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「林業を見限るな」300年の森を目指す、新田一男さん(私と百森vol.6)

熱心で評判の山主さんがいるとうかがって訪ねた、新田一男さんの家。着くなり「まずは山に行きましょう」と軽トラックに乗せてくれた。まだ山は雪深い。しかし、前日までに新田さんがユンボでつけてくれた道が一筋、山の中腹まで続いていた。どこまでも手入れされた森のあちこちに思い出が詰まっていて、新田さんの口から、森と家族の人生が交差したエピソードがどんどん出てくる。家族の歴史とともにある森は、未来へつないでいきたい。「いい森に育ってきとる」と見せてくださった場所の木々の理想形は、なんと200年以上先。遠い未来を見つめる新田さんのまなざしは、時代の波をはねのける力強さを持っていた。

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人生も、山仕事も二人三脚

– 新田さんの山を見せていただいて帰ってきたところですが、すごく気持ちのいい場所でしたね。これ(用意してくださっていた山の見取り図)が、新田さんの山の全体像ですか。

新田:そう。どうも役場の帳簿を見てみたら40町ほどある。何人か共同で持っていた山もあったんだけど、管理はほとんど私がしてきました。それと、よそから買った山も合わせるとそれくらいの広さになります。

– さっき山で少しお話をうかがったんですが、山仕事はいつも奥さんと2人でされていたそうですね。

新田夫人:ええまあ、東粟倉から嫁に来て60年なりますけど、ほとんど付いて回っとります。
 

新田:山の名義も共同ですよ。おばあさんの金も大事、私の金も大事にして、山も私1人のものにしとったらいけんで、おばあさんと共同で持っとります。

– 山を案内していただいているときも、「あそこはばあさんが嫁に来てすぐに植えた場所だ」とか「息子の嫁が…」とか、山には家族の思い出がたくさん詰まっていることが分かりました。

新田:嫁に来たときといえば、この家もその年に建てたんです。昭和31年の12月24日だった。この部屋はまた最近リフォームしたんだけど、うちの木を使っているんですよ。

– すごく気持ちのいい居間ですよね。さすが木のことを知っている方の家な感じがします。ずっとお仕事は山一筋でやってこられたんですか。

新田:いやいや。昭和49年、うちの娘が高校に入った年から30年間、工場をやっていたんです。大阪から靴のかかとやらを作る会社を持って戻って来たんだけど、3年ほどで潰れて、私が後を継いだんです。

– じゃあその間は、お勤めもされながら、合間合間に山に行かれていたんですか。

新田:朝5時に起きて山へ行って、植林をしてそれから工場に行って。夜9時まで工場で働いて、それから大阪、神戸の取引先に行ったりしてね。取引先が倒産して何百万円も未回収の手形があったときもありました。よく今まで死なないできたかと不思議なぐらい働いてきました。工場もばあさんとずっとやってきて、えらい目に合わせてきました。
 

時代を超えた「名木」を育てたい

– 百年の森林構想には参加されず、今も自分で山に入って作業をされているんですよね。

新田:そうです。作業員を頼んで手入れする人もいるけれど、人を頼んでいたら今の時代は赤字になります。まず、85歳にもなってこれだけ熱心に山仕事をしている者というたら、日本全国でもそうおるまい。
本当は、山の作業は単純なものなんですよ。50年ぐらいで一気に切っちゃまた植え、切っちゃ植えで循環していけばいい。今は、植えた頃よりだいぶ木の価値が下がっているから、困ったものです。
 
– 新田さんの森、すごく気持ちがよかったです。丹念に木を育てれば、価値が生まれるんだということ、たぶんみんなあんまり…。
 

新田:思うとらん。この木を見てください。丸太でついた値段から計算すると、1年で1350円ずつ成長しているんです。手をかけて育てれば、それだけ価値のあるものが生まれるんです。

– それこそ、村をあげて、こういう高価な木を育てていく道はないでしょうか?

新田:ないでしょう。機械化をして、多少皮に傷が付いてでも効率よく木を出すのは、木の値段はもう高くならない前提と、あきらめがあるからです。伐期が来たら切ってしまえという風潮です。

– 実際にここ50年、新田さんのように手をかけて育ててきた木が、少ない現状もあるそうですね。

新田:かなり早い段階から手入れしないと、高い値がつく材には絶対になりません。和歌山あたりでは、かなり小さい時分から枝を打っていて、4寸の柱(約12cm角)が取れるような木は、「真っすぐできめ細かいものは一立米30万しよるで」と聞きました。

– ブランドものになっているんですね。

新田:そうです。木がまだ小さいうちから手入れすれば、いい森に育っていくし、ちゃんとした値で売れる木も育つ。そういう希望があれば、どんな山をつくりたいか考えて、「やまづくり」したい気持ちが、湧いてこないこともないでしょう?
 

百年なんてひよっこ、目指すは三百森

新田:実はね、私が目指す山の完成型になるには、300年ぐらいかかるんです。300年といっても、途中で側の木を間伐するので、間伐する過程で50年やら、100年のいい材も出てくるから、300年待つだけじゃないですよ。人間はなんぼ長生きしたって100年ほどの命。でも、杉の寿命は300年くらいだといわれているし、屋久島の杉なんて3,000年も生きている。私が死んでも、木はどんどん大きくなる。その気持ちで手入れしてたら、きっといい木に育っていくんです。 

– 目指す先が、そんなにはるか未来なんですね。途方もなく聞こえるけれど、確かにその過程でも折々にいい材が生まれますね。

新田:いい値で売れたここにある木だって、90年と121年でしょう。百年の森といったらこのくらいの木ですね。

– 例えばこの90年の木は、新田さんが生まれる前だから、お父さんが植えられた木ですか。

 

新田:きっとそうじゃな。切った木の年輪を見ると、いろいろと分かることがあるんですよ。年輪が詰まっているところは、モミの木が上からかぶさっていた時期ですね。それでモミの木を切ったら、ぐんと大きくなったんです。

– いいものだったら今でもちゃんと値段がつくことが、この木から伝わってきます。

新田:高値の理由は、太さもあるけれど、目が均等なことが大きいと思います。

– 冬の入り口のちょうど旬な時期に切られていますが、木の状態が一番いいときに切ることに決めているんですか。

新田:うちの場合は、時期はあまり関係ありませんね。300年の森を目指すために、そのまわりを掃除していくのが、目的ですから。でも、時期的なことをいえば、昔は梅雨の木の皮が剥けやすい時期に、日生で使う牡蠣養殖のいかだ用の材をつくったりしましたけどね。今はそれもやっていません。

– そうか、この100年前後の木も、山の掃除の過程の木材なんですね。

新田:「ゆがんだ木は真っすぐにならんけど、小さい木は大きくなる」という言葉があります。「三つ子の魂百まで」というのと同じで、ゆがんだ木はその先真っ直ぐになることはないから、早くに切ってしまいます。それ以外は、適期に切り出していけばいいんです。今、新たに植林するのは難しいでしょう。今、苗を植えても、柵などがない限り鹿がすぐに芽を食べてしまいますからね。

– 初期の成長が遅れるけれども、あえて下刈りをしない状態でゆっくりと育てていくという鹿対策があるらしいです。結局下刈りをするほど、鹿にとっていい食料になってしまうんですね。

新田:昔は植樹したら、5、6年はきれいに下刈りをしたものです。それからぼつぼつ枝落として…と育てていましたね。今は「山ほどいらんものはない」と、みんなが思ってしまっています。

 

夢を描いて森を育てる

– 手入れすればするだけ赤字になってしまうと言っても、ほったらかしにできないから、役場が預かるという「百年の森林構想」が立ち上がったんですよね。

新田:自分で手入れしきれない人にとっては、いい制度だと思います。私は自分でできる限りは山の管理をして、思い描く森をつくっていきたい。だから、恩に着せないように、「わし暇なんで、ちょっとさしておくれよ」と周りに言って、共同で持っていた山も1人で10町歩の山を仕事の合間に手入れしてきました。そんなことする人は日本でもごくわずかでしょう。

 

 貧相なことを言っていたらだめ。子どもや孫に「300年先には1,000万の木を3,000本売れるで」って言っているんです(笑)。1,000万の木が3,000本ということは、300億です。300億いうたら大きなこと。月給取りが一生に儲ける金が、大体が3億ほどだそうです。「今日び山を管理しても無駄」なんて言ってたら、次の世代の人たちに未来がなくなってしまいます。

– 300年の木という夢に持ち始めたのはいつ頃なんですか。若い頃からの夢ではない気がしたのですが…。

新田:木の値段があまりに安くなってきてからですね。300年の木になったら、そりゃ国宝用の建築材ですよ。そうしていかないことには、もう立ちゆかないと思っています。

– 国宝級の神社仏閣の門を、つくり直すときに使うようなイメージですね。現在でも歴史的建造物の建て替えに対応出来る木材が不足していて、海外から輸入して建てている現状があるそうです。木の値段に対しては、悲観的な人がどうしても多いから、新田さんのように諦めずに育てている木は、これからもっと貴重になっていくのではないでしょうか。

新田:手遅れになる前に、しっかりと手をかけておくことがなによりも大事。木は小さいうちから真っ直ぐなものを残していかなくちゃいけないし、人間も幼いうちからの教育が大事でしょう?孫が「じいちゃんたちの仕事を、ちゃんと記録しておかなくちゃ」と、山に入って作業ひとつひとつの写真を撮ってくれたのは嬉しかった。子や孫には、山仕事の夢を見せ続けたいんです。

 

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