岡山県

西粟倉

にしあわくら

志が高いほどゴールは遠のく。森のうなぎの未来を担う新人が蒲焼修行で学んだこと。

実家は材木店で、小さなころから木に囲まれて育った野木さん。大学時代にエーゼロ代表の牧さんと出会い「最先端の林業のカタチがある」という話に惹かれて、西粟倉村で1年数カ月のインターン生活を送ることになりました。

その後、就職活動は都内で行い、企業から内定をもらいましたが、日本の森林資源の問題に本気で取り組むエーゼロのメンバーたちのエネルギーに惹かれて、再び西粟倉村へ。ところが、彼は今、村から800㎞も離れた千葉県銚子市の「蒲焼学校」でうなぎを焼いています。

修業期間は3カ月の予定でしたが、自ら延長を志願した野木さん。3カ月の修行の間にどんな心の変化があったのか? なぜ延長してまで学びたいと考えたのか? その答えの裏側には、優しそうな見た目からは想像できない骨太な想いがありました。

 

修行初日、うなぎではなく指を切る

野木さんが西粟倉村でインターン生活を送っていたとき、西粟倉の自然のなかでうなぎを育む「森のうなぎプロジェクト」が始まりました。取り組みに参加するなかで、野木さんは「森のうなぎ」をおいしくしたいと強く願っていたそうです。

「森のうなぎが商品になる前の試作品を初めて食べたとき、「これをこの値段で商品にしていいのかな?」と思っていました。生焼けのものもあるし、皮も堅いし、目ためもそんなにおいしそうに見えない。なんとかしたいな、という気持ちがあったんです」

やがて大学を卒業後、エーゼロに入社した野木さん。あるとき牧さんから「蒲焼の学校があるみたいだよ」という話を聞いたことがきっかけで、蒲焼修行にいくことが決まりました。野木さんはうなぎを焼くためにエーゼロに入ったわけではありませんし、その学校は千葉県銚子市という遠い場所にあるのに、です。
 

まだ生きている鰻を背骨に包丁が当たらないように捌く。

「エーゼロが山奥でうなぎの資源を大切に管理しながら販売するのはとても面白いし、うなぎをおいしくするために挑戦できるのはすごく魅力的だと思っていたんです。だから蒲焼学校に行くことにためらいはなかった。どちらかというと、戸惑ったのは学校に入ってからですね」と野木さん。

そして迎えた蒲焼学校の修行初日、包丁を握るのも初めてだった彼が最初に切ったのは、うなぎではなく自分の指でした。

「包丁を握って動かした次の瞬間には指を切っていました…後ろで見ていたみなさんも「うわわわわ…」と慌てていましたね(笑)」

その後も野木さんの手には、切り傷や火傷のあとがどんどん増えていきました。大学を出たばかりの新人の白くて柔らかい手は、無骨で繊細な蒲焼職人の手に近づいていきました。
 

蒲焼修行で切り傷と火傷が増えていった野木さんの手。

 

日本のうなぎの食文化を絶やさないために

野木さんがお世話になっている蒲焼学校は、日本一とも言われる利根川の天然鰻に限りなく近い養鰻ブランド「うなぎ坂東太郎」を販売している「忠平」という会社が運営しています。高安忠平氏が慶応三年(1853年)に立ち上げた卸問屋で、現在は5代目の高安道征さんが社長を務めています。蒲焼学校が創設されたのは約20年前。きっかけは、わざわざ北海道からきた方から、「蒲焼を学びたい」という相談を受けたことでした。

「最初はね、すべて無料で教えていたんです。だけど無料だと怪しまれるんですね。そんなうまい話はあるはずがない。騙されるんじゃないかって。しょうがないので、うなぎにかかる費用と、家賃だけ負担してもらうことにしています。今も教える人の人件費や、技術教材費は一切かかりません」と高安社長。

人を受け入れれば入れるほど、お金が出ていくばかりで赤字になる蒲焼学校。それでも、高安社長が学校を続けているのには理由があります。

「料理屋さんに蒲焼の技術を持っている人が増えれば、私たちの商品がそれだけ必要になります。だからこそ蒲焼職人の技術を絶やしてはならない。蒲焼学校は自分たちの存続するための学校。未来への投資なのです」
 

忠平は高級養殖ブランド「うなぎ坂東太郎」を開発した老舗の鰻卸問屋。

料理屋さんの2代目社長や脱サラして蒲焼職人を目指す人など、さまざまなバックグラウンドを持つ人が、蒲焼学校に集まっています。たくさんの人を育ててきた高安社長の目に、野木さんはどんなふうに映っているのでしょうか。

「やっぱりね、技術を習得するためにはまっさらな状態がいい。白から色を染めていかないと、きれいに染まらないから。野木君は素直だし、コツコツ努力するし、いいですね。でもね、これからが始まり。向上しようと思ったら技術を磨き続けるしかないからね。磨かなければ、それで終わってしまいますから」
 

「なにより熱心さがいいね」と野木さんについて話す高安社長。

 

うなぎの蒲焼に一生を捧げるのも悪くない

初日に自分の指を切ってしまった野木さんでしたが、熱心に修行に取り組むなかで、うなぎの串打ち、捌き、焼きの技術がいかに奥深いものなのかわかってきました。
 

この串打ちの作業も1人前になるまで三年かかるとされる。

「同じ品質のうなぎを扱っているのに、職人の腕によって味が全然違います。それを知ってしまうと、とてもこのままでは帰れないと思ってしまって。あと、ここにいる間に、「炭焼き」の技術を見たかったんです。ガスで焼くのが中心で、「炭焼き」をやらせてもらえる機会があまりなかったので、さわりだけでもやらせてもらいたいと思いました」

炭やガスよりも火力が強く、手でうなぎを返すときに火傷してしまうこともあります。また、ガスのように均等に熱をあてるのが難しいそうです。しかし、遠赤外線効果があるため、中までしっかり火が通り、外側はカリッと焼けます。うなぎの油が炭の上に落ちると、煙が出るので燻製のような効果も生まれます。

「炭は難しいけれど、ガスで焼いたときよりもおいしい。蒲焼にはおいしくするためのコツがたくさんあるので、どんどん学びたいことが増えていってしまうんですよね」

蒲焼の世界には、こんな言葉があります。串打ち三年、捌き八年、焼き一生…つまり、たった数か月で身につけられるようなものではないのです。
 

うなぎの蒲焼でもっとも難しいのが「焼き」の技術。

「蒲焼学校は最短で1カ月からですが、1カ月で職人になれるわけがないんですよ。短い期間でも学べるのは、技術のさわりの部分と、職人の大変さを理解することくらい。とくに経営者になる人たちに、職人たちが熱いなかでうなぎを焼いていることや、腱鞘炎になりながらうなぎを捌いていることなどを知ってほしい。「焼きは一生」という言葉の通り、一生かけて極めていくものなんです」と高安社長。

蒲焼職人の奥深い世界に魅せられてしまった野木さん。だからこそ、残された修行の時間を大切にしています。周囲の人たちも、野木さんの頑張りを認めているようです。

「「岡山でやりたい仕事があるなら思いっきり挑戦したらいい。それでも芽がでなかったら職人になれ」そんなことを言ってくれる人もいました。うなぎの蒲焼を一生の仕事にするのもアリだと思う。だけど、それだけではいつか物足りなくなる気がしていて。普通の職人ではなく、別のことにも挑戦できるのがエーゼロの良さだと思います。戻ってから自分に何ができるのか、楽しみですね」
 

蒲焼学校を卒業し、エーゼロに戻ってからも、理想の味を求める野木さんの修行は続く。

 

行く手を阻む壁は、上を目指す人の前にしか現れない

野木さんの修行は2017年一杯で終了します。1月には西粟倉に戻り、森のうなぎプロジェクトのメンバーたちと一緒に、加工場をつくる予定です。

「本当に自分で「これが最高の森のうなぎだ!」って納得できるものをつくることが最初の目標ですね。蒲焼学校と森のうなぎの種類は違うけれど、特徴を掴めば学校で学んだことを応用できると思います。そして西粟倉でも蒲焼の技術を磨き続けて、おいしくするための技をみんなに伝えていきたいです」

西粟倉村にはうなぎの加工ができる人がいません。それどころか、野木さんたちが調べたところ、岡山県内でうなぎの加工ができる業者は1社しかないそうです。野木さんはとても貴重な人材になります。
 

届けたいのは「森のうなぎ」を育んだ人々の自然環境への想いやそこに至るまでの物語。

「蒲焼学校まで行かせてもらっているわけですから責任重大だと思っています。エーゼロの森のうなぎをたくさん売って、事業の柱にしたいです。そして、ただうなぎを売るだけじゃなくて、その裏にある想いやストーリーを森のうなぎに載せて、全国に届けたいと思っています。エーゼロに入るきっかけになった自然への関心は今も変わりません。取り組みを通じて地域や森をよくすることにつなげていきたいです」
 

4カ月の修行でどことなく精悍な顔つきになった野木さん。

修行を終えて西粟倉に帰っていく野木さんに対して、高安社長はこんな言葉を送ってくれました。

「蒲焼職人の仕事は単調です。だけど他の職人技と同じように、単調だからこそ奥が深い。この先、野木くんは必ず行きづまると思う。これから何度も壁にぶつかるでしょう。だけど、上を目指そうという人の前にしか壁は現れない。その壁を乗り越えたとしても、さらに大きな壁が待っている。もし、壁の前で立ちすくむようなことがあれば、またここに戻ってくればいいんです」
 

高安社長は銚子から野木さんを見守り続ける。

わずか数か月の蒲焼修行のなかに、野木さんにとって大切な人生の学びがたくさんつまっていました。高安社長と野木さんの師弟関係は、これからも一生続くことになりそうです。

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