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人づくりを起点に地域経済をリノベする新会社が誕生

2015年10月1日西粟倉村に新たな会社が誕生します。その名も『エーゼロ株式会社』です。西粟倉村で挑戦をし続けた地域会社『株式会社西粟倉・森の学校』の創業者であり、新たに設立された会社の代表取締役の牧大介さんに「エーゼロ株式会社とはなんぞや?」「西粟倉・森の学校はどうなるの?」「地域社会のこれからは?」など、地域の今そしてこれからのお話をしていただきました。牧さんが語る、地域のための未来指向の民俗学。必見です。
 

“言い出しっぺ”からの状況説明。

– 西粟倉村の未来を背負って立つことを運命付けられて設立した西粟倉・森の学校の創業者である牧大介さんは、その設立から丸6年の節目の日、2015年10月1日にエーゼロ株式会社(以下エーゼロ)を立ち上げました。代表取締役であり“言い出しっぺ”の牧さんは、以前から「西粟倉モデルを深めてノウハウを他地域にも生かしたい」と希望を抱いていたようです。

牧:西粟倉村で僕らがやってきた挑戦が、西粟倉モデルとしてノウハウが蓄積してきたことを機に、そこを深めつつ、木材加工業が主だった業態を木材以外の分野にも拡張していくことになりました。そして西粟倉村モデルをさらに進化させて、他の地域にもそのノウハウを出すことは、社会的責務として僕らがやって行かなければならないと考えています。人づくりから地域経済を再構築していくという考え方と方法を他地域にも展開していくプラットフォームがエーゼロです。
 


– 牧さんの決意はいよいよ西粟倉村以外にも飛び出します。西粟倉・森の学校の管理機能も担うエーゼロは、今後、他地域でも、シナジーを継いだ子会社を設立することや事業開発をしていくことになるといいます。

牧:エーゼロは必要な人材の採用と資金調達をこれから進め、2016年4月から本格稼働の予定です。会社のコアとなる機能は何かというと、「地域への移住・起業に関するソフト」と「移住者向け住宅等のハード」を一体的に提供するということです。別の言い方をすれば、人繰り資金繰りのためのソフト・ハードを備えた地域経済のプラットフォームになるということ。その上で、様々な事業の研究開発と投資も実施していきます。

– 具体的には、地域おこし協力隊の採用・育成支援のサービス(ソフト)を他地域にも展開。建築・不動産関連の事業(ハード)も手掛けていくことで移住者の住居や仕事場の確保も進めます。さらに淡水魚養殖など、木材加工以外の事業開発と投資も進めていきたいと牧さん。めくるめく大展開です。

牧:西粟倉・森の学校の設立から6年が経ちました。それは時に痛みを伴い、血を流す6年間でもありました。「他の人はここまで突っ込んでやらないよね」という無茶なチャレンジを相当積み重ねて、死線を彷徨いなんとか生き残ってきた。だからこそ分かっていること、できるようになっていることがいっぱいあります。そしてそのギリギリの苦しさを経験している僕らのノウハウをお渡しすれば、他の地域は僕らのように苦労して遠回りする必要もない。ゼロからやらなくていいんじゃないですか? だから、本気でやるぞっていう人や地域の応援も惜しみません。もちろん有料のサービス(アドバイザリー契約など)ですけどね(笑)。
 

前向きに林業を諦める

– 大学では森林生態学を学び、自然や森林には人一倍愛情を持つ牧さん。森林の村である西粟倉村での地域ブランディングの仕事にたずさわり、『百年の森林事業』、『西粟倉村共有の森ファンド』、そして西粟倉・森の学校では、木材加工流通基盤事業などを実践し「林業をなんとか経済的に自立させたい」ということを意識してきました。

牧:創業当時、10年くらい集中的に投資すれば村の林業経営は軌道に乗せられるのではないかと思っていました。この予想は半分くらい正解で、今はそれでうまく行き始めている部分が多々あります。でもこれから先の材木市況がどうなるか。投資期間が長いわりに木が売れるタイミングは意外と直前まで予想がつかないですよ。材木業は長期的な投資がかかる上に市況も不安定。今の投資が将来本当に価値を生むかどうかもわからない世界です。

だから、林業は「なにかあった時のための木を育てる」くらいの考え方で、地域の環境を維持していく生活の場としての安定性を高めていく大事な仕事だと捉え直す方がいい。森林は重要なインフラですけど、森からキャッシュを生むということを、日常の営みとして位置づけるのは相当しんどい。

–『百年の森林構想』では西粟倉村の森林から出てくる木材に付加価値をつけて全国に木材を流通させている西粟倉・森の学校ですが・・・

牧:実は最近は百年の森林事業から出てくる木材が足りなくて、他の地域の木材をたくさん使っています。西粟倉・森の学校という会社が儲っていれば林業がよくなるのかという視点でいえば、「ないよりはマシ」という話でしかありません。井上くん(西粟倉・森の学校 代表取締役)ともそういう話はしています。西粟倉・森の学校が黒字化したけれど、村の林業はそこまで進まなかった。だから、木の流通経路や売り先を作ったら林業がよくなるかといえば、そこの効果はとても限定的で。うちが儲れば山がよくなるって言い方をしてきたけれど、それはちょっと微妙だった(笑)。部分的に解決できてることがあるってことは、自信を持っていいし、西粟倉・森の学校のスタッフたちは、ほんとによく頑張ってきたと思っています。でも、材木流通の部分をテコ入れして黒字化する事業を作って、その事業を拡大させて売り上げを伸ばしていけば、森が再生されるのかっていうと、それだけでは再生しないっていうことを認めざるえない。それだけではダメだということを認めることが、エーゼロ設立の出発点です。

 

牧:ただ僕らがこの事業(西粟倉・森の学校という木材加工事業)で、しっかりとした利益を出し続けられるようになったら、森に継続的な投資を続けて行く事はできるので、地域における西粟倉・森の学校のミッションはとにかく儲けようということです。それによって、長期的な視点で森に投資ができるような会社になることです。だから、「ワリバシ買ったら森林が良くなる」と言うのはもうやめておこうかと・・・(笑)。

– 元々、その昔、銀行や証券会社がない時代は余ったお金でゆっくりでも確実に育つ山を長期運用資産としていたといいます。要は地域の定期預金のような存在だったのが森林でした。

牧:紀伊半島などでは漁業資本による山への投資がありました。漁業って短期で変動が大きいじゃないですか。大漁と不漁の波がありますしね。海の資本と山の資本は時間サイクルがまったく違うものです。だから短期では漁業で利益を出して、その利益の長期的運用は安定してじわじわ成長する山でやるっていう経済がありました。毎日出来不出来がわかる世界と、百年以上かけないとモノにならない世界。そのポートフォリオによって、地域経済が安定したシステムになっていた。林業っていうのは、そもそもそういう長期的に地域を安定させる資産なのに、林業だけで地域経済を回しますってやっぱりバランスがおかしい。どんなに森林が大切でも、森林だけで地域の経済を作り出すことはできません。そんなそのごくあたりまえなことを認めようって思いました。

つまり、森林と林業の未来を諦めないためにも、森林と林業に関連する儲かるビジネスを育てていかないといけないっていうことなんです。諦めないために、「短期的なビジネスとしての林業」は積極的に諦めるっていう。

– 牧さんはこの6年を振り返り、「林業は経済的に価値がないわけではないけれども短期的なフローをそこから導き出すのは大変だ」と実感しました。エーゼロを作ったきっかけの一つとして、林業が西粟倉村にとって大切なものだとわかっているからこそ、移り変わりの早い今の経済状況に対応しながら続けられる新規事業を育てようと思い至ったようです。

牧:西粟倉・森の学校で育てた木材加工の仕事と並行して、林業の周辺にある仕事をちゃんと利益が出るものとして成長させるほうが重要だと捉え直しています。西粟倉・森の学校という木材加工事業と肩を並べるような規模で、シナジーが出せる様々な事業が横に並ぶようにしていくことは、エーゼロの重要な役割です。たとえば、西粟倉・森の学校の木材加工場から出る木屑を燃料にすることでナマズの養殖(高い水温を維持しないといけない)の燃料費が浮くとか、そういう事業の横の繋がりが、地域全体の生産性を高めていくことにもなります。移住者向けの低コスト木造住宅の開発を京都大学の研究チームと一緒に進めていますが、これも木材加工事業とシナジーの強い重要な事業。エーゼロの中核事業になっていくことを想定しています。

現在、村内に建設中の社宅。 現在、村内に建設中の社宅

– ある意味で前向きに林業を諦める、という牧さん。一方で、森に関わって生きていける人をどうやって増やすかという視点での林業には大いに興味があるとのこと。

牧:エーゼロの子会社として、西粟倉村内に林業会社を作ろうと思っています。3年後ぐらいになるかな。林業従事者は経済的にはとても大変なので、林業を主たる仕事にしている人達がどう食べて行くかに重きをおいて、柔軟な労働形態を実現していきたい。人が山に関わって食べていける安定した手段を確保していく意味での林業という営みには大きな可能性を感じています。ただ、それだけで暮らしていくのは経済的にキツイ。だから春夏秋は林業、雪で林業ができない冬には狩猟など、山との向き合い自然に寄り添うスタイルが確立できると、林業を主たる生業としながら家族がしっかり食べていける人の集団を作っていけるかもしれません。世帯レベルで考えると、狩猟の他にもいろいろな収入の機会を持つことも考えられます。そういう新しい生活スタイルを開発していくために、エーゼロが運営する野人集団的な林業会社の設立はあり得るという気がしています。これもたくさんある構想の1つですけどね。
 

最重要任務「野人育成計画」とは

– エーゼロは、西粟倉村を研究開発拠点として、人材事業、事業開発、投資などの機能を持ちます。

牧さん:もともと私自身がエーゼロで実施していくような研究開発的な機能を持っていて、それを改めて法人化するものと捉えています。そういう視点では、研究開発的機能による最初の事業開発案件が、西粟倉・森の学校という林業六次化を実現するための木材加工・流通基盤です。この山あり山ありの6年間のノウハウは他地域へ輸出できるフェーズに入りつつある。これも井上くんを中心に、人材が成長することで実現できました。人材育成と同時に資金調達がしっかりできたことで、事業を軌道に乗せることができました。人づくりが先行して、その後にお金の動きが伴うというプロセスを辿って軌道の乗った最初の事業が、西粟倉・森の学校という木材加工会社なわけです。

– 今後は、西粟倉・森の学校のように研究段階から出発してエーゼロの子会社を次々と設立していく予定です。エーゼロの経済的基盤を厚くするために、利益が出せる子会社を育てていくことも重要なミッション。建築不動産、うなぎやナマズの養殖など、農業・林業・水産業が横並びになるような事業を増やしていきたい。そして、すべての事業に内包されている大きなテーマは『野人育成』です。

牧:すべての事業は、森、田んぼ、畑、川など、自然の中から価値を取り出していくための研究開発だと思っています。その価値を取り出していく「人」を地域に増殖させていくことが必要で、そのためにどんなインフラがあったらいいのか、どんな事業が地域にあれば野人が暮らしていけるのか、そこを開発していきたいんです。自然と丁寧に向き合っていく営み、自然そのものと向き合っていく営みの積み重ねによって形成されていくのが風景です。自然と丁寧に向き合う営みがなくなって、風景が壊れて行って、ただビジネスで儲かっている田舎に魅力があるかっていう話です。自分はそんな田舎は嫌なんで、これからの時代を生き抜いていける野人を増殖させていきたい。
 


いま、西粟倉村は、加工や流通の部分はすごく伸びているけれど、肝心な林業や農業という地域のベースにならなければいけない一次産業の部分がなかなか伸びません。もう一度、山の民として暮らしていける人達を増やす作業が必要だと強く感じています。『里山資本主義』という言葉がありますが、里山って自然と人が向き合っていくなかで、出来てきた営みの総体です。今の時代だからこそ使える技術とか機械とか、使えるものは使いながら、そこを再構築していきたい。京都・美山の『野生復帰計画』や岡山・美作の『あつたや』は、その域で最先端をいっている人達で、重要なパートナーです。

– かつてあった機能する里山。今この時代の自然に目を向けて、自然と一緒に生きる野人を増やしたい。そこに向けてのインフラ作りに、これから本格的に着手します。

牧:僕らが直接リノベーションするのではなく、山と関わって一生懸命生きていく人の営みがあって、その関わりの範囲でリノベーションされて蘇る場所があって、そういう人が地域にたくさんいることによって、場所や山が蘇るという話です。マクロに地域全体を一気に変える仕組みという大味なことをやるよりは、元気なミクロをたくさん増やしていきたい。増殖していく点がやがて面となり、結果としての地域全体のリノベーションになる。そういう生き方、暮らし方をしていきたいという人が増えていかないと、地域は次の段階には入れません。
 

挑戦者の生態系。スイミー作戦から一つの個体に

– 牧さんは、西粟倉村に集うローカルベンチャーたちの群れを「スイミー作戦」と称することがありました。もともとバラバラだったものが一緒になって、助け合い、つながって大きく進化します。しかし、これからの挑戦者たちの在り方は、それぞれの個としての輪郭は失わないとしても、もう少し有機的なシステムとして全体が成長するようになるといいます。

牧:スイミー的に考えると、魚が一匹食われて死んだら、それで終わりですよね。西粟倉村のローカルベンチャーのひとつが資金ショートして潰れました・・・としても、そのローカルベンチャーが全面的に価値を失うのかといえば、その中に生き残っていくべきものもあるかもしれない。経営者として、会社を倒産させてしまったとしても、だれかまた別の人がやれば、事業がまた再生する可能性もある。事業がうまくいかない、潰れることはこれから必ずあると思います。それでも、全部が悪いわけじゃないんだから、死んでもまた違う形で再生されていくべきです。そういう循環ができる地域経済でないといけない。
 


– エーゼロの役割は、そんなベンチャーの生態系を支えていく。そしてより充実した繋がりにしていくことだといいます。

牧:基本僕らはみんなを支える裏方の仕事です。でもそこは相当しっかりしたものを作らなければ。僕らが色んな会社の生き死にを吸収できるようにしたい。『再生産業機構のローカル版』みたいなイメージだと思ってください。例えばほっとくと死んじゃう会社を一時的に傘下に入れて、子会社化することはあるかもしれない。蘇らせて、自力をつけさせて、またちゃんと自社株を買い取って独立してもらいますよ。

– 牧さんの考えるベンチャーのエコシステムは、必要性のあるものは蘇らせなければいけないし、新しいイノベーションも生み出していかなければならないし、なかなか骨が折れそうです。

牧:イメージはローカルベンチャーキャピタル。エーゼロはローカルベンチャーに投資していく機能も持ちたいよねってことで。ローカルベンチャーは個々では投資が簡単に進みません。西粟倉・森の学校もまだ黒字化していなかったのに資金を集めて、輸血をしながら半生半死で黒字化まで持っていく苦労をしたので、ちゃんと可能性のあるベンチャーには資金が回るしくみを持たないと。その役目を担えれば嬉しいですね。

– ローカルベンチャーだけではなく、経営者都合で廃業を余儀なくされる企業のM&A(Mergers and Acquisitions)も視野に入れています。

牧:西粟倉に限らず、地域でわりとしっかりとした技術者とか実績も持っているけれど、跡継ぎがいないから、経営者がある一定の年齢に達して身体が動かなくなったら会社をたたむというケースが田舎は特に多いです。会社の実績は悪くないのに、経営者都合で経営が持続しない。そういうところだったら、うちが一回会社ごと引き受けて、人材などを派遣して一定期間継続させて、再独立させていくなどしていきたい。そんな理由で必要な会社がなくなるなど、もったいないおばけが出ますよ(笑)。これから、経営者の高齢化が進み、会社の廃業・休業がさらに増えると睨んでいます。あ、あと、僕らは無理に買収はしません。むしろ「会社を畳みたいんだけど、よかったら買って欲しい」と言われたときに、ちゃんと受け入れができるようになっておきたい。

– 地域貢献にのっとったM&Aは、その会社を助けるだけでなく、業務を必要としている地域社会にとってもプラスなります。新しく会社を生み出すことも大事ですが、優良なのに経営者都合でなくなる会社をバックアップすることで1から作るよりもローカロリーで済みます。

牧:会社のリノベーションみたいなものだと捉えていただけばいいと思います。家に例えると、リノベーションすれば住める古民家がいっぱいあるのに、新築ばっかり建てているのがいまの西粟倉のローカルベンチャーです。新築ばっかりじゃないでしょう。ちょっとテコ入れすれば良い会社がいっぱいあるけれど、放っておくと朽ちて廃屋になっていく。

今までは、起業というゼロをイチにする、一番しんどい形態に集中してきましたが、そうじゃない形で売り上げや雇用を伸ばしていく方法はいくらでもあるんです。エーゼロには、M&Aも進めていくためにファイナンスの専門家も入れたいです。なので、CFO募集中です。
 

人材事業と広報事業「ニシアワー」

– 新しいビジネスが継続して生まれていくためにも、エーゼロの人材事業は「村の人事部」として、ここから先より重要になってきます。

牧:これは西粟倉・森の学校でもやっていたことです。2007年に設立した雇用対策協議会からの「村の人事部」としての機能を受継ぎ、「人狩り活動」を充実させていきます。
やはり、地域は人ありきです。どの事業でも人づくりを一番に考えないといけません。ほとんどの地域が、本気でやる人がいないのに、無駄に分厚い計画書を作って、何も動かない・・・という失敗を重ねて来た。だからこそ、本気になれる人を集めることを起点にしないといけないと考えています。

今までと違うことがあるとすれば、その今まで培った「人狩り活動」のノウハウを他地域にも提供して行くところです。採用・育成のノウハウを外に出していく。地域として人を採用していくための基盤づくりのお手伝いもします。それこそ『まちの人事部』みたいな機能を各地域で構築していくことが地域では大変重要になっていく。「地縁・血縁・ハローワーク」以外の採用手段を持たなかった市町村や地域の会社がほとんどですから。でも、それでは済まない時代になりつつありますから。

– ニシアワーの運営は、今後はエーゼロで担当します。「挑戦者募集」のように採用・育成のプロセスをコンテンツ化して、「採用」という機能を大幅に強化しようとしています。

牧:僕のイメージでは、地域という括りで見ると人事と広報は同じレイアーにあって、採用とブランディングとが一緒になります。その地域に関心が持てる人を増やしていくプロセスが一致しているので。今のニシアワーは、ブランディングサイトの色合いが強いと思いますが、もっと採用の方にシフトしていきたいですね。

挑戦者募集
– 多くの人にこの村の良さを知ってもらうことを目的としながら、採用に焦点をあてた情報発信をしていくことで、「この村に行ってみたい」「住んでみたい」と思った読者へ、確実に情報を落とし込めるところがメディアとしての強みです。

牧:その土地で、どんな人がどんなふうに生きているのかをありありと見せていくことの積み重ねが地域のブランディングになります。つまり、人づくりが地域づくりだという思想を徹底することが、また新たな挑戦者を呼び込みます。地域でどんな人に来て欲しいのか、求めているのか、そして迎え入れていくのかっていう姿勢をちゃんと出すことがミッション。それとニシアワーは「地域側からのコンテンツの発信はどうしても弱い」という弱点を克服しつつあるメディアなんです。

-地域は、じぶんたちのことを発信する力が弱過ぎて、東京から移住して田舎に就職したいという潜在的な人がいる割に、受け入れる側の情報が少な過ぎるのが難点だといいます。田舎に向かって行こうとする人がもっとスムーズに移動できるように情報が得られるよう田舎側からの発信力を身につけるのは急務なようです。

牧:田舎には、愉しい情報がたくさんあります。しかし、アウトプットまでいけないという田舎が多い。ニシアワーは、田舎が苦手としてきた逆向きの情報発信を地道にやってきたので、2万人/月のユーザー数を稼ぎ出しているのだと思います。人の暮らしや会社のチャレンジ、また人が物語を生み出していくプロセスなど、それを丁寧に見せていくこと事体が広報の重要なプロセスでもあるし。人づくりはコンテンツを生み出すこととイコールなんです。
 


村のお母さんのお話も、極上のコンテンツになるのがニシアワー

– また「村の人事部」として、ローカルベンチャーのエコシステムを成長させていくというミッションも重要な位置づけだと考えているといいます。

牧:西粟倉村で見ると、人の育て方とかおかしい会社が多いじゃないですか(笑)。あ、これはうち(西粟倉・森の学校)も含めての話ですけどね。少なくとも、人をちゃんと育てていく文化が地域で育っていかないといけないし、そのための体制もないといけない。西粟倉村の各会社に配属されている就職型地域おこし協力隊の子の集合研修やお互いの悩みを相談し合えるような場を設けるとか、各企業が単独ではやりきれない、人事的に大事な作業っていっぱいある気がしています。今後5〜10年はエーゼロが「村の人事部」として人事のプラットホーム機能を担っていきたいと考えています。一定の規模まで大きくなった会社は独自に人事機能を持つようになっていくでしょうし、そうなるべきです。

ニシアワーというメディアは、村の人事プラットホームの重要な構成要素になりますが、西粟倉村単独で採用メディアとして規模を拡げていくのは苦しい気もしている。なので、他の地域と連携して大きな生簀を作って、移住希望者をプールしていかないといけない。すぐにそうもいかないので、当面はニシアワーという生け簀に極上の餌をばらまいて、精いっぱい客よせしていきますけど(笑)。

長期的には、全国規模のプラットホーム作りみたいなものも進んでいくと思っています。そのために連携がとれる同志がすでに全国各地にいます。うちはうちでローカルな人事機能を進化させつつ、全国プラットホームを作っていくチームにも積極的に関与していきたいです。
 

未来志向の民俗学

 

– 西粟倉村では、ローカルベンチャーの発掘・育成というステージから、ローカルベンチャーのエコシステムを育成していくステージに移ると考えられています。これは「地域まるごとリノベーション」のはじまりだといいます。自然と向き合って暮らす野人が地域に増えて、空き家、山林、田畑、会社など地域を形成するものが同時多発的にリノベーションされて、地域経済が一つのシステムとして再構築されていくことをさします。ミクロで見ると、時間と空間の利用システムが世帯レベルで再構築されていく。これを「未来志向の民俗学」と牧さんは名付けました。

牧:僕、大学では森林生態学研究室に所属していたんですけど、実際やっていた研究は民俗学なんです。滋賀県の山奥で、里山の景観と地域経済の構造と動態を解析していくような研究で。民俗学というのは、暦や時間空間の使い方みたいなものが基盤になっていて、過去について分析する学問じゃないですか。昔の資料やお年寄りへのインタビューから営みを読み取って分析するっていう。過去を学ぶことは大事です。でもそこで止まっていたらダメで、未来に向かって行動していかないといけない。

これから地域で生きていく人達が、どんな生き方をするのかっていう仮説検証をしていくみたいな作業が「未来志向の民俗学」だと思うんです。たとえば野人的な暮らしかたと言っても、林業と狩猟をどういう風に組み合わせて相乗効果を持たせてやっていくのか。そこに農業や水産業がどうやって絡んでいくのか。もしかしたら、工場勤務がサブシステムとして入ってくるんじゃないかな、とか。そういうミクロなレベルでの生き方暮らし方っていうのを応援したいし、そのインフラを会社として整えたい。

より極端にいうと、緻密に山や田んぼや畑とか、季節によって一日の時間帯を使い分けて営みを積み重ねて、それが有機的な連関を持ちながら、1つのシステムとして存在し得た里山的な世界を再構築していこうっていう話です。改めて、山や自然に向き合って、どう自分の持つ時間を配分していくのか。一定の現金収入とか工場勤めとかもあっていいと思うし、今の時代に相応しい時間空間の利用システムを再構築していく作業を、家族単位で見直してきたい。

– 各個別の核家族では補いきれない機能を地域の共同体でカバーする。そこに必要な公(おおやけ)とはなんでしょう。人の暮らし、営みを過去に遡って分析してきたのが民俗学であれば、改めてエーゼロがここでやろうとしていることは、未来に向けて、人がどんなふうに暮らしていくのか、生きていくのかとことを考え直して、モデル化していく作業です。未来を切り開いていくという思想を持った民俗学が改めて必要な時代なのかもしれません。

牧:この時代の中で、もう一度、山や自然など地域の空間との繋がりを取り戻していきたい。取り戻さないと本当の地方創生はありえないと、この6年間で思い知りました。なので、自然から価値を取り出すことができる野人的な人達が地域に増えることを重視していきたい。自然そのものから価値を取り出していくっていう力のある野人集団という礎ができた上に、様々な事業が乗っかっていく。それはとても安定した多様で豊かな地域経済になるだろうと思っています。彼らがちゃんと食べていけるシステム作りとインフラの準備、それは誰の仕事でもない、自分の仕事だと思っています。

田舎の今ある風景って、昔の人達の営みが作ってきたものを我々が消耗しているだけのことですから、もう一回営みを積み上げていく人達を育てて、未来の里山の風景を作りたいですね。とにかく地道な作業の継続だと思うんです。だから、エーゼロの仕事の結果が目に見えるようになるのは、早くて10年後くらいかなと思っています。

– 牧さんにはいまどんな地域の未来像が、思い浮かびますか?

牧:地域まるごとリノベーションがミクロの積み上げてによって加速していく時代になると予想しています。一方でマクロからのアプローチは完全に破たんしていく。ミクロの積み上げと連鎖は、地道に、そして確実に地域に眠っている可能性を掘り起こしていくでしょう。その結果として、西粟倉村では毎年40人ぐらい赤ちゃんが生まれるようになったらいいなって思っています。そしてそういう地域が他にもどんどん増えていく。そして再び人口減少が進む都市へ人材供給ができるくらいに、なっていたいですね。それが本来の田舎の役割だと思いますから。
 


– エーゼロが新時代の幕を開けます。牧さんが握る、新しい旅の地図。それは、6年間西粟倉村で生きることを選び、挑戦してきた者たち全員の軌跡からつくられた指標です。いま牧さんのお話を伺って、解を得た気がします。地域で求められる価値観は、いつの時代でもひとつでした。目の前にある自然と向き合うこと。地域は変わらない、変わっているのはいつだってわたしたちの価値観なのです。人と自然がつながりなおすことの尊さ。それに気がついた彼らは、自然とつながり、つながるひとを育てます。西粟倉村を、地域を、そして日本全体を、幸せな地域にする力がここにあることを、これからもお伝えしていこうと思います。

西粟倉村でゆっくり育った「森のうなぎ」
http://gurugurumeguru.jp/morinounagi/