北海道

厚真町

あつまちょう

秋晴れの空の下、2年ぶりの収穫に歓喜! 「田んぼのオーナー」への2軒の農家の想い。

2019年10月6日、厚真町の幌内地区で「田んぼのオーナー」たちによる収穫作業が行われました。

朝から抜けるような青空に恵まれたこの日、町内外から250名を超える参加者が集まり、鎌を手に黄金色の田んぼに分け入って収穫作業に汗を流しました。

 

申込みは例年の2倍

農家から1区画(100平方メートル)の田んぼを1シーズン2万5000円(平成31年度実績)で借り、お米を栽培する「田んぼのオーナー」制度。収穫したお米が手元に届くだけではなく、年3回の農作業体験イベント(種まき・田植え・稲刈り)に参加できるユニークなグリーンツーリズムです。

 

厚真町では2007年度にこの制度を開始。立ち上げメンバーの一人である小納谷(こなや)守さんの田んぼで毎年受け入れを行ってきました。

 

ところが、収穫を控えた2018年9月6日に北海道胆振東部地震が発生。幌内地区にあった小納谷さんの田んぼは、たわわに実った稲もろとも流出した土砂に呑まれてしまいました。

 

農地復旧を余儀なくされた小納谷さんの跡を継ぎ、今シーズンは同じ幌内地区の高橋宥悦(ゆうえつ)さんが田んぼの貸出に協力することに。主催する観光協会が春に募集を開始すると、「厚真町の復興を応援したい」と、いつもの倍以上となる95区画の申込みがありました。

 

4月の種まき、5月の田植えに続いて、3回目の体験イベントとなるこの日。近郊の苫小牧や千歳はもとより、札幌などから続々とオーナーのみなさんが高橋さんの田んぼに集まりました。参加者は親子連れが中心で、中にはベビーカーを引く若いパパ・ママもいます。

 

午前10時、高橋さんの声を合図にいっせいに収穫作業がスタートしました。田んぼの北側と南側に分かれた参加者が、鎌を片手に田んぼ中央に向かって「はさみ撃ち」で稲を刈り取っていきます。

苫小牧市の杉原さんは家族3人で参加しました。「普段食べているお米がどのように作られているのかを2歳の子どもに体験を通して知ってほしかった」と申し込んだ理由を話す奥さま。「いざやってみると実際には大人の自分自身も知らないことだらけ。田植えのときにはズボズボ足が土にはまって…、あの感触は忘れられません」とご主人は言います。

「子どもは田んぼに興味津々。連れてきて良かったです」という杉原さんご一家

同じく苫小牧から親子で参加した原田さん。実は、2019年春から幌内地区の災害復旧工事に携わり、日々稲が育っていく姿を横目で見ながら通勤していたそうです。

 

「田んぼが被災してもなお、残った田んぼをどうにか手入れしてお米を育てている農家のみなさんには本当に頭が下がる思いです。そうやってできたお米をいただけるというのはありがたいことですね」。お父さんがそう言うと、小学5年生のジュンヤくんは「特別な味になるね」とすかさず付け加えました。

今年初参加の原田さん親子。「こんなに大きく育ってうれしい!早く食べたい!」

 

託されたバトン

今シーズン初めて受け入れ農家となった高橋さんは、「『いいよ』なんて気軽に引き受けたけどさ。こんなに大変だとは思わなかった」と苦笑い。運営主体は観光協会ですが、体験イベントのたびに万が一のことがないよう圃(ほ)場を整備したり、時間内につつがなく進行するため知り合い農家から農機具を借りたり。小納谷さんが背負ってきた受入農家の大変さを今さらながら知ったといいます。シーズンの締めくくりとなる収穫体験をケガなく無事に終えて、ホッと一安心です。

2019年はおおむね天候に恵まれ、稲は順調に生育。「(作柄は)まあまあかな。平年並みだと思うよ」と刈り取り作業を見守りながら高橋さんがうなずきます

高橋さんは4〜5年前から「田んぼのオーナー(の受け入れ)をやらないか」と小納谷さんに頼まれていました。けれど、小納谷さんが「引退」を口にするたびに高橋さんは断ってきました。受け入れはメロン栽培の繁忙期に重なるし、まちの一大事業を背負うのは自分たちにはまだ早い、なにより小納谷さんの楽しみを奪ってしまっていいものか…。

 

「いつかは自分が、でも今は」。そんな思いを抱えていた2018年、あの地震が起きました。

 

小納谷さんばかりでなく、高橋さん自身も土砂やその後の復旧工事の影響で14ヘクタールの水田のうち6ヘクタールが被害を受けました。被災を免れた水田もしばらくは収穫どころではなく、放置した稲穂を刈り取ったのはずっと後になってから。収穫のタイミングを逸したお米は出荷などできず、半年間手塩にかけて育ててきたお米を全量処分しました。その喪失感を思うと胸が締め付けられます。

 

「こんな年は初めてだ」と悔しさをにじませる高橋さん。「でも…、残ったところをやらんけりゃ、どうしようもないからさ」。土砂災害を免れた田んぼで再起を図った2019年、高橋さんはこの年の作業を断念した小納谷さんに代わり、オーナーの受け入れを引き継ぐことも決断しました。

 

田んぼから生まれる絆

「うれしかったよ、そりゃあ」。そう言って目を細めるのは小納谷さんの妻、睦子さん。

 

実は2019年4月、小納谷さんはがんのため他界しました。睦子さんは高橋さんが引き継ぐ意思を固めたことを喜ぶ一方で、実施への不安もあったといいます。「ただね。正直、やっていいものかと思いました。いつまた何があってもおかしくないでしょ。復旧工事のダンプもひっきりなしに通るし、こんな危険なところに人を集めていいものかって。それだけが心配だったけど…、子どもたちの喜ぶ顔を見たらさ、やっぱりやってよかったね」。

幌内のみんなから「むっちゃん」と呼ばれて慕われる小納谷睦子さん(右)と、高橋宥悦さんの妻・幸江さん

睦子さんはご主人亡き今も、「田んぼのオーナー」の体験イベントが実施される日には高橋さんの圃場を訪れ、受け入れ作業を手伝います。「やっぱり、オーナーが来る日が近づくと、計画を立てたり、準備をしたり、大変なコトも多いけれど、自分たちも楽しいものよ。子どもたちが来て喜んでくれるからね。始まった頃から毎年のように申し込んでくれる人もいます。10年たって、年を取って。…お互いにね」と睦子さんは笑います。

 

北海道胆振東部地震後にはニュース映像で小納谷さんを見かけて、「小納谷さん、元気だったのね!心配してたよ」と、わざわざ連絡をくれたオーナーもいたそうです。「ふれあう時間なんて、わずかなもの。それも年にほんの数回だし。それでも私たちのことを気にかけてくれて。こういうつながりが持てたのも、オーナーの受け入れを続けてきたからね」。

 

小納谷守さんとともに「田んぼのオーナー」制度の立ち上げに携わった池川徹さん(厚真町観光協会会長)は言います。「『田んぼのオーナー』で厚真に来てくれた人が、厚真というまちの名前を覚え、何かあれば気にかけてくれる。そこに、この事業を続けてきた価値があります。まちの発信手段としてわれわれが町外へPRに出ることも大事ですが、『田んぼのオーナー』で町外から厚真に来てもらったついでに町内をめぐって魅力を感じていただくことが、厚真を知ってもらう一番の近道です。これをきっかけに、これからも厚真に来てもらえたらいいですよね」。

収穫作業があったこの日、町内では収穫祭「あつマルシェ」を開催。会場には昔の脱穀機が展示され、「田んぼのオーナー」のみなさんが脱穀体験を楽しんでいました

観光客よりも関わりは濃いけれど、その地域に移住するわけでもない。「観光以上、移住未満」の“関係人口”というキーワードが人口減少時代のいま注目を集めています。でも、「田んぼのオーナー」はそんな言葉が生まれるずっと前から、関係人口を創出してきました。

 

田んぼでつながる厚真との縁。小納谷さんから高橋さんの田んぼへと引き継がれた絆は、きっとこれからも、揺らぐことなく続いていくことでしょう。

「田んぼのオーナー」のみんなが作ったかかしが、みんなの田んぼを見つめていました

 

田んぼのオーナーについてはこちらから

http://www.atsuma-kankoukyoukai.jp/tanbo.html

 

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