鹿児島県

錦江町

きんこうちょう

幸せを身近にする畜産業を

地に足をつけて生きてきた人。上鶴広己さんを一目見て、そんな印象を抱いた。

がっしりした体に、温和な表情。上鶴さんはゆっくり確かめるように話す。畜産業を営み、38年かけて5頭だった牛を230頭にまで増やしてきた。それも、借金をして一気に拡張するようなやり方ではなく、少しずつ着実に。上鶴さんの仕事には、人が幸せに働くための哲学が含まれているようだった。ともすると3Kのイメージのある畜産業を生業にして、これほど幸福な人生を歩むことができるのだと教えられる。

いま3人の子どもたちは皆仲がよく、それぞれ結婚して近くに暮らしている。長男も次男も牛が好きで、長男は獣医になり、次男夫婦が来年には上鶴畜産の後を継ぐ予定だという。

いま、上鶴さんはこれ以上ない幸福な人生の地点にいるように見えた。

 

「10頭飼うのも、1000頭飼うのも同じ」

なだらかな山の傾斜地に、牛舎が段々に並んでいる。上鶴畜産には牧草の畑が広がり、ふんだんに陽の光が差していた。心地よい風が吹き、牛の声が響く。牛舎の牛たちは、くりくりした大きな目でじっとこちらに目を向けている。毛並みの良さや人懐っこさから、大切にされている牛であることが伝わってきた。そんな牛の間を、上鶴さんはゆっくり歩いてきて出迎えてくれた。

「全部で230頭近くいます。お母さん牛が産んだ子牛を哺育して成長させてから販売する、繁殖農家です。酪農と違って朝もゆっくりですよ」

 

仕事は朝8時から17時頃まで。朝牛に餌をやり、昼はゆっくり過ごし、また夕方に餌をやる。比較的、時間が自由になるという。

 

今年で59歳になる上鶴さんは、21歳の時に家の農業を手伝い始めた。当時は上鶴さんの父親が経営者で、農業、林業、畜産などを掛け持ちする複合農家だった。

 

「複合的にやっている方が、何かの値段が急に下がった時にはバランスが取れて経営は安定します。でも朝から晩まで働かざるを得ないでしょう。夕方まで農業した後、17時頃から牛の餌やりを始めると19時、20時と遅くなる。だったら、牛一本にして効率を上げていく方がいいなと考えました」

 

少しずつ着実に、牛の頭数を増やしながら、一環して無理をしない働き方を目指してきた。

「結局、牛を10頭飼うのも、300頭飼うのも、1000頭でも働く時間は変わらないと思うんです。規模が大きくなれば工夫をしたり、従業員を雇ったりしないとならないけど、一人が働くのは朝から17時頃まで。周りには70〜80代まで牛を飼って遅い時間まで餌をやったりしている人もいますが、頭数を増やしてもきちっと夕方には終わる仕事として畜産を実現したかったんですね」

 

限られた土地で、元気な子牛を育てるために

31歳で牛を60頭にまで増やし、37歳で父の跡を継いだ後は本格的に人工哺育を始めた。39歳で100頭、52歳で200頭に。

 

「借金はしないのがポリシーで、利益が出た分で少しずつ増やして。コツは時代をみながら高く売れる時に売って、牛が安くなったら買うという方法です。牛を増やすごとに牛舎も増えていきました」

今が売り時、買い時といった判断をするための時世の情報を教えてくれるのは、付き合いのある知人や、かつての農業大学時代の友人たちだった。

 

「農業大学というのは、勉強しに行くところではなくて、友達をつくりに行くところだと息子たちにもよく言うんです。遠くにいても、種牛の肥育をしている人や飼料会社やら近い分野でいろんな情報交換ができるでしょう。それでわかることがたくさんあるわけです」

広い草原地帯ではない。錦江町の山間部の傾斜地で牛を増やすために、さまざまな工夫を凝らしてきた。2003年、いち早く哺乳ロボット(通称、ミルクロボット)の導入を決めたのも、限られた土地でできるだけ、元気な子牛を育てるためだった。

 

はじめに導入したのは固定式のミルクロボットで、子牛が機械からミルクを吸うことができるしくみになっていたが、どうしても力の強い者に栄養が偏りがちで、一頭一頭に行き渡らない。2017年には、個別型哺乳ロボットを導入。いまは機械が動いて、一頭一頭の子牛の元へ移動し、ミルクを飲ませるしくみになっている。

「機械も高いしメンテナンスもあるしで、コストパフォーマンスがいいとは言えません。でも普通なら子牛を2ヶ月ほど親牛の元に置かなければならないところ、5日ほどで母牛から離すことができます。安定して栄養が行き渡るので発育がいいし、体調を崩すことも減りますからね」

 

奥さんの映子さんが大きな哺乳瓶をもって、子牛を機械の吸い口に慣れさせようとしていた。

 

「いきなり機械からすんなりは飲まないので、何日かこの哺乳瓶で慣れさせます。生まれて数日〜1週間は乳首に慣れさせて、機械にして70日ほどはミルクを飲ませて、その後は飼料ですね」

 

母牛は早く子離れができれば、ふたたび出産する時期も早まる。それだけ多くの子牛を産むことができるというわけだ。


 

跡継ぎと仲のよい家族のこと

最終的には自分の代で400頭まで増やすのが目標だったが、夢には届かなかったと上鶴さんは笑う。それでもちっとも悔しそうでないのは、「来年からは息子が継いで、何百頭か増やそうと話しているので。息子が叶えてくれるかもしれんからね」と嬉しそうに話したからだ。

 

上鶴さんには長男、長女、次男と3人の子供がいる。3人とも幼い頃からよくこの牛舎に遊びに来て、両親の仕事を手伝いながら育ったのだという。上鶴さんが継いでほしいと言ったことはないが、長男も次男も牛が好きで、家業を継ぐことにまったく抵抗を示さなかった。

 

長男が後を継ぐ予定で農業高校へ進学したが、途中で獣医を目指すことになったため、「それなら俺が継ぐ」と次男の祐貴さんが継ぐことに。祐貴さんは農業大学校を卒業後、3年間別の農家で修行をしたのちに、若い奥さんを連れて上鶴畜産に帰ってきた。長男も北海道で獣医になる勉強をして、お隣の鹿屋市に戻ってきており、何かあれば兄弟で助け合っている。

 

長女も同じ錦江町内に暮らし、3人の子供たちは今も上鶴さんが驚くほど仲が良いという。上鶴さんの誕生日には3人で何やかんやと企画をしてくれる。

次男の祐貴さんはまだ20代半ば。それでも上鶴さんは来年60歳で経営委譲をし、陰から支える側にまわるという。せっかく跡継ぎ候補がいても、代表者がなかなか権限を譲らないという話をよく耳にする。その点、上鶴さんは潔がいい。

 

「やっぱり、自分で経営までみないとやり甲斐も生まれないですからね。自分たちでこうしていこうと夢をもてることが大事だと思うんです。もちろん不安もあります。でも、自分も完全に引退するわけではないので、助言もするし加勢もしながらですね」

 

来年からは祐貴さんを代表取締役に、その奥さんを取締役にして、従業員は引き続き養っていく予定だ。

 

60歳で定年、その後は奥さんを労うために

牛には、一頭一頭「さくら」「あゆ」といった親の系統を表す名札がつけられていた。そばで働く奥さんと、上鶴さんは阿吽の呼吸で手を動かしている。

「とくに可愛い牛に奥さんの名前をつけたりするんですか?」と冗談で聞くと、「いやぁ、にくたらしいのにつけるかも」と、上鶴さんは顔をくしゃくしゃにして笑った。二人の仲の良さが垣間見えた。

気力体力ともにまだ現役真っ只中だが、あえて60歳で代表から退くのには、息子に譲り渡す以外にも理由があった。

 

「一般的なサラリーマンも60歳が定年でしょう。畜産をやっていても、60歳で定年を迎えられるんだと実践して、若い人たちに見せたいという思いがあります」

 

畜産業を営んでいても、働くのは17時まで。60歳で定年。そんな畜産を目指したかった。何より、奥さんとのこれからを大事にしたいという。

「借金しないで牛を増やしてきたので、ずっと家計的に楽ができなかったんです。妻にはずーっと苦労をかけてきたから。60歳になって定年になったら、旅行に行こうと話しています。70や80歳になって足が悪くなってからじゃなくて、行けるうちに」

 

奥さんには、京都など行きたい旅行の計画が、たくさんあるのだそうだ。

家族や仕事への思いが滲み出るような上鶴さんの話を聞きながら、人の幸せは何で決まるのだろうと思った。

 

仲の良い家族がそばにいること。自分が選んだ仕事を少しずつ大きくして続けてきたこと。その道の上に今立っていること。定年前に夫婦水入らずの旅行を計画できること。

 

どれも当たり前のことのようで、特別なことだらけだった。実現するのは容易くないが、自ら考えて挑戦し続けてきて、今がある。

 

上鶴さんがそう言葉にしたわけではなかったけれど、その連続の上に、上鶴さん一家の暮らしと上鶴畜産がある。