岡山県

西粟倉

にしあわくら

ここで、古き良き暮らしを実践し続けることが天命。茅葺きの家と、結の気持ちを守り継いで

西粟倉駅から坂を上ること数分。まるで日本昔話の世界にタイムスリップしたような錯覚におちいる茅葺屋根の古民家があります。地元の人たちからは「天徳寺」と親しまれてきた築130年のこの貴重な古民家。村では数少ない宿泊施設兼カフェとして2016年4月から営業しています。この古民家を未来に残そうと「クラシカ」の屋号を掲げて活動している1組の移住者、三宅眞生さん、聖子さんご夫妻にお話を伺いました。
 

いくつもの幸運な出会い

– まず、おふたりが西粟倉村に来られた経緯を教えてください。

眞生:元々は倉敷で不動産業を営んでいたんです。不動産業ってスクラップ&ビルドの世界で、街並みを考えずに建てては壊し、壊しては建ての繰り返しで、仕事としてモヤモヤしたものはずっと感じていましたね。倉敷は町屋など古い建物がわりあい残っていて古民家再生にも興味がありましたし、簡単に壊されるのはもったいないなあ、と。

聖子:そんなことをあちこちで話していたら、私の知人が岡山県内の古民家がある町をいくつか案内してくれまして、一番最後に西粟倉村へ案内されました。のちの私たちの田舎暮らしの“師匠”となるFさんのお宅にお邪魔して「古い家を残していきたいんです」とお話ししたところ、ひとしきり聞いてくれたあと「ほんなら役場に行ってみい」と役場の方につないでくれまして。そこから移住までとんとん拍子でこぎつけたというか。

– 旦那さんがまずは地域おこし協力隊員として村に採用されたそうですね。

聖子:私は保育士の免許も持っていたので託児所で働くことになり、夫は宅建業の資格を生かして空き家対策などの目的で地域おこし協力隊として採用していただきました。移住してきても当面の仕事がないのは困るので、とても助かりましたね。生活の糧が見つかって、移住の拠点もみつかって、これはもう縁があるとしか思えないなと。西粟倉に初めて来てからわずか2ヵ月ほどで引っ越してきたんです。倉敷に家も買ってたのにね(笑)

– 最初は天徳寺ではなくて、違う地区にお住まいだったとか。

眞生:そう、最初は別の地区に住んでいました。天徳寺は個人所有のお宅で、持ち主のおばあさんとは散歩中なんかに時々言葉を交わす間柄でした。当時、天徳寺は第3セクターが管理・運営を行う簡易宿泊所でしたけど、ある時、もう運営をやめるということを耳にしたんです。
 

この先、所有者のおばあさんに返還されても、茅葺きの家はお世話も大変だし、おそらく空き家になってしまうんじゃないかと心配していところ、人づてに「(運営を)やってみないか?」と誘われ、ほかにやる人がいないんならと手を挙げて、お借りすることにしました。持ち主のおばあさんからも「あの人たちなら」ということで認めていただきましたしね。地域の方々に助けられて、ここまで来られたことは本当に恵まれていたと思います。
 

クラシカ=暮らし家?

クラシカとは、一日一組のお宿「天徳寺」、宿泊予約のない日に営業するカフェ「てまひま」、古道具をあつかう「マルニケンカタバミ」の3つのサービスを総称した屋号です。

– 「クラシカ」とカタカナにすると見慣れない感じになりますが、この言葉に込めた意味を教えてもらえますか?
 

聖子:「料理研究家」とか、そういった使い方と同じで、自称ですけど「暮らし研究家」として、クラシカと言ってます。効率だけじゃない暮らし方、いいところも不便なところも含めて、この家で実践してお伝えできたらなっていう想いをこめてクラシカを掲げることにしたんです。

私たちクラシカのテーマが「残す」「守る」「伝える」なんですが、古い建物を残して、この暮らしの中で守って、それを人に伝えていこうと。最初に言った、スクラップ&ビルドとか大量消費社会から少しだけ立ち止まってみるきっかけの場所になれたらいいなと思って。あとは”classic”の意味もかかってたりします。

眞生:最初、天徳寺は自分たちの住居にしようと思ったんだけど、それだと広がりが生まれないでしょ。より多くの人にここの良さを知ってもらえるようにと宿泊施設にして、あとは地元の方々にも集ってもらえるように喫茶もすることにしました。この天徳寺もポツンとあるわけじゃなくて地域の風景の一部だから素敵なわけで、こんな素敵なものが地域に残っていることに誇りを持ってほしいと思ったんです。意外と近所の方でもこの建物に入ったことのない方が多かったですしね。
 

– 藁葺き屋根の伝統的な外観ですが、中に入ってみると和の中にもモダンな意匠が施されているなど、素敵に改装されているのが印象的です。

聖子:私がアイデアやイメージを伝えて、大工の棟梁さんが考えてくれて、手伝える作業は主人も参加して手を加えているんですよ。

眞生:そうそう。ただ、単に懐古趣味というわけではないから、現代人に合わせて快適になるようにもしてます。例えば雨戸と障子だけだったところは、間に(断熱の)窓ガラスを入れたり、だれでもが座りやすいように掘りごたつにしたりね。この掘りごたつを作るときはぼくが床の下に潜って狭いところから小さいスコップで地道に土を掘りだしたりしましたよ(笑) 
 

聖子:「まるで親戚のうちに泊まりに来たみたい」というような感覚になってもらいたいので、あえて生活の匂いみたいなものは残したいと思ってます。障子の穴だってきれいに張り替えずに、布を貼ってるでしょ(笑) 私たち、クラシカなので実際の“暮らし”の中にお客様をお招きするような部分も大事にしたいんです。お台所も私たちが住んでいるスペースにはなくて、この天徳寺と共用です。日々の営みをこの空間の中に残したいというかね。

眞生:プロフェッショナルによって作りこまれた空間じゃないので、甘い部分もありますけど、そこも含めて楽しんでもらえたらと思ってますね。冬はどうしても日本家屋だから寒かったり、夏は虫も出たりしますし、決して万人受けはしないけど少しずつでも広まればいいなと。

– お宿もして、カフェもして、となるとかなりお忙しいと思うのですが、その上お米も無農薬で作られているそうですね。

聖子さん:たまたま使われていない農地があったこともきっかけですが、やっぱり食べ物のありがたみだって実際にやってみないとわからないですしね。食べ物のありがたみを人に伝えようと思ったらまずは私たちが実践しないと、ということでお米作りから始めてみたんです。
1年目は刈り取りもすべて手でやって、2年目の今年はバインダーを使ったら機械のありがたみもわかりましたねぇ(笑) 農家の方々のご苦労もすごくよく分かりましたし、お米の一粒だって大切なことをやっぱり実感しました。

 

現代に残したい結のかたち

「結(ゆい)」とは、村落共同体において一人で行うには多大な費用や労力が必要な作業を、住民総出で協力し合う相互扶助の仕組みのことを言います。

定期的な葺き替えが必要な茅葺屋根も昔はこの「結」のおかげで、一軒あたりの負担は少なく済んでいました。しかし、そういった仕組みのない現代では、数少なくなった茅葺き職人さんの技術代や茅の材料を調達するところまで含めるとかなり高額の費用がかかるそうです。
 

– 天徳寺を残していくために、「21世紀版の結のかたち」ということをホームページなどに書かれています。この結の意味をもう少し教えていただけますか?

聖子:昔は茅葺きのお宅がたくさんあって、その住民同士が助け合う結の制度で家が維持されてきたんですが、今は茅葺きの家がなくてそれができないですよね。そろそろ葺き替えが必要となっているこの天徳寺をどうやって守っていこうかとなったとき、宿泊や食事、喫茶でいただくお代を「結」として、来てくださる皆さん方から少しずつ、広く浅くいただいてここを保存していこうというのが、私たちが現代の結と呼んでいるものです。

「結」という言葉をあえて使っているのは、昔ながらの相互扶助、人のために何かすることが普通というニュアンスも「結」っていう言葉にはあっていいなと思って、そうしているんです。

– 単なる貨幣とサービスとのやり取りではなくて、お互いの気持ちもやり取りされるということなんですね。
 

聖子:そうですね、まだなかなか発信できてないんですが、来てくださる皆さん方のお気持ちでここが守られるんですよ、ということもゆっくりお話しできる方にはお伝えしています。ただ、そのことが先にありきというのも違う気がするので、食事や空間を楽しんでいただいた上で、お伝えできたらって思ってます。

眞生:例えば、今後茅を刈るのを手伝ってくれることも結だし、コーヒー飲みに来てくれることや、お友だちに「あそこのお店はいいよ」って口コミで広めてくれることも、これまたひとつの結の形ですよね。

– 葺き替えのための費用をまかなうことは楽ではないとお聞きしましたが、おふたりのこれからの目標や夢を教えてください。
 

眞生:そりゃもう、ただ天寿、天命をまっとうすることですよね(笑) ここで暮らしを実践し続けることが天命であり目標かな。あとは、後継者づくり。思いを継いでやってくれる人がいたらいいですよね。ぼくらも流れる歴史のひとコマに過ぎないわけですから。

聖子:こういう暮らしもいいよね、とか茅葺きの家が一棟でも多く保存されるよう、日本人の価値観が少しずつでも変わればというのはあります。ここにしかない良さを再発見するということができるなら、私たちが外からこの地に来た意味もあるのかなと思いますね。

– 西粟倉村の時に厳しい風雪に耐えて静かにたたずむ天徳寺のように、しっかりと地に足を付けて活動されるおふたり。時にユーモアも交えつつ、言葉を丁寧に選んでお話しされる姿が印象的でした。次代に残していく作業は決して楽ではありませんが、この暮らしや建物を守り続ける、という挑戦を一歩一歩積み重ねていかれることでしょう。

現代の「結」を交換しに、ぜひみなさまも天徳寺へ足を運んでみてください。初めてなのに懐かしい、そんな不思議なふるさとが待っています。

クラシカ

https://kurashika.com/