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角田玄米物語〜「移住」「新規就農」「自然栽培」、3つの壁を乗り越えて。

口に含めば米ぬか特有の香りが広がり、噛みしめるとプチプチ弾け、じんわり甘みがしみ出す。ふるさと納税の返礼品に採用されている「角田玄米」は、農薬や肥料を使わず、除草もしない「自然栽培」で育てられた単一農家米です。米どころの厚真町で、自然栽培でお米を育てている生産者は、角田長久さんただ一人。北海道には縁もゆかりもなく農業経験もなかった角田さんがなぜ厚真町に移住し、自然栽培に挑むことになったのか。その物語をひもときます。

9月下旬。厚真町は一面、収穫を控えた稲穂の黄金色に覆われます。
そんな美しく整った風景とは対象的なのが、稲穂の間に青々と雑草が伸びる角田さんの田んぼ。雑草も生き物も受け入れるこの田んぼこそ「多様な生命があふれ、美しい秩序がある」と角田さんは語ります。

角田さんのお米は現在、一般の流通はなく、玄米のみをふるさと納税の返礼品として取り扱っています。決して安価ではない寄付金額にもかかわらず、角田玄米は毎年、品切れになるほどの人気です。さらに田植えや収穫などの繁忙期になれば、角田さんのお米のファンや知人が作業の手伝いに集まります。
角田玄米の何がそれほど人を引きつけるのでしょうか。まずは、角田さんが米づくりを始めることになったいきさつから聞いてみました。

 

不惑の決断。魂を焦がすほどの夕焼けに引き寄せられて。

–角田さんが厚真町に移住したのは20年前の1998年だったと伺っています。移住にいたる経緯を教えてください。

角田:神奈川県で生まれて、東京で育ち、40歳までの20年間、歯科技工士をしていました。農業経験はまったくありませんが、都会での暮らしに疲れ、野菜でも育ててみようかと考えていたところ、知り合いから「北海道に農地がある」と聞いて心が動きました。
紹介を受けて北海道へ下見に来たものの、正直移住や就農までは考えていませんでした。ところが厚真町に差し掛かった瞬間、ある記憶がよみがえったのです。

北海道旅行をした23歳の時、当時の千歳空港で車を借り、襟裳岬を回って道内を巡りました。千歳から襟裳を目指して出発すると、ちょうどこの辺りでみごとな夕焼けに包まれたのです。
「いいなぁ。いつかこんな場所に住んでみたい」。そう思いました。そのときのことはもう何年も忘れていたのですが、再びこの地に立った瞬間に頭の中にパッとその光景が広がり、全身鳥肌が立ちました。ここに住むと決断するのにはそれで十分でした。

 

–その後、歯科技工士の仕事を辞めて厚真町に移住し、畑作農家での研修を経て2000年に就農します。当初はお米ではなく、町が奨励するホウレンソウからスタートしたそうですね。無農薬や有機栽培に興味を持ったのはいつ頃からでしょうか。

角田:就農して最初の作付けは、なんせホウレンソウを育てるのも初めてだったので、周りの先輩農家から言われたとおりに栽培しました。ところが害虫防除のために農薬をまいたところ、ハウスの中でものすごく気分が悪くなったんです。もともと農薬や化学肥料については懐疑的だったので、これをきっかけに農薬の使用を一切やめました。だって直接口に入れる食べものです。自分が具合悪くなるようなものは極力使いたくはないですよね。
そのうちに化学肥料も減らしたいと思うようになり、米ぬかなどを発酵させた肥料のぼかしを土に混ぜてすき込むことを試すようになりました。当時は有機農法も今ほど広まっていなかったですし周りは反対でした。1年、2年と続けるうちに、草も生えないような火山灰土がどんどん変わっていきました。3年目にある先輩農家から「おまえよくここまで土を変えたな」といわれたときに「あぁ、がんばってやってきてよかったな」と思いましたね。

 

–たいへんなスタートでしたね。就農当初はホウレンソウで生計を立てていくわけですが、お米を栽培するようになったのはいつからですか?

角田:2005年からです。実は農業を始める前から「人間が生きるのに欠かせないお米をこの手で作ってみたい」と思っていました。でも、いざ就農しようというときに役場や農協、知り合いの農家から「米は経費がかかるからやめた方がいい」と言われ、町が奨励するホウレンソウを始めました。
それでも、もともとやりたかったのはお米です。就農して6年目に牧草地を水田に復元して水稲を始めました。最初こそ化学肥料を入れていましたが、徐々に化学肥料の割合を減らし、有機栽培にシフトしていきました。
人間って不思議なものですね。ああでもない、こうでもないと手探りを続けるうちに土づくりの深みにはまり、とことん突き詰めたいと思うようになりました。そうして肥料を入れること自体にも疑問を持つようになり、5年前からは有機肥料を入れることをやめ、4年前には除草さえもやめました。

 

理想を突き詰めるほど、収入が減るジレンマの中で。

–無農薬栽培から有機栽培を経て自然栽培を指向されましたが、有機栽培では満足できなかったのでしょうか?

角田:いろいろな考え方があるでしょうが、私にとって有機栽培はベストな選択ではありませんでした。
土壌は窒素、リン酸、カリウムという主要3要素と、たくさんの成分が関係します。しかし、「この成分が足りないから肥料を補う」という足し算の考え方では、バランスを取ろうとするうちに成分がどんどん過剰になってしまいます。それにより収量は上がるかもしれないですが、土自体はメタボリックの状態です。人間のメタボがいろいろな不調を引き起こすように、植物にとっても肥料過多は好ましくない不自然な状態なはず。食べものの原点に立ち返り、せめて自分が手がけるものぐらいは自然な育て方に近づけていこうと思うようになりました。

–生産性の向上をめざす慣行栽培に背を向けるわけですから、壁にぶつかることもあったのではないかと想像しますが…。

角田:今も壁にぶつかってばかりですよ。自然栽培に近づければ近づけるほど収量は減っていきました。だからといって土に手を加えることはできません。手を加えてしまえば自然栽培ではなくなってしまいます。原則は自然まかせです。
やれることがあるとすれば、代かきや苗づくり・田植えの時期を変えることぐらいでしょう。私たちがこれまで「常識」と考えてきた苗づくりや田植えの方法は慣行栽培を基本としているから、自然栽培には必ずしも当てはまりません。
自然栽培には教科書がない。その田んぼにあったやり方を自分で見つけていくしかありません。物言わぬ植物や微生物の声に耳を傾け、目には見えない生命のつながりをイメージして、自然の力に委ねる。「ダメだったな」と思う年でも、中に数本すごく状態のよいものが見つかったとしたら、うまくいった要因を徹底的に掘り下げます。そして次の年に試してみる。うまくいくかもしれないし、まったく見当違いかもしれない。正しいかどうかは1年経ってみなければ分かりません。気の遠くなる話でしょ。

 

毎年試行錯誤を続けながら栽培に取り組んでいる。

-これからについては、どのように考えていますか?

角田:「ゆきひかり」という品種のお米をご存じですか。「きらら397」ができる前に北海道で作付けされていた品種です。コシヒカリのように粘りのある良食味米が求められる時代の中で、昔ながらの「ゆきひかり」は姿を消していきました。ところが近年、お米アレルギーの改善効果があるといわれ「ゆきひかり」が注目を集めるようになりました。
うちではこれまで全量「ほしのゆめ」を作ってきましたが、今シーズンから一部の田んぼで「ゆきひかり」を作り始めています。今後品質検査を受けて問題がなければ、お米アレルギーに悩む方々へ自然栽培の「ゆきひかり」を届けることもできるようになります。
それでも、先のことを考えれば不安だらけですよ。収量の問題も含めてクリアしなければならない課題はたくさんある。簡単にできるのなら、もっと多くの人が自然栽培を実践しているでしょう。難しい挑戦であることには違いありません。でも、実際に自然栽培でお米を生産している人が北海道にもいる以上、何か道はあるはずです。自分はそれを信じて追い求めるだけです。

 

噛みしめるほどに味わい深まる「角田玄米」。

–角田さんは採れたお米を精米せず、玄米のまま出荷しています。玄米出荷にこだわる理由を教えてください。

角田:こだわりもなにも、お米にはせっかくたくさん栄養成分が詰まっているのに、そこを捨てるなんてもったいないでしょ!
たしかに精白米は美味いですよ。だけど玄米も、じっくりと噛めば精白米とは違う美味しさが出てくる。ポイントは一口の量を少なめにして、噛む回数を増やすことです。そうすると玄米ならではの香りとうま味を感じていただくことができます。自然の恵みで育てた角田玄米ですから、余すことなく体に取り入れてほしいよね。

周りから何度否定されても、角田さんは自らの信じるところを貫いてきました。自然栽培へのこだわりを捨てずに持ち続けた結果、角田さんのお米はふるさと納税の返礼品のラインナップに並び、多くの方から選ばれるお米になりました。「少しは見直してもらえたかな」。角田さんはそう控えめに語ります。
美味しさや生産性を追求する米農家がいる一方で、美味しさはもちろん、栽培のあり方自体を問い続ける米農家もいる。さまざまな考え方を持つ生産者がいて、多様なニーズに応えられること。それも、厚真町の米どころとしての「豊かさ」なのかもしれません。

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