岡山県

西粟倉

にしあわくら

必要なのは起業家ばかりじゃない。挑戦を支える、村でもっとも「ふつう」な従業員

坂田憲治さんは2009年に西粟倉村へ移住してから現在まで7年間、西粟倉森の学校に勤めています。創業期の混乱を体験し、倒産の危機をも乗り越えた数々の戦歴を感じさせない飄々としたスタンスは「西粟倉村ローカルベンチャー史上もっとも” ふつう“のひと」と評されます。村の人々に「さかぽん」のニックネームで愛される坂田さんは西粟倉村最初の地域おこし協力隊でもあります。”ふつう“が当たり前じゃない群雄割拠な過疎地域社会で” ふつう“に働き暮らしてきた坂田さんの7年間を振り返りつつ、地域会社の従業員として働くリテラシーを見出していきたいと思います。
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西粟倉村初の地域おこし協力隊誕生秘話

– 坂田さんは現在、西粟倉森の学校(以下森の学校)の業務部課長です。出荷、受注、事務、総務とのやりとり、ECの管理やBtoC対応など、材木の「流れ」をつくる仕事をしています。また営業や暮らし創造部の企画、果てはメディア制作にも関わります。自他共に認める「よろず屋」さん。そんな彼が西粟倉村を訪れたのは2009年の2月のこと。
 

「友人から西粟倉村という地域で面白い取り組みをしていると訊いて、なんとなく面白そうだなと思い、ツアーで西粟倉村を訪れました。そのときにはまだ森の学校も設立前でした。そのときに『百年の森林構想』の構想図を見せていただいて、こんな風に地域が循環すればすごいことだと思いました。」

– 今でこそ、地域創生が声高に叫ばれて、地域の豊かさにスポットライトが当たる時代になりましたが、当時はまちおこし過渡期。世の中がまだ地域に目を向けていない中、大学で環境について学んでいた坂田さんは西粟倉村の進むであろう道に魅力を感じます。

「エコだとか言って世の中にいいことをしようと思っても、それが我慢することや制限することにつながるとうまく続かないという印象がありました。まちおこしにありがちな、特定の誰かがスタンドプレイで頑張るのではなくて、西粟倉村は、地域の資源である森林を生かして、経済を動かしていこうとしているところに可能性を感じました。村ぐるみですごいことするなと単純に感動しました。」

– 最初に訪れたときは、西粟倉村への移住も働くこともまったく念頭にありませんでした。しかし、坂田さんが感じた可能性が、彼を幾度も西粟倉村へ向かわせます。通う中で始まった『西粟倉村共有の森ファンド』に一口投資するなど、坂田さんは少しずつ西粟倉村との接点を増やしていきます。

「2009年は前職を退職して、西粟倉村へ訪れていくうちに「次、働くならば、西粟倉村で働いてみたい、かも」という気持ちが湧いてきました。」

– そうして、森の学校を創業したばかりの牧大介さん(現エーゼロ株式会社 代表取締役社長)に「ここで働けませんか」と訊ねたのが2009年の秋でした。坂田さんは2009年に総務省によって制度化された「地域おこし協力隊」で受け入れが決まり、12月に地域おこし協力隊として正式採用。こうして西粟倉村初の地域おこし協力隊が誕生しました。
 


坂田さんは、西粟倉村役場付けではなく、西粟倉森の学校のデスクと名刺を持って、企業付けになります。地域おこし協力隊でありながら、民間企業の一社員になります。地域おこし協力隊とは地域の担い手を支援する制度ですが、地域創生の担い手として村の運命を背負った地域商社の一員にすることに村役場の躊躇はありませんでした。この例は今でも「地域のローカルベンチャーの支援をする。それのなにが悪いんですか」に受け継がれます。協力隊のあり方はスタートから柔軟でした。
 

嵐の真ん中を往く船にしがみつくような創業期

– 「面白そう」というふんわりしたスタンスから、西粟倉村に移住した坂田さん。林業の予備知識もなく、田舎暮らしがしたいわけでもありません。とにかく、ピンときたから来たという若者の身軽さと村の柔軟な受け入れで、西粟倉村に人口がひとり増えました。2009年当時、森の学校は、製材所もなく、自社商品もなく、ただ地域資源である木を売っていこうということだけは決まっていた状況。そんな黎明期において、坂田さんは牧さんや井上さん(井上達哉 西粟倉森の学校 代表取締役社長)が起こすイノベーションの下支えに徹します。

「僕は自分で起業したい、ものづくりをしたい、というわけではありませんでした。ただこの村のことを想う共感を増やしたい、自分が「いいな」と思ったことをみんなにも知ってほしい。家具職人ならば、家具をつくるのが仕事ですが、知って欲しいを仕事にすると守備範囲が広かったんです。また森の学校の社員でしたけど、村で起業した「木工房ようび」や「木薫」の営業もしていました。幼稚園に野菜を持って、売りつつ木薫の遊具の売り込みに行きました。それも地域商社である森の学校の仕事でした。」
 


– 当時は「地域商社」の側面が強かった森の学校は、とにかく西粟倉村のファンを増やすことが大命題でした。会社毎、なんて言っていられません。できることはなんでもやる坂田さんのよろず屋さんの真髄はここからはじまったのかもしれません。

小さな村の、吹けば飛ぶようなちいさなローカルベンチャー企業は、創業期において嵐の真ん中にいる船のように浮き沈みが激しいのは想像に難くありません。クルー(従業員)は舵を取るキャプテン(社長)の船から振り落とされないようにしがみつき、そのときできることを果たし、数多の嵐を乗り越えていきます。

「社長が、昨日と今日、言っていることが違うなんてたくさんありましたよ(笑)。僕も勘違いして、間違えてしまったこともたくさんありました。」

– それでも、坂田さんが7年間、船から振り落とされず森の学校の従業員として働き続けることができたのはどうしてでしょう?と伺うと、照れ笑いを浮かべて、「なんでしょうね?やっぱり最初に伺ったビジョンがすごいなと思ったところが大きいです」。彼の一途さを支えたのは、最初に坂田さんがこの村で見た可能性でした。

 

「森の学校だからできること」を加速させたい人材募集

– そして2015年森の学校に転機が訪れます。森の学校の中の事業の、地域資源を活用する材木事業が「西粟倉森の学校」、村の人事部・起業支援や地域経済循環のインフラづくりに特化した「エーゼロ」に分社化します。坂田さんは西粟倉森の学校へ行くことになります。

「今までつくってきたものを省みると、森の学校で働くことが自分の中で自然の流れでした。僕は西粟倉村でずっと仕事をしていたかったので、森の学校でやっていくほうがしっくりくると思いました。エーゼロは他地域のコンサルもはじめると聞いて、それを自分もやりたいかと聞かれたら、違いました。ここ(森の学校)でつくってきたものを育てていきたい想いのほうが強かった。そして、森の学校は売り上げが数億単位になりましたけれど、もっと売り上げをあげたい。そして、社会的大義だけではなく、普通に、みんなが働きたいと思える場所にしたいんです。」

– 「材木業」に特化した森の学校のミッションは、西粟倉の森を飛び出して、日本の森とお客様をつなぐ会社になることです。今回はその足掛かりになる人材を募集します。「経営企画(新サービス・新規事業の立ち上げ)」の募集は、現社長である井上さんが、森の学校創立時から担ってきた分野です。いわば社長の右腕業。7年間、井上さんとともに森の学校を支えてきた坂田さんは、どんな人が来たら良いと考えているのでしょう。
 

「(長考)……まずは井上さんの話の聞き手になれる人ですね。フフフフフ(笑)。そして井上さんが直接、指示や管理をするのではなくて、責任者として立ち回れる人。企画のスペシャリストが良いかもしれませんね。井上さんが営業や企画の細かいところまで動くのは会社的には良い状況とは思えないので。僕個人としては、井上さんには会社経営や大きなBtoBの案件に集中する時間を増やしてあげたい。会社や社長の意向を汲んで、企画提案ができる人がいいです。」

– そして、もうひとつの募集が「新しい木材流通に取り組むサイト「みんなの材木屋」でのコンテンツ企画・制作・運営」。いわば森の学校のイノベーションを編集して伝える担い手です。現在「みんなの材木屋」サイトは、ECサイトとオウンドメディアとして森の学校ファンを着々と増やしています。坂田さんも週1回、自然の写真を撮ってサイトで披露しています。

「森の学校のスタッフが各々更新していますが、個性が出ていて楽しいですよね。当事者が発信するのでリアリティもあります。」
 


「はじめの頃「みんなの材木屋」のサイトを利用されるお客さまは「西粟倉村を応援したい」「林業の6次化に期待している」という切り口でアクセスしてくださった方が大多数でした。僕らはそういう心あるお客さま支えてもらっている部分がありました。でもそれだけでは「材木屋」は加速しません。木を売るのに良心で訴えかけている場合じゃない(笑)。DIYなど、木がある暮らしに興味のある人たちにも僕らの材木を使う良さを訴えていかなければいけない。

すぎとひのきの違いや節の有無など、一般的ではない材木の表現は、「みんなの材木屋」で僕らが工夫してきたところです。木は暮らしに近いものだから、どれだけ身近に感じてもらえるかが大事。木に近い僕らだからできる発信方法で、わくわくを届けたいです。」
 

会社の挑戦が自分の挑戦になること

– ここまでお話しを聞いて、しみじみ思うのが、坂田さんは地域に会社にと、徹底的な寄り添い型。各々やりたいことを思いっきりやるローカルベンチャーの巣、西粟倉村において希少種ともいえる存在。しかし、休日は別のようです。

「オンオフは分けたい派です(笑)。休みの日まで、森林に根ざした生活をする…ってことは考えません。移住した時から、田舎暮らしに憧れていたわけではないので、畑もやりません。なので休日はあまり西粟倉村にいません。大阪帰ったり、友人と合流してから滝を見に行ったりします。」

– 移住者全員が田舎を謳歌するために地域で暮らしているわけではありません。それこそ既成概念にとらわれている証拠。坂田さんはとても自由自在に西粟倉村で暮らしています。そして25歳で単身西粟倉村にやってきた坂田さんも、今年で32歳。今もおひとりさま男子を謳歌中。ずばり、結婚は?

「危険だなぁと思うんですけどね、ひとり暮らしって楽だなぁって。この村で挑戦している人で結婚していない人もおられますよね。。そういう人が多くなってしまうと社会問題ですね(笑)。」

– 西粟倉村、そして森の学校の挑戦を支えてきた坂田さん。最後に、あえて、今、なにに挑戦しているのか?を言語化すると、やっぱり「森の学校の未来」でした。

「森の学校をもっとしっかり会社にすることです。西粟倉村では、ここで起業したいです、っていう人はもちろん、ここで生活していくことを目標にする人も増えました。そんな人たちも安心して働ける会社をつくっていきたいです。」
 


– 『百年の森林構想』に惹かれて西粟倉村へやってきた青年は、流れるがまま地域商社で働き、興味から体験を経て、会社が「他人ごと」から「自分ごと」へ変わっていきます。地域は、会社を立ち上げる人もいれば、会社を支えていきたいと寄り添う人もいる中で、経済が成り立っています。ローカルベンチャーは、起業家がたったひとりで事業をはじめますが、ひとりでできることなんてたかがしれています。時に経営者よりも深い愛情を会社に注ぐ従業員がいるからこそ、イノベーションのうねりが生まれるのです。きっかけは「面白そう」で充分、” ふつう“でも” 変態“でも、ここに来たいと思うあなたがいい。

そして「さかぽん」のように” ふつう“に、そして自由に、地域で働き暮らしていけるひとが増えるのが、地域の正しい生態系のような気がします。

※森の学校に興味を持った方は、こちらのインタビューもあわせてどうぞ。
「木よりも断然、人が好き」な製造部エースが材木の夢物語を現実に変えていく
西粟倉の森から日本の森へ飛び出すために、ヒラメキトキメク仲間が欲しい。

※こちらの求人は、応募を締め切りました

募集期間
2016/8/8〜2016/10/15

採用予定人数
2~3名

選考プロセス
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西粟倉森の学校

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