一歩進みたいと感じていた時に巡り合った、小さな村のお菓子工房で働くという選択

西粟倉村出身のパティシエの小林祐太さんと、縁もゆかりもない村に移住した細谷由梨奈さん。背景は異なる二人ですが、「今の状態から一歩進みたい」とそれぞれのタイミングで感じ、行動し、現在に至ります。ここ西粟倉で、こだわりの苺のお菓子をたくさんの人に届けるべく日々邁進するお二人に、これまでのことと今感じていることを伺いました。

 

大学を辞めようと思うほど夢中になった、お菓子づくりとの出会い

– 小林さんがパティシエになったきっかけを改めて聞かせていただけますか。

過去記事:帰ってきたパティシエ 〜理想を追い求めたらUターンだった〜)

小林:

大学1年生の時に、たまたまバイト先にケーキ屋さんを選んだことですね。ケーキには興味なかったですし、お菓子づくりをやりたかったわけでもないんですけど。ただ昔から料理をするのは好きだったので、どうせなら飲食関係がいいかなあと思ってなんとなく選んだだけだったんです。

でもいざバイトを始めてみるとめちゃくちゃ面白くて、どんどんのめり込んでいきました。もっとお菓子の勉強がしたくて、早々に大学を辞めてお菓子の道に進もうと本気で思ったんですが、親に猛反対をされてしまって。大学はひとまず4年間通いましたが、その間もお菓子づくりの専門書をひたすら買いあさっていましたね。卒業と同時にそのバイト先に入社して、より実践的な技術を学んでいきました。

 

– その後もいろいろなお店で経験を積まれたんですよね。

 

そうですね。最初のケーキ屋さんは実家から通いながら3年くらい働いて、そこから岡山市内のホテルに転職をしました。大型のウエディングケーキや皿盛りのデザートなど、田舎の小さな個人店では出来ないような経験をしたいなと思っていました。

 

その後も姫路や和歌山へお菓子づくりの研修に行ったり、最初に勤めていたケーキ屋さんが2号店を出すタイミングでまたそっちに戻ったり。様々な環境に身を置いて経験と技術を蓄積していく時期でした。

 

 

思いがけず訪れた、地元でパティシエとして働くチャンス

– 各地で経験を積む中、西粟倉に戻ってくることを決めたのはどういうタイミングだったんでしょうか。

 

パティシエとしてのキャリアも10年を超えてきて、次はどうしようかと考えていた時にthrough meの記事をたまたま見たんです。京都で行列が出来るようなお菓子のお店が、西粟倉で製造拠点を開きますっていう内容で、ビビッときましたね。よし、帰ろう!と。

 

それがもし、よその地域だったら絶対に「ふ〜ん」で終わってたと思うんです。地元だということと、その時の自分の状況と、やりたい仕事とが全部ハマったのかなって。

 

そこからすぐメゾン・ド・フルージュの渡部さんに繋いでもらって、京都で面接を受けました。急な転職であまり準備期間がなかったのでとにかくバタバタしましたけど、迷いはなかったですね。

 

2017年の春に入社し、西粟倉工房で製造から出荷まで自分一人でスタートしました。パートさんにも来てもらっていましたが、回していくのに必死。場を任せてもらってやりがいも大きかったですが、入ってからの1年はとにかくやるしかない、という感じで本当にあっと言う間でした。

 

このままじゃいけないと思った時、改めて見えてきた「地域」というキーワード

– 工房開設から1年が経った頃、細谷さんがローカルライフラボ(以下、LLL)の研究生として西粟倉村に移住されましたね。まずはその決断に至るまでのことを聞かせていただけますか。

 

細谷:

大学で工学部を専攻し建築関係の勉強をしていました。

一方で大学の勉強とは別に、まちづくりや地域づくりに関する活動を1年生の頃から大学の外でやってたんです。それが本当に楽しすぎて!ろくに就活もしていなかったので、就職先は先生に紹介してもらった広島の設備設計の会社にそのまま入社しました。

 

広島に勤めて2年が経った頃、東京オリンピックの開催が決まった関係で東京の部署へ異動になったんです。一級建築士の資格取得の勉強と並行して業務をしていたこともあって、ただでさえ忙しい毎日だったんですが、同じ部署の先輩の一人が急に会社を辞めてしまって。抱える仕事が一気に増え、睡眠時間もろくに取れず、体調を崩してしまいました。

 

今の仕事は好きだけど、このままじゃいけない。転職しよう、仕事を変えよう、働く環境を変えようと思って。そこで良くある転職サイトを見てみたものの、条件の羅列だけに感じてしまっていまいちしっくりこない…意識高そうな若手セミナーやイベントにも色々行ったりもしていましたが完全に迷子状態でした。

 

そんな時、友人に「こういうの好きなんじゃないの?」ってLLLの説明会に誘ってもらったんです。大学時代からの仲で、過去に私が「地域」というキーワードで楽しく活動していたのを知っていたので。

 

 

地域で働くのに、「特別」である必要はない

– 西粟倉のことはそれまで知らなかったのに、移住しようと思えたのは何が決め手だったんでしょうか。

田舎で働くには何か飛び抜けたものがないといけないイメージがありました。何かが猛烈に好きだったり、強烈な動機づけがあったり。そういうのがないとダメなんだって。

でもその時のLLLのイベントの中で、「私を使って欲しいですって売り込みに行くのでもいいんですよ」っていう話があって。あ、それでもいいのかって、自分の中にあった地方で働くことに対する高い壁が下がったんです。それで応募しました。

なので本当に、何したいとか何しようとかも全くない状態で西粟倉に来ましたね。

 

2018年の4月にLLLの研究生として村に来て、村内の色々な事業所を回ってお話を聞かせてもらう機会がありました。たまたま渡部さんもその回の一人で、苺への愛を語るキラキラオーラにすごく惹かれたんです。加えてとびきり美味しい苺を食べさせてもらったものだから、完全に心を奪われてしまって。こんなにも味の濃い美味しい苺というのをそれまで食べたことがなかったから。

 

そこで渡部さんにお願いをして、研修というかたちで働かせてもらえることになりました。小林さんが入社して約1年経った頃ですね。

 

– お菓子工房というこれまでと全く異なる分野で働くことになったわけですが、工房ではどういった業務を担当されているんでしょうか。

事前に役割が用意されているのではなく、出来ることから始めていく感じでしたね。そもそも私にはお菓子が作れないのにいいのかな、と思っていたんですが、最初はお中元の発送の管理や簡単な経理からやらせてもらっていました。

 

前職でも自分が部下を持って仕事をするようになってから、人がやっていることや今あるやり方を、より上手くいくにはどうすればいいだろうって考えることが好きだし興味がありました。工房での総務経理業務やプロジェクト管理業務などを通して、建築設備設計の経験で培った「組み立てる」スキルを少しは活かせているかなと思っています。LLLの1年間の活動期間を終えて、今年の春からは「企業研修型の地域おこし協力隊」として、引き続きここで働かせてもらっています。

 

– 最後に、今感じていることやこれからの目標を聞かせてもらえますか。

小林:

自分の中で西粟倉に帰ってくるということが、これまでの自分の集大成というか、一つの区切りとして感じている部分はあります。外でいろんな経験や学びを得て帰ってきた今の自分の姿を、ここでのお菓子づくりを通して、親や地元の皆に披露じゃないけど見てもらって、食べてもらって、何より喜んでもらえたらいいなと思ってやっています。

 

あと、僕は長男なので、家に残らないといけないなっていうのが頭の中になんとなくずっとあって。親にどうのこうの言われたわけでは全くないんですけどね。よくある「地元を出たい!」みたいな感情もこれまで特に抱いたことはないですし、西粟倉のことはそもそも好きなんだと思います。

 

これからももちろん技術を身につけることに対しては日々努力が必要だし、もっと勉強していきますが、最近こちらの工房に配属になった後輩のパティシエに対しても自分が15年やってきた経験や技術を伝えていきたいです。

 

細谷:

私の仕事内容はサポートの部分が主なので、メインである製造部門が滞りなく仕事ができるような、ある意味空気みたいな働きをしたいなと思っています。私もまだまだ失敗が多いのでなかなか空気にはなれていないんですけど…(笑)

 

本店の京都とのやり取りや百貨店とのやり取りなど、間に入ることも多いので、繋いでいる立場として現場がスムーズに回るように仕事が出来ればいいなって思っています。1年間の流れを一回り経験してだいぶ内容がわかって来たので、見えてきた課題の解決はもちろん、良いところは更に伸ばしていけるような提案や業務設計をしていきたいなと思っています。

渡部さんや小林さん、他のスタッフと、そして自分自身のために、周囲を笑顔にする楽しい環境づくりを目指していきます。

 

– パティシエとしての更なる経験と挑戦の場として、西粟倉に帰ることを選んだ小林さん。もう一度人生を見直そうとこの地に飛び込み、自分が出来ることを見つけて一歩ずつ前進してきた細谷さん。そんな二人が想いを込めて一つひとつ丁寧に仕上げ、届ける苺のお菓子は、美味しさの奥にきっと優しい味わいがするはずです。