岡山県

西粟倉

にしあわくら

「移住しないと意味がないと思ってた。」 私らしい、移住でも観光でもない西粟倉との関わり方。

昨年の西粟倉ローカルベンチャースクール(以下:西粟倉LVS)にエントリーした丸山寛子さん。通称まるちゃん。”mogmogはうす(モグモグハウス)”という食をコンセプトにしたシェアハウス&キッチンスペースを運営し、全国を飛び回って調達した食材でイベントをする料理研究家です。彼女は西粟倉LVSを通過しなかったけれど東京で西粟倉のPR大使のように活躍し、村にも定期的に足を運んでいます。地域の関わり方は移住が一番いいことだと思っていたと語るまるちゃんがどうして今のスタイルで西粟倉はじめ地域に関わるのか。関わり方に加えて、いつも葛藤しながらもまっすぐ「食」に、地域に、自分に向き合うまるちゃんのこれまでとこれからを昨年から様子を見ている、西粟倉LVS担当のエーゼロ株式会社・林が取材しました。

 

丸山さんが開催した、西粟倉産うなぎのイベントのお料理

自分の「食」を探すためのトライアンドトライ

 ―今日はよろしくおねがいします!改まって取材するのも緊張するね。笑。

丸山)そうね。笑。よろしくおねがいします!

―まず、まるちゃんのこれまで、西粟倉に出会うまでを教えてください。

丸山)はい、食に関わる道を明確に選んだのは大学生くらいからです。でもその道を選んだ背景は幼少期からの家庭環境にありました。小さな頃から母は寝たきりだったので、父が毎日3食作ってくれていました。昔は当たり前に思っていたんですが、働きながら食事を作ってくれていた父は本当にすごいなと思ってます。

実は私高校の頃、やんちゃな友だちも多くてよく放課後ゲーセンにたむろっていました(笑)。でも夕食が楽しみで、夕食時間にはちゃんと家に帰っていました。そんなふうに家で自分を待っている食卓や、持たせてくれたお弁当からは愛されていることを実感していたんだと思います。

大学では福祉学科の児童福祉を専攻し、特に家族の中での食のあり方について学びました。様々な家庭環境の子どもたちにも出会い、日々の食事の大切さや、食が提供される場所やコミュニティの重要性を改めて感じました。

そして、社員食堂を運営している会社に入り東京で働きはじめました。特に思い出深いのは病院の食堂に入り妊婦さんや患者さんの食事も作っていた頃です。その時は、食べることが生きることに直結している現場を経験もさせてもらいました。とても楽しかったんですが、会社を離れることにしました。

ある時、大阪に転勤辞令が出たんです。それも今週末に引っ越せというとても急なものでした。まだ東京で働きたかったこともありこの辞令を断ったんですが、その後降格となってお給料も減ったりして会社にこれからも属するかどうか見直し始めたんです。もともとこの会社は大好きだったんですが嫌いになってしまいそうで、嫌いになりたくなくて退職することを決めました。それが3年前の30歳の時です。

そこから何をしようかと考えた時に、やっぱり「食」でした。自分には得意な料理分野もなければ、資格やスキルが特別あるわけではありませんでしたが、一食を大事にする仕事をしたい、そして一食を大切に出来る空間を作りたいと思いました。そしてローンを組んで北綾瀬に家を購入しました。

―!!ここで家をローンで購入‥!思い切りましたね。

丸山)はい(笑)。今考えても本当に大きなお買い物でした。周りからは、若いのにとか独身なのにそんなことしてとかやいやい言われながらでした(笑)。

シェアハウスは「mogmogはうす(モグモグハウス)」と名付けました。名前の通り、コンセプトは「食」。最寄り駅は都心からも離れた北綾瀬、シェアハウスと駅の距離もあったので立地は魅力にならない、と言っても賃料を安くすることもしたくなくて。食に関わる人や、食を大切にするような人が暮らすシェアハウスにしたいと思いました。そして、ここに人が住むだけでなく、コミュニティとも連携し孤食を無くす取り組みもしたいとシェアハウスをはじめました。

mogmogはうすの食卓の様子

でもシェアハウスを始めてみたら最初は後悔だらけでした(笑)。入居者は集まらないし、契約とか初めてのことも多くて。コミュニティ連携と言いながら、北綾瀬に知り合いもいなかったり、家賃踏み倒されて夜逃げされた時は人間不信にもなりました(苦笑)。

毎日泣きながらやっていましたね。でも泣いてばかりもいられないので、必死で動きました。自分の想う食を発信しながら入居者を募り、ご近所の方に挨拶しながら繋がりつつ、子ども食堂やイベントを企画しながら試行錯誤した日々でした。そうやってmogmogはうすだから出来ることを探していきました。

そしてmogmogはうすの運営と並行してキッチハイクという料理家と人を繋ぐプラットフォームに登録して料理イベントを企画し、料理家活動もはじめました。こちらもシェアハウス同様、模索だらけで。最初は集客に苦しみました。参加費を下げてみたり、でもそれで集客できても結局赤字になったりして。自分の得意なことはなんだろうと悩んでいました。

ちょうどその頃に久米島に行ったことが自分の食を見つける大きなヒントになります。大きかったのは久米島の養鶏農家さんとの出会いです。この時私は命を扱う生産者さんに初めて出会いました。育てるだけでなくて屠殺までやっている彼は、自分が愛情かけて鶏を育てたことと美味しさに自信を持っていて、「生産者として責任を持って最後=屠殺までやるのが使命と思っている」「初めて鶏の首を切った時の血の暖かさは忘れられない」と語っていて、全てがとてもかっこよくて。食材にはストーリーと生産者さんの想いが乗っていることを実感しました。そこからは、生産者さんを切り口に料理や場を提供していきたいということに行き着きました。

仕事、人生に地域が重なり始める

―模索して奮闘している様子がむんむん伝わる‥!こうやってmogmogはうす運営や料理家としての活動それぞれが進んでいったんですね。そこからLVSに参加したきっかけや理由は何だったんでしょうか?

丸山)全国の食材や生産者さんともっと繋がりたくNPO法人ETIC.のローカルベンチャーラボというプログラムを通じて西粟倉に初めて訪れました。移住は全く考えてなかったのですが、そこで出会った人たちが輝いて見えて。その時募集していた西粟倉LVSにエントリーを決めました。

今思うとシェアハウスも料理活動もまだまだ悩んでいたこともあり、行けば輝けるかなと思った自分もいました。東京で上手くいかないなら地域で、、という逃げの気持ちもあったと思います。

ローカルベンチャーラボの西粟倉フィールドワークにて

―西粟倉LVSの参加はどうでしたか?

丸山)本当にどなたも親身に向き合って考えていただきました。役場の方も、メンターの女性起業家の方も忙しい中時間つくってくれて、フィードバックを何度もいただきました。「事業とは」「好きなことを仕事にするとは」色んな話をしてもらって自分の甘さも痛感しました。自分のことを自分でちゃんと見れてなかったなという瞬間も沢山ありました。

その瞬間の1つは「まるちゃんは東京の事業を捨ててまでこっちに来れるか?」と尋ねられた時です。ドキッとしました。そして、正直「出来ない」と思いました。

そんな問いかけをもらった時期、mogmogはうすで、私の誕生日に入居してる皆がサプライズでケーキを作ってくれてお祝いしてくれたんです。mogmogはうすがあってよかったと書いてくれた手紙までくれて号泣しました。その時、mogmogはうすという場所を大事に育ててきたことに自信をなくしていた、上手く行ってないと思い込んでいたことを反省して、逃げの姿勢だったことも気づきました。自分や作った場所を大切に想ってくれている人がいる、そのことに正面から向き合おうと思いました。

自分の今持つフィールドを大切にして、等身大で、料理家として東京でやっていきたいことが定まりました。

mogmogはうすの入居メンバーと

―東京の拠点や活動を大事にしようとした中で、選考を進めたのはどうしてですか?

丸山)西粟倉になんらか関わりたかったのだと思います。西粟倉の人が好きになっていました。自信ないこともあり、そんな自分でも迎えてくれて、応援してくれて、いろんな人を紹介してくれて、受け止めてくれて、おかえりって言ってくれました。承認欲求も強かったなと振り返ったりもするのですが、本当に嬉しかったんです。

エントリーした当初、地域との関わり方は移住か移住しないかどちらかだと思ってました。そして、移住しないなら地域に関わる意味がない、成果が出せないとさえ思っていたのだと思います。でも西粟倉LVSで出会った方々はただ「まるちゃんの好きなことをしていい」とずっと伝えてくれました。好きなことをやったらいいし、村には自由に来ていい、村にどっぷりはまってもいいし、軽く関わってくれてもいいしと言ってくれました。

好きなように関わればいい、東京から地域に関わっていいということは、頭ではわかっていたけど、東京生まれ東京育ちの自分からしたら、それは綺麗事なのではないかと思っていました。でもようやくそれでもいいんだと思えて、じゃぁどういう関わりがあるのかをギリギリまで考えたかったのでブラッシュアップを進めていました。

西粟倉LVSでのまるちゃんのプレゼンの様子

―西粟倉に関わる私としては嬉しく照れる(照)。本当にありがとう!そんなふうに思ってもらいながらやっている西粟倉に関わる活動をうかがってもいいですか?

丸山)西粟倉で養殖している「森のうなぎ」を使ったイベントを東京でよくやっています。これまで7回やってますが毎回いつも満席です。その場でも鰻の紹介だけでなくて生産者さんや場所を伝えるので、村の紹介にもなっているのかな、そうだといいかな。とにかく自分の好きが伝わっている気がします(笑)。あと村に隔月で1週間ほどふらっと行き、村のゲストハウスのお手伝いをしながら過ごしたりしています。

村のゲストハウスで行った、たい焼きワークショップ

―まるちゃんがいつ村にいても、とっても自然ですよね(笑)。もし今後、西粟倉で取り組んでみたい事があれば教えてください。

丸山)沢山ありますよ!まず村に滞在しながら自分の料理を伝えられるイベントを実施したりしたいですね。あと東京でやっているご自宅まで伺っておかずを作り置きするお仕事を村でやったり。村の保健師さんもお知り合いになれたので、一緒に栄養管理の観点からの取り組みもしたいです。特に食事に意識が強くなる若い親御さんを対象にやってみたいです。

あとあと、最近村に助産師さんが移住されてきたりしてるので子どもたちが食に関心を持つ取り組みとかもいいですね。小さな頃から料理が身近になってくれて、自分で料理をして結果自分で健康を保てるようなことになればと思います。

村に新しいプレーヤーもどんどん増えるので、やりたいこと、出来ると思うことがどんどん増えます。もう、やりたいことは本当にいっぱいあります(笑)。

―ほんとうにいっぱい(笑)。今後まるちゃんが何をするのかとっても楽しみです。こうやって「何するのかなぁ~」と楽しみに思わせてもらえてることもだけど、まるちゃんが楽しんで奮闘し進んでいくことを前提に村がどんなかたちでも関わっていけることが嬉しいです。
まるちゃんは移住しなくてよかった思います。とってもいい意味で。今回は地域との関わり方、という切り口でも取材をさせてもらったけど、「地域とどう関わるか」に力点を置くのではなく、まずその人がその人らしく生きることを大切にすることで地域との関わり方が見えてきますね。その人らしさを大切にすればするほど、人の数だけ関わり方が増えていくと思います。そうなると、きっとこれからは「移住」「観光」のような分類分けが出来なくなって、分類に自分をはめるのではなく「自分のスタイルでの地域の関わり方」がどんどん生まれていくだろうと思いました。そのほうが面白いなと思いました。
今後、まるちゃんは「まるちゃんスタイル」で村に、地域に関わってもらえたらと思います。まるちゃん、今日はありがとうございました!

 

まるちゃんが写真撮影の流れでササッと作ってくれた一品

 

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