熱田尚子のうなつぐリポート02『八重洲 鰻 はし本 さん』
Date : 2024.11.26
第2回目のうなつぐリポートとなる今回は、うなつぐ加盟店である「八重洲 鰻 はし本」四代目でうなつぐプロジェクト検討委員の橋本正平さんにお話を伺いました。
江戸前のうなぎ文化を大切にしながら、うなぎの資源問題にも目を向け、「鰻屋としてできることをしたい」と保全活動にも取り組まれています。
<橋本さんプロフィール> 八重洲 鰻 はし本(1947年創業)店主 橋本 正平 (はしもと・しょうへい) 1979年東京生まれ。DJやバックパッカーを経て24歳で家業に入る。2016年に4代目就任し、鹿児島県「泰正養鰻」など各地の養鰻場と取引を始め、2018年にエーゼログループの「森のうなぎ」の取り扱いが始まる。 |
東京駅八重洲口から徒歩5分。1947(昭和22)年創業の老舗「八重洲 鰻 はし本(以下:「鰻はし本」)」が、建て替え工事を経て2024年10月にグランドオープンしました。大きなビルや飲食店がひしめく繁華街に、新築木造二階建の凛とした佇まいがひときわ目を惹きます。
入り口には歴史を感じる看板が掲げられていて、「鰻 これ くふうて やく のむな」(鰻を食べて薬を飲むな)と書かれています。
「これは創業者が作ったもので、創業理念だと思っています。鰻はし本にとって、なくてはならない言葉です。
簡単に言うと医食同源みたいなことだと思っています。良薬口に苦しということわざがありますけど、鰻は本当に美味しいですよね。食べたらすごく楽しい気分になりますし。根拠はないみたいなんですけど、日本人に植え付けられている一つの文化というか、「鰻を食べて元気出すぞ」っていう感覚ってあると思うんですよね。そういうところも全部ひっくるめてとても大切な理念です。」
お店に入ると、1階のカウンター席に案内していただきました。目の前に厨房があり、たくさんの職人さんが真剣な眼差しで鰻と向き合っておられます。グランドオープン後、鰻はし本では1階がオープンキッチンになっており、なんと職人さんの鰻仕事を間近で見ることができるのです。
今回いただいたのは、うなつぐプロジェクトの対象メニューうなつぐ重(7700円)です。代金の10%である700円が野生のウナギを増やすための基金「うなつぐ基金」に入ります。うなつぐ重に使われている鰻は1匹なので、単純計算でうなつぐ重を1つ頼むとシラスウナギを2匹ほど買い取り(2024年11月現在)放流できる、という仕組みです。
江戸前の鰻仕事はチームワーク
鰻の食べ方には関東と関西で違っている点がいくつかあります。「関東は背開き、関西は腹開き」と言われ、捌き方が違います。また、調理方法として大きく違う点が関東は「蒸してから焼く」、関西は「蒸さずに焼き上げる」ということです。そのため鰻に刺す串も、関東は竹串、焼く時間が長い関西は金串を使います。
鰻はし本では、注文を受けてから鰻を裂(さ)きます。うな重が作られている様子を見ていると、鰻を裂く、竹串を打つ、せいろで蒸す、タレにくぐらせる、焼く、焼き上がるタイミングで重箱にご飯を盛り付けて鰻を乗せる・・・たくさんの仕事を職人さんたちが声をかけ合いながらが分担していることがわかります。そして全ての仕事が完璧な間合いで進んでいきます。
「作り置きをしておくとか効率を考えてやれば一人でもできないことではないのかもしれませんが、でも僕がやりたいと思う形は、やっぱりチームじゃないとできない仕事なんです。その技術経験が必要っていうところにおいて、チーム仕事っていうのは関東風の、江戸前の鰻をやるには絶対に必要だと考えています。」
–鰻はし本さんでいただけるのは、江戸前の鰻なんですね。
「江戸前の四大名物料理として、寿司・天ぷら・蕎麦・鰻と今は言われていますが、もともと江戸前って言う言葉が差してたものって鰻なんですよ。」
江戸前とはもともと鰻のことだったとは、恥ずかしながら初めて知りました。
江戸の前の海で捕れたうなぎを江戸流の調理法で蒲焼にしたものは江戸時代から庶民に愛され、「江戸前」という言葉だけで江戸流の鰻の蒲焼を示すようになったそうです。そこから、江戸流の調理方法のことを江戸前というようになり、寿司や天ぷらや蕎麦にも使われるようになりました。
「うちなりの解釈として、江戸前の仕事っていうのは丁寧で美しい仕事だというのが僕の中にあリます。江戸時代のように天然ウナギを江戸周辺からとってくることはできなくても、丁寧で美しい江戸前仕事を実践して、お客さんに食べてもらいたいと思っています。そこをチームで極めていくことを目標にしています。」
こんな風に職人さんたちの江戸前の鰻仕事をカウンターで見られるお店はなかなかありません。お茶とお新香をいただきながら見とれていると、あっというまに時間が過ぎて行きました。
「料理を待っている間も、江戸前の鰻仕事をショーのように楽しんでもらいたい」
と橋本さんはおっしゃいます。
ずっと見られているということは、職人さんにとっては緊張やプレッシャーにつながることかもしれません。それでも、お客さんのため、そして江戸前の文化を伝えるため、オープンキッチンを作った橋本さん。そしてその思いを共にする職人さんたちの心意気に、胸が熱くなりました。
いよいようなつぐ重が運ばれてきました。
ワクワクしながら蓋を開けると、さっきまで目の前で焼かれていた飴色の鰻が!香りもたまりません。大きなうなぎが重箱に隙間なく詰められていて、「宝箱だ!!」と声に出してしまったほど。
食べてみると驚くほどふわっと柔らかく、でもちゃんと皮の美味しさも感じられます。タレが絡んだお米は口に入れるとほどけて、今までに経験したことのない幸せな食感と味が広がります。お米もタレも、鰻とのバランスが完璧なのです。
うなつぐ重だけではなく、肝吸いと肝焼きもいただきました。うなぎの肝はプリプリしていたり歯応えを感じられたり、一口ごとにいろんな食感や味が楽しめます。鰻は捨てるところがないというのは聞いたことがありますが、肝をこんなに美味しくいただけるとは、私も衝撃でした。
「美味しい!」と何度も何度も感動しながら、ご褒美のような時間を過ごさせていただきました。
胸もお腹もいっぱいだなあと幸せに浸りながら、やっぱりこの文化をずっとずっと残したいと改めて強く思いました。
うなぎを増やしたいのなら、食べなければいいんじゃないか?という意見もあると思います。それでもやっぱり、この特別なとびっきりのご馳走を、幸せな時間を、「鰻を食べて元気になるぞ!」という心を、職人さんの美しい仕事を、文化として繋いでいきたいのです。
文化的にも料理的にも素晴らしいものを、食べながらも残していけるように、僕ができることは精一杯やっていきたい
–橋本さんは何故うなぎの保全に取り組もうと思ったのですか?
「24歳くらいのちょうど家業に入るという頃に、ウナギの資源問題をよく耳にするようになりました。その頃に、海部先生やエーゼロの牧さんとのつながりを作ってもらいました。ウナギの資源量や生態などについて勉強させていただき、鰻屋という業態で何ができるのかということを模索しているところです。
文化的にも料理的にも素晴らしいものを、食べながらも残していけるように、僕ができることは精一杯やっていきたいと考えています。保全活動として直接何か働きかけるということはなかなか難しい立場なんですけれども、鰻屋というのは鰻を好きな方々・思いがある方々が集まる場所っていうことは一つ確かなことなので。ちゃんと発信して、関心を持っていただくっていうこともできたらいいなと思います。」
鰻から受けた恩を返したいという思い
「僕も含めて、僕の父親や母親、おじいちゃんおばあちゃんがみんな鰻の恩恵を受けて、ここまでやってこれたっていうのは間違いのない事実なので。受けるだけではなくて返していくことができないか、というのは根底の部分にありました。
自分がうなぎのために何かできているという気持ちになれるっていうことが今まではなかったのですが、今、うなつぐのメニューの開発や、売り上げの一部がうなぎを増やしていく活動に充てられるという内容が明確になっている活動ができていて、少しでも力になれているという実感があります。」
お客さまのため、江戸前文化をつなぐため、そしてうなぎのため、自分にできることを探求し続け、実践し続けている橋本さんの真摯な姿勢が本当に素敵で、一つ一つの言葉が心に響きます。
顔の見える関係の養鰻場から納得のいく鰻を仕入れ、丁寧で美しい江戸前仕事で提供する
鰻はし本では、使用するウナギは橋本さんが実際に養鰻場に足を運んで、見極めます。エーゼロの森のうなぎもその一つです。
「森のうなぎであったり、養鰻業をされてる生産者さんと直接繋がっています。熱意とか背景とかそういったものを直接聞かせていただいて。前より良かったねとか前の方が良かったねとか、そういうこともやっぱり必ずあるんですけど、顔が見えてる以上、僕としても必ずお客さんに喜んでもらいたいなっていう気持ちでいます。」
養鰻場だけではなく、ウナギの生息環境の保全の現場、自然再生の現場、天然鰻の生息場所などにも実際に訪れているそうです。橋本さんとお話をしていると、現場に足を運ぶということをとても大切にしていらっしゃるということが伝わってきます。
–昨年岡山へ来られた際に、天然ウナギが生息している川を見に行かれたと聞きました。いかがでしたか?
「めちゃくちゃ楽しかったです。うなつぐ検討委員の熱田さんに連れて行っていただけるということで。本当にこんなところにウナギいるのかなっていうような薮を抜けて行ったのですが、夜になると鈍感になっているのか、水の中いるウナギに触れたりしました。うなぎのことをずっとやってきたんですけど、衝撃的な体験でした。熱田さんがウナギの見つけ方を教えてくれて、最後に立ち寄ったところでうなぎが顔を出してるのを自分で見つけることができました。
ウナギが減っているのは事実なんですけれども、まだいるところにはいるっていうのがわかりました。すごく興味も出たし信じられました。あんな風にウナギが生息しやすい環境を人間が作ることも可能なのかもしれないなと、このプロジェクトの可能性を感じることができました。」
–生きものとしてのウナギに対しては、どんな思いがありますか?
「もともと生きものはすごく好きでした。幼少期から亀とかカエルとかいろいろ飼っていて、可愛がっていたんです。
鰻屋の仕事って、毎日生きているウナギが届いて、それを自分で捌いていくので、やっぱり抵抗があったんですよね。調理が嫌というわけではなくて、手を下していくということが。一つの命としてどう向き合えばいいのか、という思いがずっとありました。
僕の中でその思いは、鰻仕事の技術的な部分とか美味しさに対するアプローチと繋がっていきました。気づかないうちに終わらせるというか、早く綺麗に鰻仕事を済ませるということです。そうすると、鰻料理の美味しさや美しさにもつながるんです。
一つの命として向き合って、確実な安定した技術で手際よく美しく仕上げてお客様に提供するっていうことは、いつも考えています。」
うなぎに対してもお客様に対しても誠実に向き合う橋本さんの姿勢が、うなぎ料理の美味しさにも美しさにも繋がっているのですね。
うなつぐプロジェクトのこれから
「鰻屋という業界で、うなつぐプロジェクトが認知され、参加するお店が増えていくといいなと思っています。鰻屋としてちゃんと向き合っているという定義が作れますよっていう動機でもいいと思うんですよね。
うなぎを取り巻く問題って、ちゃんと説明しようとすると複雑で長くて暗くなってしまうことがあって。でも、うなぎを増やしていく未来の可能性を追求していくことはできると思うから、前向きで明るいビジョンを打ち出して、広げていきたいなと思っています。
お客様への伝え方もポジティブにしていきたいですね。楽しく食べて、やっぱりすごく美味しいし残していきたいよねっていうところに繋げたいです。」
−ありがとうございます。
改めて、今回橋本さんの鰻料理をいただいて、本当に美味しくて幸せで感動的な時間を過ごすことができました。この文化を守っていくためにも、うなつぐプロジェクトをたくさんの人に伝えていきたいと感じています。
美味しいうなぎを食べて元気を出して、楽しく前向きに、みんなでうなぎを増やしていきたいです!
八重洲 鰻 はし本
ランチ ディナー WEB:https://www.unahashi.com/ |