岡山県

西粟倉

にしあわくら

地域をあきらめないという意思表示。いま振り返る『百年の森林構想』とは

平成の大合併を拒み、自立の道を選んだ西粟倉村。そして2008年に「約50年前に、子や孫のためにと、木を植えた人々の想い。その想いを大切にして、立派な百年の森林に育て上げていく。そのためにあと50年、村ぐるみで挑戦を続けようと決意する」という理念『百年の森林構想』を掲げ、小さな村は2058年に向けて舵を切りました。その旗を掲げたのが、元・西粟倉村村長、現・森林組合長の道上正寿さん。途方もない問題が山積した過疎の村で、村ぐるみの挑戦をはじめることは大変な苦労があったに違いありません。そして、だからこそ人の心を動かす物語を紡いできたのです。いまの流れの起点になった道上さんの想いを、改めて訊かせていただきました。
 

合併しないことは、西粟倉村を“あきらめない”意思表示

– 道上さんは先祖代々西粟倉村の農家の家に生まれ、進学を経て村へ戻ります。昭和50年から30年間農業や畜産を生業としながら、西粟倉の主産業である林業の山を持ち、自然と共生した暮らしをしてきました。村議を経て平成11年(1999年)から平成23年(2011年)まで西粟倉村の村長を務めます。村長を志した理由は、ハコもの行政になっていたこの村の立て直しをしたかったからだといいます。そしてその道のりは「過疎化」「合併協議」「単独の村として生き残ること」「悪化した財政の健全化」など、地域の諸問題の解決に奔走した12年間でした。

道上:今は森林組合長をしているので、他の合併した限界集落地域もよく行きますが、そこの状況を見ても「あの時、合併しなかった決断は間違いではなかった」と改めて思っています。平成の大合併から10年が経過しましたが、地域の状況がよくなったわけではないですから、遅かれ早かれ西粟倉村も油断をしたらすぐに過疎の波に飲み込まれるでしょうね。だから、気持ちを入れて舵取りをしなければ大変な状況になります。油断したらすぐですよ。
 


– まずは平成の大合併当時について伺います。少子高齢化、地方の過疎化、林業の衰退…。財政的に苦しい状況に追い込まれていくなかで、道上さんはまず村の財政を回復させるために行政予算の削減を断行。村役場の体制をかえて人件費を減らし、公共工事予算を定額にするなど、道上さんは徹底的に村の支出を抑えます。

道上:小泉純一郎さん(内閣総理大臣(当時))が総理になられて、地方は厳しくなりましたね。交付税が一気に削減されました。あの国策で地方自治体の多くは合併になびきましたね。西粟倉村も実際問題まったくお金が足りなくて、酷く困ったことが今でも記憶に残っています。

– 西粟倉村は道上政権の下2004年、市町村合併の流れに乗らないことを決めます。財政的に余裕があるわけじゃない中での独立宣言。当時、時の総務大臣は岡山県出身の片山虎之助さん。平成の大合併の最高責任者のお膝元だった地域で合併しないということは…。

道上:完全に悪者ですよ(笑)。合併したら行政の合理化によって地方行革が図れる、効果が出ると延々と言われていましたから。「こんな小さな村でどうやっていくんだ!」って地元の新聞にもよく書かれました。でも僕は絶対に合併は考えられなかったですね。

– 住民アンケートは有権者18歳以上の住民(外国人を除く)で有権者数は1,451人。回答者数は1,404人。回収率は96.76%と非常に高いものでした。結果は、・合併する 305人(21.73%)・やむを得ず合併する 264人(18.80%)・合併しない 574人(40.88%)・できれば合併しない 245人(17.45%)・無効16人(1.14%)。
このアンケートの結果に基づき、合併しないことを決めて合併協議会を離脱します。西粟倉村は独自の道を歩むことを村民全員で模索する道を選びます。

道上:しかし、村が二分しましたね、ほぼ半々でしたから。時代背景から合併賛成も多くてね。僕は基本的に合併反対、するべきではないという姿勢でした。村の方向性を示す姿を村民に見せなければいけないと思っていました。行財政改革をしっかり進めて来たので、当面は単独でもやっていけるという自信はありました。

– とはいえ「絶対に生き残れるのか」と言われたら、それは自信がなかったという道上さん。生き残れる確信よりも、合併したら悪い流れが加速する危機感が道上さんに大きな決断をさせます。そう、この決断こそが西粟倉村の「挑戦」のはじまりでした。

道上:当時、考えていたことはひたすら「身の丈に合う事をやる」ってことです。僕が村長になった頃の西粟倉村は負債が50億円以上ありましたから。だから僕は不要なものは作りたくなかった。中学校のプールを建て直すのすら「隣の智頭町に温水プールがあるからそこに借りればいい」といって直させませんでした。でも守るべきものは守りたい。

たとえば合併に伴って学校の統廃合がありますよね。あれは絶対に地域を痛めます。学校のある地域は文化の中心であるし、情報発信基地でもある。学校がなくなると人がこの村から出ていきます。合併してしまうと小学校の統廃合が進んでいくし、過疎になるシナリオがみえていました。美作市に合併していたら学校は統廃合が進んだでしょうね。

国も県も市町村も大変な借金を背負って、どうにもならない状況だったなか、他の市町村はなぜ合併したのかといえば、まあ片山虎之助さんに脅されたのでしょう(笑)。ええオジサンですけどね。僕は2回ほど総務省に行きましたよ。合併しないと言う僕に「そがい言うなら合併せずにやってみぃやしばらく」って言われました。
 

– 天下の国策から離脱することに、総務省は「合併しないでやれるもんならやってみろ」、受けて立つ西粟倉村も「やってやる」。合併するしないの判断は、西粟倉村が存続することを「あきらめるのか、それともあきらめないのか」ということでした。

道上:僕は絶対にあきらめたくなかった。そして何事もひたむきにやり続けなければいけないと思っています。だから、大変ですけど、森という地域資源を使って、小さな経済や雇用を作り出して、『西粟倉村は上質』と言われることを目指して走りはじめたと思うんです。
 

実現不可能だと思っていた『百年の森林構想』

– こうして自立の道を歩みはじめた西粟倉村。2005年には『心産業』というコンセプトで地域資源から仕事を生み出して起業型人材の発掘・育成を進めます。さらに、道上さんはこの村の理念として村の95%以上を占める森林を活用する『百年の森林構想』を打ち立てます。50年前祖先が子孫のために植林した森を守り、50年先の次の世代に引き継ぎながら、健全な森を生かす地域経済の仕組みです。
 


道上:当時は合併のあとで、みんなの心の拠り所になるような旗印が欲しくて、『百年の森林構想』を立ち上げました。西粟倉村は人工林が85%をしめていて、地域資源といったら圧倒的に山しかありませんでしたから。

–『百年の森林構想』とは、村の主な資源である木材に付加価値をつけて、全国に西粟倉の木を流通させる仕組みで、その試みのなかのひとつに森林の集約化があります。西粟倉村の山を村がとりまとめ、効率的に森林の管理を行うものです。1400人ほどいる地権者ひとりひとりに交渉をして、森林を村に預けてもらう。それは気の遠くなる作業です。

道上:西粟倉村では「山は金にならん、山は大変だ」と長らく言われていました。ですが、僕は逆に山へ心が離れている地権者が多い現状で村が山を一括管理することは案外簡単にできるかもしれないと思いました。
 


あと僕は、元々林業の市場はもう回復しないと思っていました。だからこそ村で森林を纏めて、管理のコストを下げていくらか皆に還元していきたかった。地域課題の解決は行政の仕事ですし、山を持っていても手が回らない小さな農家にとってどんなに有意義なことかと思います。
それから、国が色々な補助金をつけて、無料で森林の手入れができるという時代がはじまろうとしていました。最悪、儲らなくても山に手を入れれば森林が綺麗になるじゃないですか。だから絶対に『百年の森林構想』はやっていこうと山を預かろうという重たい判断をしました。最初は大分苦労しましたね。

– 代々から引き継いできた大切な森林。その森を、血縁・地縁だけではなく、行政、森林組合、村民、そして移住者、まさに村をあげて構想を実現しようと走りはじめます。

道上:今回のことで一番大切なポイントは「地域資源に付加価値をつけて経済循環させる」という大変な実務を村民にさせなかったことです。ここの森林をもう一度活用していくためには、新しい提案が必要になってくると考えました。

– 道上さんは合併議論の最中から、総務省の地域再生マネージャー制度を利用するなど、村の未来を懸命に模索していました。村を再生させるために、アミタ持続可能経済研究所、トビムシなどから知恵を外部に求めたのです。そして当時2009年、西粟倉村の地域再生マネージャーだった牧大介さん(現・西粟倉・森の学校 校長)を中心として、『百年の森林構想』を事業化していく村の総合商社『西粟倉・森の学校(以下森の学校)』が誕生しました。村の命運を分ける重要なミッションを外部に任せるというのは村内でも賛否両論あったといいます。そこをあえて、外の人間に任せることは道上さんの判断でした。

道上:村の森林は村役場が中心で預かり、森の学校には対外的な仕事をしてもらって木を捌いてもらおうと思いました。そして森林組合はひたすら現場の仕事を全うしてもらう。その役割分担だけははっきりしていました。
地元の人間は、50年前「この木はええ柱として1本何十万円で売れればいいなぁ」と思って山に苗木を植えます。それをせっせと育てて、50年後、時代が移り変わって、柱じゃ売れなくなってしまったとき、植えたときの想いをどこに寄せていいかわからない。ああ、駄目になってしまったなあとしか思えない。だから、外からの感性を取り入れよう。外から来てもらった人達に僕らの地域資源を正しく判断してもらおうと思ったわけです。

– 自身も林業をやってきた道上さん。林業業界の厳しさは肌で感じていて、『百年の森林構想』は、林業という軸で考えると相当苦労する、とも考えていました。

道上:実は、西粟倉の森林を『百年の森林』まで育てることは、簡単にはできないということは重々承知の上であえて掲げました。いや、絶対にできないと思っとった(笑)。
でも、合併しないこと自体が、西粟倉を、この地域を、あきらめないことの意思表示でしたから、その上で『百年の森林構想』を掲げることはさらにその50年先まであきらめないぞということを改めて宣言したことになります。
 

いい山を育てていくことの結果として、経済行為が生まれる

– 旗を掲げた道上さんですら成功は難しいだろうと考えていた『百年の森林構想』。それでもその背中を押したのは、道上さんの山への想いでした。
 


道上:たとえ、材木業が立ち行かなくなっても、山が良くなるっていう判断で思い切っていけました。間伐を繰り返すということは、本当に山がよくなるんです。『百年の森林構想』を推進していけば、もっと山に手を入れることができて山が良くなる、その一点だけは確信がありました。

そもそも僕は西粟倉の自然環境を憂いているんです。85%も植林があるなんて、生態系に悪いんですよ。川の水は綺麗ですが、西粟倉村の川には魚があまり住みつきません。山に針葉樹ばかり植え過ぎているのが原因です。小魚が全然居ないのは生態系が循環していないということです。広い意味での環境を考えると、もう少しモザイク的な植林をしなければいけないのではないかと思います。木と木の間に空間を作って、光がさして、下層植物がしっかり生えなければならない。それはまた何十年とかかります。もう2回くらい間伐しないと。

その結果として、いい木材が出れば経済行為も他所に負けない。そして上質なものが出来ると考えました。経済のことばかり考えすぎて、めちゃくちゃに林業を推進すれば、環境を痛めますからね。どうしても守りたいものがあるじゃないですか。その想いはこの村に形として残さなければと思いました。

– 林業で経済を回すということよりも、いい山に囲まれた村にすること。いい山に育てるという視点で政局をみつめてきた道上さん。一方『百年の森林構想』では、森林を育てる長伐期の林業をやっていこうとしています。しかし、現在、中目材(丸太の梢側の切り口20~28cmの木材)以上の木材があまり高く売れないという現実がある中で、長伐期林業および100年目指すのはなぜなのでしょうか。

道上:僕が考える『百年の森林構想』は、短期的に経済的価値や換金性の有無をそれほど重視していません。あくまで市場よりも地域に目を向けたい。マーケットに合わせた林業をするのではなく、とにかく良い山を育てあげることが先立っていて、その営みの中で出てきた木に付加価値をつけて売って行く、という順序に考えていくべきです。そんな理念のもとで材木業をやってくれる森の学校は、本当に大変じゃなと思いますよ。

– そもそも『百年の森林構想』とは50年先を見据えた理念。2058年を見越した林業の経済計画を立てるのは経済学者でも難しいことです。しかし「価値ある森林を残したい」、「美しい森を子孫に残したい」という祈りや願いに近い無垢な想いこそ、地域にとって持続可能な計画なのかもしれません。

道上:私は、わりあい近くを見る事は苦手です。でも遠くを見ることはできる。見るというか、夢見ることができる。だから50年後を想像するほうが容易です。私はいま65歳ですから『百年の森林』を見ることは叶いません。しかし私の倅は31歳だから、うまくいけば50年後『百年の森林』になった西粟倉村を見てもらえます。それだけでがんばれる気がしませんか?
 


 

異文化を受けいれなければ、全滅する

– 美しい森林を守りたい。子どもに見せてやりたい。そのミクロな思いが、地域社会というマクロを正しく導いているように思える道上さんのお話。そして、50年後を目指し物語を積み上げていく西粟倉村に欠かせない挑戦者たち。この村に移住をして、村の新たな生態系を築く彼らのことを道上さんはどんな気持ちで見守っているのでしょう。
 


道上:若い人達がこの村で新しい挑戦をしてくれるのは本当に嬉しいですね。やっぱり、山や森林に関連してくる起業家が増えると心強いです。木に関係した職種が増えると嬉しいし、未来に繋がって行く気がします。
あと木に関係ない、酒屋(酒うらら)とかもこの村で開店していますね。彼女に僕はずっとびっくりしている(笑)。

– これからまた新たに西粟倉へ来る人々もいると思います。前村長として『百年の森林構想』を掲げた当人として、どんな人に来て欲しいと願うのでしょうか。

道上:意思の強い人。継続していける人。自分の良いところを発信できる人でないと田舎ではもたないです。言う事を訊くばかりではね。意思を持って生きて欲しい。地域の後継者っていうのは、地縁・血縁で継ぐのが今までの様式だったけど、僕は地縁・血縁に限定しないほうがいいと思うんですよ。ここで生まれた子でも、他の土地で頑張ってもいいと思うし、頑張れる人にして送り出してやるのが私たちの仕事だとすら思う。そして、ここを目指して来てくれる人を受け入れなければいけないと思います。

西粟倉村だけではなく、日本全体がそうなっています。日本の財政状況からいっても今のままの体質じゃもたないですよ。今までみたいに、経済を回してお金をかけなくても、生活できる場所はいくらでもあります。西粟倉村もそうあって欲しいし、上質であるということはそういうことだと捉えています。ものをむやみに消費することや身の丈にあわないことはしない。そういうことに徹底すると、もう少し上質に生活できると思います。

– これからの時代、絶対的に人口が減ります。高校・大学のない西粟倉村は、地元民も進学によって一度は外に出ることになります。そのUターン率は年々低下の一途をたどります。だからこそ「この地に住みたい」と言って移り住む人達が地縁・血縁がなくても生活できる村になることが、この地域を維持していくことに必要です。

道上:地縁のない子だって、思いがあってここにやって来てくれた。ずっとここにおってほしいじゃないですか。いま一番心配なのが、外からこの村に入って林業を営む若いひとたちが、ちゃんと子どもを育てることができるのか。僕らがその給料を払い続けることができるのか。それが勝負です。…気が休まらんです(笑)。

ローカルベンチャーの皆が西粟倉村で頑張ってくれていますが、異文化を持って入ってきてくれていると思います。そして、異文化を地元も受け入れなければ、地域は消滅してしまうでしょう。今、地方はそんな岐路に立たされています。すなわち、地域に異質なものを受け入れていく力があれば、人口を含めて地域は維持できます。そうなる過程を丁寧に解決していかなければ、全滅ですよ。この時代、地域あった生態系ができれば、素晴らしい環境が西粟倉村に戻って、もっと上質な生活ができると信じています。そこを見届けるまでは生きておりたいな、と思います。

– 道上さんに、西粟倉や地域に一番大切なことはなんですか?と伺うと「やっぱり継続です。色んな意思があって、継続されればいいと思うんですよね。継続すれば本物になりますから、そして本物は継続します」、そう力強く話して下さいました。木も想いも、本物になるまでは時間がかかります。さらに、環境によっては「本物」ですら生き長らえず死に絶えることだってあります。しかし、西粟倉村はその長く険しい道のりをあえて歩む決断をしました。『百年の森林構想』に込められたメッセージに、地方創世時代の新しい自治の可能性を感じるのは私だけではないはずです。

メールマガジン

いきるが、ひろがる。Through Me Magazine をお届けします。