鳥取県
智頭町
ちづちょう
手放すから物事が動き出す。健やかな地域内循環を目指す「タルマーリー」の今とこれから。(前編)
Date : 2017.09.29
2013年、『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』(講談社)を出版し、その名が知られるようになったタルマーリー。千葉県いすみ市で幕を開けたその物語は、岡山県勝山を経て、2015 年から舞台を鳥取県智頭町に移しています。開店から10年。その間、土地を変え、パン屋という肩書きを自ら外してきた、オーナーシェフ・渡邉格(いたる)さんと妻で女将の麻里子さんに、タルマーリーのこれまで、今、そして未来について伺ってきました。前編・後編に分けてお届けします。
智頭町に移転したタルマーリーの現在
鳥取県智頭町は、全体の93%を森林が占める林業の町。鳥取市から車で40分ほどのところにあるこの町で、タルマーリーは国産小麦と自家採取した野生の菌を使用したパン、智頭町那岐の天然水と野生の菌を使用したクラフトビールをつくっています。
店内のカフェでは、パンとビールはもちろん、可能な限り「無農薬」「無肥料」「無添加」「自然栽培」「完全放牧」「オーガニック」といったキーワードを伴う、安心して食べられるピザやサンドイッチ、スイーツ、ドリンクなどを提供。広い庭を眺めながら、ゆったりと過ごすことができます。
店舗は、元保育園の建物を格さんがDIY(Do It Yourself)でリノベーションし、内装・外装ひとつひとつにこだわりが詰まっています。奥の遊戯室はイベントスペースとして使用。各地で活躍するプレイヤーたちを招いた対談イベントなども開催しています。
そんなタルマーリーの取り組みには、一貫したコンセプトが存在しています。それが書籍にタイトルにも書かれている「腐る経済」です。
「腐る経済」とは、「自然界のすべての生物が菌の働きによって土へと還り、循環しながら、独占も略奪もなく、調和している」という、自然の摂理を経済 活動にも当てはめる考え方。タルマーリーは、野生の菌による発酵を起点としたさまざまな物事の地域内循環を生み出すことで、「腐る経済」の具現化を目指しているのです。
天然水と子育ての環境を求めて
そんなタルマーリーが智頭町に拠点を移した背景には、大きく二つの理由がありました。一つは、おいしいクラフトビールの元になる天然水を確保するため もう一つは、より多くの自然体験ができる田舎で子育てをするためです。
麻里子さん:「そもそも田舎でパン屋を始めたのは、田舎で暮らして、子どもたちにたくさん自然体験をさせてあげたかったからなんです。でも、パン屋が忙し過ぎて、普通の保育園に行かざるをない状況で。そんな折に東北の原発事故が起こって、いすみから移転しようといろいろ調べているときに、智頭の『森のようちえん まるんたんぼう』を知りました。
『いいなぁ』と思いつつ、山陰で商売をすることに不安があって、より人の多い山陽を選んだんです。でも、そこでも私たちが望むような教育環境は得ることができなくて、店舗兼住まいの建物も狭かったし、『あれ、私のしたかった暮らしってこうだったっけ?』って、ずっと違和感がありました」
それでも、当時はまだ智頭町に移る予定はなく、クラフトビール事業をスタートさせるための2店舗目の物件と、智頭の森の幼稚園に通える新たな住まいを岡山県内で探していたのだとか。
格さん:「当時、右腕だったパン職人の女性スタッフに勝山の店を任せて、僕が2店舗目でビールづくりをしていこうと考えていて、今思えば焦っていたんだと思います。彼女にもその他のスタッフにも負荷をかけてしまった。結果、彼女は独立の道を選び、スタッフたちからの信頼も失ってしまいました。
すごくショックで、何より自分自身が疲弊して腰痛が酷くなる一方で、そのお店はもうやれないという判断に至ったんです。翌日、スタッフを集めて閉店することを伝え、お世話になった方々に謝りに行きました。自分や家族の健康も含めて、次の店で一からやりなおそうと思ったんです」
予想できなかった運命的な巡り合わせ
そんな中、麻里子さんがふと智頭町の「森の幼稚園」のホームページを開くと 入学願書の申し込み期限が2日後に迫っていました。「これは行けってことだなと思った(笑)」と、麻里子さん。
そして新たな自宅も店も決まらぬままに願書を提出。面接へ行くと、そのことが智頭町役場にも伝わり、後日、役場職員の方が訪ねて来たといいます。
麻里子さん:「そのときも智頭町に移るつもりはなかったんです。役場の方にもそう伝えましたし、岡山の新しい店舗でやっていくんだと思っていましたから。でも、『それでもいいですから』と話しに来てくださったので、私たちがやりたいことと、そのために必要な『製粉機が置ける6メートル以上の高さがある』『良質な地下水が確保できる』『ビールづくりとカフェができる広さがある』『子供がのびのびできる』という4つの条件をお伝えしたんです」
しかし、この条件を満たすはずだった岡山の新たな物件は、直前で折り合いがつかず断念。そのことを機に二人は智頭町への移転を決断し、役場から紹介されたのが、今の店舗になった元保育園の物件でした。
麻里子さん:「森の幼稚園の体験入学で訪れた際に『この建物すごくいいじゃん!』って言っていた物件だったんです。地下水だし、子どもたちが広々遊べるスペースがあるし、全部条件が揃っていて、運命的なものを感じてしまいました」
自宅の物件も紹介してもらった二人は、「初めてちゃんとした家に住めた」と笑います。移り住んだのは、2015年の4月のこと。以来、地域との関係もゆっくりと積み重ね、「とても良好な関係にある」と格さんは語ります。
格さん:「役場の方たちが地域の主要メンバーを紹介してくれたり、何か問題が起こりそうな時には間に入ってくれたりしてくれて、とても助かっています。それまでも、自治会に入って草刈りなどしてきましたが、誰に挨拶したら良いかもわからないままにやってましたから」
また、智頭町に来て、生産者と直接つながることができるようになったのも大きいと話す麻里子さん。町としても自然栽培の普及に力を入れており、現在約10名の若い農家が自然栽培による野菜づくりに取り組んでいます。加えて、林業従事者に接する機会が増えたことも、二人の考え方に大きな影響を与えている といいます。
格さん:「智頭町の林業家たちは『先祖から受け継いだ森を孫のために残す』という感覚を当たり前なものとして持っているんですね。世代を超えて未来を見る、森の時間軸を実感できたのは大きいですね」
失敗と課題から学んだ、手放すということ
運命的な巡り合わせと智頭町のサポートに恵まれ、より良い環境にたどり着いたタルマーリーですが、その道のりは平坦なものではありませんでした。
格さん:「ここにくるまで、本当にたくさんの課題がありました。中でも難し かったのがチームづくりと人材育成。現在正社員5名、アルバイト3名を雇用していますが、この5年で実にたくさんの人の入れ替わりがありました。
僕は書籍で、菌や作物を育てるためには『場を整えること』が大切だと書きました。人も一緒で、『人が育つ場をつくって育つのを待つ』ことが大切です。わかっているんですが、できなかった。
パンの仕事は、ライフとワークの境目が極めて曖昧な仕事です。もちろん勤務時間は決まっていますが、気温の変化などで酵母の働きが悪くなったりする。そういう自然の変化に対応していかなければ、おいしいパンはできません。一分遅れただけで、できあがりが大きく変わるので、動きの悪いスタッフに苛立ち、きつく当たる場面も少なくありませんでした。
でも、それが原因で、智頭町に移るときに勝山のスタッフは誰もついてこなかった。ショックでした。気づかないうちに調子に乗っていたんだなと。このままではだめなんだと思いました」
智頭町への移転に伴い、スタッフは総入れ替え。そんな中、格さんは10年続けてきたパンの製法も大きく変えることを決意します。
格さん:「そもそもクラフトビールを始めたのは、ビール酵母を使ってパンを 発酵させたかったからなんです。ビール酵母でパンをつくるとうまいだろうなというのと、もしかすると長時間発酵にも耐えられるパンができるんじゃないかという仮説もありました。
1年間、挑戦し続けましたが、その甲斐あって、冷蔵庫で熟成させられるパンができたんです。イーストを使った生地であれば、冷蔵しても48時間ほどでダメになってしまいます。でも、新しくできた生地は、1週間冷蔵庫に入れておいても、取り出して発酵させて、翌日焼けばおいしいパンができる。
パン屋は毎朝、生地を仕込んでその日に焼いて販売するのが普通です。でも、この製法を生み出したことで、仕込んだ生地を翌日に焼くこともできるし、1週間後に焼くこともできるようになる。タイミングをコントロールできるようになる。時間の束縛から解放されることで、スタッフへ向けてしまっていたイライラも大きく減りました。
それもあってか、また新たに右腕となってくれているパン職人のスタッフも見つかって、今、チーム全体がとてもいい雰囲気なんです。
拠点を移し、スタッフと別れ、パンの製法まで変える。今持っているものに固執せず、手放す。その結果、パンもおいしくなり、スタッフとの関係性も整い組織の状態も上向くという好循環が生まれたのです。
手放すことが進化につながる。それをタルマーリーは繰り返し表現し続けているのかもしれません。
後編では、今、どのような進化が始まっているのか、その過程などについてお聞きします。