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都会の大家さんも西粟倉村の挑戦者。青木純さんと西粟倉村の『共鳴しあう本気』

メゾン青樹の青木純さんは日本の賃貸住宅の常識を変えた素敵な大家さんです。2013年、青木さんが大家のマンション『ロイヤルアネックス』に西粟倉・森の学校の『ユカハリタイル』を採用して以来、青木さんがオーナーを務める物件の多くは西粟倉村産のヒノキを使っています。『原状回復』が原則の賃貸住宅に、傷つきやすい無垢フローリングを採用することや、国産の建築材としてけして安くはない西粟倉村の木材を選ぶことは、大家としてリスクが高いことです。それでも西粟倉村の木材を重宝しつづける青木さんの、とっておきのおはなしをご紹介します。
 

暮らしの自由の救世主

– 青木さんといえば、住人に寄り添う大家さん。青木さんがオーナーをつとめる東京・東池袋『ロイヤルアネックス』は、賃貸住宅であるにも関わらず、住まい手が好きな壁紙が選べます。さらには青木さんと一緒にリノベーションを相談することも可能。青木さんは「借り手は退去時に原状回復義務がある」という既成概念にとらわれない、暮らしの自由を保証する大家さんなのです。

そんな青木さんの物件で多く使われているのが西粟倉・森の学校の『ユカハリタイル』と『ユカハリフローリング』という、賃貸住宅でも無垢材のフローリングで暮らすことを可能にする商品です。青木さんが『ユカハリタイル』を知ったのは、壁紙が選べる賃貸『カスタムメイド賃貸』や、住まい手の理想を住まい手、オーナー、デザイナーが力を合わせてカタチにしていく『オーダーメイド賃貸』をはじめたばかりの2012年でした。
 


青木: 2011年4月に『ロイヤルアネックス』の『カスタムメイド賃貸』や『オーダーメイド賃貸』をはじめて、僕が大家として住まい手と暮らしをつくる中、賃貸住宅のリフォームによく使う建築資材は「冷たい」と感じるものばかりでした。賃貸住宅で暮らす場合、合板やビニールクロスなど、冷たいものに囲まれて暮らさなければならないのは、せっかく自分の物件に住んでもらうのになんだか寂しいなぁと思っていました。1年くらいが経ち、住人ともっと密に暮らしの場をつくろう、そして暮らしにもっと本物を取り入れたいと強く感じていました。

– そんな時、青木さんはHOME’Sの『暮らしといっしょ』というWebマガジン(現在閉鎖中)で西粟倉村のことを知ります。過疎の村の生き残りを賭けたストーリー、そして『百年の森林構想』のことを知り、岡山県の片隅にある小さな村のひたむきな姿に胸を打たれたといいます。

青木:僕は、北海道富良野に縁があって、空が青くて澄んでいて、緑がみずみずしいことに憧れるし、その中で暮らす人々にも惹かれます。自然の中で暮らす人達とつながってモノがつくりたい。西粟倉村の記事でヒメホタルが飛ぶ様子などを見ているうちに「ここで生まれたものを使いたい」と率直に思いました。

– 住人のために、小さな森林の村のために、そしてなによりも自分自身のために、ここの木を使いたい。そんな淡い希望を抱いた時同じくして、「R不動産 toolbox」が西粟倉・森の学校の『ユカハリタイル』を取り扱いをはじめます。部屋に置くだけで無垢フローリングを可能にする『ユカハリタイル』。家具のように持ち運ぶこともできるため、賃貸住宅にはうってつけのプロダクトです。

青木:僕が西粟倉を知った頃、実は少しだけ、壁にぶつかっていた時期でした。大家と住人が一緒に壁紙を選んでいるけれど、元々、原状回復のためにクロス替えでお金がかかっていたところをローリスクで住人に選んでもらう仕組みを転換しただけだといわれて。「選んだ壁紙に住まわせてくれる、甘やかし大家さん」みたいな。実際は、住人もただ大家さんに壁紙を変えてもらうだけではなく、自ら照明を変えたり、家具を揃えたりして、よい暮らしのためにお互いアイデアを持ち寄っているのに、それがなかなか伝わらないのがもどかしかった。

そんなときに出会った『ユカハリタイル』は、家具のように住人自らが投資をして暮らしを整えていくアイテムとして素晴らしいと思いました。

– 壁や床は家の一部で、照明や棚は家具。それらはすべてひっくるめて「暮らし」なのだと青木さんは言います。青木さんが、大家として自由で快適な暮らしの提供へ、またもう一歩踏み出したいと思っていたときに現れた『ユカハリタイル』。救世主ともいうべきプロダクトを生み出したひとに会いたい、青木さんはそう思い立ちます。
 

– 思い立ったらすぐ行動する大家さん、『ユカハリタイル』を製造・販売している西粟倉・森の学校の取締役社長(当時)、牧大介さんにアポイントを取ります。青木さんが牧さんとはじめて会ったのが2013年の4月10日のことです。
 


青木:ただ無垢のフローリング、というだけではなく、プロダクト自体に心あるものを使いたかった。『百年の森林』を美しくする使命を持つプロダクト、使えばつかうほど森が綺麗になるなんて、本当に豊かなことです。

だから、牧さんの人となりが僕の思った通りの人であれば、西粟倉村の『ユカハリタイル』に加えて、本格的に『ユカハリフローリング』を使おうと決めていました。そして実際にお会いしてすぐに意気投合しましたね。そして、年齢は近いけれど、この人はずいぶん先を行っているなとも感じました。

– そのとき初対面だった牧さんに青木さんは宣言します。

「わかりました。僕は、これから西粟倉村の床しか使いません」。

これが、西粟倉村と青木さんの新たなイノベーションが生まれた瞬間でした。

 

西粟倉村の床しか使わないという本気

 


青木:はじめて会った時、10分くらいしか話せなかったけど、言っちゃった(笑)。牧さんの顔見たら伝えたくなっちゃった。僕は牧さんのところの製品を全部使いますって。僕、嘘じゃないよ、本気だよってすぐにリアクションしたくなっちゃうんですよ。気持ちを早く伝えたかった。

– 新たな暮らしの自由へ踏み込むためのプロダクトとして選ばれた『ユカハリタイル』は、以前から『カスタムメイド賃貸』で使っていましたが、今度はより本格的な『ユカハリフローリング』を『オーダーメイド賃貸』へ本格的に導入するそのとき、予想外の問題に直面します。

青木:『オーダーメイド賃貸』のデザインパートナーである夏水組の(坂田)夏水ちゃんが、『ユカハリフローリング』に対して、若干、懸念を示しました。「床があばれるかもしれないし、メンテナンスも大変だよ」って。あと、無垢の床を貼ると、巾木(床と壁の継ぎ目で、壁の最下部に取り付ける細長い横板の事)も木でなければ、格好がつかないので、ただ『ユカハリフローリング』をひくだけでは済まないことも指摘されました。青木さんのチャレンジだから、施工費は心意気でなんとかなるかもしれないけれど、どうしても材料費はあがってしまうよって。ぼくのことをいつも一番に心配してくれる夏水ちゃんならではのアドバイスでした。

– それは、既存路線の賃貸住宅ではあり得ないリスクです。それでも青木さんは、そのリスクを知った上で、改めて挑戦する気持ちになったといいます。『ユカハリフローリング』がはじめて青木さんの物件で採用されたのは『ロイヤルアネックス』の『オーダーメイド賃貸』4軒目、cocoroという部屋です。

青木:僕自身が自分の物件に直貼りする『ユカハリフローリング』を採用する覚悟ができたので、ぜひこの部屋で使わせてくださいと住人にお願いをしました。

「これからは「賃貸住宅」という言葉をなくしたいと思います。人が暮らすところはすべて「家」。そして「家」は心から気持ちよくなければいけない。素足で歩いても五感で気持ちよいと感じられるものをこのマンションでは使いたい。『オーダーメイド賃貸』ですが、床材にコストがかかるから住人の自由度は減るかもしれない。けれど、この思いに共感してもらえないですか」と。お願いだけど『ユカハリフローリング』を物件に使うことは絶対譲りません、とも申し上げました。もうお願いじゃないですね(笑)。住人さんには、西粟倉村のことや『百年の森林構想』のことも丁寧に説明して「いいですよ」ってお返事をいただきました。

– この物件を皮切りに、青木さんは牧さんに宣言した通り、自分の物件に『ユカハリフローリング』を使い続けています。住人たちには、必ず西粟倉村のはなしと『百年の森林構想』のはなしをするといいます。そうすることで住まい手の暮らしが一層豊かになるのだといいます。そして、住まい手も、西粟倉の床を慈しんで暮らします。それは、ヒトにとってもモノにとっても幸せなことです。
 


– はじめて『ユカハリフローリング』を使ってみたときのことを伺うと万遍の笑みを浮かべて「抜群に良い」と青木さん。手触りは予想していたけれど、青木さんが特にすばらしいと思ったところは香りだといいます。

青木:『ユカハリフローリング』をひいた部屋のドアを開けた瞬間、「あ、家になった」と思いました。床を無垢材に変えただけで劇的に印象が変わりました。

ただ、ワイドスパン(広い間口7~8メートル以上の住戸)の木材が流行っていた風潮があって、針葉樹だから薄いし、短いから実際見た時は「これだけの幅なんだ…」って思ったかな。リノベーション系の雑誌に載っている部屋は幅広のオーク材を使ったりしているでしょ?あれを使うとヴィンテージ感が出るからどうかなぁと思っていたけれど、『ユカハリタイル』を使ってみて、そういうのはもういいかなと思い直しました。カフェっぽい部屋とかもういい。だって家じゃん。家なんだもん。まずは心地よくないとね。

– この頃から青木さんは、「大家さんの仕事は暮らしの舞台づくり」と言うようになります。暮らしを構成するアイテムは「気持ちいい」が基準で、気持ちいいもので住まいを構築したい、そんな大家さんの賃貸住宅には、いつしか空室待ちの行列が出来ました。

青木:最初は自分の思いから、みんなを巻き込んでユカハリを使ってみたけれど、実際にその床の上で暮らす人から「朝起きて、ベッドから降りて床に足をつけたとき、冷たくない。あったかい、というかぬくもりを感じる」と、『ユカハリ』をぬくもりのあるアイテムだと言ってくれた。住人にそんなことを言ってもらえたら、もう、涙出ますよね。国産で、木に物語があって、生産地と繋がれているものを、僕の大切な住人たちに使ってもらえる。大家としてこんなに幸せなことはないですよ。
 


 

日々の積み重ねが価値になる木

– そして、青木さんがオーナーを務めるもうひとつの賃貸物件が『青豆ハウス』です。『青豆ハウス』は、新築賃貸物件で住まいをもっと楽しんでほしいという想いから生まれた共同住宅。みんなで育てる共同住宅をコンセプトに、建築中から入居を検討している人、ご近所まで一緒に楽しめるイベントを開催するなど、まちの一部として機能します。

『ロイヤルアネックス』は、青木さんが先代の叔父から受け継いだ物件ですが『青豆ハウス』は、青木さんの思いをのせて一からつくった賃貸住宅。入居者は部屋の壁を好きな色に自ら塗装したりセルフリノベーションが自由にできるなど、新築分譲物件以上に“自分らしさ”を演出できる物件を提供します。ちなみに青木さんもこの物件に住み、大家兼住まい手として豊かな暮らしの実践場として機能しています。
 


青木:『ロイヤルアネックス』で『ユカハリ』を何部屋か採用していくうちに、『青豆ハウス』の床は西粟倉村のもの以外考えられなくなりました。部屋の中の床材としてはもちろん、ひのきのユカハリを外のウッドデッキにも使ってみないかと『青豆ハウス』の建築家の大島さん(大島芳彦/ブルースタジオ)と盛り上がりました。とはいえ、元々室内用の木材。「一回冷静に考えてみよう」と、自分たちの五感で確かめるべく彼と一緒に西粟倉村に行きました。西粟倉村や百年の森林を見てその背景にある物語をしったら、ぜったい「やろう」と即答するとおもっていた僕の予感は的中。西粟倉での初日にしし鍋食べて、陥落(笑)。むしろ冷静じゃなくなっていたのは大島さんの方だったかもしれません(笑)。「外も西粟倉の木にしようよ、中途半端なのはやめようよ。中と外の関係性も大事にしたいから違わないほうがいい。ひのきはお風呂にも使うし、水に強いと思うんだよって。工事する職人さんがすごくいやがって、外に使うものじゃないから滑りますよって。それは建築の常識だったけれど滑り止めをつけてでも使おう。使っちゃうぞっ」て(笑)。そんなこんなで『青豆ハウス』の床はすべて西粟倉産になりました。

– …大家さん、挑戦しすぎです。『青豆ハウス』で使われた西粟倉村産木材の総量は4mの直径24cmの丸太で換算すると45本分になります。実際には製造工程で大鋸屑になる部分等商品にならない割合が70%程度あるので、実際に生産するのに使用した丸太の本数は約136本になります。西粟倉・森の学校でも歴代最高の搬出量です。

 

– では、実際に、西粟倉村の木に囲まれる生活はいかがでしょう?

青木:最高です。うちの床は、猫2匹飼っているから、傷だらけのボロボロなんだけど、無垢材だから、木からオイルが出てきて、飴色になっていい感じですよ。牧さんも(井上)達哉(西粟倉・森の学校 代表取締役社長)も「みんなにこの状態になったユカハリを見せてあげたい」と言ってくれます。無垢材はとても綺麗だから、はじめは神経質になってしまうけれど「木は変化するもんだし、無垢なんだもん、当たり前じゃん!」って思うと傷すら愛おしくなるから不思議ですね。

青豆ハウスは「育つ賃貸住宅」って銘打った瞬間から「経年有価」と表現することを決めていました。人の暮らしの積み重ねを劣化というのはちょっと寂しいでしょう?本物を使えば、日々の積み重ねが価値になる。すべてにおいて。もちろん床も。その経年有価にふさわしい変化を、西粟倉村の床はしてくれています。それを噓偽りなく表現することができる床材だということです。

– 西粟倉・森の学校で『青豆ハウス』を担当したのが、西粟倉・森の学校の井上達哉さん。新築賃貸物件を建てる長いプロジェクトのなかで、井上さんとの交流も得難いものだったといいます。

青木:(井上)達哉はよく『青豆ハウス』に足を運んでくれました。材木屋さんが搬入したあとも足繁く通ってくれるなんて普通ないでしょう?住人達で、壁を塗装するときも来てくれてね、床じゃなくて壁なのに(笑)。青豆ハウス全員とごはんを食べる最初の場にも達哉がいて、「ここは奇跡の賃貸住宅だ」ってみんなに言ってくれた。これに関わることができて僕は幸せですと。そのとき、『青豆ハウス』を通じて西粟倉村とまた深くつながったんだなぁって。達哉との交流で、僕はもう、西粟倉・森の学校の一員みたいな気持ちでいた。勝手に(笑)。
 


牧さんは人の話をじっと訊いて、的確なコメントを返してくるタイプなんだけど、達哉は、「井上ですぅーーー」ってぐわっと懐に入る、みたいに食い気味にくる(笑)。彼は森がとても好きだし、自分のまわりも愛していて、それがすごく伝わってきた。うちの床にユカハリを貼った時も「うれっしいなぁ、うちの商品をこんな全面に貼ってもらえて」っていいながら、物件の床に頰ずりしそうになっていたから、「じゃあそこで寝そべってみて」っていうと、本当にゴロって寝そべるの。その姿を見た時、彼が、森で寝そべるときもこんな顔をしてるんじゃないかなと思った。それくらいとても自然で柔無くて。僕はそんなプロダクトを達哉から買ったんだなぁと思ったら心が震えた。彼からものを買ったら幸せだなって思わせてくれた。本当にありがとう。そして、僕が会った中では、達哉が一番、西粟倉村の力を信じていると感じます。百年の森林から出す商品に誇りを感じるのは、信じているから。そこに理屈はなくて、彼は可能性を信じ抜いている。西粟倉村の力自体は、僕はそこまで計り知れないけれど、彼らの一途さは、僕も信じられる。

そして、牧さんや達哉には、本気のひとの覚悟をすごく感じた。やり遂げなければならないものを背負っている本気。それを彼らからも、プロダクトからも感じました。

– 青木さん自身、本気で日本の賃貸住宅のしくみを変えたいと、覚悟をもってやっているからこそ、立場は違えど、彼らの本気と共鳴します。そして青木さんは、未来を指し示し、鼓舞するのです。「日本の賃貸住宅の床を全部、西粟倉村の木に張り替えられたら幸せだ!絶対広げる、一緒に広げよう」と。
 

懐かしい故郷は、未来の自分の居場所になる

– 青木さんが西粟倉村を訪れたのは2回。昨年は『青豆ハウス』の生まれ故郷を見に行こうと、『青豆ハウス』の住人たちと訪れました。
 


青木:西粟倉村は行くと、故郷感がとても強くて、「帰ってきた」と思ってしまう。もちろん自分達が住む『青豆ハウス』の木材の故郷だからっていうこともあるし、特別感がまったくなかった。自分達が暮らすところの原点を見に行って、また改めて、『青豆ハウス』に暮らす。日常の尊さを確認しにくる旅でした。

– 青木さんたちは、西粟倉・森の学校をはじめ、西粟倉村のローカルベンチャーも多く尋ねて、挑戦者の村たる所以を体感しました。岡山の山奥で起こるイノベーションの感想を伺うと「必然じゃない?」と青木さん。

青木:出来るか出来ないかではなく、「やるんだ」っていう思いがベンチャースピリット。「やるんだ」「やらなければならない」、その本気度の純度の高い場所が西粟倉村。起業家たちの暑苦しい感じとか、そういう求心力をもったひとが一人でもいると、それに引き寄せられてひとが集まります。僕も引き寄せられたのだと思います。
 


青木:林業において、生産量とかノウハウは他所にいくらでもアドバンテージがあるかもしれないけれど、他所にないものが、西粟倉村にはあるから。こんなに人々の心を動かすものは、大丈夫。志のある理念があって、それぞれが夢を叶えにきている土地だから、「西粟倉産」がブランドになる時代がすぐそこまでやってきていると日々感じています。西粟倉がいいものを生み出せば生み出すほど、身近に感じられます。

これからの日本の縮図を西粟倉村が先に実践しているから、希望を見出したい。僕にとって西粟倉の木を使うということは、究極のクラウドファンディングだと思っていて、心から西粟倉村を応援したいと思っています。

– 西粟倉村で挑戦する人々を紹介する「挑戦者たち」ですが、西粟倉村の挑戦が成り立っているのは、西粟倉村の外で西粟倉村の価値を見出して応援してくれるひとがいるからこそ。そして、挑戦者を応援する彼らもまた「挑戦者」なのです。

さて、青木さん。今年はどんなイノベーションを起こすのでしょうか?

青木:そうだね、西粟倉村に『青豆ハウス』を作ろうか?
 

– 大家さんが巻き起こすイノベーションは、西粟倉にとって、今年一番のビックニュースになるかもしれません。