岡山県

西粟倉

にしあわくら

「美しい山を後世に残すために、今を生きる人間がやるべきことをやるだけ。」株式会社青林・青木昭浩さん

「百年の森林構想」が始まるずっと以前から、山での作業道づくりをしてきた青木昭浩さんは、生まれも育ちも西粟倉。「百年の森林事業も自分もまだまだこれからじゃ」と厳しいスタンスを崩さないのは、地元を愛すればこそだ。
2017年には株式会社青林を起業。この年に移住者の若者が立ち上げた株式会社百森とも協働を始めた。青木さんは「林業には時代ごとの役割がある」と言う。世代が違えど同じ時代に生きる同志とともに大きな役割を果たし、百年どころか江戸時代の昔から受け継がれてきた西粟倉の森の行く末に思いを馳せる。

 

「百年の森事業は、ちゃんと続くんかな?」と思った。

– 青木さんは、生まれ育ちが西粟倉だったんですよね?
青木:そう、親から代々じゃなあ。土木作業員みたいなことをし始めたのは高校を出て半年くらい会社勤めした後。知人に声をかけてもらって、土木会社で働くために5年くらい倉敷に出たんよ。そこで重機のオペレーションも覚えたかな。
西粟倉に戻ったのは、長男じゃし、ゆくゆくは家を継がないかんかったしな。まあ、西粟倉が好きじゃけ。

– 西粟倉に戻ってきたのは30歳前くらい?
青木:うん。28とか29歳のとき。帰ってきて、また土木会社に就職して、一般道を作ったり、「山に道を入れてもらえんか?」ってことで、ちっちゃい作業道も作ったりもしてた。
そのうち自分で会社をやりたいとも思っていたから、35歳くらいに辞めて、退職金の140万円を元手に少しお金を足して小っちゃい重機を買って始めたのが「青木林業土木」の始まり。もともと重機に乗るのが好きやし。従業員雇って県外でふたりで作業道作ったり、遊歩道を作ったり、西粟倉では森林組合さんにもお世話になったな。
百年の森林事業が始まってからは、まあとにかく作業道ばっかりやらしてもらってきたわな。わしが作った道に森林組合が入って、間伐した木を出すっていうのが一連の流れ。

– 百年の森事業が始まった当初は、どんな印象を持ちましたか?
青木:う~ん、正直なところ、ちゃんと続くんかな?と思った。計画が杜撰だなという印象を受けたんよ。村有林と民有林の間伐をしていこうということだったけど、村有林は村さえOKを出せば、道も作れるし木も出せる。でも、村有林の割合は全体の1/4とか1/5しかないじゃろ。村有林の間伐が大体終わったあと、民有林の間伐を進めていくための山主さんへの説明を役場職員数名だけでやろうとしていたし、しかもそれが地元の人間じゃなかったもんだから、そりゃあ田舎の人間は「おめえ、誰なん?自分の山はやってもらわんでええわ」となる。そういうのを見てきて、この事業は継続できるんか?と。

丁寧に作業を進める作業班。

– なるほど…。そうしたやり方に疑問を持つ一方で、「100年後の森に対して今できることをやっていこう」という百年の森事業のビジョンそのものに対してはどう感じていましたか?
青木:ビジョンか…。ええことはええことや思うねん。ただ、当初「ガイアの夜明け」とかメディアに取り上げられて、放送内容に対して実際の中身が伴ってねえんじゃねえかって怖さも感じた。それは正直今でもあるで。でも段々実態が伴ってくるような感じもしてきよるんじゃけど。でもまあ、これからじゃねえかな。

 

いかにいい仕事をして、山主に認めてもらうか

– 2017年に株式会社青林を作った経緯はどんなものだったんでしょうか?
青木:個人で青木林業土木を始めて、それから9年くらい百年の森林事業と足並み揃えてやらしてもろうてきたわけじゃけど、4、5年経った頃から、「もう、会社をつくろう」って思いよったけん。「作業道を作るところから間伐、木出しまで全部をやりますよ」っていうことをしたくて起業したわけなんや。
というのも、わしが山になんぼいい道を作っても、最終的に大事なのはそこから出す木の品質じゃろ?やっぱり自分の関わる山からは‟これはええわ”って褒められるものを出したいし、そうしたら山主さんにも喜んでもらえる。自分で会社作ろうと思うようになったのはそういう理由や。

事前に考えた計画を、現場ですり合わせながら作業を進めていく。

– これまで主に作業道づくりをやってきた青木さんが、間伐して木出しまでやるとすれば、新たな重機の購入や、そのための技術も必要だったのかなと思います。
青木:そうや。機械もたくさん買わないといけないし、全部で5000万円以上になるしな。やるとすればわしもそれなりにハラをくくらにゃいけんかった。
技術に関しては、簡単に言うたら丁寧にしたらできるんよ。伐った木が谷にまっすぐ転ぶかどうかも技術だし、急斜面だとスギなんかは滑って落ちていってしまう。だから斜めに倒したりして、落ちんようにする技術もあったりする。
あとは伐った木の幹がほかの木に当たらんくても、枝がこすれて表面の皮を剥いてしまったりする。だからそうならないように先に枝をチェーンソーで払っておいて、幹だけあとから引き上げるようにすればキズは入らん。簡単なことなんじゃ。それをめんどくさがると、木にキズが入る。先に枝を払うためにチェーンソーを回すと余分な燃料も人件費もかかるけどな。
それに悪い噂が立ったら百年の森事業自体にも大きく影響しかねないしな。

– そういった手間を引き受けてでも自分で会社を作って全部やろうとしたのは、結局は山主さんのため?
青木:そうや。山主さんだって、もしも自分の山から出す木にキズを入れられてしまったら怒るじゃろ。「もう百森になんか間伐をさせるかい」ってなるわ。それが一番わしらは弱るしな。自分らの仕事にも直結することじゃけん。

購入した重機で道を切り開く。

なんの仕事でもそうだけど、そもそもお客さんあっての商売じゃから。山主の立場になってやらんと、この事業は続かん。もう村有林の間伐はほとんどやってしまってるんやからあとは民有林。その民有林でいかにちゃんといい仕事をして山主に認めてもらっていくかだから。
そうやって会社を作ろうとしてるときに、ちょうど「百森の会社をつくります」って、田畑と中井が来たんや。そしたら一緒にやるしかねえわな。あいつらにははじめからいろいろと任してるけえ。…ようやってくれるでえ。

– 田畑さんと中井さんと一緒にやろうと思ったのは、ふたりの話のどこにピンときたからだったんでしょう?
青木:最初は「誰じゃ?」と思うてな。それでふたりと、事務所でしっかり話したときに、「お前らこんなとこで会社をやろうなんて変わっとんなあ」から始まって。…まあでも、これっていう決め手があったっていうよりも感覚じゃろうな。「こいつらに賭けてみよう」と。やっぱり熱量を感じたんじゃと思う。でないとわしも踏ん切りつかんわな。それと、今まで百森の森林事業と関わってきたなかで、現状をもっと良い方に一緒に変えていきたい思いがわしは強かったし。
だから、ふたりがこのタイミングで現れたのも、‟運命的”というたら大袈裟やけども、「やれ」ということなんかなとわしは思うたな。

– 青木さん自身もずっと温めていた思いがあったわけですもんね。だからなにか大きなものから「やれ」と言われているように感じた。
青木:そう、わしはどっちか言うたら直感で生きてる人間じゃけ、やるんだったらやってまえっていう考えじゃ。ここまできたら後戻りできん。逆に言うと、あえて自分を追い込んでいかんと自分が動かんけえ。…「ドМ」なんかな。みんなには「S」って言われるけど、実際は「ドМ」かもしれん。

– 自分を追い込んだあと、前向きに行動をする姿が、人からは「S」に見えるんだと思います。自分で自分を追い込むという内面的な行為は「M」なんでしょうね。従業員を雇うと、「やらないといけない」と追い込まれる面も大きいでしょうしね。
青木:そうや。ほんま、嫁の稼いできた給料をそのまま従業員の給料にしたりとかもあったな。まあでもな、こっちが「働いてください」ってお願いしてるんじゃから、身銭切ってでも払うのが当たり前じゃけん。…けどまあ、みんなよくやってくれるんでなあ、助かる。

 

まず西粟倉ありき、そして百年の森林事業ありき

– 百年の森林事業のビジョンとは別に、青木さん自身のビジョンというのはどんなものなんでしょう?
青木:そうやなあ、わしが株式会社青林を起業するときに一番考えたのは、うちの会社と西粟倉の知名度を上げていきたいってこと。全国から注目される村であり、事業体。もちろん事業としては西粟倉にとどまらず、エリアも広げてやるつもりでおるけど、そうは言ってもまずは西粟倉が大本じゃし、ホームじゃけえ。青林と西粟倉が足並み揃えて上がっていけたらええな。もちろんほかの事業者さんともな。
ぶっちゃけ、鳥取のほうで「うちに来たら年間契約でびっしり仕事を入れるで」と言われたこともあった。めちゃくちゃええ話やで。でも、鳥取でびっしり仕事を入れたら、西粟倉でなんも仕事ができんくなる。だいぶ葛藤したわな。

– 地元(西粟倉)を取るか、お金(鳥取)を取るか…。
青木:金のことだけ言うたら鳥取の方が楽勝やで。なんの心配もせんでええんじゃ。…やっぱりドМなんじゃろうなあ、それで西粟倉を選ぶんじゃから(笑)。でも、西粟倉がこの百年の森林事業をしてなかったら、たぶんなんにも悩むこと無く鳥取を取っていたと思う。

– そう考えると、青木さんにとっても百年の森林事業は大きいですね。
青木:うん、大きいで。西粟倉で、百森の仕事ありきで鳥取に進出するっていうのはわしのなかでは‟アリ”なんじゃけど、百森の仕事無しに、西粟倉以外で仕事するっていう選択肢は無かったからな。

志を共にする、大切な仲間。

– 仕事をしていて気持ちのいい瞬間はありますか?やりがいであったりとか。
青木:やりがいか…。まあこれは山をやっとる人間じゃないとわからんと思うけど、山がきれいになるのはごっつい気持ちええよ。
今まで陽が当たらんかったところにうまいこと日光が入ってきたりとか。うまい間隔とバランスで間伐ができたりするとパッと山を見たときに「やった感」があって気持ちええね。

民有林の山主さんで作業後の山をよく見に来られて「ええがな。きれいになったなあ。」って言ってくれる人もおるし。気にする人は十回でも二十回でも来るんや。重機で道を作ってたら知らん間に後ろにおって驚くこともあるけど。やっぱり、気にして見に来てくれるのはうれしいで。
わしらの年代はこまい(小さい)頃から山に入って走り回っとったんだわな。山鳥を獲っちゃろうと思って竹とかでワナをつくって仕掛けて遊びよった。
でも、まさか自分の遊び場が職場になるなんて子どもの頃は思うとらんかったなあ。この上の山に2500mくらい道を作ったんやけど、それがまさに自分が昔遊んどった山で「ここで昔こんなことしよったなあ、あんなことしよったなあ」って思いながら道を入れよったな。やっぱり山が好きなんやろうな。

 

ほんまの結果が出るのは、死んだあと

– 最後になりますが、百年の森林構想がひとつのゴールと設定した2058年、西粟倉の森はどんな状態になっているのが理想でしょう?
青木:そうやなあ。もちろん、先々も美しい山が健在していることを願っとるけどな。木を伐るだけじゃ百年の森林にはならんし、ゆくゆくはその先のために木を植えていかなあかん。何十年スパンの長いローテーションやな。
2058年はわしは80歳代だけどな、でもな、ほんまの結果が出るのはわしらが死んだあとなんじゃ。山ってそういうものなんよ。スパンがとにかく長い。
今わしらが山のことを手掛けていかんと、絶対に美しい山は後世には伝わっていかんし、わしらの時代でストップしたら、そこから先はもう無くなる。その時代を生きる人間が次々と代替わりしてやっていくことじゃな。明確なゴールがあることよりも難しいかもしれん。

遠い未来を見据えながら、作業に向かう。

– 美しい山を維持し続けるという仕事には、終わりが無いですもんね。
青木:そうじゃ。木を伐りすぎて無くなったら災害が起きたりもするし、かといって伐るばっかりでもあかん。適度に木を残しながら間伐して、草刈りなどの整備もしながら次の苗を植えていかないかん。たまたまわしらの世代は、木を伐って出していく世代なんやな。だから、自分らとしては今は純粋に、山の整備して、好きな重機に乗って、気心の知れた従業員を食わしていくこと。それができて、次の世代を育てていけたら一番ええと思うわ。

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