ゼロから始めた西粟倉村での養蜂事業。 創りたいのは「森から生まれ森を産み出す自然蜂蜜」(前編)

2020年の春、エーゼロでは養蜂事業がスタートしました。
メンバーは3名。リーダーは、起業支援のベンチャーで一線を走り、次の資本主義の在り方を実践しながら模索する黄塚 森(こうづか・しん)。生き物が好きで現場責任者を務める講神 航(こうじん・わたる)。長く薪だけの生活をする中で土と離れず生きていくことを大切にする黄塚 ひとみ(こうづか・ひとみ)という個性豊かな面々です。

この3名にこれまでの経歴を聞けば、全員が養蜂の経験は無いとのこと。それでも西粟倉に集い養蜂に携わっている理由やこの2年間の奮闘、そこから見えてきた「森から生まれ森を産み出す自然蜂蜜」という言葉に託す未来とは。

エーゼロ代表の牧、CQO(Chief Question Officer)佐藤も混じり、座談会のような時間を記事にしました。

西粟倉での養蜂に集った3人のこれまで

牧:まず、それぞれ簡単に自己紹介してもらいましょう。じゃぁ入社順でいきましょうか。

講神:はい、では私からですね。出身は富山県富山市。以前は動物園の飼育員をしてました。エーゼロのことは、“けもジョブ”という動物や自然に仕事で関わりたい人の転職支援サイトに掲載されていたのを見て知りました。
西粟倉という寒冷地で新しく養蜂事業を始めると聞いて、大学でミツバチの研究も少ししていたこともあり、やってみたいと転職を決めました。入社したのは2020年の4月です。
基本的に僕は養蜂現場の担当者として蜜蜂の世話を突き詰めてやりたいなという気持ちで、今3年目になるところです。

講神 航(こうじん わたる)

牧:蜂の目線で言うとミツマタと山桜が咲く頃に来てくれたこうちゃん(講神)。最初は蜂を蜂屋さんから買ってくるところからスタートして、とりあえず飼い始めようってところからだったね。

講神:蜂を買って最初に巣箱を置いたのは若杉原生林でした。その時はまだ僕一人だったので、牧さんと巣箱を設置したのは、今ではいい思い出です(笑)。

牧:でも原生林は蜂の機嫌が悪くなる条件が全部そろっていて。森の中にただ置けばいいっていうものでもないって、色々後でわかっていくんだけど。今思うと本当に分かってなかったね。

講神:でも分からないなりにでもやらせてもらえるというのは大きかったです。

牧:それで6月末に黄塚(こうづか)夫妻が二人の子どもたちを連れて移住、7月からチームに参画してくれました。ウツギの花がまだ咲いていた頃でしたね。
自己紹介は、西粟倉との繋がりを最初に持ってくれたひとみさんからお願いしようかな。

黄塚ひとみ(以下:ひとみ):出身は神奈川県です。6人兄弟の8人家族で長女です。
母の願いが、「世の中が平和であること」「家族全員でおいしいものを食べること」でした。私が小学生の頃の自由研究かなにかで「チェルノブイリの原子力発電事故」について勉強したことをきっかけに、「エネルギーを自給する」ということに両親の意識が向いていきます。私が高校生の頃に家を改造し薪ストーブが導入され、ご飯とお風呂、暖房のエネルギーを薪で賄う生活を始めたんです。薪は週末に家族で山に行って杉の葉っぱを拾ったり、ノコギリで木を切って大八車に乗せて持ってきたり、近所から切った庭木をもらってきたりしました。ただお湯を沸かすだけなのに薪をくべるところから始まるので、それまでの「ガス」「電気」に頼っていた生活リズムが大きく変わり、戸惑いました。両親は共働き、6人の子どもたちもそれぞれに学校生活があるので、最初はすごく反発して何度も話し合いが行われました。
10年くらいかけてゆっくりと生活の中に薪が馴染んでいき、将来の仕事を考えた時に、山や林業の方に目が向いていきました。

大学を出て就職する前に「人類発祥の地が見てみたい」と思ってタンザニアに旅行に行ったことも人生の中では大きな出来事です。現地の人々と話したり、薪を使った暮らしに触れたり、小さな子どもがいると皆が笑顔になったりする様子を見ていると、人類皆兄弟だなと感じたんですよね。人種や肌の色とか、色んなものの壁を越えた感覚がそこにはあって。人類の未来とか、地球環境全体における自分の役割とは、みたいなことを考えるようになっていきました。

そんな中、高知県で開催された若手林業ビジネスサミットで西粟倉村のことを知りました。一度行ってみたいと思い、7、8年前に初めて西粟倉に来て、そのときに牧さんとも出会いました。

黄塚 ひとみ(こうづか ひとみ)

牧:薪だけで生活しているひとみさんが村に来るってことを知って、どうしたらその暮らしができるのかを教えてもらおうと勉強会を開いてもらいました。でまあ、教えてもらった結果、「これは真似できないな」って思ったんだけど(笑)。
当時、ひとみさんは社会人になってすぐくらいだったかな?

ひとみ:はい。東京のベンチャー企業に就職してすぐくらいです。そのベンチャーは起業家支援をする会社で、新規事業が生まれる大変さを間近に感じながら過ごしました。数年働きましたが、体調を崩し退職しました。
それで一度実家に戻って、田んぼを手伝ったり畑の生き物と向き合っている内に、だんだんと、どう生きていきたいかがぼんやり見えてきました。実家ではコンポストトイレをやっていて、トイレが畑に戻っていくのが暮らしの一部なんです。この美味しい野菜はあそこから本当にできたやつだ、土ってすごいな、本当に循環しているんだな、ああ生かされてるな~って実感しながら暮らしていたら、1粒の種とか豆が大事に思えてきて、これからは土から離れないで生きていこうって思いました。地球があって、山があって、川があって、いろんな生き物の中に自分が居ることを実感できたんです。

そして会社の同僚だった森さんと結婚し、子どもが生まれました。
子育ては東京でやるもんじゃないなと思い、移住を本気で考えるようになりました。何年か前から気になっていた、鳥取県にある智頭町 森のようちえんまるたんぼうに行きたいという思いも強くなり西粟倉村も近いので、まずは牧さんに連絡してみようと手紙を書いたのが2019年です。

佐藤:どんな手紙を書いたんですか?

ひとみ:近況報告をしたような‥。何度も書き直したことは覚えています。

牧さん:とっても長く、何回も書き直したことがわかる手紙で、人柄が伝わるあたたかいものでしたね。

左:牧 / 右:佐藤

ひとみ:電話とかメールが苦手で、手紙を書くのが好きなんですよ。
森さんとは「将来的には、自分たちの手でものづくりをして、小さくても顔が見える範囲で商いをしながら、地域で繋がっていくような暮らしができたらいいね」と話していました。それで、お菓子屋さんの企画書を作って手紙に同封して牧さんに送りました。
そうしたら、すぐにお返事がきて「養蜂をやろうと思っているんだけど一緒にやりませんか?」と牧さんからお誘いをいただきました。実は私の将来やってみたいことの1つが養蜂でした。世界的なミツバチ減少という話も耳にしていましたし、ミツバチは農業においても大事な存在です。
未経験でも大丈夫かと少し不安もありましたが、「蜂蜜ができるまで」の裏側にどんな世界があるのかを知りたくて、森さんと相談し、えいやー!って来ました(笑)。

佐藤:牧さんはどうして養蜂に誘ったんですか?

牧:養蜂やりたいなと思い、やる人を探していた時にひとみさんから手紙貰って、貰った瞬間に居た!って思いました(笑)。養蜂って自然や生き物の命と向き合う仕事で興味を持てる人じゃないとやれないので、ひとみさんはそこに向き合える気がしたんですよね。
それでは森さんにもこれまでのことを伺っていきましょうか。

森:はい。僕は理系の大学を大学院まで進んで、研究室では2足歩行ロボットの研究をやっていました。そして就職を考えた時、よくある就職先は研究の延長線上としての大企業だったんですね。でも僕には、どの企業も働いている人が楽しそうには見えませんでした。「働く」とは生きるために仕方なくやることで、「どれだけ余暇を充実させられるか」が、人生を豊かにすることだと考えていました。
そんな中で大きな転機が訪れたんです。たまたま同じ大学の卒業生だった、起業家支援をしているベンチャー企業の社長が、大学に講演に来ていたんですね。その社長は講演の中で「仕事の中にこそ幸せがある」と話をしたんです。衝撃的でした。

黄塚 森(こうづか しん)

講演会の後、実際にベンチャー企業の社長さん何人かにアポをとって会いに行ってみたんです。そうしたら本当に、好きなことをやってキラキラしながら働いている人たちがいたんですよね。それを見て、ベンチャー企業で働きたいと決めました。じゃあ、どこで働こうかと思ったときにまっさきに頭に浮かんだのは講演に来た社長の顔でした。

すぐに会いに行って「僕を会社に入れてください」と直談判しました。そうしたら「“うん”って言いそうになったけど、選考を受けてね」と言われて(笑)。選考を受けて無事通過し入社。起業家支援の世界に入りました。そこでは経営者向けのスクール事業を担当し、入社3年目で事業部長、4年目から執行役員をさせてもらいました。5年目からは早稲田大学の非常勤講師としてベンチャー論の授業も受け持ちました。社長もクライアントの経営者の方々も大好きだし、仕事には何も不満はありませんでした。

一方で、経営支援をする立場だからこそ、お金って何か、資本主義って何かというのを知らないといけないと思ったんです。自分なりに勉強していく中で理解したのは、資本主義の仕組みそのものは悪くないけど、発生した時に大きな問題を抱えていること。そして現代では、その「負の部分」が大きくなってしまっていることでした。それを理解したら、現状の仕組みの中で事業支援していくことの先に、ハッピーな未来が描けなくなってしまったんです。

世界中で「資本主義の次」が叫ばれていて、でも、具体的な姿がなかなか見えてこない。僕らの世代の役目って、その「次の姿」を模索して実践していくことなんじゃないかって思ったんです。でも、お金だけじゃない、自然と共存するような生き方って、そもそも自然が少ない都会では模索の仕様もなくて、それで、会社を辞めることを決めました。

当日、森さんが豆を挽き丁寧に淹れたコーヒーを飲みながらお話を聞きました

じゃあ何をしようかと考えた時、最初は「ヴィーガンのお菓子屋さん」をやろうと思ったんです。お菓子作りは、趣味で続けていたんですね。焼き菓子って、いろいろなものを焼き込めて、日持ちもするので、地域のものを使って、季節を取り込んで、価値あるものに転換できたらビジネスとしてあり得ると考えていました。
ただ、僕は会社に属している間は「100%会社にコミットしたい」と考えていました。
やっぱり、会社にお世話になっている以上、自分のことをやるのは失礼にあたると思ったので。それで、退職まで一切次の準備をしませんでした。執行役員をしていたので、辞めるにも引き継ぎなどで時間が必要でした。すべてにケリをつけて、ようやく辞めたのが2020年3月末。前職での業務委託を一部残して収入も緩やかに残しつつ、さあ自分の準備をしよう、となりました。自分たちが「生きる場所」も、家族でいくつかの地域を旅しながら決めようと思ってたんです。そうしたら、ちょうどそのタイミングで、世界が突然コロナ禍になって計画が全て白紙になりました。移住先を探すにも、「今は東京から来てもらうのは無理ですね…」みたいな。前職からの業務委託も、コロナですべてナシになりました。
収入ゼロ、仕事ゼロ、家も解約かけちゃった状況で、本当に困ったぞと。それで色んな人に連絡をとっていたんです、ほんと助けて!みたいな(笑)。その中で、ひとみのお知り合いの中に牧さんがいるっていうことで連絡をとりました。前述したお手紙ですね。そうしたら、すぐに面談させてもらって。そこからはトントン拍子で、2か月後には僕たちは西粟倉にいました。今思えば、何かに導かれてこの地に来たように感じます。

牧:最初はお菓子屋さん事業の企画書を持って来て。それも面白そうだね、で、お菓子と蜂蜜繋がっている気がするんだけどどうかなみたいな(笑)。

森:そうでしたね(笑)。

牧:僕は蜂がやりたくて仕方がなかったから(笑)。
こうちゃんが来て養蜂事業を始めようとなったけど、チームとして動く方がいいと思っていたところに森さんとひとみさんも来れることになって。3人ほぼ同時にスタートできるんだったら社内の独立ビジネスユニットみたいな感じでやってみようかと。
3人それぞれ興味関心は違うけどどれも「養蜂」に重なるねという感じで2020年7月から始まったっていうのがこのチーム。
そうして採れた蜂蜜から出来た商品が「百森蜜食べ比べセット」ですね。

森:蜂蜜を採るのにも、本当にいろいろなドラマがありました。僕たちは養蜂未経験だったので、本格的に養蜂をスタートした昨年は本当に大変でした。当時は、毎朝、蜂の現場に行くたびに何らかのトラブルが起きていたもんね。


講神:そうですね。僕らはその対処法もわからないので、森さんと2人でその度に相談しながら、対応していきました。

ひとみ:着任して1番最初にやったことは「蜜源調査」でした。いつ、どこで、どんな花が、どれくらいの期間咲いているのか、村内を車や自転車で走り回り、写真を撮ってデータを集めました。花や樹木のことに詳しい人に聞いたり、図鑑とにらめっこして調べました。
また、ミツバチは巣箱から半径2キロを飛び、蜂蜜や花粉を集めてくるのですが、ミツバチが飛ぶことで周囲にどんな影響が出るのかを知らずに巣箱を置いて、近隣の方からお叱りを受けたこともありました。
村役場や、地域の方のご協力を頂きながら場所を探して、使わせていただいています。最初は不法投棄のゴミを片付けたり、草刈りをしたり、電気柵を張ったり。毎日泥だらけでした。

森:そんな中で、何とか蜂蜜を搾れるところまでたどり着くことができたんです。初めての採蜜は2020年6月10日でした。講神くんと2人で早朝4時ごろに集合して、蜂蜜を採りにいきました。巣板を持ち帰って、みんなで搾るんですけど、搾り器を開けた瞬間に綺麗な黄金色の蜂蜜がダラーっと垂れてくるんです!

ひとみ:みんなで思わず「うわぁー!」って叫んだよね。

森:昨年は観測史上ないくらい梅雨入りが早くて、養蜂業界は大不作の年だったんです。僕らも、だいぶ苦しめられました。でも結果として、100キロ近くが採れたんです!

ひとみ:これが、あのミツバチ達が一生懸命集めてきてくれた蜂蜜か‥とドキドキしながら一口味見をしました。
「おいしい!!」。
今まで見てきた山の景色や、雨や風で大変だった日のことも思い返して、それ以上言葉が出ませんでした。

初めて採れた2020年の蜂蜜

蜂蜜の充填作業は村内のB型就労支援事業者と連携しています

森:蜂蜜が採れたので、名前をつけようって話になりました。一般的な蜂蜜では、いろいろな花から採れる蜜を「百花蜜」と呼ぶんですね。でも、僕たちの養蜂って、どの現場も、電波も届かないような山奥でやっているので「花からもらった」って感じがしないんです。だから「森からの恵み」「森から分けていただいた」というような名前にしたくて。西粟倉村では「百年の森林(もり)構想」というものを掲げていて、その略称が「百森」だったので、これだ!と思って名付けました。まさに「西粟倉村」ならではのネーミングになったと思っています。

佐藤:この商品名は?「ジーワ」や「トカカ」「チーチョ」。面白いね。

ひとみ:ジーワはカラスザンショウの花の蜜が多く入っている百森蜜です。この花が咲く時期は真夏で、森にはセミの大合唱が響いているんですよ。「ジーワジーワジーワ…」みたいな。商品名はそれぞれ、その蜜が採れた時に「森で響いていた音」を思い浮かべながら皆で考えて付けました。「チーチョ」は5月の鳥の声、「トカカ」は、キツツキが「トカカカ‥」と木をドラミングしている音です。

牧:蜂蜜はその時々に咲いてた花の色んな香りとかが集まってできているから、季節の名前を付けられると素敵だよねとは話はしてたんだけど、それを音で表現するっていうアイデアが出てくるとは想像してませんでした。
7月の蜂蜜とかいうより、断然良い名前になったなと思っています。

 

2年間の実践の日々から

牧:養蜂やってみての大変さや色々と気づいたこともあるだろうし、どうなっていきたいってことも出てきたかもしれない。改めて、養蜂をこれまでやってみてどうでしたか?また入社順で聞いていこうかな。

佐藤:何かの期待のために話さないで、今自分だけの話をしてもらったら嬉しいかな。チームとか、会社とかは置いておいて、自分の気持ちだけを言ってね。

講神:はい(笑)。
まず僕は生き物が好きなことが原動力で、蜂の世話が面白そうで勉強もしたいから来たんですが、森さんとひとみさんに比べるとすごい軽いノリで来ちゃったなって思いました(笑)。
現場のことは2年やればちょっとは蜂のことが分かるかと思ったら、まだまだ分からないこと、やれていないことが多いです。でも仕事をする上でやりがいはあります。
事業を立ち上げる中でビジョンを考えるとか、やったこともない新しい経験もありました。ビジョンが出来上がってくると自分がここで蜂を世話する意味を感じたり、ビジョンに少しでも繋がるんだったらやっていきたいとか。自分が好きでやっている以外でも原動力が湧くんだなと思うようになりました。
そうは言っても、基本、自分はそんなに「ガンガンやるぜ!」っていうタイプではなく、まとまったお休みをもらったら好きな生き物の世話をしたいってついつい思っちゃうんですけど。

牧:うちもベンチャーだし色んな事業もやっていて、色んなチャレンジをする会社だよっていう風には説明していたつもりなんだけど、来てから色々聞いていると、こうちゃんはできるだけ働きたくないんだなって(笑)。

佐藤:いいね(笑)。

牧:それはこうちゃんの生き方だから何も悪くないけど、ただその仕事の仕方で事業の立ち上げは結構厳しいなと思ってました(笑)。最近はどう?

森:最近めっちゃ変わったよね。昔は、言われたからしょうがなくやる、なるべく言われたこと以上はやりたくないみたいな雰囲気だったけど最近は、自分からこうしたいですって言ってくれるし、事業のビジョンとかもワクワクしてくれている感じがする。

講神:「お金を得るための手段としてやる」という以外で、この仕事に、自分の中で少しずつ魅力を感じているんだと思います。やっぱり生き物の仕事をやっていると、「もうひと踏ん張り」って場面があるじゃないですか。森さんが一緒にやってくれていることも大きいけど、やっぱりお世話しただけ蜂が変わるのを実感できると、休日を少し削っても頑張れたりします。あと森さんを迎えに行くと子どもたち2人が「頑張ってね」って言ってくれることにも励まされます。

森:以前は新しいことをやりますっていう話をした時は「それはどうしてやるのか僕は納得できない」って全力で反発していたよね。

講神:やらなくていい理由を必死で探してました(笑)。

森:事業の立ち上げって「やってみて上手くいく/いかない」を繰り返すものだけど、それを何度も繰り返すうちにもう全然抵抗なくなった様に見える。

講神:やって失敗しても誰も怒ってないなってわかってきて‥。

森:最近は新しい話の時に「もうやってみないと分からないですよね」って言うようになったよね。

全員:おぉー!

講神:自分から新しいことをやろうとは言わないんですけどね。

牧:こうちゃんの「やってみないとわからない」は、2年前にそんな言葉を聞くとはまったく思えなかった。嬉しいね。

講神:いっぱいやらかしましたからね。

佐藤:やらかしましたか。

講神:今日現場に置いてあったブロック。何も乗っかっていないブロックは、昨年は巣箱が置かれていた場所です。あの場所が物語っています。今年の冬越しでは2/3の蜂が死んでしまう事態もありました。
1つ1つ反省もありますが、どんなことがあっても次はこうしよう、やろうって思えるチームは心強く、時折イレギュラーなことには不安になったりはしますが頑張りたいです。

後編へ続く)