岡山県

西粟倉村

にしあわくら

関わってくれたすべての人に感謝したい。2018年度、唯一の支援事業者に選ばれた革職人・渋谷肇さんがつくるものづくりの循環

“今のこの人生を、もう1度そっくりそのまま繰り返してもかまわないという生き方をしてみよ。”

哲学者のフリードリヒ・ニーチェによる、この格言が胸を突き、独立・開業を果たした男性がいます。2018年10〜12月に開催した、西粟倉が村として応援する事業発掘の為のブラッシュアップ&選考会「西粟倉ローカルベンチャースクール(LVS)」で唯一、村認定の支援事業者に選ばれた渋谷肇さんです。

レザークラフトというものづくりを通じて、ある「想い」の輪を各地に広げていきたい。そんなビジョンが選考委員たちを納得させることに至った経緯を紹介します。

 

想いに素直に就いた職業

– 現在のご職業を教えてください。

渋谷:「渋谷カバン」というレザークラフトブランドを営む、革職人です。この職業に就いてから、5年目を迎えました。

渋谷カバンの手がける定番モデルのバッグ

– 以前は、別の仕事をしていたんですね。

渋谷:千葉県にある、ビルのマネージメント会社で会社員をしていました。忙しい会社でしたから、暇も少なく、スーツを着て働いていました。レザークラフトは、趣味のひとつだったんです。

– なぜ趣味が今の仕事に?

渋谷:30歳になった頃のことです。ニーチェの言葉を目にして、しっくりきました。会社員をしながら、貯金をして、老後を楽しむことよりも、今やりたいことに没頭したい。お金のために働くことから、一歩踏み出したい。それが、革職人でした。

とはいえ、どうすれば仕事にできるのかわかりません。誰かに教わりたい。学ぶことからはじめたい。それで、細部に至るまでの丁寧なものづくりに一目ぼれして以来、好きでよく使ってきたブランドを営む革職人の方に問い合わせようとしました。すると、そのブランドのホームページに求人情報が公開されていたんです。ぼくが見た、数分前に公開されていることに気づいて、運命を感じました。

– どこのブランドですか?

渋谷:岡山県倉敷市にある、全国のセレクトショップで扱われている個人のブランドです。求人にメールを送ると、面接してもらえることになりました。2014年12月に面接を受けて、2週間後には採用のお返事をいただけて、喜びました。「いつから、来てもらえますか?」「3月には行きます」と、倉敷に引っ越したんです。

– 2015年3月から革職人になったんですね。好きなブランドで働けるなんて、理想じゃないですか。

渋谷:未だにすごいと思っています。一緒に働くうちに、この人と続けていきたいと思いはじめましたが、ぼくの活動も並行しました。牛革のレザークラフトをつくり、声をかけてもらったイベントに参加していったんですよ。師匠がイベントに来てくれたこともあります。

– 渋谷さんの活動を見て、お師匠さんは何て言いましたか?

渋谷:そこで何かを思ったのか、後日、こう言われたんです。「キミは自分でやったほうがいいのかもしれない」。突然のことだったので、驚きました。ただ、会社を辞めて、自分でやることを決めて、倉敷に出てきたから、それを実現したいという想いと、師匠と一緒に働き続けたいという想いがあったので、悩んでいたんですね。そんなぼくに、師匠は、「縦の関係よりも、横の関係になろう」と背中を押してくれました。

 

西粟倉に移住した経緯

– 師匠がきっかけをくれたんですね。独立したのは、いつですか?

渋谷:2016年6月に「渋谷カバン」をはじめました。倉敷市に住んで、ぼくの活動を進めるようになって、魅力的な人たちとつながっていった結果、独立することができました。

– 順風満帆のスタートですね。

渋谷:それが、そうでもありません。沖縄に旅行した際、バイク事故に遭ってしまって……。通院でリハビリしながら、「渋谷カバン」に取り組んでいくことになりました。あまり予定通りに進めることはできなかったんですよ。

そんな中、「Startup Weekend 岡山」に参加することになりました。週末に起業体験をするイベントです。そこでメンターをしていた、元エーゼロの方と知り合って。その方から、自分の生き方と生業を研究する「西粟倉ローカルライフラボ(LLL)」を教えてもらったんです。

– LLLの印象は、いかがでしたか?

渋谷:後日、その方がいる岡山県津山市まで車で行って、詳しく聞きました。LLLのサポート内容を教えてもらっただけでなく、鹿が採れることも知って。牛革しか扱ってこなかったので、鹿皮という新しい領域に挑戦できるかもしれないと興味を持ったんですよ。魅力を感じることがいくつか重なって、2017年の秋に、LLLにエントリーしました。

– LLLでは、選考を通ると、地域おこし協力隊制度をまず1年間利用できるようになり、月額20万円の研究委託費と年額45万円の活動支援費を受けることができます。どんな選考でしたか?

渋谷:エーゼロの牧大介さんと面接しました。どんな人なのか緊張しながら、つくっているレザークラフトを持参していきました。どんな質問をされるんだろうと思っていると、「革職人か。いいですね」と、ぼくの作品を見ながら会話をして、採用してもらえました。

そのあとは、いくつか住居候補を紹介してもらって、この古民家で暮らしはじめたんです。綺麗な住居も紹介してもらったんですが、自分で手を入れながら暮らすことが好き。それで、ここに暮らしはじめました。

渋谷さんが自らの手で古民家を改装した自宅兼工房

LLLで取り組んだ内容

– LLLでは、どのような1年を過ごしましたか?

渋谷:事前に出題されていた宿題に答えたあと、オリエンテーションを受けました。そこで、同期生たちに、ぼくのことを話しました。生まれてからその日のことまで、そして、なぜ西粟倉村にきたのか、やりたいことは何なのかを伝えたんです。ちょうど今、ここでお話ししたようなことですね。とても新鮮でした。身近な人にも、生まれてからの話をしたことはなかったんです。LLLは、そういう場所なんだという第一印象があります。

– その後、LLLでは、どのような活動をしていきましたか?

渋谷:2週間ほどかけて、村内で起業した人たちに会っていきました。LLLに入っていなかったら、そういうつながりも自分で頑張ってつくっていくしかありません。いろいろとつないでくれたおかげで、顔見知りになることができたのは、すごく良かったです。頑張っている人とつながるたびに、刺激を受けました。もっと話を聞きたい人がいたら、後日、スケジュールを組んでもらうこともできました。

その後は、猟友会の会長に会ったり、有名な猟師の方にあったりして、情報を集めていきました。そして、LLLに用意されているフィールドワークやゼミも受けていって。LLLを知ってから、半年ほどが過ぎた2018年5月に入ると、ジビエの革をなめす工場を見学しに行きました。東京都と兵庫県の工場を1軒ずつ見て回ったんです。

– 渋谷さんが関心を寄せるレザークラフトについて重点的に学んでいけたんですね。

渋谷:はい。村での情報収集の結果、思ったよりも鹿が取れていないということが分かったのと、猟期は11月からだったので、西粟倉の鹿皮を集めることはできませんでした。そのため、6月は、村外の鹿革を発注して、試しに何かつくってみることにしました。試作品ができた頃には9月末になっていて。ちょうど、LVSの募集を受け付けている時期でした。ぼくは変わらずに起業を考えていたので、LVSにエントリーしたんです。

 

LVSで乗り越えた壁とその先で見つけたこと

– LVSは3ヶ月間ですよね。エントリーから最終選考までに起業内容のプレゼンテーションを重ねて、西粟倉村の認定を受けることができたら、地域おこし協力隊制度をさらに2年間利用できるようになります。選考は、いかがでしたか?

渋谷:正直に話すと、しんどかったんです。選考員が「想いがあまり伝わってこない」って、どうすればいいんだろう。他のエントリー者たちがいる場所で、一次選考会でプレゼンテーションをしている最中に、「結局、牛革なの? 鹿革なの?」と聞かれる始末で。ぼくとしては、どちらの革も大事だったんです。それで、結果発表の前に別室に呼び出されて、条件付きの通過になりました。

LVS一次選考会での渋谷さんのプレゼンの様子

– その条件とは、どのような内容だったんですか?

渋谷:ぼくのことを唯一、認めてくれていたメンターの花屋さんに、最終選考会前にチェックを受けることでした。

– 実際、最終選考会を唯一通過したのは渋谷さんです。ここまでの話では、決して簡単に通過できたわけではないことがわかります。よく選考員の評価をひっくり返すことができましたね。

渋谷:本当にそうですよね。その頃にぼくが思ったことは、選考員の人たち以外に応援してくれる人たちのことでした。ぼくは選考員の方々から投げかけられた言葉に気持ちを引っ張られ過ぎてしまっていて。応援してくれる人たちの声に耳を傾けることができたから、頑張ることができたんです。

– 鹿革に興味を持っていたのに、それが選考員に伝わらないのは、もどかしい気持ちだったんでしょう。

渋谷:その頃のぼくには、わざわざ西粟倉村にまで来て起業しようと言っているのに、なぜ突き放されるんだろうという気持ちが、少なからずありました。

– その気持ちが、応援してくれる人たちの声で変わっていったんですね。

渋谷:これまでつながりを持つことができた人たちに加え、LVSで、同じように選考を受けている人たちやメンターが4、50人いました。一次選考会のプレゼンテーションをした際に、その人たちが応援メッセージをくれていて。協力者も現れましたし、感謝の気持ちが強くなったんです。

とはいえ、選考員の方々にやる気を感じてもらえないことは変わっていないので、どうしようかと悩みました。そうしていると、花屋さんが家を訪ねてきて。

– 何かアドバイスをもらいましたか?

渋谷:「西粟倉の鹿皮でレザークラフトがしたいと思っていたが、30枚ないと扱ってもらえないため、進んでいない」って話をしたら、「相手がどうこうじゃなくて、渋谷くんがどうやるか。みんなそのチャレンジを見たいんだよ」と、道を示してくれたんです。それを機にスイッチが入った実感があります。

– 最終選考会に向けて、渋谷さんはどんな行動を起こしていきましたか?

渋谷:ちょうど猟期に入っていた時期だったので、まずは周辺地域を巡って、鹿の解体業者に連絡を取りました。鹿をさばく作業も手伝いながら、複数の鹿が手に入る事業者とつながった後は、下処理をして、加工所に発注。それを1週間ぐらいで終えたんです。どうしても、最終選考会で鹿革を1枚見せたいと思って。

鹿皮の下処理を行う様子

その中で、鹿皮を分けてもらえないかとお願いしに行ったのですが、断られてしまった解体業者がありました。その後たまたま仕事で使うナイフを発注した職人さんに紹介してもらった人がその人で。もう一度お願いしたら、鹿皮をいただけるようになったという出来事もありました。

次は販売先の確保にも動きました。東京に出向いて、数件、鹿革のレザークラフトを扱ってくれるショップやギャラリーとつながったんですよ。他のブランドの人とも知り合って、松屋銀座で出店するポップアップで「渋谷カバン」の商品を一緒に扱ってくれるとも言ってもらえました。

あとは「渋谷カバン」というブランドのメイン商品を考える必要があります。これまでの村にあった、鹿を採っても廃棄するという現状を変えるように、ぼくの中では「地域でつながる」というイメージが浮かんでいたので、それを商品に託したかった。ぼくが下処理をして、加工所から革が届いたら、村内の作家に染色をお願いすることもできます。他の作家ともつながることに取り組みました。

そして、それぞれの作家の想いを込めてつくった商品を、その想いに見合った価格で販売していく。これを1ヶ月で準備して、最終選考に臨みました。

– すごい! 一番の変化は、革職人として牛革以外への興味で移住した西粟倉村で、人とのつながりを感じて、想いを大切にしたいと思ったことなのかもしれませんね。

渋谷:一次選考会のときは、これで職人として一歩踏み出せる、ということを考えていたんですが、最終選考会までの期間に、いろんな人の想いを感じて。例えば、猟師の方からは、鹿が採れても血抜きに失敗すると廃棄することしかできなかったものが、鹿革にしてもらえると製品になって嬉しいと言ってもらえました。そんな風に貢献できることに気づいたんです。

– 最終選考会で、選考員の方々の反応はいかがでしたか?

渋谷:「劇的に変わった!」「スイッチが入ってから、こんなに動いた人は久しぶり」。そう言われて、素直に喜びました。いろんな人が協力してくれた、その想いも伝わったんだろうと思います。ぼく一人では、できないことでした。

左から選考委員長の西粟倉村副村長 山下さん、渋谷さん、渋谷さんを応援してくれたメンターの花屋さん

– その頃にはもう、最終選考会に落ちていても鹿革製品に挑戦するつもりだったんじゃないですか?

渋谷:はい、もちろんです。

 

今後の取り組みと渋谷カバンの目標

– 2018年12月に西粟倉村の認定を受けて、渋谷さんは支援事業者に選ばれました。これからは、どんな活動に取り組む予定ですか?

渋谷:まずは集まってきた鹿の下処理をして、加工所に発注する作業を続けます。1月から2、3ヶ月は村の狩猟期間。その間に、商品開発を進めていく予定です。そして、「渋谷カバン」の代表作と呼べるものをつくって、4月からは吉祥寺で展示会をしたり、他の取引先に卸したり、営業に回ったりしていく予定です。

– 最後に「渋谷カバン」というブランドとして、目指す目標を教えてください。

渋谷:ずっと使い続けられるモノづくりをしていきたい。使い続けているからこそ、生まれてくる美しさが好きだからです。そのために、革職人として良いものをしっかりつくっていく。ぼくだけでなく、つながっている人たちの想いを乗せて、それを広めていきたい。その想いが詰まった「用の美」を伝えていきます。そして、ゆくゆくは海外に向けて、「渋谷カバン」を届けていきたいです。

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