滋賀県

高島

たかしま

森と水と暮らしをつなぐ小さな家づくり。 滋賀県高島市での、新しいチャレンジ。

滋賀県高島市は、琵琶湖の西側湖畔にあたり、県内では琵琶湖の西側のことを「湖西」(こせい)と呼ぶ。その湖西に位置し、2005年に5町1村が合併してできた高島市は、滋賀県のおよそ1/6の面積を占める広さを持ち、人口は約5万人ほどだ。2016年、エーゼロ株式会社は、ここ高島市に「高島しこぶち事業所」を立ち上げた。事業所長は、30年務めた役場を退職した、清水安治(しみず・やすはる)さん、55歳。「森と水と暮らしをつなぐ小さな家づくり」をテーマに掲げた、新しい挑戦が始まる。

 

琵琶湖の風景と、ここにしかいない魚たち

2016年4月10日午前6時頃、我々は市内最北部マキノの湖畔にいた。このあたりになると、湖西というよりは湖北と呼ばれる地域で、桜で賑わっている海津大崎(かいづおおさき)と、戦国時代、羽柴秀吉と柴田勝家が戦った「賤ヶ岳合戦」で有名な賤ヶ岳方面を目にすることができる。春霞にシルエットが浮かぶ、琵琶湖のえり漁業と呼ばれる小型の定置網漁法の漁師達と、そこに集まってくる水鳥達が描く水墨画の世界。えり漁業で獲れる主な漁獲物には、琵琶湖の水系にしかいない魚たちもある。

日本の都道府県の境界線が見事なまでに水利権をベースにして分水嶺から区切られた結果、滋賀県そのものがすり鉢状の構造をしており、琵琶湖に注ぎ込む河川の水系が、完全に外界と遮断されている結果ここにしかいない生き物が現れた。ビワマス・ワタカ・ホンモロコ・ゲンゴロウブナ・ニゴロブナ・ビワコオオナマズ・イワトコオオナマズ・ビワヒガイ・スゴモロコ・アブラヒガイ・ビワヨシノボリ・イサザ・スジシマドジョウ大型種・スジシマドジョウ小型種などである。

 

琵琶湖と日本海の水に挟まれた高島市

琵琶湖は水の香りがする。ただ淡水臭いのだと思っていたけれど、高島はその他の琵琶湖沿いの地域と比べてどうにも湿気が多い気もする。これまで何度か琵琶湖を自転車にて一周してきて、ぐるりと回ってみたけれどなにかが違う。ここに暮らしていると、湿気で壁が黒ずんでしまうこともあるという。その水はどこからやってくるのか?琵琶湖から、その流域の水系から、水というキーワードで思いつくところはたくさんあるけれど、もうひとつ、大きな要素は日本海なのではないかと思った。冬場に琵琶湖周辺を訪れた時、南側に位置する大津市では雪が降っていなくても、北上し高島市に入ったあたりから雪が降ってきて、高島市北部、マキノを過ぎたあたりからはホワイトアウトしてしまったことがあった。冬場に限らず、ここは常に日本海側の気候に強く影響されるのかもしれない。

ふと川を覗いてみたら、ウグイが大量に生まれた川に向かって遡上していた。春は産卵の季節であり、オレンジ色の婚姻色に染まったウグイが一斉に遡上し、ヤナ漁の関を越えようとして飛び跳ねていた。

 

5町1村が広域合併して新たな市が誕生

高島市に向かうためのルートは2つある。代表的なルートは琵琶湖沿いを大津から北上するルートであり、電車であれば京都駅からJR湖西線に乗って、京都駅より約45分ほどで到着。この湖西線、1974年に開業時、大津京〜近江塩津間の全線を高架にしたために、えらく見晴らしが良いのである。日本中の鉄道路線から見える車窓の風景の中で、個人的には1、2の眺めだと思うが、あまりにも知られていない。電車とほぼ平行して車で国道161号線からアクセスする方法もあるが、常時この道は混雑している為、もう一つの選択肢が出てくる。

もう一つのルートは車での場合のみになるが、京都市内を北上、大原の里を抜けて、鯖街道へと至るルートだ。この道は江戸時代に若狭から京に向けて、魚介類を運搬する道であったが、その中でも鯖が多かったからこの名前がついたらしい。その道中はほぼ全て山中の谷間であり、高島市の中でも直接朽木方面に向かう場合は最も早道となる。高島市は、常に西側が山地で、東に向けて標高が下がってゆき、琵琶湖へと流れ込む地形となっている。

 

水にまつわる2つの文化

その地形に沿って、高島市の最奥、朽木(くつき)集落から流れてくる最も大きな川が、安曇川(あどがわ)である。市内中心部を流れるこの川は、琵琶湖に水を注ぎ込む河川の中で最も多くの水を注ぎ込んでいる川であり、その水をつくり出している積雪量と、上流部における森林資源の豊富さを物語っている。

その流域では古来より林業が盛んで、かつては木材運搬のいかだ流しが盛んであった。材木を2.5メートルほどの幅に横並びにして、マンサクの木で作った縄で結束したものを一連といい、上流域では5〜6連を縦に連結して、安曇川に流し、いかだ乗りが3人ほど乗り込んで材木を運んでいたそうだ。

1,200年前から続いてきたいかだ流しも、昭和10年代後半頃から衰退し始め、水力発電用のダムの建設、道路整備にともなうトラック輸送や鉄道敷設による貨物輸送の発達によって徐々に衰退、太平洋戦争によって多くの若者が軍隊に応召されたために、いかだの乗り手がいなくなり、昭和23年にいかだ流しは廃絶したという。

また、安曇川沿いには「シコブチ神」という土着信仰があり、川が大きく曲がっている箇所や、流れの激しい箇所に神社が祭られ、危険を伴ういかだ流しが無事に山から河口まで辿り着くように安全な航行を見守っていたと言われている。現在でもこのシコブチ神を祭った神社が16ヶ所残されている。

(参考資料:安曇川 RIVER MAP)

安曇川のいかだ流しに並んでもうひとつ、この地域の水辺の文化として特徴的なのが「かばた」だ。この井戸のようなものをいう。かつて日本中の水が豊富な地域には必ずあったそうだが、高島市の琵琶湖側の地域には今もあちこちに残っており、この地域から湧き出てくる水を貯めておく設備で、各家庭が個人の所有物として敷地内にほぼ一つずつ備えつけている。(写真は新旭、針江地区にて)

かばたの水は平均して年間14度前後の温度を保っていて、夏は水道水より冷たく、冬は水道水より温かい。わき水が直接流れ込む上水部分である「壺池」には、季節折々の野菜を水に浮かべて冷やしたり、そこで顔を洗ったり、食べ物を洗って、その隣に流れている下水部分である「端池」に流す。端池では鯉やナマズがペットとして飼われていて、ごはんを食べた後のナベや食器を入れておくと雑食性の彼らは、付着している残物をひとつのこらず全部食べてしまう(当然、生ゴミ入れではないので、残り物をそのまま流すことはない)。カレーのような油を含んだものでも食べるが、野菜の切れ端のような人間が食べないものは彼らも食べない。

各家々の下水部分の端池はすべて繋がっていて、上流の家で洗ったものが当然下流の家にも流れてくる。基本的には鯉が食べてしまうのでクズは流れてこないけれども、もしも上流でなにか毒性のあるものを流してしまったら、下流の鯉は全滅してしまったりするわけで、そのようなことが起こらないような地域としての信頼関係をベースとしてこの水のシステムは成り立っている。

聞いた話によると、そのとめどもなく湧き出てくる水を見て、大阪からやってきたおばさんは「私たちはお金を払って水を飲んでいるんや、もったいないから水をとめて」と本気で言ったらしい。とめるにもとめようがなく湧き出た水は各家庭の端池から共同水路へ、幅2メートル程度の小川に流れていき、琵琶湖にそそぎ、蒸発して雨や雪となって、雪解け水が長い時間をかけて濾過されてまた湧き水となってわいて出てくる。このような文化がこの地域で残ったのも、地理的条件が揃っているからであろう。

 

移住する空き家がないなら、新築で建てればいい

こうした環境の中で生まれ育ってきたのが、清水安治さん。滋賀県庁職員として三十年以上務めた後に、今年からエーゼロ株式会社へと合流し、高島しこぶち事業所所長になった。

一級建築士の資格を持っており、高島で育った木で、ご自宅を建てた清水さん。「私の先祖が植えて育ててきた木を私の代に伐って自宅を建てたんですけど、やってみるとすごく充実感があって、他の人にもこの感覚を伝えたくなったんです」。そして、地元にもそうした地産地消の家づくりを広げていこうと、山主や林業家、工務店、設計士などと、一般社団法人安曇川・森と家づくりの会を立ち上げた。また、滋賀県庁職員としても、県立高校の校舎を県産木材で建築することを仕掛けるなど、地域産木材の利用促進に尽力してきた。

そんな清水さんは、移住者に物件を貸す「大家さん」でもある。高島は、京都や大阪からの通勤圏ということもあり、「移住したい」という声も多いが、利用できる空き家はまだまだ少ない。空き家紹介システムを運営している市役所への問い合わせも多いが、移住者のニーズに合う空き家が少ない状況に、なんとかしなくてはと思っていたそうだ。

今回の訪問では、移住者に貸しているという住宅を見せてもらった。家族3人で、自分でリノベーションしながら住んでいるというこの家の家賃は都会と比べて驚くほど安い。集落から少し離れた家は、自然に囲まれた静かな環境で、家の前には畑がある。移住したい人が憧れる環境だ。

そんな清水さんが、新しく挑戦しようとしているのが、賃貸で空き家を貸すに留まらず、移住者達が求める「小さな家」を地域産の木材で新築できるようしようという事業だ。利用できる空き家は限られているけれど、空いている土地だったらまだまだあることが多い。コストを抑えて、空き家をフルリノベーションするのと同じような価格で、環境性能が高くコンパクトな新築住宅を建てられたら、地域に移住するという選択は、もっと身近になるだろう。そして、もうすでに今、西粟倉村でそうした家の新築プロジェクトを始めている。

エーゼロ株式会社の高島しこぶち事業所は、まだ清水さん一人の小さな事業所だが、近いうちに高島市在住の2名が新しく参画する予定だ。今年、西粟倉村でつくった実績をもとに、来年以降、地元でどんなチャレンジができるか。まだ小さな水路でしかない挑戦に、地域の人たちが合流して、大きな流れになっていくことを、清水さんは目指している。