の考え方はすごく使えたんですよね。
特に部長職になった時、マネジメントされる側の方がみんな私より経験値も年齢も上なんです。これは普通のマネジメントスタイルでは無理です。いかに場を整えるか、今時の言葉で言うとサーヴァントリーダーシップみたいなことをずっとやっていました。
その人たちが働きやすいようにするために、基本的に「現場のことは皆さんがよく知っているので良いと思ったらやってください、間違った時の責任はこちらで負いますから」というできるだけシンプルルールでやることにしたら、皆さん一生懸命仕事してくださって、おかげでなんとかなりました。それがマネジメントのスタートです。
有能な人がいっぱいいるので自分が何でも知っている・できる必要はありません。でも有能な人が不安にならないように、ということは考えました。そういうところが面白かったです。どう場を設定して、舵取りすればよいかと考え、場のマネジメントに注力した感じです。

牧:そこは複雑系のベースが活きたのですね。誰かの指示通りに人が動くということではなくて、各々がそれぞれの動き方をする中で、どうすれば松崎さんがこれまでも言われている”創発的※3”に秩序が生成されるというプロセスが作れるかということですよね。

※3創発的とは、自律的な要素が集積し組織化することにより、個々のふるまいを凌駕する高度で複雑な秩序やシステムが生じる現象あるいは状態。

松崎:はい。時々小さく介入をすることで、何となく形がまとまっていくみたいなスタイルが一番適しているなという感じです。

牧:より良い形に構造から変わっていくために、新しい秩序が生まれるためには一時的なカオスというのが必ず必要だったりする訳ですよね。

松崎:それを作り出すのも時に仕事ですよね。

牧:カオス、混乱の中で秩序が生成されていくというのは、やはり一時的にはそこにいる人たちは不安になったり、複雑な感情を抱えたりします。今のままだと安心感があるのに、まず一旦安心できない状況になる訳ですよね。

松崎:全くその通りです。実際に過去、指示をくださいとおっしゃる方がいました。しかし、そこで指示をしたら、この方向にいかなければいけない、もしくは違う方向にいかなければいけないと思ってしまうので良くない。だから結局言わないということになります。ごめんねと言いながらうまく流して、時間稼ぎしながらそのまま走ってもらう感じでした。

「チャレンジ・コミュニティ」との出会い

牧:なるほど。松崎流創発型経営理論みたいなものがどう生まれてきたのかという背景が今さらながらわかってきたという気がします。
大学で教授になり、マネジメントするというところから、その次はどうでしたか。

松崎:大学を辞めた2006年にたまたま大阪府立青少年会館という大きな公立施設の館長職をやりませんかとお話がありお受けしました。館長も完全にマネージャー業務ですよね。

牧:確かこの年に初めて松崎さんとお会いしていますよね。

松崎:そうです。2004年にETIC.が事務局を務め、経済産業省の事業として立ち上がっていた「チャレンジ・コミニティ・プロジェクト」に参画することになったからですね。

牧:通称「チャレコミ」ですね。
手法としてはETIC.がやってきた長期実践型インターンシップというものを地域の中小企業やベンチャーに繋げていくことで、ETIC.のノウハウを地方移転させていくということに取り組んだものでしたよね。そこで地域で実践をしていきたいという人の募集がされた時に手を挙げ採択された中に、僕も松崎さんもいたということでしたね。
松崎さんはあの時に、なぜチャレコミに参加されたんでしょうか。

松崎:青少年会館は基本的には貸館(ホールや会議室のレンタル)を事業としていました。せっかく場所があるのに貸館だけで使うのは面白くないと思ってましたし、若者が成長する拠点にしたいと考えていたので何かテコになるものはないかと探していたら、チャレコミを見つけたんです。

牧:チャレコミが取り組んだ“地域でチャレンジをプロデュースするというチャレンジ”を、僕たちはローカルベンチャー、今ではローカルインキュベーションと言い換えて取り組んでいるような気がします。
僕たちは人づくりを軸にしてチャレンジを生み出し増殖させていくことに取り組んでいて、結果目指すのはチャレコミもローカルベンチャーも「地域のチャレンジ・コミュニティを形成していく。」ということなのではないでしょうか。

松崎:一緒でしょうね。実は15年経ってもあまり変わっていない。

牧:ですよね。テーマは何も変わらなくて、一つ一つのチャレンジをプロデュースしていく積み重ねの先にチャレンジ・コミュニティを形成し発展させていくという。ただ、それを今も続けているという、それだけと言えばそれだけなんですよね。
永遠にこれからも大事なテーマなんだと思います。

牧:青少年会館の指定管理が終わった後はどうされたんですか?

松崎:会社を立ち上げて経営コンサルや研修の事業をしていました。
この時、本当に応援してくれる人がいました。「親父」と呼んでいる当時の会長ですが、ガス管工事業から身を起こしバブルで230億円ぐらい借金したけれどそこから再生した上に、そのノウハウで企業再生の会社まで作ってしまった人で、経営に関しての師匠です。
「親父」の仕事についていくと、いろんな中小企業の財務諸表を読む機会や、経営の現場の裏話なんかを聞く機会もたくさんありました。ここにはMBAとかの世界ではなくてもっと生々しい現場がありました。本当に面白かった。

 

戦略がわかる戦術家・松崎さん×戦略家・牧で見える景色

牧:その後またETIC.と再び接点ができたのはどんな機会でしたか?

松崎: ETIC.との接点は時々ありましたが、深く関わるようになったのは2010年に「内閣府地域社会雇用創造事業ソーシャルビジネスエコシステム創出プロジェクト」という長い名前の内閣府の事業で、全国約20地域で大学と一緒になってインターンシップを使って、チャレンジコミュニティを作りますというものでした。ここではカリキュラムを作り込むための委員の一人に選んでもらいました。
ここがインターンシップ理論が体系化されていく起点だったように思います。
2004年~2006年の経済産業省のモデル的にチャレコミ事業があった時は、イキのいい若者たちがチャレンジ精神で、さらに若いチャレンジャーを育成しているみたいな、そういう体当たり感があったところから、この2010~2011年のカリキュラム開発では理論体系を構築していきました。あの2年間は実はすごく大きな転換点でした。

牧:僕はと言うと、チャレコミに参画した当時は、アミタ株式会社に所属し地域のコンサルティングに取り組んでいました。そこで地域でチャレンジをプロデュースしたい、インターンシップを導入したいとは思ったんですが僕がフィールドにしていたような過疎地ではチャレンジ精神があり、かつ人を育てていくという意欲のある経営者がそうそう簡単にいない。いたとしても、その土地に一人いるかいないかみたいな状況でした。努力をしてみても、やはりどうにもうまくいかなくて。
そうこうしているうちに、西粟倉村の「百年の森林構想」が立ち上がりその動きに集中していってチャレコミとしばらく疎遠になっていきました。

それから2016年ETIC.が全体事務局をされて西粟倉でもローカルベンチャー事業が動き出したわけですね。エーゼロはその事業の企画運営事務局を委託されます。
村役場主催、エーゼロ事務局という体制で事業が進んでいく中で、地方創生推進班の事業に講師として来てもらったのが松崎さんが西粟倉に関わるようになった最初ですね。
地方創生推進班の事業では、役場という組織の中で職員の方々がそれぞれ何かにチャレンジしていくということが、地域全体のチャレンジ文化の基礎にもなっていくということがわかってきました。

西粟倉村地方創生推進班初期メンバーと

TAKIBIプログラムという地域全体に大きな波及効果をもたらす事業では、役場の人たちも含め様々な専門家が事業・プロジェクトを企画をした上で、そこインターンシップのように飛び込んで武者修行をする若者を探してきて事業を作るところまでやってしまえという。
まさに松崎さんのご経歴、スキル、何もかもが繋がってきている感じがありますね。

松崎:そうですね。

牧:そういう中で、エーゼロという会社自体もいろいろな分野に点を打ちながら創発的に戦略が見えてきて次の展開にいくということを重ねてきているのですが、やはり、だんだん人数も増えてきて、この4月にはパートさんを含めると100人を超えてきます。
こうなると僕自身の時間の使い方とかを変えていかざるを得ない中で、チャレコミに参画した時からずっと温めてきた起業支援や事業成長支援関連のプロジェクトを司るLI事業部はやはり誰か部長をやってくれる人がいないといけない。
そう思った時に、ダメ元で松崎さんにご相談したら引き受けていただけてとても驚きました。

松崎:それは意外です。こちらは二つ返事でしたけれど。(笑)

牧:松崎さんのようなしっかり経営されてきて実績もある方に、人を育てていくことを含めてマネジメントの責任をとっていただくっていうことは、僕からすると畏れ多かったです。
もし松崎さんが首を縦に振ってくれたらもう最高だなと思っていました。

松崎:今回のお話をお受けした理由は、エーゼロという会社がどんどん伸びていこうとしている時に、この牧大介という人をできるだけ自由にしたら何が起こるか見てみたい、遠くの景色を見たいということがあります。
私は突き抜けている部分も確かに持っているつもりではいるけれども、一方で限界はあって。牧さんは、その私の限界としたところを軽々と超えている。
私は自分の限界のその先の景色を見てみたい。

よく戦略とか戦術とかいう言葉を使いますよね。私はどちらかというと戦略を理解できる戦術家なんです。与えられた状況を最大限に利用して、状況が変わったらそれも利用して良いものを作る。
牧さんは現場もできるけれど、本質的には優れた戦略家だと思うんです。戦略家には細々としたことはさせたくなくて、真っ白なキャンパスにビジョンを描いてほしい。描ける環境をこの人に提供できたら、結局は私が一番活きることではないか、活かされることではないかと思いました。
そう思えたのはこの5年間の積み重ねがあるからです。この先何が起こるのか見てみたい、どんなチャレンジコミュニティを生み出すのかを見てみたいなと思っています。

牧:本当にありがたいです。
これから会社全体で次のステージに全体として上がるというタイミングかなと思っています。
木材加工や集客施設を持つエーゼロの前身でもある株式会社西粟倉・森の学校(以下:森の学校)や、エーゼロ内には鰻養殖やジビエ加工を行う自然資本事業部、ふるさと納税を中心とする関係人口ソリューション事業、高齢者や障がい者の福祉事業、そしてLI事業。一見バラバラなものが今の地方創生というプロセスの中で、地域経済を面白く豊かにしていくために有機的に繋がりながら総合的に進めていけるようになろうとしています。
今会社全体が、様々な分野で、様々な手法で取り組めるチーム編成になっているという中でLI事業部はまず最初に新しい土地やテーマに入って行きそこの状況を確認したり、その後に続くメンバーの道筋を付けていく、でもただの偵察だけでなく時にはやはり行動も起こしていける非常に勇敢で柔軟な機能を持っている重要な役割です。
LI事業部の進化は会社全体の成長にも大きく関係してくる部署だと思います。

松崎:LI事業部の皆さんには、第一にエーゼロがやっていることの一つ一つをきちっと意味づけできることが必要だと思っています。それぞれの事業の意味を充分に理解して、必要な時に必要なツールをパッと出して使えるチームになってもらいたい。
ここにどんな点を打つの?という時に、もしかしたら福祉の点を打つべきかもしれないし、LIの点を打つべきかもしれない。状況に応じて必要な点を打ち込む役割を果たさなければいけないですね。
そして「それがどんなふうに地域の可能性を引き出すの?」という問いにちゃんと答えられる。それを机上の戦略ではなくて、何なら私が点を打ちに行きますという状態にしたい。

LI事業部のメンバーは「コーディネーター」と呼ばれる人たちですが、この仕事には地域で全権をもし委ねられたら、こんなふうにするぞと未来を描きながら手放す、という姿勢が求められます。
地域の未来を自分だったらこういうふうにできたらいいなと思うけれども、主体者は地域の中の人ということをわきまえて、ちゃんと手放せる。自分の軸を持っているから適切な介入ができるんです。
「自分で描いたものをさっと手放す」、そこがポイントです。
「自分ならこうする」「理論的にはこうしたほうがよい」といったことはお伝えしますが、相手が「そうじゃない」「あえて違う判断をしたい」と言うなら、その理由や思いをちゃんと受け止めて「腹をくくって進みましょう、それを今度は全力で応援しますから」というスタンスです。

LI事業部のメンバーと

牧:接する地域の本当の意思を引き出すためにも、私はこう思う、こう考えるならこうだと思う、この価値基準でいくならこちらじゃないかみたいなことを、やはり自分の意見をぶつける力が必要だと思います。
自分の一つの意見を持ってぶつけたけれども、地域の人たちがこちらだと言う、地域の中の意思を感じた瞬間その意思に自分の気持ちを重ねていくということ、その意思を実現していくということに、自分たちの仕事の意味を常に見出していく姿勢、楽しんでいく姿勢というのが要るのかもしれないと思います。一方的に従う訳でもなく、かといって押し付ける訳でもなく。

松崎:コーディネーターの仕事の醍醐味ってそこかなと思っています。

牧:LI事業は一つ一つのチャレンジを丁寧にコーディネート、プロデュースして積み重ねていくという、まさにチャレンジ・コミュニティを形成するために一つ一つ点を打っていくことがとても重要です。
その上で浮かび上がってくる戦略とかビジョンみたいなものは、松崎さんと一緒に西粟倉でやっていた創発型の地方創生だと思いますし、ある意味15年前からETIC.ともやってきたチャレンジ・コミュニティというものをより高いレベルで完成させていくというプロセスでもあると思いました。

また、今回松崎さんには「CRO=Chief Research Officer(チーフリサーチオフィサー)」にも就任いただきます。その視点から楽しみにされていることがあれば教えていただきたいです。

松崎:Research、つまり研究というのは、様々な出来事を一つ一つ観察し、その中にある構造やメカニズムを解明することといってよいでしょう。エーゼロでの研究の中には当然このような取り組みも含まれますが、それだけではありません。
エーゼロでの研究は大きく二つの段階があります。ひとつめは、西粟倉村だけでなく様々な地域で取り組まれている事柄から、すべてに共通するメカニズム、特定の条件で見えてくる構造、そして、完全に個別の文脈で語らなければならないことを切り分けて言語化する「一般化」という段階です。
ふたつめは、そうやって一般化されたものを別の文脈にうまくフィットするように改良して、様々な地域に実装する「個別化」という段階です。言葉にすると簡単ですが、現場でコーディネーターとして這いずり回ることが求められるでしょう。ですが、それが他のどこもやらないエーゼロの研究の一番大事なコアなんだと思っています。
この「一般化」と「個別化」を何度も往復する中で,それぞれの地域の可能性をどんどん明らかにして,それぞれの地域が自らの力でよりよい未来に向かうお手伝いをしていきたい・・・・と、勝手に楽しみにしています(笑)。

牧:今回お話させてもらい、松崎さんの就任が全て繋がりながら奇跡のように実現したことを実感します。4月からがますます楽しみになりました。

最後になりましたが、松崎さんの公私ともにパートナーの松崎典子さんに部長補佐として一緒に来ていただけることも大きいと思っています。一個一個の仕事のプロセスや人を育てるということを松崎さんしっかり見てくれている中で、細かな確認は典子さんが担っていただける。本当にありがたいです。
お二人ともこれからよろしくお願いします。

松崎:よろしくお願いします。

 

松崎さんを事業部長に迎え、LI事業部が地域にチャレンジの点を打ちながらチャレンジ・コミュニティを形成していく未来がとても楽しみです。
またLI事業部では一緒にコーディネーターとして働いてくれる仲間も募集しています。
関心のある方はぜひお問合せください。お問合せはこちらからお願いします。


参考:
・松崎さんによる西粟倉村役場での地方創生推進班の活動
複雑適応系マネジメントから見た西粟倉村地方創生推進班の活動と今後(2021年5月9日)

 

メールマガジン

いきるが、ひろがる。Through Me Magazine をお届けします。