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西粟倉

にしあわくら

挑戦者が増え、とうとう待機児童まで。厚生労働省のものでも、文部科学省のものでもない、西粟倉村の教育のカタチ。

西粟倉村では“西粟倉生まれ/西粟倉育ち”の子どもが増えています。少子高齢化が著しい地域社会において、これはとても稀で幸福なケースです。西粟倉村の場合、若い世代が挑戦の場としてこの村を選び、移り住んでいることが子どもの人口増につながっています。だからこそ、より重要になってきた村の子育て環境の進化。豊かな自然があり、公民協力できる土壌があり、挑戦者が集う村だからこそ、生まれ得る教育の姿とは何か?今回は、この村のローカルベンチャーとしてチャレンジしながら、子どもを育てる「お父さん・お母さん」に、西粟倉村の教育環境によせるジレンマや期待をお伺いしました。

 

西粟倉村の子育て環境の魅力と課題

– 西粟倉村は『百年の森林構想』を掲げ、50年後の未来へ子や子孫に森という資源を残していくという理念をもって村づくりが進められています。その中核を担うローカルベンチャーの挑戦者たちは、その森を手渡すべき子どもを育てている真っ最中です。2010年に大阪府から西粟倉村へ移住。現在、西粟倉・森の学校(以下森の学校)のデザイナーとして活躍する西岡真生子さんは二児の母。上のかんたくんは西粟倉村立西粟倉幼稚園の年長さん。下のそうたくんは2歳で、村内唯一の託児所(無認可)に通っています。

西岡:ここには美しい森林があって、きれいな川があります。夏は子どもたちと釣りをしたり、冬は雪で遊んだり、豊かな自然で遊ばせることができるのがなにより大きいです。移住者ですが、子どもがいると否が応でも地域とつながりますから、普通に移住するよりも地域に溶け込むのが早かったと思います。

– しかし、縁もゆかりもない土地での子育ては不利なことも多々あります。やはり一番大きいのは、近くに祖父母や親戚がいないこと。特に共働きの夫婦にとって、子育てを支えるジジババの存在は神にも勝るありがたさなのはいうまでもありません。地縁の薄さをカヴァーするには、公共サービスに頼る部分が大きかったといいます。

西岡:西粟倉村には、0歳から幼稚園入学前まで預けられる託児所、幼稚園、小学校、中学校、児童クラブがそれぞれ1つずつあります。うちはおじいちゃんやおばあちゃんがいないから、働いている間、子どもを預かってもらえるところがあることが、まず助かっています。
そして西粟倉は保育料が安い!託児所は1人目が月額8,000円。2人目以降は保育料の減免があります。幼稚園は月額2,500円。信じられない(笑)(詳しくはこちら

 

そこに給食費や遠足の積み立て、預かり保育の月謝を入れても、子ども1人につき10,000円以内です。大阪の保育所に比べたら破格の値段で感動しました。

– 施設や制度などをみると、西粟倉村の子育てに対する意識はとても高く感じます。ハード面だけみると「子どもは宝」そして「親への子育てサポート」を感じさせるのですが、ソフト面、つまり教育内容はどうなのでしょうか。

西岡:地域の方々が保育に参加してくれることが多々あってほっこりしますよ。農家さんがいちご畑で無農薬のイチゴをとらせてくれたり、ブルーベリーをとらせてくれたりすることもあります。日本茶のお作法、田んぼの中で手品を披露してくれるおじさんとか(笑)。アットホームなところは、田舎ならではです。託児所も幼稚園も、子どもを守ってもらえるという意味で安心はしているけれど、「こうして欲しいな」と思う事もあります。
託児所はよく散歩をさせてくれているけれど、中遊びにしても外遊びにしても、もっと西粟倉の自然を取り入れて欲しいと思います。おもちゃがいっぱいなくても、外で拾ってきたものが遊んだり作ったり。幼稚園は散歩に行っていないようなので(自然の中での園外活動が月一くらい)、もっともっと自然と遊んで欲しいです。体力も出て来て、感受性も豊かになってきているときだからこそ、身体で感じて、心で想って欲しいです。

 

 

– それは、子どもの安全を最優先させた結果、敷地内の保育がメインだといいます。移動手段もほとんどが車です。この美しい森に囲まれた村で、園外保育がほとんどない西粟倉の幼児教育という現状はとても惜しい気がします。

西岡: 先生たちはとても一生懸命みてくださっているのはわかっているし、いつも感謝しています。なによりも私たちは託児所や幼稚園がなければ仕事ができません。それでも、預かってもらえるだけでいい、というわけではないんです。

 

地域ぐるみで、子どもを「守る」のではなく「育て」たい。

– 西粟倉へ移住するIターン者は、都会から西粟倉へ来るパターンがほとんどなので「自然の中で暮らせて、子育てができる」ことが移住理由の上位にあることは間違いありません。豊かな自然に価値を見出して移住してきた移住者にとって、その素晴らしさを子供たちの教育現場にも反映させて欲しいと願うことは当然なのかもしれません。

西粟倉村の託児所「ぽんぽこ園」

西岡: 幼児教育現場にいる先生たちは特に公務員や役場の臨時職員なので、地元のひとがほとんどです。自然がすぐそこにあることは、当たり前のことだと思うのかもしれませんね。そして、いま、Iターン者の子が増えて来ているので、地元の人が、移住者の子どもの教育に関わっていることになります。だからこそ、教育の場は地域と移住者が関わる、新しいコミュニティづくりの拠点になっています。
これからももっともっとそうなって欲しい。そして、その場で、西粟倉の自然に触れさせてもらいたい。西粟倉の良さを教育現場から体感させて欲しい。安全なことも危ないことも自然のなかで全部教えることができるのが西粟倉村だと思っています。人に守られる安全を享受するよりも自分で考えて生きていける子が育つと思います。

– さらに西粟倉には高校がありません。それは、15歳になったら、他の市町村へ移る可能性があるということです。

西岡:この村は、大きくなったら一度は外で出ることになるでしょう。それでも幼い頃から西粟倉の豊かな自然に触れて、この村の豊かさに触れることでこの村のことを記憶に残して、そしていつか「戻ってこよう」と思う子どもが増えるはずです。そしてさらにその子どもの子どもにもこの自然を、と帰省の回数が増えるはずです。それこそが村の未来だと思うんです。地域ぐるみで、子どもを「守る」のではなく「育て」たい。私たちと一緒に、子どもを育ててくれる。そんな教育が欲しいです。

– 教育が欲しい。これは挑戦者たちの村になった西粟倉の新しい挑戦です。行政的にハード環境は整いつつある、あとは、厚生労働省でも、文部科学省でも、岡山県でもなく、「西粟倉村の教育」を確立することが求められています。たとえば、森の資源を活用する教育を西粟倉で実現することで、子どもを本当の意味で安心して預けることができます。村を担うローカルベンチャーたちが西粟倉の暮らしに更なるプライオリティを持つのです。

 

挑戦者たちは、地縁がない・ジジババいない、そして生きるのに必死です

– では、西粟倉村にはどんな教育があったら良いでしょうか?2014年4月西粟倉村に移住してきた村楽エナジー株式会社(以下村楽エナジー)の井筒耕平、井筒もめ夫婦と一緒に『百年の教育構想』(仮)を考えてみました。二人は、3歳の風太くん、1歳のたねちゃんを育てながら、西粟倉村のバイオマス普及、あわくら温泉・元湯の経営など、西粟倉村の地域資源エネルギーの担い手として活躍しています。

井筒耕平(以下耕平):風太は、鳥取県智頭町の「空のしたひろば すぎぼっくり」という森のようちえんに入れています。いきさつとしては、2014年移住当時、西粟倉の託児所が満員で待機児童だったから入れませんでした。びっくりしました。この過疎の村で「待機児童」が発生するのはどういうわけだと(笑)。だから他の選択肢として、私立の森のようちえんを選択したわけですね。たねは、今年度から西粟倉の託児所に入園しました。風太が通っている森のようちえんには年齢的に入れなかったこともあって、兄妹別の保育機関に通わせています。

– 風太くんが通っている森のようちえんは、自然にたくさん触れることができるオール園外保育でスタッフと保護者が一体となって活動している「共同保育型」。保育時間は9時から14時まで。夏休みなど長期休暇もあります。そして、たねちゃんが通っている村の託児所は対照的で、7時から最大19時まで預けられて、長期休暇はほぼありません。

井筒もめ(以下もめ):森のようちえんは、土日休みで降園時間は14時。めっちゃ長い夏休みがあるし、親の参加も多い。温泉宿を営んでいる我が家としてはかなりツラい部分があります。でも、教育としては大満足です。だから、そのカバーリングとして、村の託児所が森のようちえん後の風太を預かってくれると助かるなと思います。でも託児所には「村の幼稚園に通っていないと預かれません」と断られてしまいます。制度だからしかたないけれど、いまは働き方も育てかたも色々な環境があると思うから、そこがもうすこしフレキシブルになったらいいなと思う時があります。

– 教育方針としては森のようちえんが好ましいけれど、働き方としては託児所のほうが助かる、その狭間で試行錯誤しているのが井筒家です。託児所は親が働いている間、子どもが怪我なく健康に過ごさせて、親元に返すことが主なミッション。地域すべての親に対して最大公約数的にやっているから、しょうがない、と井筒さんは言います。

耕平:西粟倉の託児所は、厚生労働省のガイドラインに沿った「与える」保育です。でも全国の託児所のほとんどが同じように与える保育であるし、西粟倉が特別過保護というわけではありません。この村へ起業しにやってきた人間は、基本的に自分でなにかをしようと思っている人間だから、「他と同じこと」に対して余計物足りなさを感じるのかもしれない。僕たちが望んでいる教育は、どちらかといえば自分で考えさせる保育。森のようちえんでは、喧嘩はそのままやらせて、そのあと今の喧嘩はどういうことだったのかって喧嘩した子どもたち同士で考えさせるんです。いいですよね、大変でしょうけど(笑)。仕事をするためには、長く預かってほしい。でも、教育は森のようちえんがいい…。その中間が欲しいですよ。ワガママと言われても子どものことですから。ぶっちゃけ、俺たちは、本当は自分達で教育やりたいんですよ。でも、状況的にやれないです。

もめ:既存の保育園と、オルタナティブの保育園、両方あるといい、とか贅沢な事をいってみる(笑)。でも、オルタナティブなほうは、行かせたい人が挑戦者なタイプが多いけど、挑戦者に限ってみんな忙しいし、地縁がない、ジジババいない、そして生きていくのに必死(笑)。ジレンマがある。村の先生達はみんなすごく良い先生で、森のようちえんにも興味を持ってくださって、たねのお迎えの時に話題になったりもする。行政にも変えていけるという気持ちがあると思います。

– 新しい教育現場を作るというよりは「既存の仕組みを西粟倉村に合う教育方針に変える」という方向性がいいと井筒夫婦。それは「地元民と移住者をつなぐ地域コミュニティを形成している場所が教育現場だから」といいます。

もめ:教育の種類ごとに幼稚園が変わってしまうと、コミュニティも分断されてしまう。既存の仕組みは地元密着で、オルタナティブは移住者の巣窟になる(笑)。でもそれはもったいないですよね。子どもというつながりで地域とつながれるのに、教育を選ぶことによってそのコミュニティを分断されちゃうのって。悩ましいですね。

– 『百年の森林構想』の概形に沿って、行政と民間で仕事の切り分けと協力体制ができている西粟倉村ですが、唯一、民間に切り分けできてないのが教育かもしれません。また公共の教育には村役場から独立した「教育委員会」という存在もあります。全国的に見ても、教育単独で考える機関が教育の方向性を決めていることが多く、その事実がまちづくりと教育のリンクを遠ざけている事実も否めません。しかし行政に教育を「変えろ」と要求するのは簡単です。それ以外の道を選ぶことができる力を持っているのが西粟倉村です。

耕平:全国どこでも同じ完全保護タイプの教育じゃなくて、挑戦者たちが集う西粟倉村だからこそ必要な教育っていうのを模索していきたいよね。それこそ公民一緒に。例として、山形県金山町という町があって、そこのこども園がすごくいいんです。(認定こども園めごたま)町に一つだけ唯一のこども園は、園舎から裏山に入り放題で自然に触れ放題、お米も玄米など工夫している。それは園長先生が確固たる教育理念を持って、保護者を説得しているからできたことです。

西粟倉村行政は、いま、託児所改築の計画もしているし、保護者への教育費負担も最低限に抑えてくれている。けして教育に対して無関心な村ではないです。西粟倉村は、単純に教育をディレクションする人間がいないだけじゃないかな? こんなに規格外の村なのに教育だけが一般論で動いている。「西粟倉村の教育はこうあるべきだ」という指標を持つ人、教育を構築してくれる人材が欲しいね。西粟倉の教育は「こうしていこう」という指標ができれば、行政もきっとこの村にとって大事なことだと判断して協力してくれるはず。あと、教育がうまくいっている地域には、必ず教育現場に優秀なディレクターがいますよ。

もめ:あと予算的に公的じゃない教育って運営の実現が難しいんだと思う。森のようちえんも、村の幼稚園の何倍もの月謝だけど、公的なバックアップが少ないから経営は苦しいし、親の金銭的負担も大きくなります。ここだったら、公的なものをみんなで作っていけるような気がする。そういう場をつくるための話し合いの場を持ちたいなと思います。

耕平:あと病児育児も必要だよね。病気の子どもをみてください、は地域コミュニティでも無理。ローカルベンチャーは夫婦がせわしなく働いているところが多いから、ジジババにも頼れないし、病気で幼稚園も託児も行けなくなったら即アウトだよ。
そういう「心意気だけじゃどうにもならない」部分を、公共が担って欲しい。

 

西粟倉村で教育をやりたい挑戦者を募集します!

– この村における子育て環境の良さや課題が見えて、西粟倉村らしい教育を構築していくことが必要なのではないかと「お父さんお母さん」は感じています。挑戦者の村として、物語を紡ぐ西粟倉村で、いま必要とされている人材が「教育の挑戦者」。西粟倉村は現在、起業型地域おこし協力隊を募集しています。現代社会の教育に、風穴を空けるような新しい教育をこの地で起こしたい、そんなチャレンジャーのための「のりしろ」が、西粟倉にはあります。

耕平:僕自身、美作市の地域おこし協力隊だったし、村楽エナジーでも地域おこし協力隊制度を利用して人材を雇用しています。多くの地域では「できるだけ売り上げを上げるな」と地域おこし協力隊に指示しがちです。なぜなら、制度として公金が入っており、よって公のためだけに働くべきだという市町村がいまだに多いです。最近はだいぶマシになりましたけど。でも西粟倉村は「協力隊が企業のために働いて利益を生むことのなにが悪い」という考え方で、結果、村のためになるのだから良しというスタンス。公共も民間のためになるし、民間も公共のためになっています。

公共と民間が手を組んでやる必要が多い教育分野は、この村でやりがいあると思います。役場の雑用をするような協力隊を導入しているようでは、その市町村にもその人にも未来はない。地域課題を解決する人材を行政がサポートする素地がこの村にはあるから。

もめ:いま、この村は「定住しなくていいんです」というキャッチフレーズで地域おこし協力隊を募集していますよね。村楽エナジーに導入した協力隊の子たちも、定住候補生もいるけれど、明らかに自分の店を持つための通過点だというひとも採用しています。この村を出て行くってわかっているひとに、お金を使うのは、定住促進が目的の地域おこし協力隊としては、ナシかもしれない。でも、この人が、いまこのときこの場所にいたことによって派生されるものもあるわけで、それはこの村への投資です。それは少なからず、この地域にもたらされているはずです。そこに価値があると言ってくれるのが西粟倉村ですよね。

井筒:今の話を聞いて思ったけど、この村自体が「学校」っぽいよね。学校っていう場所には、みんな定住しないですよね?3年や6年で卒業する。でも、学校ごとに、伝統や文化っていうものは根付きますよね。人が通過していっているにも関わらず、積み重ねてきた空気やノリが、学校を形作っているんです。この村も、定住するひとはもちろん、通過していくひとも居て、その要素すべてがこの村を作っていくんだろうね。そんな村の教育現場を作っていくなんて、愉しいだろうね。本当、僕は自分でやりたかった(笑)。

– さまざまな挑戦者を受け入れてきた西粟倉ですが、地域課題を解決していく挑戦の中で、顕在化してきた新たな課題のひとつとして、今回の教育(特に保育)があります。それは西粟倉村が次のフェーズに入った事も意味します。

百年の森林を育んできた村は、今度は子どもを育むための指標を求めはじめました。それは未来へのレールが引かれたということ。それは、この山奥の小さな村においてどれだけ価値のある幸福なことでしょうか。

「田舎の教育に興味がある」
「イチから教育現場を作ってみたい」
「現代社会にとって必要だと思う教育を体現したい」
「本当の意味で、親も社会も安心して子どもを預けられる教育のガイドラインを作る」

岡山の片隅の小さな村で、日本の教育改革ができるかもしれない。その土壌が今、整いつつあります。そしてここは挑戦者の村。公民一体で、一般的な概念を覆るような斜め上の教育が実現できると確信します。