経営者からYouTuberへ。築き上げてきたものを手放してでも大切にしたかったのは、やりたいことをやりたいというシンプルな想いだった。

YouTubeチャンネル開設1年でチャンネル登録者数15,000人突破!
華やかな美容業界から一変、人口約1,500人の小さな村に移住し、古民家を改修しながらDIY動画をお届けしているYouTuber、JPこと松尾淳平さん(44歳)。
西粟倉ローカルライフラボ(LLL)2期生として、1年間の研究期間を経てこの冬認定審査会に臨み、西粟倉村認定支援事業者4名のうちの一人として、見事認定を受けました。

美容室オーナーとして成功も失敗も経験してきたJPさんの次なる挑戦を後押しするものは何なのか。過去の心境の変化を振り返りながら、今持っている想いを聞かせてもらいました。

 

溶接工から転身、華やかな美容師の世界へ

-西粟倉村に来る前は美容室を経営されていたそうですが、美容師時代のことを聞かせてもらえますか。

 

JP:実は最初から美容師を目指していたわけではないんです。18歳で高校を卒業して社会に出た時は配管工の溶接の仕事をしていました。22歳になった頃、業界を変えて一度リセットしたいと思うようになりました。その時に頭に浮かんだのが服屋さんか美容室。これまでずっと現場作業員という男臭い現場に身を置いていたので、アパレルや美容関係など華やかな世界に憧れがあったんだと思います。特にその頃は美容ブームで美容業界は右肩上がり。なりたい職業3位に美容師が入るくらいでした。モテるよなって思って(笑)

それで美容師に転身したらすごくハマったんです。めちゃくちゃ面白かった。カットをしたりすることももちろん楽しかったけれど、お客さんとダイレクトに接することができて、「ありがとう」と直接感謝されることが本当に嬉しくて。溶接の仕事ではどんなに配管を綺麗に繋いでも、感謝の言葉をもらえることなんてなかったですから。

 

-独立をしたのにはどういうきっかけがあったんでしょうか。

 

JP:美容業をやると決めた時点で独立志向は持っていました。自分の中で30歳で独立すると決めて、逆算してこのくらいの年齢で店長を経験しようという中間目標も立てて、それを紙に書いて壁に貼っていましたね。だいたいその目標通りに経験を積んでいきました。

28歳で店長をさせてもらえることになった時に、ちょうど新規出店を担当することになりました。当時勤めていた美容室は全体で40人くらいスタッフがいる結構大きい会社で、その5店舗目の新規出店の店長を任されたんです。その新店舗立ち上げから2年が経った時に30歳になり、いよいよ独立だなと。

 

うまくいかなかった独立からの1年間。
このままではいけないと思った

JP:いざ独立となって、最初は僕とアシスタントの2人でスタートしました。店長時代は6〜7人スタッフを抱えていたので、2人なら楽だろうと思っていましたが、実際に店を始めてみると全くそんなことはなかったですね。雇われていた時は給料制だったのが、オーナーになったら絶対に売り上げを作らないといけない。毎日がばくち打ちみたいなもので、お店のシャッターを開けて開店するだけで人件費や家賃などお金が出ていくわけなので、そこでやっと事の大変さを痛感しました。

そんな調子でうまくいくはずもなく、全然儲からないし、念願の独立を果たしたのに最初の1年は本当に面白くなかったです。気持ちもどんどんやさぐれていきました。せっかくの売り上げもパチンコに消えていき、今日の働きが一瞬で無しになってしまう毎日でした。

売り上げを使い切ってしまい、いよいよ店が回らない…となったある時、こんなバカみたいなことはもうやめようと思ったんです。お金のことでストレスを抱えるのはもう終わりにしよう。そう気持ちを切り替えて、「自分がバカだから稼げないんだ」「勉強しないといけない!」と、経営の勉強会の情報を集め始めました。

色んな人に相談する中で紹介してもらったセミナーも、金額を聞いたら参加費50万円と言われてめちゃくちゃ高い。到底無理な額で自分には縁のない話だと諦めかけていた時、お店にヘアカラー剤を卸してくれている美容ディーラーさんにその話をしたら「ありますよ」と言われたんです。「でも高いんやろ?」って聞いたら「タダです」って。1回目の研修は無料で参加が出来ると言うんです。「だったら行く!絶対行く!」って参加して、そうしたらどハマりしました。その研修の内容がとにかく素晴らしくて、そこで180度変われたと思います。パチンコもタバコもそれ以降やめました。

研修を通して自分がうまく行っていない理由に気付いていって、そうしたら泣けてきて、3日間の研修でひたすら大泣きしていました。声もガラガラになるくらいに。自分が愚かだから、愚かな結果しか生まれていないということを改めて咀嚼できた瞬間でした。

当時のスタッフにその時大泣きしながら電話して「ごめんな。俺がアホやったから」って全部さらけ出しました。そうしたら「いやもう気持ち悪いから帰ってきてください」って冷静に言われて(笑)

 

1店舗目の急成長、2店舗目の成功、
そして3店舗目での大きな挫折

JP:やるぞー!いくぞー!って僕が変わっていく様子をスタッフのみんなも応援してくれて、嫌な顔せずめちゃくちゃ働いてくれました。2年目3年目と前年比売り上げも160%180%とどんどん伸びていって、順風満帆な時期でした。

37歳の時にいよいよ2店舗目を出すことになり、それも大成功。1年目にすぐ軌道に乗って、1店舗目で5年くらいかかった売り上げを2年目に達成するほど好調でした。それで周囲からものすごく褒めてもらったものだから、完全に天狗になってしまって。すぐさま3店舗目に手を出したんです。それが大失敗。

僕自身がシャンプーがものすごく好きで、マッサージ的なサービスを供給できないかと思いシャンプー専門のお店を作ったんです。完全に天狗になっていて「店出したら流行るやろ」みたいなど素人のノリでしたから、立地選びもプライス設定もデタラメ。真っ赤っかの大赤字で、オープンからたった1年でクローズしました。

恥ずかしいやら悔しいやらでその頃は完全にノイローゼになっていましたね。なんで失敗したのかということに向き合わずに蓋をしてしまっていました。40歳を目前にして、経営者として次なる一手を打たないとと思うものの、失敗と挫折の感触が残っていて踏み出せないでいました。

ちょうどその頃立て続けに両親が亡くなったんです。癌を患っていた母親は「まだやりたいことがいっぱいある」って言って泣きながら死んでいきました。一方父親は「もうやることないわー」と老衰で悔いなく死んでいったんです。
それを見て、いよいよやりたいことをやらないといけないなと。個人的な欲求を満たしたいなと思うようになりました。それまで頭の中は会社でいっぱいで、会社が自分の人生とイコールでした。

 

やりたいことをやろう。
会社を手放し、世界一周の旅へ

JP:それまでも海外旅行には年に4回くらい行っていましたが、行けてもせいぜい1週間くらいでした。もっと長期で旅をしていろいろな所を見てみたくて、いつものように壁に「世界一周に行きたい」と書いて貼ってはいたものの、思いは募るばかりで実現するイメージはありませんでした。

それでも達成したい気持ちはずっと消えず、ついに40歳になって「世界一周に行きたすぎるから、会社を渡そう!」と思ったんです。経営していた2店舗の店長2人に社長になってもらうべく、「社長塾」と銘打って1年半かけて社長業のことを一つ一つ伝えていきました。2人が会社を起こして今3期目になりますが、しっかりやってくれています。

 

-そしていよいよ念願の世界一周の旅に出られたんですね。 旅の中ではどんな経験をされたんでしょうか。

 

JP:あまり英語も喋れずコミュニケーションもろくに取れないので、一人でじっくり考える時間がたくさん生まれました。1年2ヶ月で30ヶ国を巡りながら、深い内省というか、ひたすら自己対話をしていました。その時にやっと、3店舗目の出店の失敗という、ずっとフタをしてきた過去に向き合うことができたんです。何で自分が失敗したのかをしっかりと分析して、受け止めて、咀嚼することができたことで、「次のチャレンジをしよう」という気持ちが再び湧き上がってきました。

新店舗が失敗して借金返済をしていた時期は、常にボディーブローを受けているような状態で本当に辛かったので、もう絶対にそうなりたくない。借金を抱えずに何か事業を起こせないだろうかと旅をしながら考えていた時、Facebookのフィードでふと目に入ったのが『西粟倉ローカルライフラボ(以下LLL)』の募集でした。様々な支援を受けながら事業を育てていけるこの制度を知り、これだ!と思いすぐに申し込みました。

 

無邪気に楽しめることはなんだろう。
そこで浮かび上がってきたのは、大好きなDIYだった

-どうして美容師からDIYという全く別のジャンルに方向転換されたんでしょうか。

JP:昔は小さな可能性にもワクワクしてグッと広げることが出来ていたのに、美容業界に長く身を置くにつれて、だんだん自分の中でプラスのイメージが持てなくなっていました。経営者として次のイノベーションを起こしていかないといけないのに、先の見通しができず、ネガティブな方ばかり見てしまっていました。

美容業は一回リセットして、それこそハタチの時くらいの気持ちに戻って、パワー全開で無邪気に新しいことにトライできないかなって思ったんです。その時に浮かんだのが『DIY』でした。小さい頃から物作りが好きだったこともあり、美容室を立ち上げた時も暇があればホームセンターに行って道具や材料を見繕っては店舗のDIYに熱中していました。

趣味のDIYで食べて行くにはどうしたらいいかと考えていた時に、YouTubeに着目しました。世界一周中は何をするにしてもスマホ完結することが本当に多くて、今後ますます世界はそうなっていく。その中に自分のフィールドを持つことができたら、もしかしたら稼げるんじゃないかと思ったんです。借金はもう絶対にしたくなかったので、YouTubeならスタートアップの資金もいらないですから。

 

YouTuberという仕事を理解してもらえず、
何者でもない自分に苦しんだ時期

JP:LLLの2期生として活動できることになり、西粟倉に移住したのが2019年の2月。元々お好み焼き屋さんを営んでいた古い空き家が村内にあって、そこを借りてDIY改修をしながら住めることになりました。

村内に知り合いなんていないですし、当時はまだ手探りで自分がYouTubeをやっているという確信もない状態でしたから、近所の人たちにすごく怪しまれていたと思います。家で一人黙々と作業をしていたら扉が急にガラッと開いて、「…何やってるんですか?」って恐る恐る聞かれたりすることもありました(苦笑)

お店を開くわけでもないし、何か物を作って売っているわけでもない。「DIYをして、動画を配信して、視聴者がついて…」と、相手の想像の範疇にないことをどんなに具体的に説明しても、理解してもらえないし、「なんだこいつ」ってますます怪しまれるわけです。

1年経った今は YouTuber(ユーチューバー)という言葉も周囲にだいぶ浸透して、何者なのか理解してくれたと感じています。今だったら「Youtuberです」って言えますが、当時はとてもじゃないけど言えなくて、堂々と出せる看板を持っていませんでした。そんな自分にすごくイライラして、苦しかったですね。

一方でその悔しい気持ちが頑張れるエネルギーになっていました。早く看板を持ちたい、堂々と何者なのか言いたかったんです。

 

-溶接工から美容師に転身してゼロからスタートした時と重なりますね。

JP:そこは似ていましたね。あの頃も最初は「美容師の見習いです」って言っていて、早く堂々と「美容師です」って言いたい一心で頑張っていたので。

 

互いに刺激し合える仲間の存在

-DIYも動画編集も、毎日一人で黙々と作業をされていると思います。
チームで仕事をしていた美容室時代と環境が大きく異なると思いますが、どうやってモチベーションを保ってこられたんでしょうか。

JP:村内の友人たちの存在が大きいですね。彼らも様々な理由で西粟倉に移住をしてきていて、皆で集まっては各々の事業計画のブラッシュアップや人生設計を話し合ったり、仕事や人生をテーマにどう生きていくかの意見交換をしています。楽しく飲み会をすることもありますが、全員でPCを持ち寄って黙々と仕事をする会もよくやります。真面目すぎますよね(笑)

 

-村内の20〜30代の移住者男子間のコミュニティは元々ありましたが、経営経験のある年上のJPさんがそこに加わったことで、彼らの中の起業や生き方への意識や行動がより加速しているように感じます。
それぞれ個々で動いてはいるけど、活発に意見交換できる輪ができたことで、全体の熱量が増していっていますよね。何よりみんな楽しそう!

JP:DIY動画配信はほぼ一人で完結させているので、だんだんと近視眼的になってくるんです。そんな中で外からの風をバーっと吹かせてくれる彼らの存在には本当に感謝しています。

西粟倉に来る前も1年間一人きりで世界一周の旅をしていたので、自己対話ばかりで内へ内へと向いていた時期でした。そこにぐいっと彼らが飛び込んで来てくれて、質問攻めのシャワーを浴びせながら興味を持って関わってくれたおかげで、色んな話をしながら自分のアイデンティティや、社会性を取り戻していけたような気がしています。一人で考えを深めることももちろん大切ですが、色んな頭で考えをぶつけ合うことで新しいアイデアが生まれますし、目標も周りに宣言することで達成への後押しになりますね。

 

常に想いはシンプルに。2度目の世界一周へ

-趣味だったDIYを仕事にしていくというテーマで「DIY×YouTuberが本当に稼げるのか」の検証をLLLの活動を通して一年間やってこられたと思います。この事業を更に成長させていくためにこれからどういったことに取り組まれる予定ですか。

JP:LLLでは外部メンターによる事業相談も定期的に行われます。自分で経営をしていた時はコンサルティングを受けるためには高額の投資が必要でしたが、研究をしながら様々なサポートが受けられるのLLLの制度は本当に手厚いなと感じました。

まだ全てを賄えるほど収益は上げられていませんが、一年経って、これはいけるんじゃないかという先行きが見えてきました。土台となる足腰が作れた一年だったと思います。ここからは色々な技を覚えて、様々な投球フォームを試していく第2フェーズに入ったと感じています。

例えば、今までは無言で黙々と作業をしていた動画に、しゃべりを入れてみたり。一本完結でまとめていたものを、DIYの作業段階ごとに分けて複数の動画にしたり。大手ホームセンターさんとのコラボ動画や、西粟倉の村内企業「株式会社西粟倉・森の学校」さんの主力商品を使ったDIY企画にもチャレンジしました。

これからも動画編集のスキルや企画の立て方など、コンテンツとしての魅力をいかに上げていくかを試行錯誤して、チャンネル登録者数や動画再生回数をどんどん大きくしていきたいですね。

そして、この事業を成功させてしっかりと収益化することができたら、世界一周にもう一度行きたいんです。1度目の旅で周りきれなかった場所がたくさんあるので、そこを中心に好奇心の向くまま思いっきり旅をしたいなと思っています。

行きたいんだったら今すぐ行けばええやん!って言われればそうなんですけど、違うんです。2度目の世界一周は「旅の仕方」にこだわりたい。初めての世界一周の時は、美容室の会社と仕事を全て手放し、何もない状態で回っていました。旅が終わって帰っても仕事はもう無いわけです。現場も一から作り直さないといけなかった。そうじゃなくて、旅をしている間もずっと持ち歩けるものが欲しかったんです。それが今必死に取り組んでいるYouTubeチャンネルです。

インターネットをフィールドにしていれば、旅をしながらも仕事ができるし、稼ぎも得られます。1度目の時は貧乏旅行でしたが、次はもっと豊かに世界を周りたい。僕の中のモチベーションは大義を成したいみたいな立派なことではなくて、ごくシンプルに、自分のやりたいことをやりたいようにやりたい。それに尽きると思います。

夢や目標の再設定の繰り返しで僕の人生は終わっていくんだなって感じていますね。後のことはあまり考えてないかもしれません。達成欲というか、常に何かに挑戦していないと燃えないし、常にそういう状態でありたいんです。

これまで経験してきたように、何事も一つ飛ばしにはいきませんから、これからも日々の積み重ねを愚直に続けていきたいと思っています。

YouTube JPチャンネル
https://www.youtube.com/c/JPchannel_55

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