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若い移住者に快適な暮らしを届ける、1,000万円の「小さな木の家」への挑戦

琵琶湖の北西に位置する滋賀県・高島市。この豊かな自然景観と生態系に恵まれた地に、2016年、エーゼロ株式会社の新しい事業所が開設されました。高島しこぶち事業所の清水安治さんは、高島市で生まれ育った55歳。滋賀県庁職員として県立高校の木造校舎を地元産木材で建てたり、NPO活動として地域の工芸作家の暮らしや作品に触れるイベント「風と土の交藝」を立ち上げたりと、地元の“良いもの”を再評価し価値づける数々のプロジェクトに取り組んできました。実は、エーゼロ代表・牧大介さんとは十数年来のおつきあい。まずは、地産地消の木の家づくり事業をスタートさせるところから、清水さんの新しい挑戦が始まります。

若い移住者でも手が届く、約1,000万円の「小さな木の家」

– エーゼロ株式会社(以下エーゼロ)の2ヶ所目の展開拠点となった高島市ですが、高島市と西粟倉村が歩んできたこの10年は、とても対照的ですね。高島市は2005年に5つの町(高島町、安曇川町、新旭町、今津町、マキノ町)と1つの村(朽木村)が合併して誕生。一方の西粟倉村は他市と合併するという選択肢もあったけれど、自立の道を選び、2008年には「百年の森林構想」を掲げています。

清水:人口が5万人の市と、1,500人の村の役場では、組織として対応できることが異なりますよね。西粟倉は自立の道を選んだことで「自分たちでやらないと!」という意識も強かっただろうし、役場もチャレンジ精神があるなと感じます。この10年近くかけて村がやってきた試行錯誤から、僕も学びたいことは多いです。

これまで滋賀県庁職員としていろんなことにチャレンジしてきたけど、やっぱり役所にいるからという限界もあったんで。県職員を辞して民間に立場を変えたことで、「高島でこういうのやってみたいね」と牧さんと一緒にあれこれ考えていたことを、いよいよ実践に移せるタイミングが来たのかなとワクワクしています。

– 今回清水さんが進めていくのは、地方に移り住みたいと考える方々のニーズをくみ取った、こだわりの「小さな家」を地域産の木材をふんだんに使って建てることだと聞いています。どういったことから、こうした発想につながったんでしょうか?

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清水:今住んでいる地域には、空き家や空き地がいくつかある。このまま放ったらかしにされているのはもったいないと感じて、地元の所有者に交渉して、「高島に住みたいんですけど」って移住希望者に物件を譲ってもらったり、貸してもらったりしているんです。で、その若い移住者らの事情を聞き取ってみると、田舎でチャレンジしたいものの、経済的には十分な余裕がない。現実的には1,000万円くらいの家ならなんとか手に入れることができるというニーズがあると感じていて。

僕は県庁職員だった頃の10年余り前に、地元で「安曇川流域・森と家づくりの会」を、牧さんの協力も得て立ち上げて、これまで活動してきました。この会の「地域の木材で家をつくろう」というコンセプトはエーゼロの理念と近いのですが、そこで扱っていたのは伝統や材料にこだわった、2,000〜3,000万円の価格の家だったんですね。ある程度経済的に余裕のある人向けの、オーダーメイドのこだわり住宅です。

けれども、「自分たちが理想とする暮らしや働き方を叶えるために地方に行きたい」って考えている若者たちは、できるだけ安く住める方法を探してます。あえて定職につかずに月5万円程度の収入の仕事をいくつかやって、楽しみながら暮らしたいというような移住者も増えてきている。そういう人向けに、1,000万円くらいで建つ家をつくろうと思ったんです。

‐ 地域に移住すると、給与が低く、年収が下がる場合もあると思いますが、1,000万円の家というのは、若い人にとっても現実的な数字ですね。その価格で新築の家が手に入るなら、建ててみたいなと思えます。

清水:そう、現実的でしょ。僕たちはいま「小さな家」というコンセプトを掲げています。1つは機能が凝縮されてコンパクトな家。田舎の家って、ハレの間やケの間とか伝統的な法事などの行事しかしないような部屋が多いんですよね。そんなハレとケを一体化にして機能をコンパクト化させる。これは家のサイズを小さくすることにもつながっていて、費用も抑えることができる。

そして「小さい」には環境負荷が少ないという意味も込めてます。例えば、断熱性を高め、自然エネルギーを使うとか、電気をなるべく使わないとか。そういう暮らしの選択は、自然環境に恵まれた高島というエリアとも相性がいいんじゃないかな。若い人の所得が下がってきて、車でもコンパクトカーが流行りましたよね。高島に家を建てたい人にとって、いい暮らしができて、素敵なことが起きやすいような「小さな家」を考えてます。

– ただ大きくて贅沢な造りというのではなく、環境にも優しく機能面も満たした「小さな家」なんですね。最近はタイニーハウスや小屋暮らしなど、コンパクトな家が少しずつブームになってきていますが、競合も多かったりするのでは?

清水:家ってね、安くしようとすればグレードを下げて、かなりのコストダウンができる。だからたまにハリボテみたいな家ありますよね。正直なところ、価格を下げてコンパクトとなると、長い目でみたら傷みやすかったり、断熱性や耐震性が足りない場合があったり、どこかが不十分になる。でも僕らはそれは絶対せんとこうと。

セカンドハウスとして楽しむとか、アウトドアに慣れている人なら小屋暮らしもいいかもしれないけど、ふつうの人が、ふつうに快適に暮らせる家がいいなと思っているんです。地方に住みたい、地方で人生かけて自己実現してみたいっていう人には、やっぱり家にもこだわってもらいたい。ただ安いんじゃなくて、本物の木をふんだんに使っているコストパフォーマンスのあるものを提供したいんです。難しいチャレンジですけどね。

– 「小さな家」は、まずは西粟倉で建てつつ、モデルケースを作っていく予定だとか。2つの地域で、それぞれどんな展開を考えていますか。
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清水:実は、西粟倉って土地利用の制限があって、一般の住宅が建てられる土地があまりないんですね。新築の物件を建てられる場所が少なく、住みたくても住めない人も多い。西粟倉ではローカルベンチャースクールを催し、移住してきたいという人も増えてはいるんで、彼らを迎え入れるための村営の移住者向け賃貸住宅を建てようとしています。

一方の高島は、すぐに住めるような古民家はなかなか見つからないけど、家を建てられる空き地は結構あるんです。古民家再生はコストがそれなりにかかるし、住みたい人にぴったりくる条件を備えた空き家ということになると、見つけ出すには限界がある。それならいっそのこと、「新しい家を建てていく選択肢を移住者に提供しよう」という戦略をとることにしました。西粟倉の賃貸パターンではなく購入型を想定して、移住希望者と住民とをつなぐような、地域に寄り添うように暮らせる家づくりを模索しているところです。

そして、いずれは、あちこちでいわゆる建て売りみたいな方法を展開していくことも考えています。それがパッケージ化されて1つの商品になったら、日本全国どこでもその土地の木材を使って家が建つようになります。まだまだ先の構想ですけど、「森とつながる家づくり」として他地域に広げていきたいですね。

– それぞれの地域の事情にあわせ、複数の地域間で、資源だったり課題だったり、または実戦から得た経験値だったりを共有しながら、他地域展開を視野に入れた前例をつくっていくんですね。

 

先祖が植えた木で自宅を建てたことが、今の仕事につながった

– 清水さんは、こうしてエーゼロに参画される前は、県庁に30年以上勤められていたんですよね。キャリアを積まれてから55歳で転職するのって、結構勇気がいる気もしますが、どんなきっかけがあったんでしょうか。

清水:滋賀県庁に長く勤める中で、僕の役回りを引き継いでくれる後輩がいるようになったという安心感は大きな理由ですね。県庁は組織がしっかりしているから、僕がいなくなってもちゃんと役割を引き継げる仕組みはできています。一方で、これまで地元であれこれやってきたことについては、おこがましいかもしれないけども、僕でないとできないことがあるなあと感じていて。だから、それまでは県職員としての本業の合間にやってきた地域でのチャレンジを、いずれはもっと本格的にやりたいなあと思っていました。

年齢的にも、もう1年いたら次のポストへの異動があって、辞めにくくなっていたかもしれへん。やから、今しかないと思って、このタイミングで今年の春に役所を離れました。

– エーゼロ代表の牧さんとは十数年来の付き合いがあるそうですね。出会いは、清水さんからの仕事の依頼だったとお聞きしました。

清水:牧さんとの付き合いの原点は、彼が学生の頃に研究のフィールドとしていた高島市の旧朽木村にあるんですよ。牧さんが仕事を手伝っている、京都・美山の「株式会社野生復帰計画」も朽木村からは、三国岳を挟んだ反対側でね。

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仕事としてつながってくるきっかけは2002年ごろかな。滋賀県庁が業務委託した「里地・里山に関するビジョンづくり」という調査案件を、牧さんが受けてくれたんです。その仕事を僕が企画調整課へ異動して引き継いで、牧さんの存在を知ることになる。それからは「安曇川流域・森と家づくりの会」での勉強会だったり、総務省の「地域再生マネージャー事業」を受けてもらったり。今も続いている「いきもの田んぼ米」や、たかしまビジネスプランオーディション、鹿肉の解体所の立ち上げなんかも、牧さんの力を借りてやってきたものなんです。

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そんなふうに事あるごとに接触するようにしていたんですけど、そのうちに、牧さんからも「早よ役所辞めて、一緒にやりましょう」って言われるようになっていて(笑)。役所の仕事もやりがいはあるんやけども、そういうありがたい誘いもあったし、自分のやりたいことを突き詰めると、県庁の外に出た方がいいかなと気づきはじめていました。

– 県庁時代に立ち上げた「一般社団法人安曇川流域・森と家づくりの会」は、山主、林業家、工務店、設計士の方々と一緒に地産地消の家づくりを広げていく仕組みだそうですね。県立高校の校舎を県産の木材で建築されたというのも、県としても半世紀ぶりのことだったと伺っています。

清水さんくらいの年代だとコンクリートでの建築が主流だったんじゃないかと思うのですが、「木材」に着目したきっかけはなんですか?

清水:自分の先祖が山に植えた木で、自分の家を建てたことですね。2000年ごろだったから、僕は30代後半頃かな。大学の建築学科を卒業して、県庁でも、ずっと建築を専門にやってきたんで、自分の家はハウスメーカーではなくて、思い入れを持ちながら木造でやりたいなと思って。たまたま先祖が植えた山の木があって、それをできるだけ使おうと。今でこそ木や古民家については詳しくなったんだけど、その時は漠然としていて、木造の知識もほとんど無くて、実はめちゃくちゃ不安で。だから専門家にいろいろ聞きに行って教えてもらいながらでした。

でも、いざ建ててみたら、その結果にすごく満足感があったんですよ。「これは他の人でも同じなんじゃないか?」と確信があった。なので、まずは地域の中で非営利の活動として広げていこうと考えました。僕は設計事務所をやっているわけでも、工務店を経営してるんでもないので、回りにいる関係者でチームを作ろうと思って立ち上げたのが「安曇川流域・森と家づくりの会」です。安曇川の流域から伐り出される川上の木を、川下で使うという。おもしろいでしょ?
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自分の想いを実現するために、エーゼロを利用させてもらいます

– 高島の地域で育った木で自分の家を建てたり、それを地域の中でも広げていくことで、清水さんがやりたいこと、必要なことの輪郭がはっきりしてきたということですね。それが、里地里山での暮らしや仕事を豊かにしていこうという、エーゼロへの参画にもつながっている。

清水:「経済的に自立するのはこれからでも、地方で勝負したい」という可能性のある若い人たちをずっと受け入れてきた牧さんと、同じ想いでやれるのは大きいですね。これは牧さん公認なんやけど、僕はね、自分の想いを実現するためにエーゼロを利用させてもらえたらと思ってます(笑)。西粟倉はあれだけ移住者を呼び寄せる魅力があって、周りからも評価されてますから、力を貸してもらえた方がメリットが大きいですよね。

僕は公務員をずっとやってきたんで会社の経営に詳しくはないし、資金もない。僕が得意とするのは、高島の多くの人とのつながりとか、住宅に関しての建築的な知識と経験があること。こんなふうに牧さんと僕がやりたいことが一致していて、それぞれの得意なことで互いを補い合っていることもおもしろいですよね。

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まだ知らん人も多いかもしれないけど、高島だって西粟倉に負けないくらい魅力的なんですよ。京都や大阪の都心までアクセスしやすい上に、自然との距離もすごく近い。湧き水も豊富で、身近に水のある暮らしを営んでいるんです。ここにある文化や人について、しっかり発信していくことができたらそのうちに成果は出てくるんだろうなと。それをやろうと思って、いよいよ実行できるタイミングが来てると思うんです。

– 満を持して、高島のことをもっと知ってもらおう、ということですね。清水さんはどんな立場になっても、ご自身も楽しみながら高島の良いものを次の世代につないでいく取り組みを続けられるのだなと感じました。役所だろうと民間だろうとあんまり変わらないというか、いい意味で我が儘ですよね。

清水:そうかもしれません(笑)。僕は自分の想いを実現するために事業を進めようとしてるところもあるけど、地産地消の家づくりに共感してくれたり、高島に住みたいと思ってくれる人のことも本当に大事です。なんかね、移住者の皆さんとおつきあいしているとつくづく思うんですが、皆さん気持ちが前向きなんです。誰でも、今住んでいるところから、他のどこかに移住しようと思ったら人生の一大事だし、すごい決心がいるはず。そやから移住して来た人はパワーがあるし、想いが強い。

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僕みたいに、生まれた土地からあまり動くこともなく、それなりに仕事があると、何かアクションを起こす強い意欲を持つ機会って実はほとんどないんです。イベントなどの人が集まる機会に来るのも移住者が多いし、ある程度自信や力があって、地域に入ってきてる人も多い。そういう人、いわゆるよそ者が地域を変えていくと思うんです。西粟倉もそうじゃないのかな。僕らの事業を通して、高島でもそういう人たちがもっと増えていったらと思っています。

– 移住って、古民家を直さなきゃいけないとか、DIYができなきゃいけないとかで、少しハードルが高く感じていた人もいますよね。仕事があっても、家が見つからずに移住できないという場合もある。この「小さな木の家」の事業が、そんな現状を変えていくきっかけになればと思います。楽しみですね。