岡山県

西粟倉

にしあわくら

作家夫婦ユニットのモノづくりと暮らし。岡山の端っこから見えてくる世界

西粟倉村を拠点に活動されている「関野意匠(いしょう)室+絡繰(からくり)堂」。一風変わったこの名前は、木工作家の関野倫宏さんと画家の関野智子さんご夫妻のユニット名です。西粟倉と言えばローカルベンチャーの村、というイメージが色濃い地で、独立独歩の作家活動をされているおふたりはどんな道のりを歩んでこられたのでしょう。作家としてこの地に住むことについて、お話をお伺いしました。
 

作家として独立するまでとその後

– まずは現在の作家活動に至るまでを教えてください。
 

倫宏:ぼくは大学の基礎デザイン学科を出たあと、合計13年間ぐらい地元岡山の出版社でグラフィック中心のデザイナーとして勤めました。その後、東粟倉にあった現代玩具博物館(現在は美作市湯郷に移転)に勤めまして、その次に西粟倉村で「森の学校」の牧さん(現エーゼロ代表)に誘われて会社の立ち上げに参加し、再びグラフィックデザイナーとして働きましたね。そして、やっぱり木工作家としてやっていきたいということで7年ほど前にここで独立しました。

 

智子:私は、大学で美術教育の勉強をしてから、30歳まで絵を描きつつ中学校で美術の教員をしていました。西粟倉村には移住する前にスケッチ旅行に来たことがあって、水も空気も食べ物もおいしいところだなっていう良い印象で、私は住んでみたかったんです。その後、夫と知り合って、こちらに知人もいましたし、西粟倉に移住することにしました。

– 普段、おふたりは別々に作家活動をされているんですか?

倫宏:そうですね、「関野意匠室+絡繰堂」と屋号はかかげてますけど、普段は完全に別で、ぼくは木工作家として作品を各種ネットショップを中心に販売して、妻は油彩画家として活動をしています。ぼくの作業が忙しいときなんかは妻に手伝ってもらったりということはありますけどね。

– おふたりとも作家として独立することに関して不安とかなかったですか?

倫宏:不安と言えば、もうずっと不安です(笑) ただ、自分でやるべきことを定めてコツコツやる、というのが向いてるタイプですし。やってみてダメだったら、またデザイナーとして勤め人に戻ればいいだけですから。こちらで住宅兼アトリエを購入したこともあって、最初の数年はまあ貧乏しましたけどねー。独立して数年は年間30か所ぐらい全国各地でワークショップや展示をして、移動でヘトヘトになりながらやってました。今思えば効率悪かったですねえ。

智子:これまでの教員生活で貯めた貯金が、最初の数年であれよあれよと減っていくわけですよ。ある時なんか、口座の残高をはるかに超えたクレジットの請求が来たので、あわててDMを刷って急遽二人展を開催して、急場をしのいだこともあります。

倫宏:だんだんお金が減っていくうちは不安なんですけど、いったんお金が底をついてしまったら人間って意外と開き直れるんですよ(笑) ぼくも一時期は夜間にスーパーの副店長のアルバイトをやったりね、これが意外と楽しかったんですけど。
 

– やりたいことをやっていくために、苦労も経験されているんですね。「やりたいことはあってお金はないけど、もし役場からお金もらえるのなら移住してみようかなー」というような形での移住については、どう思いますか?

倫宏:やっぱりそれじゃダメでしょ!(笑)たとえ補助金とかなくてもやる覚悟の人だからこそ、地域に来ても何とかなるんであって。補助金があるとしても、その分リスク取って投資に回すぐらいじゃないと。もし失敗したらどこかで勤めればいいんだし、そうそう日本は野垂れ死ぬような国じゃないですから。
 

生活と作家活動、そのハイブリッドな生き方とは

– 独立後、一時は厳しい時期もご経験されましたが、今では、ヒット商品も出たそうですね。

 

倫宏:今まで100種以上、木工のおもちゃを開発してきましたが、このペット(犬・猫)の振り子時計は、「お客さんが欲しいものを作ろう」と初めてニーズありきで作りました。2014年の発売以来、種類のバリエーションは130種以上もあって、おかげさまで今ではご好評をいただくうちの稼ぎ頭になってくれました。特に今、アジア向けの販売が好調ですね。

– このペットの振り子時計は、関野さんのほかのかっこいい作品とはまた違ってかわいらしい感じですね。

倫宏:若いころは、いわゆる作家的な作品が売れないとダメだと思い込んでたんですけど、ペットの振り子時計のようにきちんと稼いでくれる商品があることで、たとえ売れなくても自分が作りたいから作るという作品も手掛けられるようになるんですよね。

あと、振り子時計は、お客さんがめちゃくちゃ喜んでくれる商品になってるんで、それが単純にうれしいですよ、やっぱり。時にはお客さんから熱い感謝のメールが届いたり、とにかく作り手冥利に尽きます。これを作っている私は、作家なのかデザイナーなのか工芸家なのか分からないですけど、何かを妥協して作っているわけじゃないのでストレスもないですしね。

– 食べていくことと作家性みたいなこととの間で矛盾がないのですね。智子さんは画家として同じような思いをされたことはおありでしたか?

智子:私も昔は潔癖というか、画家なら何もかも捨てて、絵1本でやらなきゃと自分を追い込み過ぎてました。でも一度、生活することと絵を描き続けることの厳しさを経験したとき、人間はハイブリッドである方が心も体も健やかに保てるということに気が付いたんです。街に住んでた頃、アルバイトしようとしても「関野さんは画家なんだから、こんなことしてちゃダメよ」なんて言われることもあって…。
 

– 本当にやりたいことがあるからこそ、手段としてちゃんと食べていくことも大事にできるのかもしれませんね。

倫宏:うちの夫婦で共通している価値観はそこで、まず食っていくことを大事にしていることでしょうね。作家活動以外をしたら箔が落ちるとかそんなこと考えてないので。
 

私たちにとっての西粟倉村

– この先のおふたりの展開や夢を教えていただけますか?

 

智子:私はもうちょっと広いアトリエ、近所の子どもたちやおじいちゃんおばあちゃんに開放できる基地みたいな場が持てたらいいなーと思います。絵のことでいうと、額の中に描くだけじゃなくて、公共建築とか寺社仏閣なんかに描くことに興味が湧いてます。フレスコだと2000年は残りますし、時間を超えられるっていうところがロマンがあっていいですよね。

倫宏:ぼくは、プランニングから、商品開発、手を動かすモノづくりまで総合的に手掛けられる後進を育てるっていうことをいつかやってみたいですね。

– じゃあ、関野さんの弟子になりたいという人がいたら…

倫宏:一緒にできたらいいですね。それでまた独立してもらったらいいし。
 
– 最後に、お二人にとって西粟倉村とはどういう場所ですか?

倫宏:ぼくは正直、西粟倉村でなきゃいけないっていう理由は何もないんです。ただ、モノづくりするにはいい環境ですよね。飲み屋とかないから誘惑もないし(笑)作品づくりに集中できるので、街にいるより生産性は確実に上がります。そんな地域ならどこでもよかったんですが、まあ、ご縁があったということですね。

智子:さっきも言いましたが、第一印象から空気も水も食べ物もおいしくて、生きて死ぬならこんな場所がしあわせだな、と思っていたので、西粟倉は私にとっては大切な場所です。あと、岡山県の端っこっていうのがおもしろいじゃないですか。私、端っこが好きで、礼文島とか日本の端っこを旅してるんです。端っこは意外と全体が見えるんで、いいんですよ。宴会の会場でも(笑)

 

– 辺境だからこそ、逆に視野が広がったり、相対化して世界が見渡せるのかもしれません。集中して働く環境としてもぴったりですし、作家さんが西粟倉にもっと増えたら面白いですね。

倫宏:増えたらいいと思いますよ。変にベタベタせずにそれぞれが独立してやって、時々お祭りで会う、みたいな関係ができたらいいですね。

– 地域での付き合いとか消防団とかあんまり顔出さないけど、なんか面白いもの作ってる作家さんだよね、という感じで認知されて、地域にその人たちなりの居場所がある。地域にそんな多様性が担保されるといいですよね。

倫宏:その昔、森の学校の黎明期は「村のために」って肩ひじはって移住してくる人も多かったし、それで息切れして辞めちゃう人もいたんで。あんまり多くのものを背負いすぎずに、自分たち自身が楽しいこと、やりたいことをやるのが一番だと思いますよ。

– ひとりひとりがちゃんとここに存在している、ただ生きていることだって十分価値があることですよね。村での多様な生き方のひとつのモデルとして関野さんご夫妻に取材できたのは意味あることでした。ありがとうございました。

関野意匠室+絡繰堂 blog
https://sdratm.jimdo.com/