岡山県

西粟倉

にしあわくら

帰ってきたパティシエ
〜理想を追い求めたら、Uターンだった〜

2017年の春に、1人の若者が西粟倉へUターンを決意しました。パティシエの小林祐太さん。地元である西粟倉がローカルベンチャーの村として盛り上がりを見せる中、自分自身の成長したいという気持ちと同時に、地元への思いが徐々に膨らんでいきます。
そして、始まった西粟倉でのお菓子づくり。ローカルパティシエの冒険の物語をお伺いしました。

 

気づいたら、お菓子づくりにはまっていった

– 小林さんは、西粟倉村が地元ということですが、いつ頃まで西粟倉にいましたか。
小林:小中高とずっと地元ですね。ゆくゆくは地元で働きたいと思いつつ、やりたいこともなかったので大学に。環境系の大学でしたが、選んだ一番の決め手は自宅から通えることでしたね。

– では就職活動も地元優先で。
小林:いや、大学1年生の時にアルバイトを始めたんです。もともと作ったり食べたりするのが好きだったので、飲食関係で探してて。それで、隣町の智頭町にある有名なケーキ屋さんで働き出して。アルバイトだったので、何かすごいことをやらせてもらった訳ではないんですけど、例えばシュークリームのクリームを詰めたり、計量したり、袋にクッキーを詰めたり。でも、そんなことが自分の中ですごい新鮮で、楽しかったんです。

西粟倉店では焼き菓子が中心

– そこで運命の出会いがあったわけですね。その頃からパティシエを目指されたんですか?
小林:そうです。それで、大学2年の時にこの先もずっとお菓子作りたいって思いまして、「お菓子を作りたいから大学を辞めて、製菓の専門学校に行きたい」と親に相談しました。ですが、中途半端はあかんから、ちゃんと大学は卒業しなさいと怒られて。で、泣く泣く大学に通いながら(笑)、お菓子づくりのアルバイトを続けて。

もう自分の中では意思は固まっていたので、勉強もお菓子のことばかりで。自分で学んだり、バイト先のシェフに教えてもらったり、どんどんお菓子づくりに浸っていって。それで卒業を迎える時、バイト先の社長からお菓子の道に来ないかと誘われました。自分には双子の弟がいるんですが、弟は高校卒業と同時にフレンチの料理人をやっているので、お前はデザートをやったらどうだと。

– やりたいことが見つかり、仕事としてのお菓子づくりがスタートしていく。

小林:大学の終わりころから徐々にプリンをやらせてもらったりとか、基礎的なところを学ばせてもらっていましたが、社員になってからさらに幅が広がり、いろいろなことをやらせてもらえるようになりました。とにかく無我夢中でしたね。毎日が新鮮で、これがこうなるのか、とお菓子づくりを点で学んでいました。

 

もっと学びたい、新しい技術を身につけたい

– 一つ一つ丁寧にお菓子づくりを積み重ねてっていったんですね。その後はどんなお菓子づくりを?
小林:そこでは3年くらい勤めたのですが、なんというか、同じ作業になってしまって。もちろん、季節ごとに商品は変わりますが、お店としてのやり方は変わらないので、違う学びをしてみたいと思うようになりました。新たな技術を身に付けたいと。その頃から、点で作っていたお菓子づくりを、より立体的に考えるようになっていました。

それで、姫路で3ヶ月ほどお菓子づくりの研修を受けたのち、岡山市内のホテルに転職しました。
そこではお菓子やデザートに加え、ウェディングケーキを作ったりしてました。なかなか個人店ではウェディングケーキを作ることはないので、貴重な経験でしたね。
学びと同時に、自分のモチベーションを知ることができたのもこの時期です。常に変化を起こしたいというか、変化を持っていたいというか、そういう環境でのお菓子づくりを求めていましたね。

それから、また違う環境で新しい学びをしたいと考え、ちょうどいいタイミングで声をかけてもらった智頭町のケーキ屋さんに戻ったんです。
だけど、2年くらい経つと、やっぱり物足りなくなって。それでまた新たな技術を身に付けるため岡山のパティスリーへ移りました。

– 常に視線は前を見続けていく、という感じですね。次はどんな学びがありましたか?
小林:そこではチョコレートと出会いました。田舎にいた時は、バレンタインとは無関係で。でも岡山ではいろいろなバレンタイン商品があって、それからチョコレートを好きになっちゃって。毎年、休みを利用して東京にチョコレートの講習会を受けるほど、ハマりましたね。

小林さんが過去に作ったショコラのお菓子

– これまでもチョコレートとは出会っていたと思うのですけど。
小林:そうですね。チョコレートはショコラティエっていう専門の職人さんがいるくらい、やっぱり特異な分野なんです。自分はこれまでケーキを覚えるのに必死だったので、手が出せなくて。
でもこの頃は、自分の中にケーキとは違うお菓子づくりをやりたい!という思いもあったし、余白があった。そういうタイミングでチョコレートに出会ってしまったので、それからはチョコレートばっかりやってましたね。

 

自分の学びへの思いと、地元への思いが交差した

– チョコレートから西粟倉、どうつながっていったのでしょうか。
ぐるぐるリパブリックのローカルベンチャースクールの記事をみて、ですね。記事を見て、いちごのお菓子屋さんが西粟倉に来る、しかもいちごの生産もやると。

リキッドフリーザーで苺の食感をそのままに

– これまでのお菓子づくりの中で、ケーキとチョコに出会ったきましたが、いちごへの関心は?
小林:正直なところ、そこまでいちごに対して、こだわりや思いはありませんでした。種類は知ってましたが、どんな味があって、どんなお菓子が適してて、までは把握しきれてなかった。朝、八百屋さんやフルーツ屋さんが持ってきてくれるいちごを使う、いわば受け身のような感じでした。材料の一部という感じです。

– ある材料の中から、最高のお菓子、最高のケーキを作っていく感じだった?
小林:そうですそうです。もちろん、今までも粉だったり、材料にこだわっている部分はあったんですけど、いちごに関していえば、こだわりはなかったですね。いちごだけではなく、フルーツなど生鮮品はさすがに生産もできないですし。

西粟倉店では焼き菓子の購入もスタート


– ところが、そんな時に、いちごが大好きで、いちごのお菓子を作って、いちごの生産までも西粟倉でやりたい、という記事を読んだ。
小林:ビビビときました(笑)というか、なんか衝撃がありました。
それで、地元の先輩でもあり、ローカルベンチャーの記事にも登場していた大橋よしひささんに、すぐに連絡しました。「これ、何が起きるの?」って。

それまでも、いつかは地元に帰りたいと思ってたんです。自分が高校や大学を卒業する頃は盛り上がってなかったし、それが様変わりしていく風景が色んなメディアに取り上げられるようになり、外にいたから余計気にするようになったのかもしれないですけど、なんか、西粟倉出身として、嬉しさはありました。

– でも、そこに自分がいないというのは。
小林:なんとも言えない感覚でしたね。すごい嬉しいことだったけど、自分の中でずっとモヤモヤしてた部分もあって。

– まさに、色々なタイミングが重なって、とても大きなビビビがきたんですね。それで、大橋さんから渡部さんにつないでもらい、面接へ。
小林:はい。面接の時にはいちご愛がすごい出てました(笑)。自分の中で、いちごに対しての愛がそこまでなかったから、衝撃というか、いちごに対して失礼な事してたんだなと。でも、その分いちごをもっと勉強したら自分の武器になるんじゃないかなと思えました。

– 実際にいちごを食べてみて、どうでした?渡部さんの物語もあるいちごとの出会いから始まっているようですが。
同じ感覚でしたね。これまでのいちごとの接し方が違ったというか、なんか特別な感じがしました。

渡部さんと商品について議論を交わす

これまでは農家さんを訪れることはなかったんですけど、初めて奈良の農家さんの生産現場に連れていってもらって、こうやっていちごが作られてるんだ、と。
それまでは、どんな品種でもいちご、という感じだったんですけど、いちごの専門店では自分の感覚も研ぎ澄まされていくような、いちごと真剣に向き合えたというか、何かがありました。

– いちごのお店で働いて、新しい学びを得られてますか?
小林:もちろん、できてますけど、まだまだこれから。深く掘り下げていかないといけないし、実際に生産までやることで、見えてくる何かがあると期待している部分もあります。

季節に合わせたデザインを採用する制服

– これまでは、いわゆる加工が中心だったけど、これからは生産まで。すごく幅が広がると思います。
小林:そうですね、幅も広がるし、見え方も変わってくるかなと。そうしたら、商品に対しての作り方というか、アプローチの仕方が変わってくるんじゃないかなと。
今までは、全体的に学びたいじゃないけど、最初はがむしゃらに、お菓子づくりを学びたいだったけど、今はいちごを深く掘り下げられる感じがあります。
いずれは、これまでの経験を生かして、ショコラといちごのお菓子づくりをやってみたいですね。

 

地元に帰って来て、チャレンジャーになる

– いちごのお菓子づくりをするパティシエとして、またローカルベンチャーの一員として、ようやく盛り上がっている故郷・西粟倉に帰ってきました。
小林:なんか変な雰囲気でした。岡山にいた頃から帰りたい、帰りたいっていうのはあって、自分の気持ちの中で帰ってきたぞ!ってのがあったんです。けど、実際帰ってきてみたら、自分がよそよそしいというか、なんか風が違うぞと。
でも半年経って、最初に感じていたよそ者感はなくなり、結構馴染んでます。まだまだかもしれませんけど、Iターンの人たちと絡めるようになってきましたし、今は楽しいですね。

– Uターン生活も楽しめてるようですね。休日はどんな過ごし方をされてますか?
小林:自転車ですね。4月から始めたんですけど、フルスペック装備で、自転車からウェアまで揃えました。僕、形から入るタイプなんで(笑)
自転車乗ってて、そこから見える風景が、前にいた時よりも興味が湧くというか、歳をとったのかなと。

村内の坂を上り降りしながら景色を楽しむ

なんか、走ってる時は、頭の中がスッキリするというか、無になるというか、だからクリアに自然とかが見えてるんかなって。

– それがお菓子づくりに、知らず知らずにいい影響を与えているのかもしれないですね。それとこれからについてですが、現在ミュウさんでは人材募集を行なっています。最初はこの工房も1人きりで、今はパートさんがきてくれて、さらに仲間が増えていく。どんな仲間だったらいいな、というのはありますか?
小林:そうですね、技術は成長とともについてくるので、重要なのは、どれだけお菓子づくりに興味を持てるかどうか、持っているか、ですね。興味を持っていれば、色々切磋琢磨できると思っています。自分はケーキやショコラを学んできましたが、お互いが知らない技術や情報を持っていて、それを合わせることで、さらにお互いが成長していけるような、そんな存在の方がいいですね。流行りとかトレンドとか、そういうアンテナを持ってる方がいい。でも、何よりもお菓子バカがいいです。

– 昔からやりたい、学びたい、という意欲があって、現在があると思うのですが、小林さんにとって、これからのお菓子づくりとは、なんでしょう
小林:今までは、これが自分の形、というものは表現しきれなかったけど、これからのステージは、もっと自分を出していって、この土地だからこそできる商品づくりをしていきたい。もちろん、西粟倉で育ったいちごと自分のやってきた技術が合わさって商品ができたら、すごい楽しいなって思います。

– その商品をどんな人に食べてもらいたいですか
小林:お菓子バカです(笑)いや、でもやっぱり地元の人に食べてもらいたいですし、もちろん京都でも、都市部の方でも。田舎から発信じゃないけど、西粟倉でできた商品を多くの方に食べて喜んでもらえたらいいですね。
今までのパティシエ時代は自分の技術だけだったけど、そこに西粟倉を取り込めたら最高ですし、帰ってきた甲斐があります。それが自分のできること、やりたいことなのかなと。
ただお菓子作りに西粟倉に帰ってきたわけじゃないですから。

– 地元への思いを持ちながら、自らの成長を追い求め続けた小林さん。飛び出した地元には多くの移住者がやってきて、それぞれが新たな村の価値を発見していった。その結果、ご自身も知らなかった新しい西粟倉を知ることができたと語ります。
自らの気持ちに正直になることで、地元への道が開き、新たな歩みが始まりました。Uターンした地元に集まる人は職業もジャンルも違うぶん、より多くの刺激を受けることができる。その刺激が新たな学びとなり、商品づくりとなる。
これまでとは違う感覚のモチベーションを抱きながら、自分らしいパティシエとして、これからもお菓子づくりという冒険を続けて行きます。

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